二、星宮

 村に、若い女が一人訪ねてきた。

 朱鷺とき色の単衣ひとえをゆるりと纏い、刺繍が細やかな黄の帯を締めている。結い上げた髪には横櫛と玉かんざし。黒塗りの下駄を履いているが、片足が不自由なのか杖を手にしていた。

 女は初夏の陽射しにも顔色ひとつ変えることなく、淡々とのたまう。

「わたしは旅人です。失せ物を探しています。ここを案内してください」

 見目麗しいが怪しい女だ、と青年はいぶかしげな視線を向けた。とても旅中とは思えない装束だ。そして、おそらく水仕事や野良仕事などしたことがないのだろう。杖を持つ手は白魚のように美しい。そのような身分の者が、供も連れずに一人旅などするものか。

 これは狐狸のたぐいが騙そうとしているのではないか。青年は怪しむ。が、それもいと思った。

 漁網のつくろいを放りだして、川にでも遊びに行こうとしていたところだ。親に見つかれば叱責は免れないだろう。しかし、旅人の案内をしていたとすれば多少言い訳も立つかもしれない。そして何より、良い暇つぶしになりそうだ。

「で、旅人さんはどこを案内してほしいって?」

「ここに飛来したものはありませんか」

「ああ、天降石? まずは星宮にお詣りってことか」

 青年は星宮へ向けようとした足を一旦止め、下卑た笑みを浮かべる。

「タダというわけにも、いかねぇよなァ?」

「私には対価の用意があります」

 そう言うと、女は紐を通した銭を取りだす。千枚は連なっていよう。手に取ると、ずしりと重い。これが後に枯れ葉に化けるか、石ころに化けるか。それとも本物の銭か。青年は楽しげに笑うことを隠しもせず、上機嫌で懐に仕舞いこんだ。

 すると女は今一度青年に向き合い、表情の抜け落ちた顔で淡々と言う。

「関係が成立しました。あなたの個体識別符丁ゴーレンタ・コードを教えてください」

「ご……? 何だって?」

「……、……。わたしは、あなたを何と呼称すべきですか」

「ああ。名前ね、名前。俺は辰之助しんのすけだ」

 いったいどこのお国なまりなのか、と辰之助は思った。伊予か、肥前か、はたまた陸奥か。どこでもいいが、一応は自分も相手の名前を聞いてみる。すると、思いもよらぬ答えが返ってきた。

「ァキウトコルヌトゥヴョールドィギゲ」

「……なんて?」

「ァキウトコルヌトゥヴョールドィギゲ」

 彼女は、寸分たがわず名乗る。

 もう一度耳を傾けようとした辰之助は、ハッと気づいて身を引く。耳慣れぬ言葉を聞いて戸惑う姿を見てわらおうとでもいうのか、狐め、狸め、その手には乗らないぞ、と。そうして「あー、秋? お秋さん、行こうか」と、適当に切りあげた。

 星宮までの短い道中、辰之助が尋ねる。

「いったい何をくしたんだ?」

 思案しているのだろうか、彼女は少しの間押し黙った。そして数度まばたきをした後、辰之助の足元を指差す。

「ああ、下駄? 履き物? へぇ」

 いつ失くしたのかという問いには、「今しがたです」と短く答えた。では今履いているその立派な漆下駄は何なのかと、辰之助は女の足元に視線を向けた。が、彼女は気づきもせずに歩みを進めている。後ろには、引きずる右足の下駄と杖が不規則な足跡を残していた。


 幾ばくもないやり取りの末、二人は木立に覆われた星宮へ到着した。平坦な畑地の中にあって、木々が立ち並ぶ一画は少しばかり目立つ。しかし、それ以上に目を引くものがあった。深緑の葉に囲まれた敷地の中心部、木製のほこらから、青白い光が漏れ出ているではないか。

「うわっ、また光ってる」

 辰之助が慌てた様子で祠の小さな木戸を開き確認すると、石が脈打つように光を放っていた。

「この探索用信号 ビーコン を辿って来ました」

「び……、何だって?」

 何度目かもわからない辰之助の困惑を余所に、彼女は喋り続けた。感慨深そうだが、表情は一切変わらない。

「もしも水中だったならば、追跡は困難だったでしょう。私は水に接触することができません」

「あんた水が苦手なのか。でもまァ確かに、海にでも投げ捨ててたら今ここにはないな。ずっと昔に、ウチの死んだ爺さまが石を捨てようとする人たちを思いとどまらせて、祠を建てたんだぜ」

 そう誇らしげに語る辰之助は、「元々は村の名前も海士あまという字だったけど、この石を天から授かったから天津あまつに変えたらしい」と付け加えた。

 静かに耳を傾けていた彼女は、おもむろに口を開く。

「保持に感謝します。辰之助、これを私に返してください」

「返す? 返すって何だよ。祈りに来たんじゃないのか」

「辰之助、これを私に返してください。返却してください」

「もしかして、あんたの言う失せ物って天降石なのか……? 駄目に決まってるだろう。さっきも話したとおり、これはウチの爺さまの代から祀ってる大事なものなの」

「私には対価の用意があります」

「無理無理。いくら銭を寄こされたって流石にこれはあげられないね」

「代替品を提案します」

 彼女は自身の頭上に手を添えると、何かを折るような仕草をする。すると、その手中に角に似た物が現れた。ざらついた表面は陽光を細やかに反射し、白くきらめく。折られたのであろう断面は、縞模様が円状に重なっていた。

「これは貴重な碼碯素材レア・ルスルスです」

 彼女は差し出し、もとい押しつけた。角が、辰之助の手中でひんやりと冷たく輝く。

 不意に雲の切れ間から傾く太陽が覗き、問答を交わす二人を照らした。あやかしの正体見たり逢魔時おうまがとき、とでも言おうか。女の足元に長く伸びる影、そこに二本の角が生えている。方や真っ直ぐに天をき、方や途中で途絶え、不均衡だ。

 辰之助は影を見るとギョッとし、内心で冷や汗をかいた。狐狸のたぐいなどではなく、鬼だったとは。しかし父祖伝来の品を渡したとあっては、後々どのような叱責を受けようか。彼は食い下がるほかない。

「だから何を貰っても無理だって!」

 彼女も決して引き下がらない。感情の乏しい顔で迫る。

「不足しているのならば、対価の加増を提案します」

「ああ、じゃあ。雨でも降らせてくれないか! ここいらの畑に、水を、ザァッとね!」

 辰之助は足元の乾いた土を下駄で少し掘ってみせ、「このところ日照り続きで困ってるんだ」と付け加えた。旱魃かんばつに苦しんでいることは事実だ。

 しかし、無理難題を押し付ければ諦めるだろうという彼の思惑は外れる。

「了承しました」

「さっき水は苦手って言っていたじゃないか!」

「わたし自身が水に接触しなければ問題ありません」

 そう言うや否や、彼女は一陣の風と共に去った。彼の元に角だけを残して。

 忽然と姿を消したことを不思議に思い、辺りを見回すも女の姿はない。彼女と共に天降石も消失した。祀るものを失った祠の戸がキィと虚しい音をたてる。

「はぁ、親父に何て話そう……。きっと叱られるだけじゃ済まないぞ」

 そのとき辰之助の頬に、ぽつりと雫が落ちた。それはやがて本降りの雨となる。

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