第13話


 一ノ瀬さんの様子は心細さと余裕を感じさせる相反するものだった。


 あたしにはあなたしかいない。そう深刻に告げる沈んだ顔。しかししなだれかかるような仕草は自分が特別なのだと知覚し認めている素直さだった。


 彼女としての一ノ瀬さんがそこにいた。


 つまりは嫉妬である。


 宵歌の接し方には自分にはない可愛さや魅力があって、一ノ瀬さんにはそれを羨ましいと思ったから情緒が乱されるのだと僕は思う。


 隣の芝生は青く見えるとはよく言ったもので、一ノ瀬さんはとても魅力的なのに、それを捨ててでも宵歌の魅力を欲しているのだから困ったものだ。


 僕達はベンチを見つけたので座って休憩する事にした。


 僕は語り手としての都合上、一ノ瀬さんや宵歌の心情描写も担っているが物語中の僕は神の視点なぞ持っていないので彼女たちの心の内に気づけるわけがない。


 僕は(この前は仲が良かったのになぁ……)と悲しく思った。


「喉が渇いたからジュースを買ってきたけど、一ノ瀬さんはこれでよかった?」


 りんごジュースを渡すと一ノ瀬さんは「ありがと」と受け取った。


「宵歌はさ、悪気があってやってるわけじゃないんだ」


「ん……?」


「おちょくるし煽ってくるし、嫌がると分かってることをあえてやったりもするけど、全部楽しくてやってるだけなんだ。あいつなりのコミュニケーションというか甘え方というか、なんと言えばいいのかな」


「………………」


「仲が良いと思ってるやつにしかやらないという事は理解しておいてほしい。みんな仲良くできると思ってる子供みたいなヤツなんだよ、宵歌は」


「……ふぅん、よく知ってるんだ」


 ぽつりと一ノ瀬さんが呟いた。嫉妬を通り越して諦めの境地に達しているような素っ気ない態度だった。


「幼馴染だし、一緒に暮らしてたからなんとなくね」


「……幼馴染、かぁ」


 太ももの上に頬杖をついてため息をついた。


 僕は一ノ瀬さんと宵歌に仲良くして欲しいと思っている。宵歌は煽り過ぎだし一ノ瀬さんは気にしすぎていると思う。2人がもう少し歩み寄ってくれればすぐに打ち解けられると思うのだけど、どうして上手くいかないのだろうか。


「意外といいヤツだぞ?」


「良い子なのは分かってるんだけどね……」


 頬杖をついたまま一ノ瀬さんは僕を見上げて「ちょっと距離が近すぎるんじゃない?」と不満そうだった。


「そんなにかなぁ。いつも通りだと思うけど」


「近いよ。離れて」


「気を付けるよ」


 僕はそう答えたけれど、やっぱり宵歌の良い所は知って欲しいと思う。僕にとって彼女は一ノ瀬さんで、宵歌は幼馴染以上でも以下でもない。あくまで深い仲の友人として宵歌の長所をプレゼンしようという気持ちを一ノ瀬さんなら理解してくれると思った。「でも、宵歌はそんな事を意識してないと思うよ」


「……そんなこと?」


「あいつは男女関係なくあんな感じだよ。距離が近いのは良い事だと思ってるんだ」


「あたしが気にしすぎだって言いたいの?」


「え?」


「あたしがずっとイライラしてるから面倒くさいんだよね。宵歌ちゃんは明るくて元気だけどあたしが機嫌悪いから居心地が良くないんだよね」


 一ノ瀬さんが突然怒り出した。その理由は読者諸賢ならお察しかと思う。宵歌の事を話し過ぎたのだ。


 1日ずっと我慢していた気持ちが溢れてしまったのだ。


「あたしが宵歌ちゃんだったらよかったね。だってりつ君は元気な子の方が好きなんだもんね」


「えと、一ノ瀬さん?」


「はいはいどうせあたしは面倒くさいですよ。自分勝手ですぐに怒る嫌な女ですよ!」


 人間は深い仲になるほど感情をあらわにするものだ。男も女も弱みを見せるのは家族や恋人のみ。怒りや悲しみを見せるのは信頼しているからこそで、浅い関係の友人には容易く隠せる激情も、恋人に隠す事は至難の業である。


 まあ、そんなことは第三者視点から冷静に見た時に言える事であって、当事者たる僕は大変困惑した。


「どうしたの落ち着いて」


「落ち着いて? あたしはじゅうぶん落ち着いてますけど?」


「落ち着いていないよ。ねえ、一ノ瀬さん話を聞いて」


「また宵歌ちゃんが可愛いって話? そんなら聞き飽きたわ。もうけっこうよ!」


「違うよ!」


 こんな経験が無いからどうしたら良いのか分からない。何を言っても聞き入れてもらえそうにない。


 でも、気持ちは言葉にしないと分かってもらえないものだと僕は思う。お互いに気持ちが通じ合っている関係なんて存在しない。両想いであっても伝えないと分かってもらえない気持ちもある。


 好きだという気持ちは一度伝えたら終わりではなく、伝え続ける事が大切なのだと僕は思うのだ。


「僕が一番好きなのは一ノ瀬さんだよ。それは変わらない」


 僕は一ノ瀬さんの手を取って言った。


「……………」


「宵歌は幼馴染だし一緒に過ごした時間も長いよ。でも、それを上回るくらい一ノ瀬さんと過ごした時間が僕には大切だった。これからもっと増やしていきたいと思うよ。一ノ瀬さんには一ノ瀬さんの良い所があるし、それは一ノ瀬さんだけの特別なものだ。一ノ瀬さんらしく笑っていてくれれば、僕はそれだけでいいよ」


「……………」


 一ノ瀬さんは頬を赤らめて俯いた。


「好きだよ、一ノ瀬さん」と言うと、


「んむぅ………」と、もじもじした。

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