第四話 夜通しネットサーフィン

 有江は、ダンテを連れて梶沢出版ビルを出る。


「常磐道さんは、私の正式な名前をご存じでした」

 歩きながら、ダンテは頬を紅潮させ言った。

 ダンテの名前は「ドゥランテ」が正しく「永続する者」という意味らしい。「ダンテ」は「ドゥランテ」の短縮形なのだそうだ。一連の不思議な出来事は、この名前のせいかもしれませんと、ダンテは話した。


 すれ違う人々は、振り返りダンテを見ている。間違いなく、ダンテは人々から見えているし、目立ち過ぎている。

「服を買って、その朱色の布から着替えましょう」

 ダンテは、頷いた。

「せめて『ローブ』と言ってほしいのですが……正式名は『ルッコ』といって、フィレンチェの行政高官プリオーレが着る服なのです。私も恥ずかしながら就任したことがありまして、それ以来、朱色のルッコを気に入って着ているのです。しかし……」

 ダンテは、神妙な顔つきになった。

「とても、寒いです」


 早く仕立屋を検索してくださいとダンテは催促するが、探さずとも、駅ビルに有江がよく立ち寄る衣料店が入っている。

 まだ寒空は続いているが、衣料店では新春セールが始まっていた。


 店に入り、好きな服を選ぶようダンテに言うが、オロオロするばかりでなく、レースが好きだからと女性物の下着を選んで持ってくる。

 見かねた有江は、コーディネイトを買って出た。


 一着目は、黒のダウンパーカーにスリムパンツ。フリースジャケットも黒にしようと有江は提案するが、ダンテの希望で朱色になった。

 二着目は、白のタートルネックセーターにグレーのベスト、グレンチェックのジャケットとパンツを合わせ、ブラウンのチェスターコート。朱色のストールを巻いた。

 どうしても頭巾が欲しいと言うので、朱色に近いオレンジのリブビーニー帽を加える。

 赤のチェックとネイビーのフランネルシャツ、下着とソックス、バックパックとショルダーと財布、ベルトと靴で税込み七万八千百五十五円。

 他人のショッピングでも、これだけ買うと気持ちよい。有江のストレスは、ほんの少し解消した。


 会計を済ませ、着替えて帰るためにタグを外したいと店員に伝えると、ダンテの姿を見て「それはそうだろう」という顔でハサミを貸してくれた。

 ダンテを試着室に押し込み、着替えさせる。


 一着目のコーデ姿になったダンテと店を出た。

 ダンテは、オレンジ色のリブビーニー帽の上に月桂冠をかぶっている。

 捨てる場所が、なかったそうだ。


 外は、日も落ち暗くなっていた。


「宿泊場所を探しましょう」

 ダンテは、着替えた服を気にいったのか、ポケットに手を突っ込んでポーズを取っている。

「運転免許証とか、マイナンバーカードとか、持っていませんか」

 有江が尋ねるが、ダンテは何も答えず、ガラス窓に映した自分の姿を見ている。興味のない話題には反応せず、ダンテなりに情報の取捨選択をしているようだ。


「ビジネスホテルか、ネットカフェしかありませんね。どうします?」

 ダンテは、ようやく反応する。

「ビジネスホテルは、夜の空に文字が輝いている向かいの建物のことでしょうか。様子からして宗教宿ですか。ネットカフェが何かはわかりませんが、ネットとは携帯端末が接続する情報網のことですよね」

 本当に知らないとすれば鋭い。

 ネットカフェは、自由に操作できる「パソコン」という携帯しない端末が個室ブースに置いてあり、そこで仮眠を取ったりできる店であると有江は説明する。


 ダンテは、もちろんネットカフェを希望する。

 検索して、ひと駅先の街に店を見つけた。

 電車に乗りながら、今日はこの路線を何回乗り降りしているのだろうと、有江は他人ごとのように思った。


 駅前では、大勢の大学生が話し笑いあい、それぞれが目指す店に入っていく。

 有江たちは、駅の北側に回り込み、目的の店に着く。ダンテを置いて帰るわけにもいかず、有江も三十分だけ利用することにした。


 まずは、身分証明を持っていないダンテの入会手続きを、突破しなければならない。

 店では何も話さないよう、有江はダンテに釘を刺した。


「こちらは、私の実家にホームステイしているダンテさんで、日本のネットカフェをぜひ体験したいと言うので連れてきたのですが、パスポートを実家の金庫に入れたまま忘れて来てしまいました。他県なので取りに帰ることもできません。ネットカフェで仮眠する体験もしないで、このままイタリアに帰国してしまっては、今まで、日本に来るために昼も夜も働き、食費を削り貯金してきた苦労が、全て水の泡だと言うのです。私の身分証明書で入会して、利用させてあげたいのですが、できますか」

 人間、嘘をつくときには饒舌じょうぜつになる。


 受付の「小池」とネームプレートをつけた若い店員は、少し疑っていた様子だったが、有江も一緒に会員登録することで納得したようだ。ダンテと並んで入会申込書を記入する有江は、これで住所と電話番号も知られてしまったと、じわり後悔する。


 有江は、ダンテにネットカフェでの過ごし方、パソコンの使い方を説明する。

 現金を持たせておくのも心配なので、必ず明日の朝に迎えに来ることを約束し、料金分を抜いた封筒を預かった。あっさり封筒を渡すダンテに、なんてお人好しなんだろうと、有江は改めて心配になる。

 ウォシュレット・トイレの使い方を絵に描いて説明し、有江は店を出た。



 翌朝七時三十分、有江がネットカフェに寄ると、店先にダンテが荷物を持って待っていた。見よう見まねで会計したようだ。


「おはようございます。よく眠れ……」

 有江は、言葉を最後まで口にすることなく飲み込んだ。ダンテの眼は真っ赤に充血し、目の周りにはくまができている。

「おはようございます。とても勉強になりました」

 ダンテは、一晩中ネット検索し、この世界のことを調べていたそうだ。調べた言葉の説明をまた調べてと、際限なく検索し続けたという。


 パソコンに触れる前にシャワーを浴びたので、小奇麗になっていることだけが救いだった。


「私は、五十六歳で死ぬのですね」

 ダンテは「ダンテ」を検索したのだろう。

 本物のダンテなら、さぞ落ち込んでいると思いきや「この世界に私が現れて、この事実が、どう変化するのか楽しみです」と話す様子を見て、有江は心配するには及ばないと悟る。


「常磐道さんの『神曲』の意味も解りました。森鴎外さんが、翻訳してくれたのですね。ありがたいことです」

「日本という国とイタリアも調べました」

「インターネットの仕組みも調べました」

「トイレのウォシュレットも調べました」

 ダンテは、未だ検索地獄の興奮から覚めやらぬ様子だ。

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