幼馴染は練習熱心

よこづなパンダ

幼馴染は練習熱心

 僕の幼馴染は、天利あまり れんというのだけど、この学校では知らない人はいないと言っていいほどの有名人だ。


 彼女は才色兼備で、テストの点数はいつも学年5位以内をキープしているし、部活動はバレーボール部に所属しており、チームの絶対的エース。

 そして、なんといっても容姿端麗。スタイル抜群で、大きな瞳が可愛らしい、整った顔立ち。また、印象的な長い黒髪はいつも入念に手入れされており、まるで絹のように美しい。こういったすべての要素が、彼女の清楚でちょっぴりクールなイメージを、より一層際立たせている。


 そんな彼女とこの僕が、まさか恋人同士だなんて、おそらく誰に言っても決して信じてはもらえないだろう。

 僕なんかがこうして付き合っていられるのだって、その理由は考えるまでもなく、偶然にも幼馴染という縁があったからに過ぎない。

 僕はいたって平凡な男子高校生で、そんな僕と彼女が釣り合っているだなんて到底思えない。

 だから僕は、ある種の劣等感のような感情を抱きながら、レンと付き合っている。


 ……とはいえ、そんな僕が、それでもこうして彼氏という立場でいられるのは―――


 彼女が『天才ではない』ということを、『僕だけが』知っているからだ。


 彼女は誰からも好まれており、学校にいるときはいつも周囲に人が集まっているが、家に帰ってからは毎日、自室にこもって真面目に勉強しているのを僕は知っている。

 それに、僕が寝起きでカーテンを開ける頃にはいつも、自転車に乗って学校へと向かっていく彼女の姿が見えるが、それはレンが一人でこっそり自主練をしているからだ。


 家が隣同士という理由で、彼女のプライベートな一面も小さい頃からずっと知っていた僕は、そんな彼女の努力家で練習熱心な姿に、いつしか異性として惹かれるようになっていた。


 実は意外と不器用なところがあって、何度も繰り返しやることが大事だよって、本当は並々ならぬ努力が必要なところをさらっと笑顔で言ってしまう彼女のことを、僕は心から格好良いと思ったし、そんな頑張り屋さんである彼女の支えになれたらって、おこがましいけど、告白した頃の僕はそう思ったんだ。


 だから、告白したのが僕からだから、というのもあるけど、僕は幼馴染のレンのことが大好きだし、彼女は僕に弱みを見せるのを嫌っていたけど、それはあくまで照れ隠しだって、そんな彼女のことを僕は信じていた……


 ―――あの日までは。




♢♢♢




 それは、僕と幼馴染が付き合い始めて三ヶ月が経った頃のこと。

 三ヶ月ともなれば、僕らのような初心うぶなカップルだって、彼氏彼女の関係もいくらかは進展し、そろそろそういった話も持ち上がってくる頃だろう。

 そして僕らも例外ではなく、昔はよく一緒に寝ていた僕の部屋のベッドに二人で腰掛けただけで、互いに多少は意識するようになっていた。


 ある日、彼女が部屋に遊びに来た時、たまたま僕の母親が急用で不在のときがあって、そのときに僕は意を決して、彼女の両肩を掴み、そのままベッドの方へゆっくり力を傾けた。

