第32話


 一方そのころ。といっても僕の部屋のすぐ外なのだけれど、宵歌がマカロンの入った袋を手に持ってドアの陰に立ち尽くしていた。


「宵歌もプレゼント持ってきたけど……さすがに一ノ瀬さんのあとじゃあ渡せないなぁ」


 今日帰りが遅かったのは大宮さんのところでお菓子を作っていたかららしい。小さなリボンのついた紙袋を胸に抱えて「はぁ……」と壁にもたれる宵歌。その袋の中には誕生日プレゼントとして作っていたお菓子が入っているのだけど、僕と一ノ瀬さんが玄関の戸を開け放っていちゃついているのだから部屋に入れず困っているのだった。


「これ、どうしよ。食べちゃおっかな」


 幼馴染が彼女と仲睦まじくしているところを見た居心地の悪さは察するにあまりある。僕だって宵歌が彼氏といちゃついていたら逃げたくなるだろう。不運にも居合わせてしまった事には同情しかない。


 宵歌は袋の中からピンク色のマカロンを取り出すとジッと見つめた。折しも僕が一ノ瀬さんのチョコレートを食べ始めた頃であった。


「むぅ……いいもん。りつにはあげない!」と、宵歌は悔しさに突き動かされてマカロンを口に放り込んでバリバリ噛んだ。


「来年こそは、一ノ瀬さんの誕生日を祝おう」


「……十倍にして返してよね」


「百倍にするさ」


「ふふっ、約束」


「ふん。りつなんて……」


 僕の誕生日はまともに祝ってもらった事が無い。宵歌はそれをずっと気にしていて、コンクールの時期にも関わらずメッセージカードをくれたり、お菓子を買ってくれたりした。落ち着いて祝える初めての誕生日であった。


「りつなんて………」


 本当に申し訳ない事をしたと思う。だけど、僕にも大切にしたい人がいて、その人はこの世にまたとない宝石のような人なのだ。宵歌の想いと僕の想いを同時に叶えることは不可能。宵歌の想いを汲んだうえで僕は一ノ瀬さんを選ぶだろう。こればっかりは本当に申し訳ない事である。


「……………よし」


 宵歌は小さく呟くと戸口に姿を現した。


「ただいま~~~!」


     ☆☆☆


「ただいま~~~!」


 いきなり宵歌が現れたために僕と一ノ瀬さんはギョッとした。見つめ合って気分が昂揚していたせいかキス寸前だった僕達はとつぜん悪い事をしているような気分になってバッと離れる。


「あれ、一ノ瀬さんもいる。綺麗な恰好してどうしたの?」


「どうしたのじゃない! いるならノックくらいしろ!」


「ノックって……ドア開けっ放しだったけど?」


「あ……」


 僕達は顔を見合わせた。どうやら互いのことで精一杯で周りが見えていなかったらしい。


「まさかりつがこうなるとはね~~」


「うるさいな……そもそも宵歌が帰ってくるのが遅いからだな」


「お勉強してたんです~~。お仕事の事知らないといけないでしょ?」


「それはそうだけど……」


 世のバカップルを軽蔑し続けてきたこの僕がなんたる失態であろうか。人前でいちゃいちゃするなかれ。思慮分別をもって付き合う事がマナーだというのに自ら演じてしまったら僕たちもバカップルになってしまうじゃないか。断じて違う。僕と一ノ瀬さんは互いに節度をもってお付き合いしているのだ。


 宵歌は呆れたように肩をすくめるとドアを閉めて部屋の奥へと進んでいった。途中でゴミ箱に何かを捨てたようだけど、それが何かは分からなかった。


「汗かいちゃったからさきにお風呂入るね~」


「あ、うん……」


「わっ、ハンバーグ! 美味しそ~」


 あまり気にしていないようだ。僕は冷やかされるかとドキドキしたのにさっさと自室に戻られると少し胸が空くような気がする。


「なんか、思ったより普通じゃないか……?」


 それは明確な違和感だった。いつもの宵歌なら間違いなく冷やかしてくるのに。


「あれ~? もしかして宵歌お邪魔だった?」とか口に手を当てながらいうはずなのになぜ何も言わないのだろうか?


 一ノ瀬さんも不思議そうに「まぁ、いいんじゃないかな」と呟いた。


 本当に良いのだろうか。


 宵歌の調子がおかしい。なぜか寂しさを覚えた。


「あいつ、何を捨てたんだろう?」


「さぁ……。でも、それよりさ」


「うん?」


 一ノ瀬さんは繋いだ手を見つめていた。


「なんであたしの手を握ってるわけ?」


「それは……逃げ出さないように?」


「……あたし、そんなに情緒不安定?」


 しばらく見つめ合った。


「そんなところも可愛いと思う」と言ったらなぜか怒られてしまった。

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