第12話


 一ノ瀬さんは悶々としていた。それというのも……


「宵歌、人酔いは治ったか?」


「宵歌、こんな柄はどうだろうか」


「宵歌、宵歌……」


 と、こんな具合で僕が宵歌にばかり話しかけるからつまらないのだ。


「りつ君、あたしはこういうのが良いと思うけど」


「そうか。宵歌はどう思う?」


「もう!」


 駅を出てデパートを見て回っている間も僕は宵歌を心配していた。だって体調不良の人間を気遣うのは当然だし、一ノ瀬さんは元気なのだ。そこに彼女も友達もない。というかそもそも宵歌の買い物だ。だから僕は宵歌を優先しているのだけど、そこがなお気に喰わないらしい。


「あたしの事も気遣ってよ、ねぇ!」


「気遣ってるよ。宵歌の介抱をしてくれているのだから当然だよ」


「だったらあたしも選びたいー!」


 一ノ瀬さんは自分が一番じゃないことに苛立っていた。


 彼女は自分なのにあっちばかり気にして放置されてる。僕の一挙手一投足に過敏に反応して、常に一番じゃないと気が済まないのだった。


 誤解なきように言っておくけれど一ノ瀬さんをなおざりにしているわけではない。


 一ノ瀬さんに歩幅を合わせ、少しでも疲れた顔をしたら休憩しようと申し出て、「あたしも欲しいものがある」と言えば買い物に付き合った。


 おかげで僕の両手は2人分の買い物袋で埋まっているのだが、一ノ瀬さんが求めている『一番』はそうではないらしい。


「宵歌宵歌ってさっきから宵歌ちゃんばっかり。あたしもここにいるんだけど?」とぶつぶつ言う。


 一ノ瀬さんは自分でも面倒くさいと思っていたが止める事が出来なかった。


 女性の心理は同じ女性の方が気づくもの。宵歌が「枕を見たい」と言い出した。


「枕?」


「そう。りつの枕が高いし硬いしで合わないんだよね」


「あ、そう。じゃあ見に行くか?」


「うん!」


 という事で睡眠グッズを取り扱う店に行く。


 宵歌には考えがあった。その店はオーダーメイドで枕を作ってくれる店で、宵歌は採寸をしてもらっている間に僕達を2人きりにさせようと考えたのだ。


「じゃ、宵歌はこっちだから」


 そう言って店の奥に引っ込んでいった。


 宵歌は一ノ瀬さんの不満の原因になっている事が辛かった。彼女は僕と同じくらい一ノ瀬さんの事が好きだった。良い友達になれると思っていた。


(これで少しでも機嫌を治してくれるといいけど……)


 そう思いながら示されたベッドに寝転がり、宵歌は欲しくも無い枕の採寸をお願いした。


     ☆☆☆


 宵歌がいなくなって2人きりになったけれど一ノ瀬さんは元気にならなかった。


「りつ君……どうしよう。あたしどんどん嫌なヤツになってる……」


「どうしたの」


「宵歌ちゃんに気を遣わせちゃった。こんなつもりじゃなかったのに」


 どうやら宵歌の気遣いに気づいていたようである。一ノ瀬さんにとって宵歌がどういう存在なのかは分からない。しかし仲良くなりたいという思いはあるのか、恋人として一線を引かれたことに罪悪感を抱いたようだ。


 友情と恋情に板挟みになっているのである。


 一ノ瀬さんの望んだ関係はこうだった。


 僕は一ノ瀬さんを一番大切にし、一ノ瀬さんは終始僕にベッタリ。そこへ宵歌がフレーバーのごとく隣にいる。宵歌と僕の間に会話以外のコミュニケーションは無く、ボディタッチも無し。しかし幼馴染としての関係は壊さないままで、いつもの僕らの間に一ノ瀬さんがすっと収まる。それが望みであった。


 とても難しい事を要求すると思う。要するに僕と宵歌がイチャイチャしているのが嫌なのである。


 他の異性と仲良くして欲しくないという至極当然の悩みではあるが、それが簡単にできれば苦労はしない。


 例えばこれが普通の友達同士だったとしよう。僕と宵歌は幼馴染ではなく普通の友達。昔の事を知らないし、阿吽の呼吸で通じ合ったりもしていない。それでも一ノ瀬さんの望みは達成されないと僕は考える。


 第二次性徴を迎えた男子のチョロさを舐めないでいただきたい。


 男は毎日一目惚れをする生き物だ。歳をくってもそうなのだから、思春期真っ只中の男子なぞは数秒ごとに恋をしているといっても過言ではない。


 あの子と目が合った。普段は話しかけてこないのに急に話しかけてきた。なぜか自分にだけ感じが良い気がする。それだけで恋に落ちるのである。


 友情が恋情に変わるのは一瞬だ。体が触れあえばそれだけで恋が始まる。


 だからこそ一ノ瀬さんは宵歌に僕を盗られないかとやきもきするし、苛々もする。


 僕は簡単に恋に落ちてしまう男子高校生であり、なおかつ一ノ瀬さんは自身の恋情もある。その2つに悩まされる苦労は推して知るべし。


 しかし長々と語っておきながら、僕は鈍感系主人公なので一ノ瀬さんの心にはまったく気づかずにこう言ってしまった。


「宵歌がそこまで考えるかなぁ。アイツはああ見えてがさつなヤツだけど」


 一ノ瀬さんはこの言葉に僕と宵歌の過ごした時間の長さを見出し、自分には手の届かない領域があるのだと悟った。


「……そうなんだ」


「しかし宵歌が採寸している間は暇だなぁ。一ノ瀬さんは寄りたいところとかある?」


「……あたしは大丈夫」


 一ノ瀬さんは素直に負けを認めた。過ごした時間で勝負されたらどうやっても勝てない。


 恋敵として認めなければならない。時間は宵歌が築き上げたものであり、その領域に自分が入り込む余地はないと。


 しかし僕は一ノ瀬さんが見落としている重要な点がある事を強調しておきたい。


 一ノ瀬さんはちゃんと彼女であった。


「そっか。でも、歩きっぱなしで疲れただろう? どっかで休憩しよう」


「うん、行こ」


 僕は一ノ瀬さんの手を取る。すると一ノ瀬さんは自然な様子で腕を絡めてきた。


「ねえりつ君」


「うん?」


「あたし、りつ君の彼女でいいのかなぁ」


「急にどうしたの。彼女でいて欲しいよ」


「でも、あたしなんて魅力無いよ。付き合ったのだってつい最近だし……」


「宵歌がうらやましくなった?」


「うん………」


 一ノ瀬さんは腕を抱きしめるように肩に頬を乗せた。「宵歌ちゃんに謝らないとなぁ」


 ちょっと前の一ノ瀬さんならもっと焦っていたであろう。しかしいまの一ノ瀬さんは余裕があった。


 本妻のような奥ゆかしさと余裕を感じさせる深いため息。


 思わずドキッとしてしまうくらい、一ノ瀬さんの吐息は妖艶だった。

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