第2話 変容と原風景
その景色は、私が小学校高学年になったころから変わり始めた。
田んぼや畑は消えて行き、かわって建売住宅が建設されるようになった。
裏の広大な田んぼも埋め立てられた。そこには家ができた。まず、私が通っていた小学校が家から見えなくなり、万年筆のペン先を作っているという町工場が見えなくなり、そしてついにあの遠くの幹線道路もまったく見えなくなった。
小学校高学年のころにはハギワラさんの畑はただの荒れ地になった。いまでいう「耕作放棄地」だろう。
そして、私が大学に入学してこの街を離れたあと、そこには住宅ができた。
結果として、私の家は、まわりをほかの家に囲まれてぜんぜん目立たない、ただの古ぼけた家になってしまった。
世のなかが「バブル景気」に覆われたころには、家の近所に限らず、この街の田んぼや畑のあった場所はいちめんの住宅地と化していた。「田畑が広がり、その一部分に家や工場がかたまって建っている街」が「住宅地が全面に広がる街」へと変わってしまったのだ。
そのこともあって、私は、田んぼや畑が広がる風景が、この街の「原風景」だと思っていた。
しかし、じつは違っていたらしい。
田んぼや畑が広がっていたということには違いがない。
だが、その田んぼや畑に農業用水を供給するためのため池が点在している街というのが、この街のもともとの風景だったらしいのだ。
そのことを知ったのは、私が仕事の都合で私の生まれた街に帰って来て、しかも、その仕事の都合でこの街のあちこちに出かけることが増えたからだ。
大学に入るまでずっと住んでいた街だけど、行ったことのない街区はたくさんあった。
そういう街に行くと、「ここにはため池がありました」という看板が出ていたり、ため池は存在しないのに「ため池竣工の記念碑」という石碑が建っていたりするのにときどき出会う。そういうものが一つも残っていないため池もあるだろうから、この街には相当数のため池があったのだろうと推測がついた。
私が生まれたときには、私の家の近所にはもうため池は残っていなかった。
ため池といえば、私の家から子どもが自転車に乗って二十分ぐらいかかるところに、釣り堀を兼ねた大きいため池があった。それぐらいだった。
では、そのため池の跡地はどうなったのか?
その場所は、たいてい住宅街になったらしい。
つまり、私生まれる前から、この街は住宅地の街へ、いわゆる「ベッドタウン」へと変わり始めていた、ということだ。
そのために最初につぶされたのが、あちこちに点々と存在していたため池だった。
たぶん、河川改修が行われ、水路が整備されて農業用水の効率的な分配ができるようになり、必要性が薄れたため池がまず住宅地へと変わっていったのだろう。それに続いて、その農地自体が住宅地へと変わって行った。
池が消えた後、農地が宅地へと変わっていく前が、私の子ども時代だった、ということらしい。
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