第45話
宵歌がどういうつもりでここに来たのかは分からない。というか、人が何をするかなんて誰にも分からないものである。時には本人さえも分からない心の奥底の滞留が噴火したとき、何が起こるかは神のみぞ知る所である。
「それで、なぜ黙って家を出た?」
「……………えと……」
「宵歌?」
伯父はいきなりこう切り出した。
ラーメンはすでに完成しており、テーブルの上で4人分の豚骨ラーメンが美味しそうな湯気を立てている。伯母と僕は口に運んだ手をぴたりと止めた。伯母が「何もここで聞かなくても」とたしなめるように言っても伯父は聞かなかった。
「私は止めたはずだぞ。それなのに私の言葉を無視してこんなやつの所に転がり込んで。それでも小海家の娘か?」
「……………」
「私はお前を白石楼の後継ぎとして育ててきたつもりだ。決して親の言うことを無視するような不良に育てたつもりはないが」
「……………」
「黙ってないで何とか言ったらどうなんだ!」
なぜこの人の血管は切れないのだろう。伯父はいつもこの調子である。家の中でもいつも怒っているし、白石楼でも、それ以外の場所でも、高慢ちきで他を見下したような言動を憚りもせずとっている。かように頭が固いのだから血管もガチガチなのだろうか。それとも常に煮えたぎっているから逆に柔らかいのだろうか。いずれにしても食事のときくらい静かにしてほしいものだ。
気まずい2人を放っておいて食事ができるわけもなく、僕も伯母も箸を置いて伯父の機嫌を取ることにした。
「まあまあ、宵歌だって考えがあったんですよ。お年頃ですもの」
「そうだそうだ。宵歌はあんたのお人形じゃないんだぞ。星歌さんがなんで髪を染めたのか。あのときなんて言われたのか忘れたわけじゃないでしょう?」
「……………」
「あたしの気持ちなんて何も知らないくせにって、そう言ってたのに」
実は小海さんも家を飛び出した者である。伯父が宵歌にばかり目をかけるから拗ねてしまったのだ。養護教諭を目指しているのもその反動である。どんな子にも良い所がある。努力している人が幸せになれるように力をかしてあげたい。そう言い残して小海さんは卒業と同時に家を出た。
宵歌はすっかり縮こまってしまって俯いてばかりいた。
いまも宵歌の中では様々な思いが渦巻いているのだろう。けれど小海さんや僕のように思ったことを全部言ってしまう性格ではないから言えずにいる。僕とて心が読める訳ではないのだからこればっかりは宵歌の口から聞かないと何を考えているかは分からない。
僕は宵歌の手を取ると「いま無理に言わなくていい」と言った。
他にも人がいる場所で心の傷を抉るような話ができる人はいないし、繊細な宵歌にとってはなおさらきついはずである。伯父はもっとそこのところを理解すべきだと思う。
「それに、そろそろ食べないとラーメンが伸びる。木下さんに怒鳴られてしまうよ」
あの人も怒らせると面倒な人である。以前、雑談ばかりしてラーメンに手をつけなかった青年2人組を無理やり追い出して問題になった前科があるから、僕としては気が気ではなかった。
伯父は鼻を鳴らして「それがなんだ。店主が客に手をあげるのは御法度だろう」とあくまでも話を続ける姿勢である。
「いやだから、僕が怒られるんですって。お願いだから食べてください」
「うるさい! 私たちの問題に首を突っ込むな!」
バンと机を叩いて伯父は声を荒げた。
「私はお前のことを認めちゃいない! いつもいつも舐めた口の利き方をしおって! 何様のつもりだ!」
「何様って……ただ伯母さんのとこに婿入りして白石楼を継いだだけのあなたに言われたくないですよ」
「はあ?」
「あんただって特別な努力をしていまの地位を手に入れたわけじゃないでしょう? ただ時代があなたにとって都合よくできていただけ。そうじゃなければ他人の気持ちも汲み取れない頑固者だ」
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