 だけど彼女は急に取り乱すと、慌てて部屋を飛び出して行ってしまった。


 ショックだった。

 まさかあんな風に拒絶されるとは思ってなくて、僕の心にわずかに残されていた自信は粉々に砕け散ってしまった。

 確かに僕には、彼女と比べたら良いところはほとんど見つからないと言って良い。だけど、こんなんでも僕の気持ちだけは、彼女に届いていると信じていた。

 それなのに……


 結局彼女の真意はわからないまま、レンとは学校とトークアプリでの薄っぺらい日常会話だけで、気づけば一週間が過ぎていた。




 そして、あの日は突然訪れた。

 まるで先週は何もなかったかのように、彼女はまた、僕の家に遊びに行きたいと言ってきたんだ。

 だから僕も平静を装って、母さんがこの前美味しいクッキーを貰ってきたから一緒に食べようと誘ったら、彼女はだったら自分の家に来てほしい、と言ってきた。


 僕はクッキーが好物の彼女にしては不可解な言動に一瞬首を傾げたが……すぐに彼女の真意に気づくと、僕は彼女に嫌われたわけではなかったのだと安堵した。

 彼女の両親は共働きで、家には夜遅くになるまで帰って来ないんだ。

 だから、僕の気持ちはしっかりと彼女に届いており、これできっと仲直りできると思った。


 久々に入った彼女の部屋は、昔に比べると随分と女の子らしい部屋になっていて、何となく甘い香りがした。

 そんなわけで、少し落ち着かない気持ちになっていると……レンは気づかないうちに僕の背後に回り込んでいて、彼女の豊満な柔らかいものが背中に押し当てられて、一瞬くらっと来たところを、僕はあっけなくベッドの方角へと押し倒されてしまった。


 ―――そこから先は、成す術もなかった。

 僕は何もできないまま、彼女の思うがままに弄ばれていく。


 先日の仕返しとばかりに、まるで作業をするかのように無言を貫きながら、どこか慣れた手つきで僕の身体に触れていく彼女を見ながら―――僕は何かがおかしいと思った。

 

 目の前にいる女の子は、僕の知っている幼馴染ではない気がして、少しだけ怖くなった。


 だから僕は……ほんの出来心で、つい。


 訊いてしまったんだ。


「レンってさ……なんか慣れてるよな」


 彼女が上手なことを褒めた言い方にしなかったのは、僕のせめてものプライドだと思って、許してほしい。

 勿論セ〇クスは気持ち良い方がいいに決まってるし、勉強熱心な彼女のことだからネットで調べて、色々と知識を蓄えてきたのかもしれない。

 だけど、そんな僕たちの初めてが、僕にはちょっとだけ寂しく思えてしまったんだ。


 だから、何の気なしに、軽い気持ちで尋ねた僕の一言に、あんな返答が返ってくるだなんて、僕は夢にも思わなかった。


「うん。私、あれからスグルくんに喜んでもらえるように、いっぱいしたんだよ?」











 僕が、彼女の言葉の意味を理解するまでに、どれだけの時間がかかっただろうか。

 ただ一つだけわかったのは、今、目の前で僕の身体の上に無表情で馬乗りになっている幼馴染が、僕の知らない『化け物』であったということだけだった。


「私ね、スグルくんに相応しい彼女になれるように、いっぱい頑張ったんだよ?」


 いつものように僕の名前を呼びながら、表情を少しも崩さずに、そう言い放った彼女のことが恐ろしくなるも、僕は辛うじて言葉を選んだ。


「お、お前、練習って…………」


 しかし、これでも彼女は全く動じなかった。

 「ん?」と小首を傾げた彼女の可愛らしい仕草とともに、出てきた答えは……


「一組の槍尾やりおくんだよ」




 ―――僕は吐きそうになった。


 槍尾は男子バレー部でエースを担っているが、決してそれだけで有名なのではない。

 彼は甘いルックスと巧みな会話術で多くの女の子を虜にし、肉体関係を持っただけで簡単に捨てると悪名が高い男でもあるんだ。


 そんなやつと、レンが……




 信じたくなかった。

 僕の彼女が、知らないところで、知らないうちに、汚されてしまった。


 だけど、僕が本当の意味でショックを受けるには、まだ早かった。


「槍尾くんって、有名でしょ?女の子といっぱい、そういうこと、してるって」


 ―――レンは、僕の様子には気づきもせずに、淡々と話を続けた。

 そして、レンによれば、槍尾がそういう奴だってことを、彼女自身が知っていたんだ。

 だったら、どうして……


「だからね、私がしたの」






 ここから先の記憶がどこかおぼろげなのは、きっと僕の脳がいくらか破壊されてしまったからだろう。

 ぼんやりとした記憶から彼女の話をまとめると、経験豊富な槍尾なら、僕のことを喜ばせるためのテクニックを知っているだろうと思い、彼女の方から、自ら己の身体を差し出したというのだ。




