第3話 父になるということ


 彼は私がヘーゼルナッツちゃんを抱っこしていることに気付く。

 すると、慌てて駆け寄ってきた。

 もう二度と会いたくないと思ってきた人。それも鬼気迫る様子で寄って来たから、私はヘーゼルナッツちゃんを抱えこんで、半身をひねる。

 ファビアン様が私を守るように、立ちはだかった。


「私の妻にそれ以上、近付くな」


 ファビアン様が冷然とした声で言い放つと、アベルは怯えた様子で後ずさる。


 私はアベルに婚約破棄を告げられた時のことを思い出していた。


 この人は……妹との不貞のことを自分では口にできなかったくらい、臆病で、卑怯な人だった。今もファビアン様の迫力に気圧されたように、青い顔をしている。


 きっとあの時のように、また黙りこんで、誰かがどうにかしてくれるのを待つつもりなのだろう。


 ――そう思った直後。

 アベルがとった行動に、私は驚くことになる。


 彼は勢いよく膝をついて、額を床に押し付けたのだ。

 そして、沈痛そうな声で告げた。


「この度は……うちのローラが、大変なご迷惑をおかけしました……。公爵様に娘を保護していただいたこと……その寛大なお心に深く感謝いたします……」


 うそ……?

 あの卑怯で、臆病だったアベルが、こんなことを……?


 私が唖然としていると、甲高い声が響いた。

 妹のローラだ。


「ちょっと、アベルったら! どうしてあなたが頭を下げてるの!? 私はおねえさまにも、育児のすばらしさを味わわせてあげようと思っただけで……」

「黙れ!」


 アベルはローラの体を抑えつけ、彼女も床に這いつくばるようにした。ローラの頭を床に押し付けている。


「僕が仕事で家を空けている間に……どうしてこんなことになっているんだ。君は言っていたじゃないか! 1人でもちゃんとヘーゼルの面倒を見ると! それなのに、まさか大事な子供を、シャレット様の屋敷に置き去りにするなんて……!」


 ローラは彼の手を振り払って、喚いた。


「だって、不公平よ! 何で私ばっかり、赤ちゃんのお世話をしなきゃいけないの!? 夜泣きだってひどくて、私、全然眠れてないのよ!? こんな結婚なんてしなきゃよかった! あーあ、とんだ見込みちがいだわ! おねえさまから婚約者を奪うには、妊娠しちゃうのが一番だと思ったのに……そもそも、それが大きな間違い……」

「この……! お前、今、何と言おうとした!?」


 アベルは血走った眼で、ローラの胸ぐらをつかむ。手を振りかぶろうとしたところで、


「やめてください」


 私は冷静な声で割って入った。


「夫婦喧嘩ならよそでやってくださる? この子だって見ているのよ」


 アベルはハッとして、ヘーゼルナッツちゃんの顔を見る。それから深々と項垂れた。

 一方、ローラは子供の顔なんてまったく見ていなかった。ここに来てからというもの、ヘーゼルナッツちゃんのことを心配するそぶりをいっさい見せない。

 それどころか、彼女は顔を上げて、ファビアン様を見ていた。頬を紅潮させると、


「どういうこと……? あなたがあの【破壊公爵】なの……?」


 ファビアン様は私を気遣うように、腰を抱いている。

 その立ち姿を一心に見つめてから、ローラは、ほう、と息を吐いた。

 ふらふらと立ち上がり、ファビアン様に手を伸ばす。


「ねえ……公爵様。実はあなたにご相談したいことがあるんです。よければ今度……」

「寄るんじゃない」


 ファビアン様は、ぞっとするほど冷たい声で言い放った。


「大切な妻の身内だからと、今回の件は大目に見てやっているんだ。自分が何を仕出かしたのか、まだわかっていないのか? それ以上、私とカトリーヌに近付けば、この場で処罰することも辞さない」

「なっ……!?」


 ローラは屈辱で顔を赤くする。


「ど……どうしてよ! おねえさまばっかり、こんな大きな屋敷に住んで、そんなに素敵な人と結婚するなんて……! ずるいわ!」

「お前は、黙れと言っているんだ!」


 アベルが怒鳴りつけて、もう一度、ローラの頭を掴んで床へと引き倒した。自分も深々と頭を下げながら、


「この度は大変なご迷惑をおかけしました……。今回の件について、償いは必ずいたします……。ですからどうか……どうか、娘を返してはいただけないでしょうか…………」


 手が震えている……。

 アベルがここまで大人びた対応をとれるなんて……。本当に予想外だ。

 今回はそれに免じて、許してあげることにした。

 私は彼にヘーゼルナッツちゃんを引き渡す。


「この子……ずっと親を探して、泣いていたのよ」


 私がそう言うと、アベルは顔をくしゃりと歪めた。


「ヘーゼル……! すまない……すまない……っ」


 赤ちゃんを抱きしめると、半泣きでその場に崩れ落ちる。

 一方、ローラはふてくされた顔でそっぽを向いている。やっぱりヘーゼルナッツちゃんにはまったく興味がないみたいだ。


 私はアベルに向かって言った。


「あなた……変わったのね」


 アベルはハッと目を見張ってから、おずおずと告げる。


「……父親になりましたから」

「その子はとっても可愛い子ね。大事にしてあげて」

「はい……必ず……」


 彼は私とファビアン様に向かって、もう一度、大きく頭を下げた。

 そして、険しい表情でローラの腕をつかむ。


「ローラ。帰るぞ」

「いやよ、いや! あんな粗末な家なんかに帰りたくない! もう赤ちゃんのお世話なんてしたくない! 私も公爵家に住むの! こういう大きなお屋敷に住んで、楽をして暮らしたいの!」


