第8話 突然変異種について


「やっぱり、もう遠くまで行っちゃってるみたい。残念」

 

 人魚が逃げていったほうを見てきた花笠が、千鶴のもとに戻ってきました。


「…………今回は突然変異種らしいってことで、一匹連れて帰ることになりましたけど、もし個体数が極端に少なかったり、外来種だったりした場合は、どういう流れになってたんですか? それに、比率だけで判断しちゃっていいものなのかっていうのも気になってて……」


 腹部の青いウグイが入った小型の魚籠を抱えた千鶴が、遠慮がちに尋ねました。


 花笠が行って帰ってくる短い時間にも、彼女は人魚についてではなく、仕事のことを考えていたのです。


「よく聞いてくれました! たぶん、最後の質問から答えるのがいちばんわかりやすいと思うから、そこから話すことにするわ。……長くなりそうだから、休憩も兼ねて座りましょうか」


 花笠はその場に腰を下ろし、千鶴にも隣に掛けるよう勧めました。

 

「『比率を見ただけで、どうして突然変異種か外来種かの判断ができるのか』。これには、突然変異種の性質が関係してる。千鶴さんは『突然変異種』って、どんなものだと思う?」


「ええと……。進化の過程で現れた新種、とかですか?」 


 千鶴は、過去に見た水色のアマガエルのことを思い出しました。


 黄緑色のアマガエルのなかで異彩を放っていたその個体が、舞い降りたモズらしき小鳥に真っ先に捕まってしまった光景も。

 

「そういう突然変異種も、確かにいる。ただ、全部がそうかって言われるとそんなことはなくてね……。突然変異種って、希少性や外見的な美しさばっかり注目されがちだけど、そもそもが『個体』って場合がほとんどなの」


「淘汰されてきた……。なら、新種どころか何世代も前の種ってことになりますね?」

 

「そう。でも、何世代も前の種がそっくりそのまま復活する……なんてこともほとんどない。大体の場合、ひとつだけじゃなくていくつか持ってるの。淘汰された要素を」


「それって……ある意味では新種みたいなものじゃないですか?」

 

「…………と、思うじゃない? 私もそう思わないこともないんだけど、定義上は新種とは見做さないことになってるの」


 花笠は千鶴の表情を窺いつつ、話を進めます。


「どうしてですか?」

 

「その『淘汰されてきた要素』が複合化して新種みたいに見えはするけど、実は特に目新しいものなんかじゃない……。要は『歓迎できない変異』だから。随分と勝手な理由だけど、どうせ一代限りで持続性未来のない変化だからね。いちいち新種認定してられないってわけ」


「そういうことでしたか。でも、言われてみれば、そうですよね……」


 千鶴は、水色のアマガエルと再会したときのことを回想します。

 

 その珍しい体色のカエルが小鳥に連れ去られた幾日かあとのこと。


 彼女は、水色の物体が木の枝に突き刺さっているところを発見したのでした。

 

「ちなみに、その新種もどきだけど。『強いか弱いか』でいえば、どっちだと思う?」


「『すごく弱い』んじゃないかな、って思います。進化の過程で削られてきた要素をいくつも持ってるってことは、それだけ不利になる気がするので」


「……そうね。『すごく弱い』までいくかどうかは微妙なところだけど……。仮に、その性質の組み合わせが奇跡的に相乗効果を起こしたとして。進化や生存、繁殖なんかにおける不利な要素を相殺できたとしても、焼け石に水程度にしかならないと思う。元が弱いからね、どんでん返しなんてないの」


「難しいけど、面白いですね」


「生命に対する冒涜かもしれないけど、興味をそそられる話よね。突然変異種については、こんな感じで大丈夫そう?」


「はい。ものすごく勉強になりました!」


 説明中、要点をまとめていた千鶴は、花笠の顔を見て礼を述べました。


「だけど、そんな『弱い』ことがわかってる生きものでも、わざわざ持ち帰って調べるのは少し意外だなあ……って」 


「『その生きものが生存していくうえでは不要とされる形質でも、私たちが参考にできることがないとは限らないからね』。……って、紫水がいつだか言ってたわ」 


 と対岸を眺める花笠の姿は、水平線の先の先を見つめていた紫水とどこか重なるものがありました。


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