還暦の友蔵とカエルの弥七

水田 文九

第1話

友蔵は途中寄って買ったごぼうチップスが思っていたよりうまかったと,

誰もいないのに 腕を組みウンウンと頷いた。

なにせ現場に着く前にペロリと一袋を食べてしまっていた。

帰りにまた買って帰ろうと

又ウンウンと頷きひとり納得していた。


現場はことのほかのどかな場所にあった。


仕事に来たのは洋風な作りの一軒家だが、周りは田畑が広がっている。


家の前にある広々とした場所は

杭と針金で仕切られ

その中にはコスモスの花が咲き乱れていた。


友蔵はトントンと腰を二回叩き伸びをした。


今年で還暦を迎えた友蔵。

若い頃は妥協のない仕事運びと

ぴしゃんとした立ち姿が凛々しかったと自画自賛していたが


こうして還暦になってみると

膝はガクガク、コテを握る手はこころなしか

ぷるぷると小刻みに震えてしまう。


友蔵は左官職人である。


手に握るコテに力を込め

平らに均す事が信条の左官職人の心意気を持っている。


コテを持つ手がぷるぷると波を打ってはシャレにならないのだ。

そう思いつつ、均したコンクリートの表面を横目で見ながら深く長い溜息をひとつ吐いた。


気を取り直し、先週打ち込んだコンクリートを留める木の枠を

手に持ったバールに力を込め外していく。

((さっさと枠をバラしてごぼうチップス買って帰ろう。))


そう思いながら視線を戻すと、木枠を外したコンクリートの隅に

何やらもぞもぞと動くものがある。


老眼鏡をかけ、まじまじと見ると

一匹のカエルが

 

