第4話 アライ池の花屋さん

 そのアライ池の街に花屋さんができたのがいつだったか、はっきりとは覚えていない。

 街ができた最初からあったのかも知れない。街ができてからしばらくして開店したのかも知れない。

 ともかく、私の家にとっては、そこに「お花屋さんができた」というのは大きなことだった。


 それまで、私の家では、花を買うには駅前の商店街まで行っていた。

 「商店街」というのも正確ではない。ビルがあって、そのビルの一階に食品や日用品を売るさまざまな店が入居して「市場」になっていた。個人商店の集まりだ。私の住んでいた街にスーパーマーケットができるまでは、そういう「市場」があちこちにあった。

 その市場を出てすこし行ったところに花屋さんがあって、私の家で花を買うのはその店でだったと思う。


 そのころの私の「花屋さん」のイメージは「暗い店」というものだった。

 私が家族といっしょに花屋さんで何かを買うのはたいていが墓参りのときだった。だから、花を買うことはあまりなくて、買うのはおもにだった。とお線香を買って、花屋さんでお線香に火をつけてもらう、というのが、墓参りのときのルーティーンだった。

 そういえば、私が小さかったころはよく墓参りに行った。

 祖母が信心深いひとだったからだと思う。

 私はいまでも「究極戦隊コウガマン」のえりかちゃんのように(『究極超人あ~る』だよ)「般若はんにゃしんぎょう」の暗唱ができる。それはその祖母が教えてくれたものだ。まだひらがなの読み書きも十分にできなかった私に、「一切はくうである」と説くありがたいお経を教えてくれたのだ。

 墓参りのときではなかったとしても、花屋に行く目的は「仏様に供える花」を買うため、というのが普通だった。お仏壇に供える以外で家に飾る花を買うことはほとんどなかった。「仏様に供える」以外の花は、家の前の畑で作った花をハギワラさんが持って来てくれたので買う必要がなかったということもあるだろう。

 その「商店街」の花屋さんの近くにもお寺が集まった区域があった。駅から来れば、そのお寺に行く途中にその花屋さんがあるという位置関係になる。やっぱり、お墓参りに来る人たちがお墓参りに必要な花やや、もしかすると神棚に供えるためのさかきを買う店だったのだろう。

 だから、その店も「華やかな花屋さん」というイメージはなく、「暗い店」だった。実際に採光もよくなくて、店のなかは暗かった。


 アライ池に新しくできた花屋さんはそういう店とはぜんぜん違っていた。

 まず、明るい。

 アライ池の住宅地では、道路よりも家のほうが土台が高く造ってあった。いま思えば、たぶん、もともと池だっただけに低いところは湿気が多くて、土台に高く盛り土をしてその湿気を避けていたのだろう。

 その花屋さんも、道からコンクリートの階段を四‐五段上ったところにあった。だから、日当たりもいい。そこで、道に面した側をいっぱいに開け放ち、店の前にも花を並べていた。

 色とりどりの花が飾られていて明るい花屋さんというのは私にとっては初めてだった。

 また、そこは、まわりにお寺や墓地があるわけでもなかった。

 まわりはぜんぶ個人住宅だ。そのなかに、一軒だけ店があって、それがその花屋さんだった。ほかの家は、塀があって、庭があって、その奥に家が建っていたけれど、その花屋さんは塀も庭もなくて敷地にその店の建物だけがあった。まわりの家はどれも二階建てなのに、この店だけが平屋で、建物の大きさも小さかった。コンクリートの階段以外のところは芝生の斜面だった。

 いま見れば、おしゃれな店というより、「花屋」の機能しかないシンプルな店、そっけない店ということになるのだろう。

 でも、そのころの私には、お墓参りと結びついたイメージの花屋さんとはまったく違う、開放的でおしゃれな店という印象があったのだと思う。

 そのころは「開放的」ということばも知らなかったし、「おしゃれ」だってときどきテレビのコマーシャルで聞くことばで、ふだんの生活で使うことばではなかったけど。

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