第6話


 朝起きて両親に挨拶するのが日課になった。両親の遺影の前に手を合わせ「おはよう」を言える。そのゆとり。仏壇の水を毎日取り換える事ができる人生とは何と素晴らしいことか。これで同棲してるのが一ノ瀬さんだったら良かったのだけど、宵歌と暮らす事が援助の条件なのだから致し方ない。


「あいつ……まだ寝てるな? もうすぐご飯ができるというのに」


 僕は私室の方を見てため息をつく。そこは昨日までは僕の部屋だったけれど、今日からは宵歌が使う事になっていた。我が家でプライバシーが守られている場所が僕の部屋しかないからである。


 朝食はみそ汁とだし巻き卵。女子の寝ているところに突入する勇気など到底持っていないので料理の匂いで起きてこないかなぁと思いながら机に並べていくが、起きてこない。


「宵歌~~~。ご飯できたぞ~~~~」


 ドアを叩く。


「宵歌~~~? 起きてこないと冷めるぞ~~~~」


 ドンドンドン。ドンドンドン。しかしダメである。


「仕方がない……入るぞ~~~」


 がちゃっとドアを開けると、ベッドの上で大の字に寝ている宵歌が見えた。薄手の白シャツにホットパンツという恰好。シャツの裾がめくれておへそが覗いている。白いお腹が朝日に照らされて眩しく輝いていた。枕に足を乗せているのを見てためをついた。


 寝相が悪い事は知っているけれど、ベッドの上で180度回転するほどとは思わなかった……。


「おい、こら。朝だぞ」


 ぺちぺちと頬を叩きながら声をかける。と、「んぅ……」と眠そうに目を擦りながら宵歌はベッドに座り込んだ。


「いまなんじぃ?」


 目がほとんど開いていない。


「7時」


「はやいよぉ………」


 寝ぼけているせいか声が高いうえに舌ったらずである。僕は不覚にも可愛いと思ってしまったが、しかしこれが一ノ瀬さんだったらもっと可愛かっただろう。


「早くない。今日は色々買いそろえなければいけないんだから、寝ぼけてないで早く起きろ」心を鬼にして腕を引っ張るが、宵歌はやだやだと子供みたいに首を振る。あたかもベッドにへばりついた柏餅である。僕は大変手を焼いたが、しかし力をこめれば込めるほど宵歌は意地になって、


「や~だ~~~、ねえさんも一緒にねよぉ?」とついに懐柔にかかった。


「は?」


「ほら、ぎゅ~~~~」


「うわ、抱きつくなよ!」


 おそらく実家にいると勘違いしているのだろう。僕のことを小海さんだと思い込んでいるのか、普段よりも気の抜けた様子で「うりゃ〜〜〜妹アタック〜〜」などと、ふにゃふにゃ声で抱き着いてくる。


 僕は驚いた。


「おい、宵歌、僕だ! りつだ!」


「ん~~~、怒らないでよ姉さん~~~~」


「だから小海さんじゃない!」


「ん、んん?」


 宵歌がパチリと目を開ける。しっかり目が合って数秒見つめ合う。


「ぎゃーーーーーー! なんでりつがいるの!?」


「僕の家だからだ!」


「そうだったーーーー!」


 バッと布団に潜り込んで丸くなる宵歌。


 朝から騒がしいと思う。宵歌は昔からオンオフが激しいタイプで気を抜いている時はとことんボンヤリしている。小海家にお世話になっている時も何度か遭遇しているが、そのたびに僕は驚かされている。


 寝起きはその度合いが特にひどく、今みたいに抱きついてくることもしばしばあった。


 これだから宵歌を起こしにいくのは嫌だったのに。


「見られた見られた見られた見られた恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい」


 バタバタと両足をばたつかせて悶絶しているけれど、ベッドのスプリングが痛むからやめて欲しいと思う。


 猫のように丸まっているせいか水色の掛布団がバサバサ暴れてスライムがあらぶっているようにしか見えない。


 これが一ノ瀬さんだったらどれだけ可愛らしい事か。


 僕はきっと「あぅ……恥ずかしい」と赤面する一ノ瀬さんの背中を撫でながら「可愛かったよ」などと背筋も凍るような事を囁くに違いない。


 しかし宵歌となれば話は別だ。幼馴染であり従妹である彼女なら遠慮する必要はない。掛布団を引っぺがし、「やだやだ」と顔を真っ赤にする宵歌を叩き起こした。


「いいから起きろ!」


「おにーーー! あくまーーーーー!」


「なんとでも言え。朝ご飯が冷めるぞ」


「…………ぶぅ、女子の寝込みを襲っといておうぼうだーー!」


「起きないお前が悪いんだ!」


 僕はドアを閉めて宵歌を置き去りにした。部屋の中からぶつぶついう声が聞こえてくる。パカッと何かを開ける音がして、布製の何かを取り出すパサッという音。


 毎朝これを繰り返すことになるのかと思うとため息がでるようだ。


 はやいところ一ノ瀬さんに相談して、変な誤解やトラブルを避けなければならない。


 宵歌が来たことは僕の問題であり一ノ瀬さんには何ら関係ない事。幼馴染の女の子と一つ屋根の下で暮らしているなんて知られたら絶交間違いなしであろう。


「……はぁ。とりあえず今日は目覚まし時計を買うか」


 転ばぬ先の杖。回避できるトラブルは対策しておこうと心に決めて、僕は朝食の席に着いた。


 宵歌と向かい合って「いただきます」をする。


 ほどなくして、玄関のチャイムが鳴った。

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