第5話


 大宮陽菜さんは自他ともに認める世捨て人である。それというのも親からマンションを受け継ぎカフェの経営も順調であるからあえて労働に専念する理由が無い。DIYで家財道具を作ってはフリマアプリで売り、作っては売り、毎日を気ままに過ごしているだけでお金が勝手に溜まっていく人なのだった。


 根っからのクリエイターである。彼女がカフェを経営するのもモノづくりに勤しむのもすべて人の笑顔のためであって、お金はついでに貰っているに過ぎない。


 もっとも、ついでに貰っているお金だけでマンション経営の収入を超えるのだから恐ろしいと思う。


「よも君はね、うちのカフェをよく手伝ってくれるんだよ」


「へぇ………ここでもバイトを?」


「というよりは暇なときに店番をしてもらってるくらいかな。彼がいるときだけミルクティーが飲めるってんで評判が良いんだよ」


「わ、マジで淹れるようになったの?」


 宵歌が僕を見る。


「だって、道具をくれたから……」


「うん。コーヒーしかないってぼやいてたから道具を買ってあげたんだよね。そうしたらなんかうちの売れ筋になっちゃった」


「へぇ………………」


 僕と宵歌は大宮さんのカフェでコーヒーを頂きながら入居の手続きを進めていた。これから宵歌と一緒に暮らす事になる。そう思うと、なんだか変に意識してしまって書類を確認するのに目が滑る。


 宵歌は宵歌で大宮さんの作品に興味を持っていかれているらしく、「あれも作ったんですか?」「これも?」「それも?」と目を輝かせてしつこく聞いた。


「まぁ、ゴミの分別なんかはよも君が知ってるからいいよね。これが鍵だから無くさないように」


「はぁい!」


「家賃はこれまでどおり払いに来るってことで、うん、話はこれくらいかな」


 大宮さんは大きく背伸びすると「あ~~緊張した~~」と呟いた。


 これで晴れて宵歌が同居人となる。一ノ瀬さんに知られたら大変な事になるであろうが、まあ、宵歌で良かった。2人の仲が良い事が救いであった。


「真面目な話って苦手なんだよね~。私は気ままに好きな事してたいのに」


「そうなんですか? 何でもできそうなのに」


 と宵歌が言う。どうやら大宮さんに興味津々らしい。


 まあ、これだけハイスペックな人だ。


 興味が湧くのも仕方のない事だろう。


「やー、単純に面白くない事が苦手なんだよね。縛られてる感じがしてさ」


「なるほど……」


「んで、2人はこれからどっか行くん? 案内がてらデートとか?」


「あーーー」


 僕は答えあぐねて宵歌の方を見た。「宵歌が疲れてないならスーパーとか教えるけど、どう?」


「……休みたい」


「だよね」


 僕と一ノ瀬さんもほぼ一日がかりで行った。宵歌は当然疲れていると思った。


「まあ、今日はゆっくりしますよ。S県ってけっこう遠いので」


「それがいいね」


 というわけでマンションへと戻る。


 見慣れたエレベーター。歩きなれた通路。いつも通る道に宵歌がいるというのが不思議だった。自分だけだった場所に家族がいる。義理だけれど。一緒に育った人間が新しい日常に足を踏み入れてきたことが新鮮に感じる要因だろうか。


 昔から馴染みの友達と住み慣れて手垢のついたマンション。その2つは種類の異なる『馴染み』であり、同系列として扱う事はできない。誰だって地元の友達と今の友達を区別するだろう。実家と新居を別物として数えるだろう。異なる『馴染み』が邂逅かいこうするとき、人は秘密を暴かれたような気分になるのである。


「へえ、ここにりつが住んでるんだ」


「あんまりはしゃぐなよ?」


「分かってるってぇ。一ノ瀬さんも同じマンションなんだよね?」


「今日は家族で出かけるとかでいないけどね」


 そんな話をしながら部屋に入る。これから自分が暮らす家に宵歌は興味津々で、ドアを開けると「お邪魔します!」と駆けだした。


 僕の部屋はご存知のとおりがらんどうなので、僕もそれは認めているところなので、宵歌のテンションが失墜するのは目に見えていた。


「う、うわぁ……なにこれ……」


 と、案の定渋い顔をした。


「なんだよ。自慢の我が家だぞ」


「こんなの独房だよぉ……」


 僕は麦茶を用意して宵歌の向かい側に座る。宵歌は冷たい麦茶が入ったコップを両手で持って少し飲んだ。


 愛すべき我が家を独房呼ばわりとはひどいものだ。こんな家でも僕は愛着を持っている。扇風機が無いせいで熱いリビング。朝起きれば陽光に埃が舞い家に帰れば「ただいま」の声が虚しく響く。家具が無いからよく響く。


「ねえ、物がなさすぎて落ち着かない」


 宵歌はそわそわと辺りを見回した。


「住めば都と言うだろ」と言いながら僕はお茶を飲んだ。よく冷えた麦茶である。僕の家を訪れる人など早々いないので接待用の茶菓子などあるわけがない。虎の子の麦茶であるのに宵歌は顔をしかめた。


「机、椅子、台所、冷蔵庫、電子レンジ、ドア、ドア、ドア………これのどこが都なの?」


 いま宵歌が列挙したのはリビングから見えるもののすべてである。我が家のリビングにテレビは無い。見る暇がなかったし、ニュースなどはSNSで事足りるから必要がない。台所に冷蔵庫と電子レンジしかないのはまぁ普通であろう。3つのドアは私室と仏間と風呂場等に繋がっている。「あれ、宵歌の部屋は?」と、とうとう宵歌が気づいた。


「僕の部屋を使えばいい」


「じゃありつの部屋は?」


「リビングで寝る」


「えぇ? それはダメだよ……」


「来てしまったものは仕方ないだろ? さ、荷物を動かすぞー」


「疲れてるんだってぇ……」


「いいから。僕の服なんぞは仏間に放り込んどけばいいや。クローゼットは好きに使ってくれ」


「だったら宵歌が仏間を使うーー」


 やだやだとしぶる宵歌を引きずって、僕は私物を移動させていく。これくらいきっちりしておかないと一ノ瀬さんに怒られてしまうから、線はしっかり引いておかねばならない。


 その日は荷解きなどで終わり、ご飯は僕が作った。と言ってもカレーライスだけれど。


「あぅ、白米が硬いよぉ……」


「そこは田舎の方が良かったな」


 宵歌はぷつぷつ文句を言いながらも綺麗に食べた。

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