第42話


 僕は玄関に向かった。


 そっと近づいて覗き窓から外をみると、なんと伯母がいるではないか。


 驚いてドアを開けると伯母は「あら、りつさん。元気にしてた?」と涼しげな顔でほほ笑んでいる。


「伯母さん!? 来るなんて連絡ありませんでしたよね?」


「そうなんだけど、お父さんがどうしても行けというから……ごめんなさいね」


「はぁ……明後日には帰るって言ったのに」


 きっと伯父の事だから僕の言葉を信じていないのだろう。そうでなければこうして伯母が訪れるわけがない。いつもいつも困った人だ。


「来てもらってなんですけど、まだ荷物の準備は出来てませんよ? 宵歌にも伝えていないし」


「やっぱり? 私もできてないとは思ってたのよ」


「まあ、あの人は思い通りにさせとかないと面倒くさいですからね」


 伯母は物腰が柔らかく微笑みを絶やさない人である。いつも一歩引いたところに立ち、決して表に出ることはなく、影から伯父をサポートする古式ゆかしい女性だ。自分勝手で傲慢な伯父に合わせられる懐の深さはさすがとしか言いようがない。


 きっと伯母は何度もなだめたことだろう。それを伯父は無視して来させたに違いない。小海家にいた時も親身になってくれた。この人もまた伯父の被害者である。


「あの人も考えがあってやってますから。そう怒らないであげて」


 伯母はそう言ってよく僕をなだめたが、本当に考えがあるのかと疑問に思っている。


 今だってそうだ。僕達の迷惑なぞ考えもせずに突然伯母を来させたりして、これが大人のやる事かと文句の一つも言ってやりたい気分だ。僕は深いため息をついた。「ホテルはとってますか? うちに泊めてあげたい気持ちはやまやまですけど、あいにく部屋が空いてないんです」


「あら、そうなの?」


「それにいまは一ノ瀬さんもいるので……」


 と、ここで一ノ瀬さんがひょっこり顔を出した。伯母は「あら、この間の彼女さん」と驚いたように口元に手を当てて背後を振り返った。「りつさんの彼女さんもいるみたいですよ。やっぱり出直しましょう」


「だからなんだね。私たちには関係ないだろう」


「もう。そんなこと言うから嫌われるんですよ」


 なんだか聞き覚えのある声がした。この聞くだけで酸素が腐っていくような声音は……


 僕は自然と一ノ瀬さんの方を見て、部屋に戻っておくよう促した。が、まったく伝わらなかったようで「なになに?」と出てきてしまった。


「いや、伯父がいるからあまり会って欲しくない」


「わお、直球」


 一ノ瀬さんは驚いたようだが、実際にあの人に会ってみれば会わせたくない理由もすぐに判明するだろう。


「あいつの子供なぞもはや他人だ。他人の恋人がいたところで何の関係がある?」


 ほら。もうイヤだ。


 伯父は僕の事をどこかで拾ってきた野良犬だと思っているのか、共に暮らしている時でさえ家族として扱ってはくれなかった。名前を呼んでくれることも無く、「おい」とか、「お前」とか言って睨んでくるのだ。家の雰囲気が濁るのは想像に難くないと思う。そのくせ仕事は押し付けたりするからよく分からない。


 余談だが小海さんが僕を苗字で呼ぶのも伯父に気を遣っての事だ。


「一ノ瀬さん。お願いだから部屋に戻っていて。すぐに帰ってもらうから」


「あたしは大丈夫。りつ君の彼女だもん」


 むしろ隣に立って手を握ってくるのだからたいへん困った。僕は小海家とは縁を切ってしまいたいのだ。一ノ瀬さんの性格からして伯父と険悪になるのは明白である。


「あの人の言う事は全部無視していいからね。近所の犬が吠えてると思って聞き流してくれ」


 僕はそう言い含めてから叔母の背後に目を向けた。


「それで、何の用ですか。伯父さん」


「お前に用はない。うちの娘をどこにやった?」


「人を誘拐犯みたいに言わないでください」


 何がつまらないのか眉間にしわを寄せた眼鏡男が宵歌の父である。自由奔放でいつも笑っていた母と本当に兄妹なのかと疑いたくなるくらい素っ気なくていつも怒っていて、母と共通点があるとすればワガママであるという事くらいだろうか。


 この人が宵歌や小海さんと血が繋がっているというのが信じられない。


「なにしに来たのか知りませんけれど、宵歌はいまいないですよ。どうぞお引き取りを」


「上がるぞ。母さん」


「え、りつさんは泊る場所が無いって」


「いいから」


 僕達を押しのけて伯父は強引に部屋にあがった。伯母はとても気まずそうにしていたが「2人ともごめんなさい」と断ってから荷物を運んできた。とても大きなキャリーケースである。まさか泊っていくつもりなのか? 本当に?


 一ノ瀬さんは伯父の後姿を睨みつけて「なんだか、嫌な人」と呟いた。


 その言葉がいまの部屋の空気感を切り取っているようだった。

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