第14話


 僕が好きだと言うと一ノ瀬さんは居心地が悪そうに押し黙った。


 素直になれない自分が恥ずかしくなったらしい。「ごめん……」と縮こまってしまう。その様子が可哀相に思えたので僕は頭を撫でて「良いよ」と答えた。


 宵歌の事が嫌いなわけではなく、僕たちが仲良さそうにしているのが嫌なのである。(こんなことしてたら嫌われる……)そう思っていても自分を抑えられない弱さが一ノ瀬さんは嫌いだった。


「あたしって子供だね……りつ君に迷惑かけてばっかりだ」


「そんなこと無いよ。一ノ瀬さんはじゅうぶん大人だ」


「ううん、こんなの小さな子供だよ。いやがらせみたいな事をして気を引いてるんだもん。恥ずかしいよ……」


 一ノ瀬さんはもっと大人びた関係を望んでいるらしい。ちょっとしたことで騒いだりせず、落ち着いていて知的なデートが望みらしかった。


 普段の一ノ瀬さんが見せないような一面ばかり見ている。


 自分を抑制できない事が苦しいらしかった。


 それでも僕は一ノ瀬さんが好きだし、もっといろんな一面を見せてほしいと思う。


 自分を責めてほしくなかった。


「そうかなぁ?」と言って、僕は一ノ瀬さんの正面にしゃがんだ。「僕だって一ノ瀬さんが男子と話してるのを見るとモヤモヤするよ。気を引かないとって思うし、話してほしくないなって思う。そういうとき、僕も自分は子供だって思うよ」


「りつ君でも、そう思うの?」


「うん。だから一ノ瀬さんも悩まなくていいよ。いまのままでじゅうぶん素敵なんだもの。これ以上可愛くなったら、困るよ」


 何と言ったら僕の気持ちが伝わるかと考えたが、困る以外の言葉が出てこなかった。


 だって本当に困るんだもの。


 一ノ瀬さんの一挙手一投足に僕の心はかき乱されるのだ。ふとした笑顔にドキッとするし、つまらなそうな素振りを見せられるとたいへん焦る。いまはお互いにドギマギしているからいいものの、これで一ノ瀬さんが主導権を握った日にはどうなることか。自分を抑制する手段を身に着けた一ノ瀬さんが思うがままに僕の心を振り回す。それはたいへん恐ろしい事に思えた。


 一ノ瀬さんが驚いたように目を丸くした。


「あたし、可愛いの?」


「可愛いよ。可愛いし落ち着いていると思う」


「本当に?」


「うん」


「嬉しい……」


 どうやら少しは効果があったらしい。一ノ瀬さんはそう言って目をそらしたが口の端が緩んで幸せそうだった。


 僕が可愛いと言った事がきっかけのようだ。まさかそんな簡単な事でと思う人もいるかもしれないが、君だって恋人にかっこいいとか言われたら嬉しいだろう。


 僕は一ノ瀬さんの手を取って言葉を続けるが、それは蛇足だった。「だからね、そんなに自分を責めないで。いまの一ノ瀬さんは素敵なん――」


「ねえ、りつ君。ストップ。みんな見てるよ」


「ん?」


 僕の言葉を遮って一ノ瀬さんは辺りを見回した。


 そこは吹き抜けになっている広間にベンチが多く設置されている休憩所のような場所だったが、たしかに人の注目を集めているようである。


 僕はたいへん驚いた。


「人前でいちゃいちゃするのはマナー違反だよ。りつ君?」


「それはだって、一ノ瀬さんが落ち込んでるから……」


「あたしのせい?」


 一ノ瀬さんはパッとベンチから立ち上がると手を差し伸べてきた。「ほら、宵歌ちゃんが待ってるよ。早く戻ろ?」


「……………」


「なぁに? あたしの顔に何かついてる?」


「いや、まあ、機嫌が治ったのならなによりだけどさ」


 一ノ瀬さんはすっかり元気になっていた。散々暴れまわったあげく何事も無かったかのようにスッキリしている。さっきまでの悩みはもう吹っ飛んでしまったらしい。女心と秋の空という言葉もあるが、一ノ瀬さんの心はすっかり晴れ渡っていた。


 ただ可愛いと言っただけでこんなに変わるのか? 疑問だったけれど、台風が過ぎ去ったような一ノ瀬さんの様子を見ると、これ以上文句を言うのは野暮に思えた。


「じゃあ、そろそろ戻ろうか」


 僕も立ち上がる。枕の採寸にかかる時間は分からないが、終わった時に店にいないと宵歌にいらぬ心配をかけるだろう。


 歩き出したところへ一ノ瀬さんが後ろから抱き着いてきて、


「嘘。大好きだよ。りつ君っ」


 と、満面の笑みであった。


「すぐ機嫌治すじゃんか」


「だって嬉しかったんだもん」


「なら、いいけど」

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