第47話


「宵歌はね、お父さんが好きだしお母さんも好きだよ。お姉ちゃんも、おじいちゃんも、もちろんりつも大好き。みんな大好きなんだ。お姉ちゃんみたいに頭が良いわけじゃないし、りつみたいにバシッと決める事も出来ないけど、でも旅館の人たちは優しくしてくれたし、頑張ったときはお父さんも褒めてくれた。お姉ちゃんはそれが嫌だったみたいだけど……でも、宵歌はお手伝いを頑張る事しかできなかったから、いっぱい頑張ったんだ。だから………えっと、上手く話せないけど……」


 そこで宵歌のお腹が鳴った。ラーメンが届いてからずいぶんと時間が経っている。宵歌は恥ずかしそうに俯いて「えへへ……食べながらで、いい?」と首の裏を掻いた。


「………まあ、そうだな。食べなさい」


「ごめんなさい」


 伯父もさすがにダメとは言えなかった。木下さんがずっとこっちを睨んでいたし、伯母も「伸びてしまいますよ」と催促していたから。


 濃厚な豚骨をベースにサッパリした魚介ダシの風味が何度も食べたくなる中毒性を作り出すこの店自慢のラーメンである。これを食べずに放置しておくなんて元バイトとしては言語道断。店主こだわりの特製麺がたっぷりスープを吸い込んで深いコクを生み出すこの味をなぜ食さずにいられるのか?


 僕はまずスープをすくって香りを楽しんだ。この肺を膨らませる豚骨の香り。一見味が濃いように見えるがすぐに来る魚介のサッパリした香りが鼻腔をくすぐり食欲を掻き立てるのだ。


 宵歌は待ち侘びたように食べ始めた。


「ん、美味しい……!」


「だろ? 隠れ家みたいでもやっていけるだけはあるよな」


「………ふん、こんな体に悪いものを宵歌に食べさせたくはなかったが」


「まあまあ、美味しいんだからいいじゃありませんか」


 僕達はひとしきり食べ進めた。一度食べ始めると止まらない木下さんのラーメンの前ではさすがの伯父も箸を止めることができず、気づけばみなが完食していた。


「美味しかったですね。お父さん」と伯母が口もとを拭きながら満足そうに伯父を見る。


「……………」


「お父さん?」


「……たしかに美味かったが、こんなものを食べ続けていてはダメになる。やはり宵歌は連れて帰るぞ」


「お父さんったら……」


 僕はそんな会話を聞きながら財布を取り出した。これでもそこそこの収入はあるので自分の分は自分で払うのがすじである。とうぜんのように伯母に払わせる男とは違うのだ。


「僕の分は自分で払いますからいいですよ」


「あら、そんなこと言わないで。一緒に払いますよ」


「いえ、いいんです。これでも貯金はしてるので」


「でも、バイトを辞めてしまったんでしょう? あなたが稼いだお金ですよ。あなたが欲しいものを買うのに使いなさいな」


「……じゃあ、お言葉に甘えて」


「うふふ、払ってきますから店の外で待っててくださいね」


 よもや伯父がこのような人間になってしまったのは伯母のせいなのか。あんな伯父と長年連れ添い付いていけるのは尋常ならざる器の広さがゆえだろう。母性とは成人男性さえもダメにしてしまうということか。伯母に甘えることがとうぜんのようになってしまっては、伯父のようにダメ人間になってしまう。


「宵歌。帰るぞ」


「あ、うん。りつも……」


「そうだね」


 僕達は荷物を持って店の外へと出た。しばらくすると伯母も店を出てきた。


「で、結局答えてもらってないんですけど、あなた方はどこに泊まるんですか?」


 結局これが一番の問題である。宵歌は僕のうちに帰るとしても伯父と伯母はどうするのだろうか。何度も述べたようにうちにはこれ以上人が泊まれるスペースがない。


「それなら安心してください。ホテルをとってますから」


「それなら言ってくださいよ……」


 伯母は「ごめんなさいね」と言って笑うが、どうやら僕の家を訪れて宵歌を待っている間に予約してしまったらしい。おそるべき手際の良さである。


「ほら、宵歌も帰るぞ」


「え、あの、お父さん?」


 伯父が宵歌の手を引っ張った。


「ホテルはもう予約してあるんだ。このままホテルに泊まって明日荷物をまとめて帰る」


「え、なんで? やだよ、宵歌はりつと帰る」


「わがままを言うな! こんな男の家に何日も泊まらせるわけにはいかん!」


「え、や、そうじゃなくて……」


 そもそも宵歌の着替えや貴重品はうちにあるのだ。ホテルに泊まる方が意味が分からない。


 しかし、伯父はもともと意味の分からないことをする人である。


 宵歌の着替えや貴重品は伯母がうちに取りに来て、宵歌本人はホテルへと連行されてしまった。


「本当に強引でごめんなさいね」


「昔からそうでしたから」


「りつさんのところに行きたいと宵歌が言い出したときは本当にビックリしましたけど、でも、何か見つけたみたいですね。宵歌は」


「……ということは、宵歌をうちに来させたのは伯母さん?」


「ええ、そうです。可愛い子には旅をさせよと言うでしょう?」


 そう言って笑う伯母も、やはり母や小海さんと似たような性格らしかった。


「あのままずっと縛り付けるなんてかわいそうですからね」


「まあ、たしかに」


「でもりつさんには話しておきましょうか」


「何をですか」


「宵歌がどうして家を飛び出したのか。その理由を」


 そうして伯母は次のようなことをはなしだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る