第2話 後編

 結婚式は滞りなく終了した。

 教会で初めて顔を合わせた旦那様は、隣国と面した領地の領主であるため、身にまとっていたのは真っ白な騎士の正装だった。騎士らしくがっちりとした体格に少し濃い顔だ。年齢は三十八だったか。

 その旦那様は、今はベットの上でぐっすり眠っている。相当疲れていたのだろう。眠りの魔法を軽くかけただけでも、あっという間に眠ってしまった。

 辺境伯領は国境に面しているため、国防を担っていると言える場所だ。その対応に加えて瘴気の問題もあるのだから、さぞ忙しいことだろう。

 結婚式と披露宴が終わったあと、愛子は侍女たちに全身を磨かれて寝室に案内された。いわゆる初夜というやつだが、愛子は出会い頭に魔法をかけ、辺境伯を眠らせたのだった。聖魔法は浄化や回復、補助を主とする魔法だ。聖女として最上位の聖魔法をもなんなく操る愛子にとって、この程度はお手のものだ。


(この部屋で過ごすのも、今日が最後ね)


 七年間過ごした自室を見渡す。

 王城内に用意された聖女のための部屋は、当時十六の小娘にはもったいないくらいで、都内のホテルのスイートルームほどの広さがあった。この広さが寂しかったのを覚えている。部屋は三つあり、侍女によって常に美しく保たれていたが、ほとんど一つの部屋しか使っていなかった。

 愛子は寝室に旦那様を置いて居室に行き、愛用していた机の引き出しをあけた。

 今晩だけは、侍女も見張りもいない。

 愛子は引き出しの二重底の中から二冊の古い本を出した。うち一冊は三百年前に召喚されたという先代の聖女の書いた日記帳であり、中は日本語で書かれたものだ。


(流石にこれの持ち出しは許可されなかったわね)


 愛子は辺境伯と結婚し、明日には辺境伯領に向かうため、明日の朝には教会へこの日記帳を返却しなければならない。

 貴重な聖女の資料だ。これは、また次に召喚される新たな聖女に渡されるのだろう。

 愛子もまた、日々感じたことや魔法の成果を記して欲しいと言われ日記を渡されたが、実はほとんど書いていない。もともと日記を書く習慣がなかったこともあるが、他人に読まれる前提の日記を書く気にはなれなかった。複雑な思いがあるからなおのことだ。


(結局、私は聖女にはなれなかった)


 この国の瘴気被害は深刻だ。長年浄化の仕事をして回っていたから良く知っているが、国中で瘴気が噴き出る穴が出来ている。聖魔法でどれだけ瘴気を浄化しても、間欠泉の様に瘴気が噴き出す穴がある限り、焼け石に水だ。

 聖女が召喚された最大の理由は、この瘴気の穴を塞ぐことなのだ。

 三百年前の聖女が使ったとされる聖女の秘術。それを使えば瘴気の穴をとじることができるらしいが、愛子は七年かけてもこの秘術を会得できなかった。聖魔法とは全くの別物であるらしい秘術を詳しく知るものはおらず、手がかりとなるのはこの日記帳のみ。まるで雲をつかむかのような話は、結局上手くいかなかった。

 愛子は聖女として召喚されておきながら、求められた聖女の力を振るえなかった。


 だから、来月には新しい聖女を再び求めて、秘密裏に召喚の儀が行われる。


 二人の聖女の軋轢を防ぐために、国の期待に応えられなかった愛子は王子との婚約を解消され、辺境伯領へ行かされるのだ。あそこは特に国にとって重要でありながら、瘴気の被害頻度が高い場所だ。愛子はこれからそこで、死ぬまで領地とその周辺地域の浄化をすることになる。


 そっと、愛子は先代聖女の日記帳を開いた。


《聖女の力の源は、きっとすごく単純なものなんだと思う。毎日を過ごすなかで、日々の生活を尊く思う気持ちや、身近な人たちへの感謝とか。

私は、この国が好きだ。呼ばれた当初は戸惑うことも多かったけれど、周りのみんなは良い人ばかりで、毎日が楽しい。瘴気の浄化や遠征なんかは苦しいときもあるけれど、元いた場所よりもずっと温かく素敵だ。だから、この国の人々を助けたい、幸せを返したい。そんな想いを強く強く思って祈ったとき、胸の奥から白金の光が溢れてきた。とても温かくて、優しい、命の光。この光は瘴気の穴を瞬く間に塞いで見せた。