 それを聞いた僕は、虚しくなって、涙が溢れそうになった。

 彼女の初めても、僕は大切な思い出にしたかった。

 それがたとえ完璧じゃなかったとしても、別に良かった。僕はそんなお互いの全てをさらけ出したかったし、本当は彼女の全てを独り占めしたかったんだ。


「……ハハ、ハハハ」


 もう、笑うしかない。

 大切なものを自ら差し出して捨てるだなんて、愚かすぎて、僕は自分自身の価値すらわかっていない彼女に対して、行き場のない怒りの感情を抱いていた。


 だから僕は、彼女に言ったんだ。


「……だったらさ、俺も上手になりたいから、してくるよ」





 普段は面倒くさがりな僕が努力すると言ったことがそんなに意外だったのだろうか。

 さっきまでとは打って変わって、彼女は驚いたように目を見開くと、僕のことを覗き込んでいた。


「二組の軽石さん。ちょっと仲良くなったんだよね」


 軽石さんとは委員会が一緒で、最近話す機会が増えたのは本当だ。話してみると意外にも、噂によらずまともな印象を受けたが、彼女は綺麗な容姿をしていながら簡単にヤ〇せてくれると学内で噂されている、正真正銘のビッチだ。


 これ以上、不釣り合いなカップルだなんて思われてたまるか。

 だから、そんな経験豊富な軽石さんと僕がすれば、僕のスキルが上達して、レンのことを喜ばせてあげられると考えたんだ。


 だってそうだろう?

 片方だけが満足して、それでいいはずがないんだから。




「……い、いやっ」


 なのに、どうしてだろう?


 どうしてレンは、少し時間を置いたあと、僕の名案を否定したのかなあ?




「嫌……ち、ちがうのっ」


 彼女は何かに気づいたかのようにわたわたと慌てると、それから急に泣きじゃくり始めた。


 僕は、そんなクールな彼女が普段であれば絶対に見せることのない泣き顔をじっくりと見つめた。

 彼女は時折、可愛らしい声で言葉にならない何かを叫びながらも、その大きな瞳が僕のことをもう一度、真っすぐ捉えることはなかった。


 それからは一転して、彼女の方が僕にされるがままだった。


 僕が少し乱暴にすると、彼女は苦しそうな声を上げて表情を歪ませたが、それでも抵抗することはなかった。

 ―――これもまた、槍尾の教えなのだろうか。

 そう思うと、なんだか何もかもが急にどうでも良くなって、僕は彼女を置いて家を後にした。


 僕は、ずっと見せてほしかった彼女の弱い部分を見ることができて、こんなにも嬉しかったはずなのに……


 結局どれだけ激しくしても、僕の心が満たされることはなかった。






 翌日、僕は幼馴染に別れを告げた。

 一晩明けて、彼女はまるでいつも通りといった風にうちの玄関のドアをノックしてきたが、部活の自主練はどうしたのだろうか。

 僕が伝えることを伝えたら、彼女はまるで我を失ったかのように震え出し、「ちがう、ちがうのっ……」と呟いていた。


 怖くなって僕は彼女のことを置いてきてしまったが、最後の方は、


「……足りなかった……そうだよ、練習が足りなかったんだよ……もっと頑張らなきゃ、もっと……」


だなんて、何やら的外れなことを言っていたように聞こえた。




 僕は間違っていたのだろうか。

 彼女の支えになるべき僕が、彼女にとっては負担だったのだろうか。


 後から分かったことだが、彼女は他者に、特に好きな相手には嫌われたくないという気持ちが人一倍強くて、自分自身のことを過小評価する傾向があったんだ。謙遜とかではなく。


 そしてそんな彼女は、あれから毎日、槍尾に手作りのクッキーを貢いで、部活が終わった後、『練習』をしてもらう許可を得ているらしい。


 僕は今朝も、こうして風の噂を聞きながら、下駄箱の中に『大好き』というメッセージとともに丁寧に包装されたクッキーを見つけては、それをゴミ箱に思い切りぶん投げる。

 バキバキっと小気味良い音が廊下に鳴り響くと、少しだけ気分がスッキリした。

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