唐突な変革

夢月七海

唐突な変革


 一人の青年が、土手の途中の草に座り、ぼんやりと川の流れを見ていた。平日の昼過ぎのため、日光がさんさんと降り注ぐ良い天気にも拘らず、周囲には彼以外の人影もない。

 車も通らない土手の上の道路、その左側から、別の青年が駆けてきた。土手に座る彼の姿に目を留めると、慌てて立ち止まる。


「古崎! おい、古崎!」


 自身の名前を連呼されて、土手の青年は怪訝そうに振り返った。知り合いらしい男がこちらへ、急ぎつつも転ばないように気を付けて降りてくるのを見ても、その表情は変わらない。


「どうした、東田。こんな所で」

「そう言いたいのはこっちだ。何度も電話したんだぞ」

「ああ、携帯は家に置いてきた」


 古崎から面倒臭そうに言い返されて、今度は東田と呼ばれた青年が顔を顰めた。それを無視して、古崎は川の方を向いても、東田は自身のスマートフォンをポケットから取り出し、そのまま隣に腰を下ろした。


「大変なことになってるぞ。リーダーが逮捕された」


 東田が見せたスマートフォンの画面には、「白昼堂々 青木駅で拳銃所持の男、現行犯逮捕」という見出しのネットニュースの記事が表示されていた。

 古崎は、ちらりとその文字だけを見て、また川へ視線を戻す。だが、興味を失ったような顔つきの口だけが動いた。


「ああ。知ってる」

「え? お前、スマホもPCも持ってないだろ。どこから聞いた?」

「通報したの、俺だから」

「は?」


 スマホをどかして、東田は古崎を凝視する。しかし、古崎は「冗談だ」と笑ったり、詳しい説明をしたりもしないので、東田の方からこめかみを揉みながら「ええと」と切り出した。


「最初にリーダーが立てた計画では、この時間にお前と数人のメンバーで、落窪駅に集合するはずだったんだよな?」

「そうだよ。リーダーが自宅最寄りの青木駅に通りかかるタイミングを見計らって、拳銃らしきものを持った男が駅にいると、匿名で通報した」

「……なんでそんなことをした?」


 東田の静かな一言は、攻め立てるかというよりも、純粋な疑問として零れ落ちたかのようだった。古崎は、そんな彼の今にも泣きだしそうな瞳を、今日、初めて直視して話し始める。


「お前、今日の仕事の内容を聞いているか?」

「いいや。集合の時間と場所だけ知ってる」

「銀行強盗をするつもりだった」

「……まさか。その銀行が、不正を働いている、とかか?」

「そんな話、ただの大学生が調べられるわけないだろ? ごく普通の銀行だ」

「何で。リーダーが『英会話教室』を立ち上げた頃から、ターゲットは犯罪者のみというのが、行動理念だったのに、リーダー本人がそれを破るんだ」


 驚きと怒りでわなわなと震える東田の手に視線を注ぎながら、古崎は続きを語る。


「今月最初の仕事。俺とリーダーとで、あるヤクザの事務所の金庫破りに行ったんだが、運悪く見つかってしまった。リーダーは囮になって俺を逃がしたが、ヤクザに捕まり、ずいぶんと痛めつけられたらしい。一千万、今月中に納めに来いと言われて、やっと解放された」

「一千万って……」

「リーダーや俺の預金を合わせても足りない。他のメンバーに頭を下げて、金をかき集めても、まだ届かないだろう。焦ったリーダーは、一昨日、個人経営の金融会社へ空き巣に入った。ただ、そこは法律違反なんてしていない、まともな会社だった」

「じゃあ、すでにリーダーはルールを破っているのか」

「そう。他のメンバーには、あそこは実は高利貸しだって、嘘をついてな。みんな素直に信じていたよ」


 鼻で笑った古崎を見て、東田は何も反応できなかった。


「所詮、リーダーの正義感はその程度だったんだ。もっともらしいことを言って、熱狂的な支持を集めても、『本物』に対面したら、あっさり折れる。己の信念を貫くことも、悪に染まりきることもできない、中途半端なもんだ」

「それで、失望して、通報したのか」

「ああ。そもそも、銀行強盗なんて、成功するはずないからな。計画も酷く杜撰なものだった」

「とはいってもな、リーダーは、他のメンバーのことをヤクザや警察に売ったりはしていないだろ? そこは評価してもいいんじゃないか?」

「そうだな。これで、誰かを売ったりしていたら、今までのリーダーは嘘だ」

「お前な……」


 どこまでも辛辣な古崎に、東田は溜息を吐いた。そして、不意に思い出したかのように、ズボンのポケットに仕舞っていたスマートフォンを取り出す。


「さっきから通知がすごいんだよ。何も知らないメンバーから、リーダーは大丈夫なのか、『英会話教室』はどうなるんだって、質問が来ているけれど、誰も状況を把握していないからな。憶測と絶望と願望とで、混沌としている」

「そうだろうな」

「それに対して、ここは静かだ。事件を起こした当の本人がいるのに」

「台風の目みたいなものじゃないか?」


 皮肉めいた東田の一言にも、古崎は少々とぼけた様子で言い流す。

 ただ、彼の返答を肯定するかのように、周囲の静けさは深まっていた。通行人どころか、近くの木に鳥もいなく、蝶や蜻蛉の姿も見せず、川の水面に魚の影も横切らない。息をしているのが、古崎と東田だけのような光景になっていた。


