三、縁起
天明二年六月八日、
数十年後、
以降、日照りや凶作の際は、あき姫の角――鬼
以上が、当地に残る伝承だ。
時は流れ、現代。
そして彼女は、道行く青年に声をかけた。
「すみません。私を星宮へ案内してください。私には対価の用意があります」
「観光ですか? お礼なんていいんですよ」
快諾した青年は、「看板とかないから、わかりにくいですよね」と朗らかに笑う。対して女性は、能面のような顔で尋ねる。
「あなたの名前を教えてください」
「名前?
「辰希。わたしはアキです」
「わあ、伝承に出てくるお姫さまと同じ名前ですね。角をくれて、代わりに石を貰っていったっていう。言い伝え、知ってます?」
アキと名乗る女性はやはり無表情のまま、淡々と語った。
「天降石と呼ばれるものは、無二の存在です。あなた方にとっての両親、あるいは師匠、あるいは主君。そのような存在から受領しました。私は返却に感謝します」
「へぇ……? よくわからないけど良かったですね」
まるで当事者のように話す奇妙な女性を前にして、辰希は素直に「不思議な人だなあ」と思った。隕石を祀ったという星宮、降雨伝説、鬼の角と思しき石。それらを目当てに物好きな観光客がしばしば訪れる。その中には少しばかり風変りな人物もいるのだ。今日の訪客はいつにも増して不思議かもしれないが。
いくらも歩かないうちに、二人は星宮へ到着した。
盛土の上に茂る鬱蒼とした森。ほんの数段の石階段を上れば、平らかな霊域が静寂と共に広がる。その中央に位置するのが鬼玉髄を祀る小さな祠だ。木々が生い茂り薄暗いが、祠の直上だけはぽっかりと青空が口を開けていた。
アキは表情の抜け落ちた顔で、祠をジッと見つめている。いったい何を考えているのか、傍目から窺い知ることはできない。
どうすべきか。ほんの少し悩んだ辰希は、自身の当初の目的を果たすべくポケットから鍵を取りだした。
「実は祠の鍵を持っているんです。せっかく来たのだから見てみませんか」
そうして悪戯っぽく笑う。アキは眉ひとつ動かさずに
「僕、子どもの頃にもこうして鍵を持ち出して、こっそり見たことがあるんです。見入っているうちに気が遠くなってしまって。そのとき空を見上げたら、満天の星が輝いていました。昼間だったのに、おかしいですよね」
辰希は古びた錠に鍵を差しこみながら、懐かしむように笑みをこぼす。
「甲高い耳鳴りがするのに、それも耳の中で鳴っているのではなくて、まるで遠い宇宙の彼方から響いているようで……。不思議な体験でした。そのときのことが忘れられなくて、今でもこうして見に来るんです」
音を立てて錠が開く。
祠の中には、鬼玉髄が鎮座していた。
薄く透きとおる乳白色の表層が、わずかな陽光を集めてきらめく。
「ああ、やっぱり。綺麗だ」
恍惚とした表情を浮かべる辰希の半歩後ろで、アキはその様子を伺う。
目の前の青年、あるいは過去に出会った青年とは違う時間を生きる彼女に、懐古の念が湧くことはなかった。長い時を生きる彼女にとっては、過日から今に至るまでは寸刻にすぎない。
それよりも、対価として譲渡した物を正しく活用できていないことが気掛かりだ。しかし不思議と、青年がこの
彼女は人知れず口角を上げた。
彼方からの失せ物 十余一 @0hm1t0y01
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