第二話 中世貨幣を売りに行く

 商店が連なる通りの角に、喫茶店のスタンド看板が見えた。

 クラシカルなドアには「営業中」のサインプレートが掛けられている。

 有江は、自称ダンテが霊魂であろうと、逃げられないよう朱色の布をつかみながら、店に入った。


 チリンと鈴の音が鳴る。

「いらっしゃいませ」

 黒のワンピースに白いエプロンをつけた女性店員が、条件反射のように応えた。

 有江と霊魂は、窓際の席に向かい合わせに座る。


 店内には五人の先客がいて、店員はモーニングの配膳や片付けにと忙しそうだ。カウンター席のカップをマスターに手渡した店員は、有江の席に注文を取りにくる。

 店員は、有江と霊魂の前にコップを置いた。

「ご注文は、お決まりですか」

 有江と霊魂の顔を交互に見ている。

「レギュラーコーヒーをふたつ、ホットでお願いします」


 店員は、マスターにオーダーを伝えている。顔を上げたマスターと目が合った。


 見えている。

 喫茶店の店員も、マスターも、男が見えている。他の客も、出勤を急ぐサラリーマンも、この男が見えているのだろう。

「コーヒー代も、後で出してもらいます」

 有江が勝手に注文したのだが、おごるのも釈然としない。

 それに、霊魂でも幻影でもなければ、持っているお金は使えるのだろう。


「一か月は暮らせる額ですので、足りると思います」

 自称ダンテは、布袋を差し出した。

「日本円でいくらになるか調べてみます。三リブ……」

 有江は、スマホで検索する。

「三リブラ九ソリデゥス六デナリです」


 自称ダンテが覗き込むスマホの画面に「中世貨幣」と表示される。

「これ、古銭じゃない」

「日本が二千二十四年であれば、そうなります」

「他にお金は持っていないのですか」

「これだけです」

 弁償できるのであれば、換金しても構わないと自称ダンテは言った。


 コインショップを検索する。


「その文字や絵が出てくる板はなんですか」

 コーヒーを飲む自称ダンテは、身を乗り出し尋ねてきた。

「これは、スマートフォンです」

「何ができるのですか」

「電話を掛けたり、インターネットに接続して情報の検索やサービスが受けられる携帯端末です」

 有江は、自称ダンテの自然な演技につられて、まじめに答えている自分に驚いた。


「電話ってなんですか」

「インターネットってなんですか」

「サービスへの対価はいくらなのですか」

 喫茶店を後に駅に向かう途中も、自称ダンテは質問を続けた。

 演技としては過剰だが、演技でないとすれば、質問は的確であり、理解も速い。


 有江は、混乱していた。


 あいにく、この街にコインショップはなく、職場を過ぎ、都心に出なければならなかった。

 大通りに出て、道を行き交う自動車を見た自称ダンテは、地獄でも見たかのように驚き、あれは何かと尋ねてきた。


 ふたりは、駅の改札を抜け、上り方面のホームに降りる。

 ホームに電車が入ると、固まったまま動かない自称ダンテに「これは電車です」と手短に答え、車内に押し込んだ。



 二十分ほど電車に乗り、都心で降りる。


 駅から徒歩十五分の距離と案内されている「寿コイン」を目指す。

 有江は、右足のヒールがない上に、自称ダンテが上から覗き込むので、非常に歩きにくい。

 路地の角を曲がり、人通りも少なくなってきた。

「あの店が、そのようです」

 自称ダンテに、先に見つけられてしまった。


 辺りは雑居ビルに囲まれ、ビルとビルの間は漏れなく路地になっている。「寿コイン」は、ビルの一階に店を構えている。

 店の入り口は、すりガラス一枚の自動ドアに「寿コイン」の文字だけが透けている。

 有江が「寿」から中を覗こうとすると、ドアが開いた。


 八畳ほどの店内の正面には、ガラスのショーケースが置かれ、中には見慣れぬコインが並んでいる。右手の三段の棚にもコインが並べられているが、ショーケース組ほどの大きさや輝きはない。左手の書棚には、古銭のカタログや、貨幣に関する本が並んでいた。

 ショーケースの奥に、茶のジャケットを着た白髪交じりの店主が立っている。部屋の右隅には、紺のパーカーを着た青年が、丸椅子に座ってニコニコしていた。


 コインショップに初めて入る有江は、勝手がわからぬまま、店内を見回し、ただ立っていた。


「今日は、どのようなご用件でしょう」

 店主に声を掛けられ、緊張丸わかりで答える。

「か、買い取りを、お願いしたくて……」

「どうぞ、こちらに。お品を見せていただけますでしょうか」

 ニコニコ青年が、椅子を二脚用意してくれた。


 有江は、自称ダンテから預かった金貨一種と銀貨二種をポケットから取り出し、ショーケース上の盆に置く。

「こ、これは、おいくらになりますか」

 一番高そうな金貨を、店主の前に差し出した。

 店主は、白手袋をはめて金貨を手にすると、拡大鏡を通して表面、裏面と入念に観察し始める。


 五分ほど金貨を眺め、書籍のページをめくり、店主は口を開く。

「鑑定書は、ありますか」

 隣で座っているだけの自称ダンテの顔を見た。

「普段使っている貨幣ですから、そんなものはありません」

 自称ダンテは、答えた。

「これは、面白いですな。今の寸劇も含めて値を付けたいところですが、こちらも商売、そういうわけにもいきません」

 店主は、慣れた様子で驚きもしなかった。普段から、身の上話込みで高価買取を狙う客が多いのだろう。


「まあ、鑑定書があったとしても、これほど保存状態がよいコインが、千三百年当時のフィオリーノ金貨であるとは、誰も信じないでしょうな」

 店主は、金貨を手に取ると拡大鏡を取り出し、また見入っている。

「しかし、レプリカとしても非常に精巧に造られています。どうでしょう、このフィオリーノ金貨と、そちらの、見るところグロッソ銀貨、デナロ銀貨のレプリカ一枚ずつをセットに、買い取るというのは」


 店主は、銀貨も手に取り、一枚ずつ拡大鏡を通してから、頷きながら買取申込書にペンを走らせた。

「こちらの額で、いかがでしょうか」

 金額欄には「百二十万円」と書かれていた。


 有江は、店主の気持ちが変わらぬうちにと、急いで買取申込書を記入し、運転免許証を添えて差し出す。

 店主は、書類をひと通り確認すると、盆を持って立ち上がった。


「本物だったら、いくらになるのでしょうか」

 たまらず店主に尋ねた。

「鑑定書付きの本物だったら、そうですな、フィオリーノ金貨一枚で三百万円は下らないでしょうな。お待ちください」

 店主は、奥の間に消えた。

 店番の青年は、正面を向いてニコニコしている。


「足りないようであれば、全部、売りましょうか」

「いや、これで十分です」

 待つ時間が「永遠」のように長く感じられた。いつ店主が奥から現れて「やはり、価値はありませんな」と言われるか、いや「盗品ですな」と言われ「逮捕ですな」と警察が現れないかと、気が気でなかった。


「有江さんは、二十四歳なのですね」

 運転免許証を覗き見たであろう自称ダンテを、有江は睨みつける。氏名と生年月日を知られたようだ。自分の迂闊うかつさを悔いる。

「私は、ここに来る前に、四十八歳になりました」

 自称ダンテは、笑いながら言った。


 三十分待たされたが、警察が現れることもなく、店を出るときには、白封筒に入った百二十万円の現金を手にしていた。

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