第10話 花笠の過去
「え……?」
千鶴はなんと返すべきかわからず、戸惑いの声を上げることしかできませんでした。
「……あ。ごめんなさい。急にこんな暗い話、始めちゃって」
花笠は両手をばたばたと動かします。
「いえ。わたしは大丈夫です! でも、花笠さんは……その…………」
「大丈夫。もう
「……?」
二十代前半から半ば程度の外見の彼女から出てきたとは思えない言葉です。
「そう、なんですね……?」
千鶴は耳を疑い、『ずっと昔』というには無理があるのではないかと一度は思いましたが、実際に経過した時間と体感する時間に差異が生じた経験は、彼女にもありました。
「ええ。彼と出会ったのは、私が
「え!? 一体、なにがあったんですか?」
「まあ、いろいろあって……。その頃は追手から逃げててね」
「お、追手……?」
次々と穏やかでない単語を連発され、千鶴の額にはいよいよ嫌な汗が浮かびます。
「うーん……。なんて言ったらいいのかしら。遠くにある私の故郷で、戦争ってほどじゃないけど、複数の国や地域を巻き込んだ対立があって。敵対してるほうの陣営が強硬手段に出ようとしてたの。平たく言えば、虐殺ね。そんなことしなくても、向こう側が圧倒的に有利だったのに……」
「ひどい……」
「本当にどうかしてると思うわ。それと、さっきのちょっと訂正。強硬手段に出ようとしてた……じゃなくて、出てたわね。知り合いも何人か捕まったし。私は運よく遠くまで逃げられて、どうにか撒けたはいいけど、ほとんどなにも持ってこなかったし、体力も限界で……」
「……ああ。それで倒れちゃったんですね……」
「そうなの。目覚めたら、ふかふかのお布団の上で。二日も眠ってたみたいでね。でも、そんなことより、知らない男性と女性がずっとついててくれてたらしいことに驚いたわ」
「じゃあ、そのときまで、どんな人が助けてくれたのか知らなかったんですか?」
「そういうことになるわね。声を掛けられた記憶はなんとなくあるんだけど、助けてもらったことさえわかってなかったし。あっちもあっちで、私が変わった髪の色をしてることにも気付いてなかったみたい。こんなに目立つのにね」
花笠は、紅色と黄緑色に染まった毛先をふりふりと弄びます。
「それだけ必死だったんでしょうね……」
「きっとそうね。……そのあともまあ、いろいろあって。助けてくれた彼と結ばれることになるんだけど……。幸せなんて、長くは続かないのよね。大抵は」
「…………その人がどんな方だったか、聞いてもいいですか?」
千鶴は、毛先の上がった長い睫毛が上下する間隔が狭まってきたのを見て、訊きました。
「どんな人、か……。無口だったけど、とても……とても穏やかな人だった。同じ空間にいるだけで癒されるような。好きになるのに時間はかからなかったけど、結婚してすぐに持病が悪化して……。一緒に過ごせたのは、何年だったかしらね。
「持病、ですか……」
「
「…………そう、ですね。もう会えないことがわかってるっていうのは、きっと、すごく……」
千鶴は、小さな唇を噛み締めました。
「うん。でもね、『これ以上苦しいなら、死んでしまったほうがましだ』って言ってるのを、一度だけ聞いたことがあって……。それを聞いたら、『
「そんな…………」
「だから、彼が亡くなったときは……悲しい反面、どこかほっとしてしまったりもした。『もうあの人が苦しむことはないんだ』って」
顔を上げた花笠は、空の彼方に最愛の人を探すように、しばらく視線を彷徨わせていました。
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