第48話


 そもそも思い返してみれば、僕は宵歌の事をあまり知らないように思う。幼い頃から一緒に育ったとはいえ四六時中一緒だったわけではない。僕には僕の友人がいたし宵歌には宵歌の友人がいた。私室に入ったことは数えるほどしかないし、大きなぬいぐるみやピンク色の家具が集められた部屋を見るたびに知らない場所へ来たと感じたものだ。


 宵歌は今でこそ「自分を引っ張って行ってくれる」と評価してくれるが、昔はまったく違った。呆れるくらい元気で、毎日毎日人の事を連れまわしたのは宵歌の方だ。それが小学校を卒業し中学生になるころには驚くほど静かになった。


「宵歌が初めて白石楼の手伝いをしたのは小学5年生の夏休みだったかしらね。お願いしたのは宴会の片づけだったけど、宵歌ったら初めて着た着物が動きづらかったのか何回も転んじゃったのよ。ふふっ、懐かしい」


 マンションへ向かう道すがら、伯母が口にしたのは宵歌の昔の様子だった。それらの多くは僕にとって珍しくも無い事だったので「はぁ」と聞き流していた。


「あの子はりつさんが来た時だけ張り切るの。普段はイヤイヤ手伝ってるくせに、りつさんが来たと分かればすぐにやる気を出して出来るフリをするのよ。可愛いでしょう?」


「学校では、昨日はこんな事をした。この間はこんな仕事をした。褒めろ褒めろすごいだろうと自慢ばかりするのでたいへん困りました」


「うふふ、そうなの。それじゃあ、一緒にお手伝いしようって、さぞかし誘われた事でしょう?」


「……いいえ? そんなことは一度もありませんでしたよ」


 伯母も変な事を言うものだ。僕が白石楼に客として訪れていたのは小学5年生まで。6年にあがるころには伯父に圧をかけられて無理やり手伝わされていたし、白石楼を訪れていた理由も「広い風呂に入りたい」という母の願いを叶えるためだ。宵歌と顔を合わせる事はまれだったし、すれ違う事があっても向こうから無視してくるのである。僕はむしろ手伝いをしているところを見られたくないのだと思っていたけど。


「あら、宵歌ったらやっぱり嘘をついていたのね」


 ところが、伯母はこう言ってため息をついたではないか。


「宵歌はむしろ来るなと言ってましたけどね。だから僕もあえて手伝いの事は訊かないようにしていたんです」


 僕も肩をすくめて答えた。思えば不可解な点がいくつもあった。仕事自慢をしてきたから褒めれば喜ぶくせに、今度遊びに行くと言うと来るなと言う。普通の紐を持ってきて「着物の帯の結び方を習ったから見せてやる」と自慢するから「そんなら着物姿を見せてみろ」と言うと「絶対に嫌だ」と逃げてしまう。まったく矛盾の塊であった。


 旅館の事になると人が変わったように挙動不審になるのに一緒に遊ぶときはいつもと変わらない宵歌を不審に思ったものだ。


「じゃあ、一緒に旅館を手伝おうと誘われたことは無いのね?」


「ええ」


 僕は答えてから、当時の事を思い出して渋い表情になった。「ご愁傷様とたいへん煽られました」


「まあ、宵歌ったらそんなことを?」


「アイツは僕や友達の前だととても口が悪いです」


「お父さんに知られたらどんなに怒られる事か……」


しらせやしませんよ。あの人に言う義理も無い」


 僕がフンと鼻を鳴らしたのを見て、伯母は顔をしかめた。


「りつさんったら………あの人も悪い人じゃありませんよ? ただあなたと同じ不器用なだけです」


「だから嫌なんです。僕が態度を変えたとてあの人が変えないんじゃあ一方的に負けただけです。伯父のワガママがより苛烈かれつになると考えたら僕が折れるわけにはいきません」


「まったくもう……そういうところは若い頃のあの人にそっくりね」


 あの男と同じとは不名誉極まりない。


 僕は伯父と分かりあうつもりなど毛頭ないが、宵歌とは疎遠になりたくないと思う。今回の逃避行に伯母が一枚噛んでいる事は本人が自白した通りなので僕はいいかげん真相を教えてくれと頼んだ。


「宵歌はただこっちに新しいバイトを探すために来たわけじゃないでしょう? 伯母さんは何を知っているんです」


「真相と言われたって困るわ。あたしはただりつさんの所に行きたいとせがまれただけですもの」


「それ以外に何か聞いているはずです」


「そう言われても……」


 伯母は困ったように頬に手を当てて視線を上げた。「それにほら、もう着いたわよ」


 見れば、いつの間にか僕のマンションに帰ってきていた。


「これから宵歌の着替えを持ってホテルに帰らなくちゃいけないの。早くしないとお父さんに怒られてしまうわ」


「……………」


「りつさん。行きましょう? お部屋の鍵を開けてくれないと困るわ」


 伯母はどうしても口を割るつもりはないらしい。ここまで散々焦らしておいて何も聞けずに帰せるものか。


「教えてください。宵歌がなぜこんな無茶をしたのか。僕は知る権利があるはずだ」


 僕はエレベーターのボタンを手で塞いで伯母の目を見つめた。しかし伯母は答える素振りを見せず、


「知りたいなら宵歌に直接訊けば良いでしょう?」


「教えてくれないから困っているんです。宵歌が何もないのに家を出るはずがない。一人でここまで来るのには必ず理由があるはずなんです。今教えてくれれば僕が解決してやれる。僕は知るべきだ」


「………………」


「伯母さん!」


 僕は思わず声を荒げた。自分でもなんで苛立っているのか分からないが、焦燥感だけがあった。


 今聞かねばならない。


 今、伯母の口から聞かなければ取り返しのつかない事になる。


 なぜだかそんな焦りがあった。


「でも、宵歌は旅館に来るなと言ったんでしょう?」


「何の話ですか?」


「答えはもうずっと前から出ていると思いますけど」


「………どういうことです?」


「さ、いいから、今は宵歌の着替えを取りに行かなくちゃ。このままだとお風呂に入れずに困ってしまうわ」


 呆気にとられた僕の手をどかして伯母はエレベーターのボタンを押した。


 答えはもうずっと前から出ている。


 伯母はそれ以上何も言うつもりは無いようだった。

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