第6話 おがら

 私の育った街が「帰省先の街」になってからは、アライ池の住宅地は、駅から帰省先の家に帰るまでに横を通るだけの場所になった。

 そうなってから感じたのは、たしかに、ここに住宅地があるのと、ここにため池があるのとでは、ぜんぜん印象が違っただろうということだった。

 いまは、帰省先の家から駅まで、道の両側はずっと住宅地か商業地で、寂しい場所はひとつもない。しかし、ここがため池だとすれば、駅からの道の途中に畑と池しかないところがしばらく続くことになる。たぶんずいぶん寂しかっただろうと思う。

 ともかく、私が大学生になり、続いて社会人になって、帰省のときにしかその道を通らなくなって、花屋さんに行くこともほとんどなくなった。


 そのアライ池の花屋さんが閉店したのがいつだったか、私はよく覚えていない。

 二一世紀になってからもしばらく開いていたと思うのだが、もしかすると「バブル崩壊」の時期にはもう店は閉まっていたかも知れない。

 ただ、その店に最後に買いに行ったのが何だったかは、はっきりと覚えている。

 それは、お盆に「迎え火」・「送り火」にくための「おがら(苧殻)」だった。

 お盆にはご先祖様の霊が家に帰って来る。そのときに迷わないように火を焚いて出迎える。ご先祖様がお帰りになるときにも火を焚いて送り出す。それが「迎え火」・「送り火」の行事だ。

 そのときに焚くのが「おがら」で、背の高いあしの茎を乾燥させたような、軽い、柔らかい中空の燃料だった。

 これが「皮を取った麻の茎(を乾燥させたもの)」だというのは、今回、この文章を書いていて初めて知った。麻といってもまさか大麻ではないだろうから、文字どおり、苧麻ちょま(からむし)なのだろうか。

 お盆行事を太陽暦の七月にやる地域と、一般に「お盆休み」と言われている月遅れのお盆にやる地域がある。私の郷里は月遅れでやっていた。八月の「お盆休み」には家族が帰省するから、という理由もあるのかも知れないが、私が幼稚園に通っていたころから周囲の家も八月にやっていたから、地域的にずっとそういう慣習だったのかも知れない。

 夏の、暑い、よく晴れた日、やはり店先に無造作に缶に入れて置いてあった「おがら」を、「迎え火」用・「送り火」用にそれぞれ三本で、六本ほど買った。

 それ以来、私はその店には行っていない。


 「暗い店」に仏事のための花を買いに行っていて、それからこの新しい店ができ、花屋さんのイメージが変わった。

 それなのに、その店に最後に買いに行ったのは、仏事に使う「おがら」だったのだ。

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