第3話
目の前の少女を、夏はじっと見つめていた。また会えれば良いのにと淡い期待を抱いていた。同じ学校ならいつか会えるだろうとは思っていたが、まさか今日だとは。金髪の少女は今日も耳に花のピアスをつけていて、夏と同じ制服を着て、不機嫌そうにこちらを見ている。何を言えば良いのかわからずにドギマギしていると、少女はさっさと帰ろうと振り返った。
「あ、ちょっと待って……」
街の喧騒にかき消されそうな声だった。少女の耳にはちゃんと届いたらしく、彼女は首だけちょっと動かして夏の方を見た。
「何」
「あ、ありがとう」
「それだけ?」
「え? あ、うん……」
「そう。それじゃ」
再び前に向き直り、人の行き交う商店街へと去って行こうとした彼女の手を、夏は掴んだ。ほとんど無意識だった。普段の彼女なら絶対にそんなことはしなかっただろう。
「あっ、ごめん」
自分の意思と反して勝手に動いた手を、慌てて引っ込める。金髪の少女は訝しげに夏を見た。
「まだ何かあるの? あるなら早くしてくれる」
「あああ、えっと。その、お礼がしたいなぁ、と」
「いいよお礼なんて。別に大したことしてないし」
「し、してるよ! だって体を張って守ってもらったし」
「大袈裟な。面倒だし、いいよ別に」
そう言った彼女の腹の虫が、ぐうと大きな声で鳴いた。
「……」
「……」
「お腹、減ってる?」
「今日お昼食いっぱぐれたから」
「もしよかったら、ちょっとした物で良ければ奢るよ? ちょうどお礼したかったから」
「……」
ずっと面倒そうだった彼女の顔が、はじめて綻んだ。
「じゃあラーメン」
彼女の見た目からはあまり想像できないリクエストが出てきたせいで夏は面食らったが、本人が食べたいのならと近場のラーメン屋にいくことにした。
いつもは友達の海と来ている、すこし古びたラーメン屋。扉は手動で床は少し油っぽい。カウンターに置かれたメニューは手書きで、飲み水用のプラスチックのカップには水垢が残っていた。入り口近くにある食券機の前に立つと貨幣の投入口から千円札を入れ、夏は迷わずとんこつラーメンと書かれたボタンを押した。後ろから様子を見ていた少女は、食券機に近づくなり古びたその機械とじっと睨めっこする。
「ラーメン食べたことは、あるよね?」
恐る恐る聞いてみた。
「馬鹿にしてる?」
「あ! いや、悩んでるみたいだったからつい。大丈夫です、ゆっくり選んでください!」
「なんで急に敬語……。味噌ラーメンにしようかな」
「トッピングは?」
「トッピング……?」
少女は少し困った顔で首を傾げる。
「えっと、味玉とかチャーシューを追加で頼めるの」
「へえ。最初から乗ってるんじゃないんだ。二度手間……」
「乗ってるには乗ってるけど、量を増やせたりするんだよ」
「ふうん。じゃあ味玉とチャーシューと海苔」
「あ、うん。味玉とチャーシューと……」
財布の中身がちょっとだけ心配になりながらも、夏は三つのボタンを押した。受け取り口から滑るように食券が出てくる。四枚の食券を少女に手渡すと、白いエプロンを巻いた若い男が店の奥から叫んだ。
「らっしゃい! 空いてる席どーぞー」
手狭な店を見渡す。カウンターには三人の学生風の男、テーブル席には子連れの女性が座っている。夏はカウンターの方に歩いていった。足を伸ばして椅子に座ると、金髪の少女は夏の隣に座った。ほとんど背伸びをしなかった。思わず自分の脚と見比べて、夏は何も見なかったことにした。人間の良さは脚の長さとは関係しないのだ。
ラーメンを待っている間は、二人ともずっと黙っていた。何か話さなくてはと思うほど、頭は真っ白になる。結局ラーメンが二人の前に出てくるまで、彼女達の間には奇妙な沈黙が流れていた。だが、湯気が立ち上るラーメンが目の前に出されるなり、夏の顔はぱあっと明るくなった。
「いっただきまーす!」
両手を合わせた後、カウンターの箸置きから端を一膳とった。なんとなく隣から視線を感じて、もう一膳取り出すと少女に渡した。少女は「ん」とだけ言って箸を受け取ると、ラーメンを食べ始める。汁が飛ばないように丁寧に食べる姿は育ちの良さを感じさせるが、夏はそれどころではない。目の前のラーメンが冷めないように、伸びないようにと必死に口の中にかき込んだ。あっという間に一杯食べ終えると、水を飲んでふうっと大きく息をついた。
「食べるの早いね」
はっと気がついて隣をみると、少女はまだラーメンを食べている。もう少しだけゆっくり食べた方が良かったのでは?と夏は後悔し始めた。
「いつも来るの?」
少女はそう言ってから、麺を口に含んだ。
「あ、うん。いつもは海と……」
「海? 友達?」
「そう。学校の男友達」
「へえ。それで、アンタは?」
「ん?」
「名前」
「あ……」
また麺をいくらか口に含んで、軽く咀嚼したあとで飲み込む。それを確認してから、夏は言った。
「多賀崎 夏(たがさき なつ)です」
「へぇ、あんまり似合わない名前だね」
「よく言われます……」
「私は箕作 遥(みつくり はるか)」
「みつ……?」
「遥でいいよ」
「あ、ありがとう、遥ちゃん。よろしくお願いします」
「なにがよろしくなのか分からないけど、よろしく」
「あはは……」
ラーメンを食べ終えた遥は「ご馳走様」と言うと突然立ち上がった。くるりと向き直ると、店の出口へと向かっていく。呆然とその様子を見ていた夏は「ごちそうさまです!」と投げやりに言ってから遥を追いかけた。引き戸を開けて外に出た遥を追いかけて店を出ると、出来るだけ音がしないように戸を閉める。
「それじゃ、ご馳走さま」
そう言って帰ろうとする遥に、慌てて叫んだ。
「遥ちゃん! 学校って西林高校だよね!?」
数歩進んでいた遥は立ち止まって振り返る。
「そうだよ。ーーあ、そういえば言い忘れてた。ナンパとか断れないなら一人で帰らないで、他の人とまとまって帰んなよ。別にそこまで治安良い場所でも無いんだし、少し考えれば分かるでしょ」
「あ、ハイ……」
再び前に向き直って去っていく遥の背中を呆然と見つめていた。パーカーのポケットに手を突っ込んで早足に歩く遥は、あっという間に人混みに消えて見えなくなった。
少女は少女に夢を見る @rintarok
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