 だからこそ思う。聖女の力の源は、きっと愛情だ。心の底からこの国を愛し、人々を愛することができるなら、きっと誰だって聖女になれるのだ》


 日記帳の最後に書かれた先代の言葉は、愛子に真実をつきつけた。

 最初から理由は分かっていたのだ。なぜ、愛子は聖女の秘術が使えないのか。


「私ね、この国嫌いなんだ」


 ずっと誰にも言えなかった言葉を、誰に言うともなくそっと囁いた。


「だから、この国の聖女にはなれないの」


 ずっとずっと、しこりの様に残り続けていた。

 この国の人全員が嫌いとか憎いとか、そんなことを思ってはいない。

 この国にきてから七年。色々な思惑はあっただろうが、愛子によくしてくれる人はそれなりにいて、言葉も文化も違うこの国でなんとか今日まで生きてこられた。王子のことも、本当に愛していた。

 それでも、確かにあったはずの生活を、家族を、友人を、夢を、世界を奪われた瞬間の喪失感を、愛子はとうとう今日まで手放せなかった。

 国の救済に忙殺される日々で、親しくなった人々と交流する楽しい日々で、たとえ一時忘れられたとしても、ふとした瞬間にその虚ろを思い出す。

 私は、この国を救うために私の世界を奪われた。

 だから愛子は、この国が嫌いだ。

 そして、その想いを胸の奥底に抱えている限り、愛子が聖女の秘術を使えないことは最初から明白だった。


(王子、貴方は本当に悪くなかった。だって、全部私の心の問題だもの。もしかしたらと、時間が解決してくれることを願っていたけれど)


 それもとうとう時間切れだ。国は愛子に期待することをやめ、新たな聖女を求める。その人にとってこの世界が愛せるものになるかどうかは、その人の心しだい。

 心一つで国の存亡が決まるなんて、その人にとっても国にとってもとんだ大博打だ。


 愛子は日記帳とは別の、もう一冊の古い本を手に取った。こちらの本は、この国の古い言葉で記されており、専門家でもない限り、辞書を使っても読み解くのに苦労する古文書である。愛子はこの本の解読に五年かかった。

 本来は持ち出し絶対禁止の禁書であるのだか、愛子はこの本を、厳重に目くらましの魔法をかけた上で、こっそり無断で持ち出していた。開けば、本の最初にはこう書かれている。


《聖女召喚の秘術》


 愛子はその本にかけられた強力な保護魔法を解除すると、部屋の暖炉の中に落とした。わずかな炭で小さく揺れていた火は、新たな薪に喜んでパチパチと大きく燃え上がった。


(聖堂の召喚陣も、壊してある。これでもう、聖女召喚は出来ない)


 数日後には、きっと大騒ぎになるだろう。バレれば愛子の処分もどうなることやら。下手すれば即刻斬首と言われかねない賭けだったが、不思議と愛子の心は落ち着いていた。

 

(もう、いいわよね)


 ずっとこの国の言い分や願いを聞き入れてきた。そうしなければ、命の保障も生活の保障もないと、心のどこかで恐れていたからだ。


(でも、どうせもう従順にしてても戦地に送られるんだし、最後くらい盛大に好き勝手するわ)


 別にこの国に滅んで欲しいわけじゃない。でも、召喚なんて他力本願な方法が、ずっと気持ち悪かった。藁にもすがる気持ちだったとしても、された方はたまったものではなかったから。


 (同じく賭けに出るのなら、こっちがいいわ)


 この世界の救済には、この世界の人々を。この世界に、真に国を人を愛するものが現れるか否か。


(さぁ、賭けを始めましょう)


 窓の外は、昼の宴の盛大さが嘘のように静まりかえっていた。分厚い雲が月を覆い隠して、今日は一段と闇が深い。聖女になれなかった少女の蛮行は、天の月さえも見ていなかった。

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聖女になれなかった聖女 夏樹 @natuki0309

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