 最後まで母親の自覚を得ることができなかったのは、ローラだけだったみたいだ。




 ――のちに、風の噂で聞いた。


 アベルとローラは離縁することになって、ヘーゼルナッツちゃんは父親に引き取られた。

 その話を聞いて、私はホッとしていた。

 アベル……1年前まではどうしようもない人だったけど、あの様子なら安心できる。

 ヘーゼルナッツちゃんが幸せになれたらいいと思う。


 ローラの方は養ってくれる人がいなくなって、困窮しているようだ。彼女が育児放棄していたという噂は、街中に広まっているらしい。特に年配の女性から、ローラはひどく嫌われていると聞いた。

 今は誰もやりたがらないような仕事を、這いつくばって頼みこんで、どうにかもらって、それで食いつないでいるのだという。

 ……あの子には、いい薬になるでしょう。





 ヘーゼルナッツちゃんがいなくなると、急に家の中は静かになった。


「少し寂しいですね」


 私がそう言うと、ファビアン様が寄り添うように私の背中に手を置く。

 そして、私の耳元でこんなことを囁いた。


「――それで? そろそろ何をたくらんでいたのか、教えてくれないか」

「あら……ファビアン様。いったい何のことです?」

「君が赤子の世話をすると言い出した時には驚いた。そして、君は本当に熱心だった。赤子の世話はとても大変だったのにも関わらず、君の顔は活き活きとしていた。……まるで新しいアイディアが閃いた時のように」

「ふふ……。それはもう」


 どうやら旦那様にはすべてお見通しみたいね。

 私はほほ笑んで、ファビアン様の腕に触れる。彼がつけているリングをそっと揺らした。




 ――ファビアン様は魔力が多すぎて、長年、制御できていなかった。無意識に魔力が暴走し、周りを吹き飛ばしてしまう。だから、彼は【破壊公爵】と呼ばれて、世間から怖がられていたのだ。




 でもその話はもう、過去のこと。


 今のファビアン様はちがう。こんな風に私と触れ合うこともできるし、優しく笑いかけてくれるようにもなっていた。


 それは彼がつけているリングに、秘密がある。

 このリングを開発したのは私。

 それは魔力の暴走を抑制するための、魔導具なのだ。


 私の趣味は、魔導具製作である。

 この家に嫁いだ時、旦那様の様子を見て、アイディアを閃いた。それからの数日間はずっと部屋にこもって、魔導具の製作に没頭したのだ。

 そして、このリングを完成させた。そのおかげでファビアン様は普通の日常を過ごせるようになり、私ともこうして関わることができるようになった。


 さて、今回得た経験もとてもためになるものだった。

 これを活かすために私はまた、自室にこもりきりとなるのだった。



 ◇



 ――1カ月後。


「カトリーヌ! 君が作った魔導具の売り上げがとても好調のようだ」

「ふふ……それは何よりです」


 私はファビアン様と庭園でお茶を飲んでいた。


 私が最近売り出した魔導具……それは育児製品だった。

 形はベッドメリーだ。

 その魔導具は赤ちゃんの眠気を測定する。そして、眠気が規定値を超えた際に、眠りの魔法を使い、赤ちゃんを眠らせるのだ。

 もちろん、赤ちゃんが眠くないのにその装置を使って、無理やり眠らせようとする人がいたら困る。だから、赤ちゃんの眠気が規定値以下の場合は、絶対に作動しないようになっている。

 スイッチでオンオフできるので、魔法を使いたくない時には切っておくこともできる。


 価格は平民でも手にとりやすいように、なるべく抑えた。

 この魔道具は、子を持つ親の間で大好評となっている。


 ファビアン様が私の手をそっと握る。


「私の長年の悩みを解決してくれたのも、君だった。君は本当に素晴らしい女性だ」

「ありがとうございます。ところで、ファビアン様。私が妹の赤ちゃんのお世話をしようと思ったのは……商売のためだけじゃないですよ」


 私はほほ笑んで、自分のお腹をさすった。


「――少し、予行練習がしたかったんですの」


 ファビアン様はハッと息を呑む。

 次の瞬間、私は椅子から抱き上げられていた。横抱きにされて、ぎゅっと抱きしめられる。


「ありがとう! カトリーヌ!」


 こうして触れ合うことができる喜び。

 愛されているという幸福感。


 旦那様の腕の中で……私は存分に浸っていた。





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これで完結です

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私の婚約者と駆け落ちした妹が、赤ちゃんのお世話を押しつけにやって来た 村沢黒音 @kurone629

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