「……俺たち、これからどうなるんだろうか」

「なあ、東田、お前って、金欲しさに『英会話教室』に加入したんだよな?」

「なんで今のを無視できるんだよ」


 東田は古崎の傍若無人っぷりに苦笑して、多少はリラックスした様子で語りだす。


「そうだな。うちは母子家庭で貧乏で、何とか大学の入学金を払ってもらえたから、もうこれ以上頼れなかった。ただ、バイトで稼げる金はたかが知れてる。もっとドカンと稼げる方法はないかと探している内に、知り合いに誘われたのが、『英会話教室』だった」

「お前は一貫しているな。潔いくらいだ」

「そういや、古崎の加入理由は何だ? 聞いたことなかったけど」

「単純な話だよ。俺の親父、地元で不動産を経営して、そこそこ稼げていたんだが、詐欺に遭って、莫大な借金を背負って、首を吊った」

「お、おおう」


 予想外の打ち上げ話に、東田は目を泳がせた。直後、今の反応を後悔するように、唇を固く結ぶ。

 ただ、古崎はそんな相手の様子も目に留めずに、さらさらと続けた。


「だから、親父のような人を助けたいと、弁護士を目指していたんだがな、『英会話教室』を知って、衝撃を受けた。犯罪者を捕まえて、裁く。それが社会的に正しいものだと信じていたんだが、俺が実際にやりたかったのは、犯罪者自身に直接、被害者と同じ目に遭わせることだ。そう自覚して、飛び込んでいたよ」

「確かに、お前はリーダーの次に熱心だったからな」


 東田は何度も頷き、「だからあんなことしたのか」と呟いた。


「それで、この先の『英会話教室』についてだがな、」

「あ、そこに戻んの?」

「抜けたい奴の方が多いだろうが、残りたい奴もいるはずだ。東田みたいに、経済的に不安定な奴とか」

「ああ。メンバーの中にも、『英会話教室』を存続させたいって声は出ているよ」

「そいつらを守るためにも、俺が次のリーダーになる」


 二人の視線がぶつかり合った。真剣な表情の古崎に押されるように、東田は瞬きを繰り返す。


「俺はてっきり、お前がリーダーの逮捕をきっかけに、『英会話教室』を解散させるつもりだと思っていた」

「それも考えたが、盗みのノウハウは、しっかり下のメンバーに伝わっている。解散したとしても、他の誰かが、似たような団体を作るかもしれない。下手をすると、そのターゲットを一般人に定める可能性もある」

「……自分のしたことに、責任を負うつもりか」

「当然だ。これから俺は、大学を辞めて、地元や家族との縁も切って、全てを『英会話教室』に捧げる。リーダーのような中途半端な形にはしない」

「捧げるって、お前、彼女とは」

「……別れる」


 これまで小気味良いくらいになだらかに話していた古崎だが、始めて言い淀んだ。東田は途端に、からかうような、または慈愛に溢れたような笑みを浮かべて、古崎の肩をつつく。


「強がるなよ。あんなに好きだったくせに」

「うっさい。ともかく決めたんだ。巻き込むわけにも行かないからな」

「分かった。そこまで覚悟しているんなら、俺も全て捨てて、お前についてくる」

「は?」


 本日初めて驚きの声を発した古崎は、唐突に立ち上がった東田を見上げる。丁度逆光になっていて、その顔は見えなくなっていた。


「お前、機械音痴だからな。IT関係で支える奴が必要だろ」

「……いや、根拠が乏しい」

「そこまでの根拠が必要か? あー、じゃあ、前のリーダーよりも、古崎リーダーの方が、上手く稼げそうだから。それでいいか?」

「なんでそんなにテキトーな答えなのに、腹を括るのは俺より早いんだよ」


 頭を抱える古崎を見て、東田は愉快そうに笑って断言した。


「俺の好きな言葉に、『賽は投げられた』ってあるんだけどな、もう運命は決まっているんだから、あの川のように、流されるままで行こうって、考えたんだよ」

「……東田、申し訳ないが、」

「ん?」

「言葉の意味、間違えているぞ」

「え、マジ?」


 先程までの誇らしげな顔から一転、ぽかんと口を開けた東田に、古崎は説明した。


「自分が始めた行動は、最後までやり通すしかないって意味だ。運命とかは関係ない」

「うわー、ずっと間違って使っていたよ。恥ずかし」


 顔を真っ赤にする東田を見て、古崎は心行くまで笑った。そして、彼も立ち上がる。


「こんな時だが、腹が減ってきたな。そろそろ飯にするか」

「いいな。新しいリーダーの誕生祝いだ。俺が何でも奢るぞ」

「あ、じゃあ、近くのカウンター寿司屋で」

「待て、流石に限度ってもんが……」


 二人はそう言いながら、土手を登る。そんな声も遠ざかり、聞こえなくなった。

 誰もいない川べりを、ただの風が吹き抜けていく。変革の中心地で残ったのは、そんな光景だった。


















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唐突な変革 夢月七海 @yumetuki-773

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