第2話 両親が迎えに来た


 アベルの有責により、私たちの婚約は解消された。


 両親は怒り狂って、妹のローラを勘当した。また、伯爵家の方でもひと悶着あったらしく……しばらくすると、ローラとアベルは書置きを残して、いなくなっていた。

 駆け落ちしたのだ。


 噂によれば、アベルは生まれてくる子のために、真面目に働き始めたとのことだった。実家の後ろ盾はなく、学校も途中退学した彼に選べる仕事はない。昼間は食堂で雑用をこなし、夜になれば売れそうな薬草を探すために外を駆け回っていると聞いた。


 ずっと温室育ちだったお坊ちゃんが、よく頑張っているなとは思う。

 私はもう二度と顔を見たくないけど、こちらの目の届かないところで、頑張ってほしいとは思っていた。


 さて……問題は私の方だ。

 両親は今回の婚約破棄に激怒して、妹を勘当した。

 だから、私の味方をしてくれたのだと思うでしょう? でも、それはちがうのだ。


 だって、両親は妹と同じくらい、私にも腹を立てていたから。


「伯爵家との縁を結べる、絶好の機会だったというのに! それを台無しにするとは! カトリーヌ、お前が婚約者の心を、きちんとつなぎとめておかないからだぞ! お前に魅力がないから、こんなことになったのだ!!」


 両親はいかにも貴族らしい貴族だった。

 何よりも体面と世間体を重んじる。

 そんな彼らからすれば、家の名前に泥を塗った妹も、私も同罪みたいだ。


 元々、両親は私のことを持て余していた。部屋にこもりきりで、妙なことばかりやっている娘だと……貴族の娘として恥ずかしいと、私のことを疎んじていた。


「お前のせいで良縁を棒にした。この償いはしてもらうからな。お前は『破壊公爵』と噂の……シャレット家に嫁いでもらう!」


『破壊公爵』――それはファビアン様の別名だった。

 彼はそう呼ばれて、人々から恐れられていた。


 彼が体に宿す魔力量は、常人のそれよりも突き抜けている。それ故に彼は、魔力を制御しきれていなかった。

 ファビアン様は感情が昂ると、無意識で魔法を発動させてしまうのだ。そして、周囲にいた人も、物も、吹き飛ばしてしまう。


 だから、ファビアン様はできるだけ感情を抑制するように努めていた。いっさい笑わず、話し方は冷静に。

 言葉もあまり発さないようにしていたらしい。

 常に厳めしい顔で黙りこむ男……それも『彼に近付くと、魔法で攻撃される』という噂まで広まっていた。


 だから、どんな令嬢も彼との縁談は避けたがる。


 私が公爵家に嫁いだ後も、ファビアン様は私のことを徹底的に遠ざけようとした。初めの挨拶の時も私とは距離をとって、怖い顔で一言だけ告げたのだ。


「…………私には近付くな」


 そして、彼はすぐに自室へと引っこんでしまった。

 侍女伝いに、ファビアン様からの伝言を受けとった。


『これは契約結婚だと思ってくれて構わない。ここでの暮らしが嫌になったら、すぐに言いなさい。いつでも離縁に応じる』


 私とファビアン様はしばらくの間、屋敷の中で顔を合わせることもなかった。

 当然、寝室も別々だ。

 夫婦になったはずなのに、私とファビアン様は他人よりも遠い存在だった。


 それなら仕方ない……むしろ好都合とばかりに、私は自室に引きこもった。そして、思う存分、自分の趣味に没頭することにした。





 ヘーゼルナッツちゃんのお世話は、本当に大変だった。


「うえええええええ! びえええええ!」


 彼女が大人しかったのは、初めのうちだけ。

 そのうち何をしても泣き止まないようになったのだ。


 両親がこの場にいないことに気付いたのかしら?


 私はずっとヘーゼルナッツちゃんを抱っこしていた。


「おー、よしよしよし」


 しばらく抱っこしていると、泣き止んで、すやすやと眠り始める。

 ふふ、寝顔は可愛い。


 私はヘーゼルナッツちゃんをベッドに寝かせようとした。

 だけど、彼女の背中が布団に触れた途端――。


「びええええええええん!」


 彼女は火が付いたように泣き出すのだ!

 どうして!? どうしてお布団で寝てくれないの……?


 だから、私はまたヘーゼルナッツちゃんを抱っこする。ただ抱っこしているだけじゃ、彼女は泣き止まない。

 一定のリズムで揺れてあげないといけないのだ。


 ゆーらゆーら……。


 しばらく揺れていると、彼女は眠り始める。

 よし、今度こそ!


 私は今度は細心の注意をもって、彼女をベッドに横たえようとした。

 そーっと、そーっと……。

 しかし、どんなにそっと体を置いても、布団に寝かせた途端……。


「びえええええええええ!」


 はい、初めからやり直し!


 それからしばらくの間……私はヘーゼルナッツちゃんの寝かしつけに格闘した。

 最終的にはヘーゼルナッツちゃんを布団に横えて、離れると泣いちゃうので、私も覆いかぶさるという技まで生み出した。


 その間、何度も、


「奥様……私たちがお世話を代わります」


 と侍女たちには言われ、

 ファビアン様にも何度も、


「少し休んだらどうだ、カトリーヌ」


 と心配そうに言われた。

 私はその度に答える。


「いいんです。私がこの子の面倒を見てあげたいので」


 とはいえ、そろそろ限界かも。

 赤ちゃんがいくら軽くても、ずっと抱っこしてると腕が痛い。

 今はまた、無限ゆらゆらタイムに入っていた。立って揺れてないといけない。座ると泣き出してしまうから。


「まったく、君は……。ほら、その子をこちらに」


 痺れを切らしたようにファビアン様が言う。そして、ヘーゼルナッツちゃんを私の腕の中から、優しく抱き上げた。


 ファビアン様は体つきも逞しいし、無表情でいるといかめしい顔立ちをしている。

 そんな彼が赤ちゃんを壊れ物でも扱うかのように、優しく抱いている。


「だーっ」


 あ、ヘーゼルナッツちゃんが、ファビアン様のほっぺをぺちぺちしてる。そして、何が楽しいのか、けらけらと笑った。

 その様子を眺めて……ファビアン様が、ふ、と小さく笑った!

 無邪気な赤ちゃんと、無骨な旦那様……とっても貴重な光景ね。見てると癒される……!


 私が笑っていると、ファビアン様はハッとして、とりつくろうように咳払いした。


「カトリーヌ! 見ていないで、君は休んできなさい。その間、この子の面倒は私が見よう」


 はーい。


 意外や意外。

 ファビアン様って子供が好きなのかしら。それは嬉しい情報だと私は思った。




 そんな感じで、慌ただしく3日間が過ぎていった。

 その間、ファビアン様は赤ちゃんの両親の行方を探していたようだ。


 そして、3日目の朝。


「ヘーゼル! うちのヘーゼルはどこにいるんだ!!」


 屋敷にやって来た人は、半狂乱で叫んでいた。

 ヘーゼルナッツちゃんの父親……私の元婚約者、アベルである。

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