第44話


 夕食はうちに食器が無いため外食になった。都市部に行けば専門店もあるのだけど近辺には大衆食堂やファミリーレストランが数軒あるばかりである。自称美食家の伯父は当然満足しなかった。ここはひとつ、数か月間ここで生活している者の責務として穴場的名店に案内すべきかと僕がひそかに意気込んでいると伯父は、


「なぜお前がついてくるんだ」と言うではないか。


「ここから少し行ったところに美味いと評判のラーメン屋があります。以前バイトしていた店なんですけどね。入口が分かりづらい所なので案内しようと」


「いらん。お前がいるとメシがまずくなる」


「誰もあなたのために案内しようと言ってるんじゃありません。宵歌に食べさせてやりたいから連れて行くんです。不満なら一人で勝手にどこへでも行けばいい」


 その店というのがマンションの裏手に続く路地を抜けたところにある。そこは住宅街のど真ん中。なんの変哲もない二階建て民家の一階に暖簾のれんも看板もなくぽつねんとたたずんでいるのだ。木下という表札のかけられた入口から、誰が想像できるだろうか?


「ここ、本当にお店なの?」


 宵歌が怪訝そうな顔をするのも当然だろう。僕だってバイトの募集を見てここに来るまでは信じられなかった。


「ここだよ。穴場すぎて地元でも知らない人がいる事で有名なんだ」


「それはお店としてどうなの」


「ネットの評判を聞いたのか県外からの客が多いから大丈夫」


 横開きのりガラスであることで店としての体裁を保っているが、正直これでは売り上げを心配されるのもむべなるかなである。


 ガラガラと古い音を立てて中を覗くと客はほとんどいないようだった。


「おじさ~ん、やってる~?」


 常連のおじさんが新聞を見ながらぼんやりしているだけで、他には誰もいない。


「ここでバイトしてたの……? りつ」


「まあ、宿題を終わらせる時間は確保できたよね。客が来ないから」


「ええ……?」


 宵歌は戸惑いを隠せないようだった。しかし僕は無理に理解してもらおうとは思っていない。僕が無理やり付いてきたのにはもちろん理由がある。宵歌の味方をするために僕はここにいるのだ。


 僕が集めた断片的な情報や宵歌の様子から察するに彼女が勝手に飛び出してきたのであろうことは明白。伯父は間違いなくそこをつつくだろうし、伯母も今回は味方をしないだろう。であるならば僕をのぞいて誰が宵歌の味方になれる?


「ほら、こっち」


 さっさと宵歌の手を引いて店の奥へと移動する。「わわ、待ってよう」と宵歌は驚いたが席に座ってしまえばこっちのものだ。


「……………」


 伯父が険しい顔をしているが知ったことではない。


「まあ、お父さんも機嫌を直してください。りつさんだけ1人で食べろというのもかわいそうですよ」


「ふん」


 伯父と伯母が席に着いてメニューをパラパラとめくる。伯母がオススメを訊いてきたので答えたりしていると店主の木下さんが厨房から出てきた。


 白タオルを頭に巻いた痩せ型の、見るからに美味いラーメンを作りそうな頑固おじさんである。


「お、お前。かってにバイトばっくれやがったかと思えば急に大所帯じゃねえか。元気にしてたか?」


「その節はどうも。ご迷惑をおかけしました」


 僕は頭を下げて答えた。


「いいってことよ。今日はどうした?」


「従妹と親戚を連れてきました。木下さんのラーメンを食べて欲しくて」


「ほぉん、嬉しいことを言ってくれるじゃねえかよ。んじゃ、俺の十八番おはこを作ってやるとするかい」


 木下さんは竹を割ったようなさっぱりした性格の人である。無断欠勤をしたことでかなりの迷惑をかけたはずなのにもう気にしていないのだからすごいと思う。


 厨房に引っ込む木下さんを目で負っていると、ふいに宵歌が僕の手を引いた。


「ね、どうしたの。珍しく社交的だけど」


「珍しく社交的ってなんだよ」


「だって変じゃん。いつものりつならムスッとしてて注文もお母さんに任せるのに」


「別に。今日は特別でいいんだよ」


「なんで?」


「僕がいた方がいいだろ? 理由は知らないけど」


「……………」


「イヤなら帰るけど」


「いてほしい」


「じゃ、いる」


 宵歌は恥ずかしいような安堵したような声音で「やった」と呟いた。

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