第21話


「こっちですよ!」と宵歌は比奈埼がエントランスから出てきたのを見て歩き出した。


「このマンションの裏手にカフェがあるんです。穂澄さんのお弟子さんで、管理人の大宮陽菜さんって方なんですけど」


「うん、マスターの一番弟子っていうのは聞いているよ。そっか、この裏だったんだ」


 公園の脇を抜けて古民家を目指す2人。


「比奈埼さんって、大学生ですか?」


「ん、そうだよ。今年から市内の大学に通うことになってね。田舎から越してきたばかりだから戸惑う事も多いんだけど……君みたいに優しい子に会うと安心するね」


「宵歌も最近こっちにきたんです。と言っても、夏休みが終わったら帰っちゃうんですけど」


「そうなんだ。さっきの彼に会うために?」


「……まぁ。あ、でも、彼氏じゃないんですよ! 宵歌とりつは従兄妹なんです。夏休みだけでも一緒に過ごしたいなって思って、お父さんとお母さんに無理言って出てきたんです」


「ふぅん、そうなんだ」


 比奈埼は興味なさげに頷いた。


 なんと宵歌は夏休みの間だけ遊びに来たのである。引っ越してきたというのは何だったのか。こっちの学校に通うなんて嘘までついたのはどうしてなのか。それは宵歌にしか分からない事だけれど、ともかく、夏休みが終われば宵歌は帰ってしまう。


「いいねぇ、自分の事を追いかけてきてくれる従兄妹がいるなんて。彼は幸せ者だ」


「えへへ……本当は帰りたくないんですけどね。お父さんが夏休みだけしか許してくれなくて」


「そりゃあそうだろうさ。親だもの」


「心配してくれているのは分かるけど、ちょっと過保護すぎます」


「私はそういうのが嫌で田舎を出たんだけどね。正直、出てきてよかったと思っているよ」


 宵歌は比奈埼を振り返って「一人暮らしって、楽しいですか?」と訊いた。


「一人暮らしも楽しいけど、バイトはもっと楽しいね。自分の力で生きてる! って気がするから」


「…………いいなぁ」


「夏休みの間だけなんでしょ? 彼と一緒に過ごした方がいいんじゃない? バイトなんかしなくたってさ」


 そんな話をしながら2人は大宮さん宅を訪れた。宵歌は庭の奥に回り込んで、


「管理人さ~~ん、いませんか~~~?」と、声をかける。


 比奈埼は「あれ、そっち庭だよ?」と首をかしげた。


「管理人さんはモノづくりが趣味なんです。庭の奥に作業場があって、よくこっちにいるってりつは言ってました」


「ふぅん……?」


「管理人さ~~ん! 宵歌です! いませんか~~~!」


「この時間だし、店があるんでしょ? さすがに放棄したりはしてないと思うんだけど……」


「はいはい! こっちこっち~~~~!」


「あ、いた」


「ほんとにいた……」


 比奈埼は驚いた。


「じゃあ、宵歌はこれで失礼しますね」


「あ、うん。ありがとう。今度お店に来てよ。お礼するから」


「えへへ、ありがとうございます!」


 宵歌はペコリと頭を下げると走り去った。


「素直な良い子だったなぁ。高校時代が懐かしい………と、私も用事を終わらせないと」


     ☆☆☆


 さて、部屋に戻った僕は一ノ瀬さんに連絡をした。『買った物を持って行きたいんだけど今いい?』


 するとすぐにチャイムが鳴って「もらいに来たよ!」と一ノ瀬さんの声。


「ありがと~~。助かった~~」


「何買ったの?」


「えっとね~、マスキングテープとデコペンかな。あとメッセージカードも」


「ふぅん」


 一ノ瀬さんは部屋着に着替えていた。オーバーサイズの白Tシャツにパジャマ兼用のズボン。太もも丈のせいかズボンを履いていないようにも見える。


「りつ君ってプレゼント貰うなら何がいい? 参考までに聞いておきたいんだけど」


「プレゼント……? あー、そうだなぁ」


 困った。僕には欲しい物が無い。必要な物なら自分で買うし、小説も最近はあまり読んでいないし、漫画やゲームの類は詳しくない。小物や便利グッズで欲しいものがあるかと言われたら、どうせすぐに使わなくなるとしか思わない。


「……新しい包丁?」と考えた末に言った。


「主夫みたいな事言う。それじゃこまるのよ」


「なんで?」


「なんでって……明後日が何の日か分からないの?」


 一ノ瀬さんが呆れたように言うけれど、分からない。「りつ君の誕生日じゃなかったっけ?」


「……? たんじょうび……?」


 そんなものが存在するのだろうか。


「とぼけないで。ちゃんと小海先生に訊いてるんだから」


「ああ、そんな日もあったね」


「忘れてたの!?」


 何を驚くことがあろうか。僕の誕生日は8月5日。8月の初週は吹奏楽コンクール県大会の日であることが多いため、毎年誕生日どころではなかったのだ。僕の意識から誕生日という概念が消え去るのは仕方のない事だろう。


「そう言えばまともに祝ってもらった記憶が無いなぁ」


「……大切されてた、んだよね?」


「なんだよ。ケーキはちゃんと食べてるぞ」


 というか、僕が誕生日どころではなかったので気を遣ってもらっていたのだ。一ノ瀬さんが想像しているような事は無いので安心してもらいたい。


「………今年は、めいっぱい祝ってあげるね」


 しかし初めての彼女にめいっぱい祝ってもらえるのは嬉しいので、大人しく頷いておく。


「一ノ瀬さんの誕生日もめいっぱい祝おう」


「あたし5月だけど」


「……今年だけ8月という事にならないかな」


「ならない」


 残念だ。

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