第4話


 ストレスが頂点を迎えた小海さんには帰ってもらって、僕と宵歌はともにマンションの裏手へ向かった。ブランコとベンチがあるだけの小さな公園を左手に見ながらまっすぐ進むと一軒の古民家が見えてくる。


 そこは管理人の大宮さんがDIYで改装しながら暮らしているリノベーションハウスである。だから意外と外装もオシャレだった。


 昭和くらいに建てられたと思しき2階建民家の壁は白く塗り替えられ、開け放たれた縁側から現代的な吹き抜けが見える。手作り感あふれる木製のスツールが並ぶ庭。1階部分はカフェになっており、コーヒー専門店の看板がこじんまりと立てかけられている。家主の大宮さんはマンションの管理人でありながら趣味でカフェを経営し、暇な時間は自宅を作り替えてばかりいる世捨て人であった。


 宵歌はそれらを見て「はぇ〜〜」と感心したような呆けた声。


「これ、管理人さんが自分で作ったの?」


「らしいよ。古民家を安く買い取って気になるところを作り替えているんだとか」


 あくまで大宮さんが気になるところを改装しているので、バランス窯型の風呂や自室の剥げた土壁なんぞはそのままだった。キッチンへ向かう廊下はきしむし、トイレは昔ながらの豆電球。僕はまず生活環境を整えるべきだと思うのだけど大宮さんは気にならないらしい。


「人間起きて半畳はんじょう寝て一畳いちじょう


 そんなことを言いながら、今日はコーヒー豆を保管する戸棚を作り替えるのだと張り切っている。自分の生活がどんなにみすぼらしくてもやりたいことを優先するのが大宮陽菜ひなさんという人だった。


「やっぱ男の人ってすごいねぇ。宵歌もこういうのしてみたいけど力がないから」


「いや、大宮さんは女性だよ」


「へ?」


「それも20代の若い人」


 生垣を回り込んで庭に足を踏み入れると、綺麗に刈りそろえられた芝生と数脚のスツールが並んでいるのが見える。カフェの利用客がコーヒーをたしなんだり、近所の猫が日向ぼっこをしていたりするが、今日はどちらもいない。


「いつもならこの辺で何か作ってると思うんだけど……あ、いた」


 庭をさらに奥へ行くと小さな物置小屋と作業台が設置されたDIYスペースにつく。ただでさえ狭いスペースが木材で溢れかえり、ギコギコトントンと金槌を打ちノコギリを振るう音が今日も聞こえてくる。


「おぅい、大宮さーーん」


 僕が声をかけると木材の山の中から「はーーい!」という返事がある。


「宵歌を連れてきましたー!」


「あ、この間言ってた子か! ちょっと待ってて!」慌てたように動く黒い塊が見える。急ぐあまりに体をぶつけたらしい。ガッチャンガラガラとものすごい音を立てて木材の山が崩れた「いってぇ!」


「わっ、痛そう……」


 宵歌が顔をしかめた。


「かすり傷なんていつものことだよ。大宮さん自身気にしてないし」


「そうなの?」


「だって、あんなに軽装だぜ?」


「え……ふぇ? り、りつは見ちゃだめ!」


「わ、なにすんだ! やめろ!」


「あんなえっちな格好、りつには刺激が強すぎるって!」


 大宮さんは先に述べた通り自分の生活には何ら興味を抱かない人である。自宅をいじる時もお手製の家具を作る時も怪我なんかいっさい気にせず軽装で行うのだから、見る人が見たらびっくりするだろう。


 初めて見た時は僕もびっくりしたものだ。家賃を納めに行くたびに目にすることになるし、背が高いから目線を上げないと胸元がどうしたって目に入る。何度注意しても「だってこっちのほうが動きやすいから」と一向に聞きやしない。


「はいはいお待たせー」と姿を現した大宮さんは薄手の白シャツに履き古したジーパン。頭にタオルを巻いて汗だくであった。暑い夏の午後である。木材加工には大変な労力を伴うものであり、慣れていても汗がぷつぷつと体を濡らす。薄手の白シャツが透けて水色のブラジャーが見えるのは仕方のないことであった。


 見慣れているから平気だけれど、初めて見た時は本当にびっくりした。


 Cカップくらいの形の良い胸が汗で透けているのだから、純情な乙女たる宵歌がドギマギするのも仕方のないことだ。


「お待たせー。って、なにやってんの?」


「管理人さん! いますぐ着替えてきてください! うちのりつに見せないで!」


「はあ?」


「りつはそういうのが苦手なんです!」


 たしかに僕は女性が苦手である。しかしそれは条件があって大宮さんは当てはまらない。向こうからずけずけやって来る女性は確かに苦手だ。中学時代の事を思い出して身構えてしまう。しかし大宮さんはまったくの無害で、たぶん自分が女性であることを忘れているのだと思う。


 ひどい時には長袖ジャージの中に下着だけを着ているときすらあるのだ。さすがの僕も「馬鹿じゃないの!?」と大きな声をだしたのに、下着を見られてなお「年下の男の子に見られるくらいどうってことない」とあっけらかんとしていた。たぶんこの人には性欲が無いから平気なのだろう。


 むしろ僕の目を隠すために背伸びしている宵歌の方が厄介だった。自身もふくよかな体の持ち主であることを忘れているのか、大宮さんよりも豊満な柔らかいものをベッタリとくっつけておいてなにを言うのだろう。


「そうらしいねー。ってことは君が宵歌ちゃん? かわいいねー」


「かわいいねーじゃなくて、早く着替えてきてください!」


「でも、いま顔を真っ赤にしてるのは宵歌ちゃんが原因だと思うなぁ……」


「それは無いです!」


 宵歌が逆ギレした。けれど、君のせいだ。



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