第15話
店に戻る道中で夏祭りのポスターを見かけた。この地区の伝統の祭りらしい。
「あ、もうそんな時期か」
「中旬にあるなんて珍しいね」
「出店がいっぱいあるんだよ。河川敷にいっぱい人が並んでね。ママに浴衣着せてもらって行ったんだ」
一ノ瀬さんは昔を思い出すように語った。聞けば、花火目当てにかなりの人出だそうだ。「最近は着る事も無くなっちゃったなぁ。一人で着れないから」
「着付けをしてくれる店もあるんじゃないの?」
「ママに着せてもらうのが良いの。なんか、特別って感じがするから」
「そういうものか」
僕は夏祭りなぞ興味が無い。人が多いし虫も多いし出店は高い。花火といったって一時楽しいだけではないか。家に帰れば明日には日常が戻ってくる。たった一瞬の楽しみのために苦行に耐えるなんて割に合わないではないか。
雰囲気に呑まれて幸せだと錯覚しているだけで楽しい事など一つも無い。
「夏祭りなんて何が楽しいのか分からないね」
「うわ出た、面倒な陰キャだ」
「だって暑いし高いし歩かなきゃいけないし、面倒な事ばっかりだ。最近は花火の中継とかもやってるしネットでよくない?」
「友達と歩くのがいいのよ。過ごす時間がぜんぶ特別。それって素敵な事じゃない?」
「そういうもんかなぁ」
まず友達と夏祭りに行くことが無かったから一ノ瀬さんの言う感覚は分からない。というか吹奏楽部は部活動の一環でステージに立たされるから、どうしても楽しむイメージが浮かばなかった。
「せっかくの夏祭りを楽しまないなんてもったいないよ。行こ。ぜったい」
「ええ~~?」
そんな会話をしながら歩いた。
一ノ瀬さんはもう夏祭りに行く気満々と見えて、「お祭り用の服買わなきゃ」と服屋を見たりしている。どんな服が良いのかと訊ねると、涼しい服がいいなぁと至極真っ当な答えが返ってきた。
「着物の着付けなら宵歌ができるけど」
「え、本当?」
一ノ瀬さんは驚いたようだ。
「だって白石楼の仕事着が着物なんだもの。ちなみに僕は出来ない。着流しで誤魔化してたから」
白石楼というのは僕と宵歌が小さい頃からお手伝いしていた老舗旅館である。着物は毎日着ていたから着付けは出来て当然。もし一ノ瀬さんが望むのなら宵歌にしてもらおうと思った。
僕は「だから、頼めば浴衣の着付けをしてくれるんじゃないかな」と提案しようとしたけれど、それは邪魔が入ってできなかった。
「あ、いた! どこに行ってたんだよぅ。探したじゃんか~」
「宵歌? もう終わったのか?」
宵歌が人を避けながら駆けてくる。手ぶらのように見えるけれど採寸はちゃんと終わったのだろうか。「請求書の控えとかもらわなかったのか?」
「いや、やめた」
「やめたぁ?」
「だって高いんだもん。お値段聞いてびっくりしちゃった」
「そりゃオーダーメイドは高いだろうけれど……」
「気を遣ってくれたんだよね」
「え?」
一ノ瀬さんが頭を下げる。「ごめんなさい。あたしのために」
「一ノ瀬さん……」
「本当は枕は欲しくなかった。そうでしょう?」
「……………」
「あたしのために時間を作ってくれたんだよね。そのための口実として枕が欲しいなんて言った。宵歌ちゃんのことを誤解していたわ。悪気は無かったのに悪い方に受け取ってしまって、ごめんなさい」
「…………ん、うん」
宵歌は非情に気まずそうだった。彼女は常におちゃらけているので真面目な対応をされると困ってしまうのだ。
「どうしよう」と視線で伝えてくる。どうしようと言われても僕だって困る。
「お前がなんとかしろ」と視線で返すと、「え~~~?」と露骨に顔をしかめた。
「許してくれとは言わないけど、でも、改めてお友達になれないかな」
「え、え~~っと、一ノ瀬さん? とりあえず顔を上げて欲しいな」
一ノ瀬さんは生真面目な性格である。自分に非がある事はきっちり白黒つけておかないとすまないお堅い人であるが、困った事に宵歌は一ノ瀬さんに非があると思っていなかった。
宵歌は宵歌で(やりすぎたなぁ……笑って許してくれないかなぁ)と思っていたので軽く流してもらうつもりだった。一ノ瀬さんに謝られると二重に困るのである。
このままだと互いが謝り続ける水掛け論が始まると察した宵歌は強引に話を纏める事にした。
「宵歌もやり過ぎたし、お互いがね、距離感を間違えたって事だよね、うん」
「それはそうなのだけど……でもやっぱりあたしの方が大人げなかったわ」
「あ、この人強い!」
ダメだった。
「諦めたな……? 一言良いよって言えば解決じゃないか」
「だって、こういうの慣れてないんだもん」
「まったく……」
宵歌はいつでも明るいお調子者ではあるが、こういう真面目な雰囲気にはめっぽう弱いという弱点がある。
一ノ瀬さんの真面目さを突き崩す術を宵歌は持っていなかった。
宵歌は大変困った。
しかし一ノ瀬さんにはまだ考えがあったらしく顔を上げて「本当にごめんね」と謝ってからこう続けた。
「あとは2人に任せるわ。あたしは帰るね」
「え、うそ、なんで?」と、宵歌。
「急用を思い出したから」
そう言い終わるやいなや一ノ瀬さんは駆けて行った。
借りを返すつもりなのだと思う。宵歌が2人きりになる時間をくれたから、今度は自分があげようとしているのだ。
真面目だなぁと思う反面、申し訳ない気もした。
「なんだか、嵐みたいな人だね」
「面白い人だよ。一ノ瀬さんは」
「……真面目すぎるけど、宵歌は好きだよ。ただ……」
「ただ?」
「……んーん、なんでもない」
宵歌は一ノ瀬さんの意図をしっかり汲んでいた。だからこそ、どうしようと困っていた。
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