んぴょーん

  んぴょーん


と右足を伸び縮みしている。


「お前さん、何してるんかね?」


そう友蔵が話しかけると苦しそうに


「あ、旦那さん。見ての通り、ここから動けなくて困っているんでやんすよ」


そうカエルは答えた。


よく見ると、背中半分程コンクリートにくっついてしまって剥がれないようだ。


「おまえさん」そう言いかけて

カエルとはいえ、初対面でおまえ呼ばわりは今のご時世いかがなものかと思い直す友蔵


「カエルさん、名前なんていうんだい?」と聞き直した。


するとカエルは「あっしは弥七と申す一匹がえるでござんす」


「弥七たぁシャレた名だねえ。かざぐるまの里の出かい?」


何言ってんだこいつ…てな顔をして

「はあ?」とカエルの弥七が答える。


「おっ!いいこと思いついたぞ!」


カエルの弥七の言葉なぞこれっぽっちも聞いちゃいない友蔵はウキウキと、乗ってきたトラックのキャビンを上げ、エンジンから何やら細く長い棒のような物を持ってきた。


どうやらオイルの量を見る為のオイルゲージだ。


友蔵はオイルゲージの先っぽに付いているオイルを

カエルの弥七の背中とコンクリートの隙間にポタリと垂らし

プルプルと震える指先で、弥七の背中を引っ張ってみた。


「さーけーるーぅぅぅぅー」


カエルの弥七が叫ぶ。


「すまんすまん。こうも指がおぼつかねえとはしょうがねえなあ」


ぽりぽりと頭を掻く友蔵。


もう一度、トラックのエンジンにオイルゲージを差し込みそして引き抜いた。


オイルゲージの細くて平べったい先っぽを

直接、背中とコンクリートの隙間に差し込みオイルを塗ろうとする友蔵。


が、手元がおぼつかず弥七の股に当てがってしまい、手がプルプルと震える。


「さーけーるうぅぅぅぅー」


弥七が絶叫する。


「すまんすまん。こうも指がおぼつかねえとはしょうがねえなあ」

同じ事を二度言う。


しかし、それが良かったのか悪かったのか

コンクリから弥七の身体がポロリと剥がれた。


剝がれた弥七の背中は、コンクリートに水分を取られたのかしわしわになっていた。


コンクリートの方を見ると、しわしわではなく

つるりとした背中と左足を形取るように、くっきりと弥七の身体の跡が残っていた。


それを見た友蔵は笑いが込み上げてきたが、そこは思いやりがあると自負する友蔵


笑いを堪える為

口をへの字にぐっと噛みしめたが

鼻が大きく膨らみ

(ぐふぅ)とへんな鼻息が漏れてしまった。


弥七はジト目で何かを言おうとしたがやめた。


友蔵はそそくさとトラックからバケツを取り出し

水道で水を入れ弥七の元へと持ってきた。


「ほれ、ここに入れば水分補給とオイルの汚れ取るのに一石二鳥じゃねーか。」


そう言いながら友蔵は弥七をバケツ中に入れてやった。


これには友蔵の一連の行動に不信感をいだいていたカエルの弥七だったが


「ありがとうごぜえやす!この御恩は一生忘れはしやせん!」


弥七は泳ぎながらぺこぺことおじぎをした。

器用なものである。


「あんたな、なんだってあんな所につん潜ってたんだい?」


友蔵がそう問いかけると


「旨そうな食い物でもいないかなあとウロウロと探してたんですがね、

あっし、すこぶる方向音痴でして

逆ばりカマしちゃったらしくて

ぐるぐる歩き疲れて眠りこけてしまったって訳ですがね

いや~まさか寝てるうちにコンクリ

流されるとは迂闊でしたわ。」


目の上の方をポリポリと掻きながら

カエルの弥七は答えた。


「なんでえ逆ばりつうのは前張りと似たようなもんかい?」


そう言う友蔵のほうを弥七はジト目で見やり


「へい、そうでやんす」


と投げやりに答えた。

「ほう、そうかいそうかい。」


言いながら嬉しそうにニヤニヤしながら

友蔵はバケツに浮いているカエルの弥七を手ですくい上げ


「そろそろあんたの身体も元に戻ったみてえだし、あんたがよだれを垂らしそうなコオロギとか、、、コオロギが一杯いる所に連れてってやるから安心しな」


そう言った友蔵を仰ぎ見て

逆ばりと前張りとの言葉の脈絡をぶった切り、コオロギの他に思いつかずコオロギと二回繰り返す友蔵に戦慄が走った弥七である。


悪い予感が弥七の平べったい頭の中を駆け巡る。


「ほれ、あんなに花が咲いているとこ行きゃあ、コオロギもうじゃうじゃいるだろうよ!」


そう言ってコスモスの柵になっている太い杭の上にちょこんとカエルの弥七を乗せた。



「達者でな!」


そう言ってくるりと弥七に背を向け、片手を軽く振りその場を離れて行く友蔵は


((おいおい俺、良い事しちゃたなあ、おい))


などと心の中で呟き、ウンウンと誰も居ないのに頷いた。


杭の上に置かれたカエルの弥七は

ポカンとして友蔵の背中を見ていた。



((何で地面じゃなく杭のてっぺんに俺を置くんだよ!))


心の中で友蔵を罵倒し


((あぁどうやってここから降りよう…))


そう思いながら途方に暮れていると

空高くから凄い勢いでこちらに向かってくる物がいる!


弥七は身構えるが

黒くて巨大な何者かの鋭い大きな爪に

”むんずっ!””と掴まれてそのままふわりと空に持っていかれた。


”ばさっ!ばさっ!”と大きな羽音に友蔵は振り向いた。


「旦那さぁぁぁぁぁぁぁん」


弥七の引き延ばされた絶叫が、いささか遠くなりぎみの友蔵の耳にも届いた。

目を細め高く舞い上がってしまった弥七を見ると

   んぴょーん

     んぴょーん

と足が伸び縮みしていた。


それを見やる友蔵


「人生とは儚いものだのぅ」


そう呟き

腰を屈め、ひときわでかい屁をこいた。

そしてその突き出した尻を、埃でも払うようにパンパンと二回叩き


「諸行無常の響きありってか」


そう呟き、トラックから巾着袋を降ろし、先ほど取り外した枠の上に座りこんだ。


巾着袋の口に両手の人差し指を差し込み、器用に巾着の口を広げていく。


中には使い込まれたアルミで出来た四角い弁当箱があった。


友蔵は弁当の蓋をあけ

蓋の裏側一面に張り付いた黒い海苔を

プルプルと震える手で剝がし

少し早い昼飯を口に運ぶのであった。


             おわり

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