第41話
その頃、地元の飯芽町では宵歌の伯父が渋い顔をしていた。
「やっぱり宵歌からは返信がありませんか……?」
「……………」
机の上に置かれたスマホにはラインの画面が表示されており、まだ返信がないようである。『はやく帰ってこい』というメッセージには既読がつくばかりで、伯父はストレスを抱える一方であった。
「りつさんは一緒に帰ると言ってますけど」
「あいつの言う事はあてにならん。ふん、どうせ男を作って向こうで暮らすつもりなんだろう」
伯父の脳裏には妹が家を出て行った時の光景が思い出されていた。つまりは僕の母の事であるが、あの人は高校卒業と同時に家を出ていった。友達と卒業旅行に行ったきり音信不通になったらしいが、帰ってきたときには僕の父が一緒だった。
「あのときの事は忘れもしない。家中を心配させておきながら何事も無かったように帰ってきて謝りもしない。ようやく落ち着いたかと思ったら東京に行く途中で……都会には良い思い出が無いんだ」
「それは……でも、いまはりつさんもいますし、心配はいらないと言っていましたよ?」
「とにかく、宵歌には帰ってきてもらう。あいつがどこへ行こうともはや関係無いが、宵歌にはうちの旅館を継いでもらわねばならない」
「お父さんったら……」
子供が何かをしたいと望んでも親の保護下にあっては自由はない。
伯父は「2人を迎えに行く準備をしておけ」と言いつけて寝室に行ってしまった。
「……まったくもう。いつまでも自分勝手なんですから」
☆☆☆
さて、夏祭りを一緒に回れないと知ってからの一ノ瀬さんの落ち込みっぷりはひどかった。頭の周りを雨雲が漂っているようなどんより具合は見ていて心苦しいものがあるが、しかし、これは致し方ない事である。
両親の1回忌をきちんと執り行いたいという気持ちはもちろんあるが、それ以上に前向きになれたことを報告したいという気持ちが強かった。向こうに残っていたら切り替えられなかっただろう。1人で都会に出て頑張るしかない状況になって初めて吹っ切る事が出来たというか、悔やんでいる暇がなかったというか。勝手に遺影を持ち出して毎日手を合わせてはいるけれど、やはりキチンとした式は行いたいと思う。
「じゃあさぁ、もうさぁ、あたしも付いて行っていい?」
「なぜ」
いくら付き合っているとはいえ付いてくるのはどうかと思う。
「一ノ瀬さんはダメだよ」
「分かってるけどさぁ……」
8月14日の昼下がり。一ノ瀬さんはもはや同居人と言ってよいほどに家に入り浸っていた。夏休みだから何をやってもいいと思っているのか今日はタンクトップ一枚というとても目のやり場に困る服装であった。僕が困ると知ってわざとこの格好をしているらしい。
「りつ君が意識してるって分かるから嬉しい」
そう言ってゴロゴロするのだから本当に困っている。
課題はほとんど片付いたのになぜ入り浸るのだろうか。
「もしかして、独占欲強い?」
「今気づいたの?」
宵歌に帰る事を伝えられないまま数日が経った。僕はこんな事をしている場合ではないのに一ノ瀬さんが離してくれないのだ。
伯母は荷物をまとめておけというが、向こうへ帰ったら宵歌はそのまま実家に戻るのだろうか。なんだか情報が錯綜していてよく分からない。帰ることを伝えるとともにこれからのことをよく相談しておかなければならない。
というのに、
「帰るといっても僕はこっちに戻ってくるからね? ただ2~3日会えないだけで」
「その数日が辛いの。分かる?」
四つん這いでぐいぐい距離を詰めてくる一ノ瀬さん。服装のせいで胸元に目が行ってしまいそうになる。やめてほしい。
「一ノ瀬さんってそんなキャラだっけ? もっと自分をしっかり持ってる印象だったんだけど」
「……………」
「一ノ瀬さん?」
「りつ君が悪いんだからね!」
がぉ! と歯を剥きだしにして一ノ瀬さんは怒るが、正直こんな事をしている場合ではないと思っている。
「りつ君って気づいたらどこかへ行ってしまいそうな危うさがあるんだもん。だからいつも目を離さないようにしてるの」
「そうかなぁ……」
今日はバイトが早く終わると言っていたからいつまでもゆっくりしてはいられない。
今日こそは宵歌に話さなければならないぞと意気込んだものの、一ノ瀬さんがいるとまた邪魔されかねない。
「とにかく、今度のことは仕方がないんだよ。絶対に帰ってくるから」
「……………」
「一ノ瀬さん。お願いだから」
「………分かった」
何度も頼みこむとようやく納得してくれたのだった。
そのときちょうど呼び鈴が鳴った。
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