亡メディア論

和田ひろぴー

第1話

 いつものように動画を撮って編集していた鋭(とし)の所に、友人の仁(じん)がやって来た、。

「よう。これ、見た?。」

ラップトップの小さなカメラで撮影していた鋭は、白い壁をバックにしていたが、

「ん?、何?、それ。」

と、仁が持っている雑誌らしきものを見た。

「これ、今をときめく芸人さんの、ハーレム状態な記事が載っててな。」

仁は目を輝かせながら、雑誌を数ページ開いて鋭に見せた。チラッと見えた見出しでは、地上波をほぼ独占状態で活躍しているタレントが、後輩に女性を集めさせて、夜な夜な高級ホテルで合コンを行い、その後、女性達といい感じになったのかと思いきや、体の関係を強要された云々で、雑誌社にネタをたれ込まれたというものであった。

「ふーん。まあ、モテたいから芸人さんになったんだろうし、面白くて人気もあったから、女性達も集まったんだろ。そんなことを、何でわざわざ、雑誌で取り上げる必要があるんだ?。」

鋭は関心度の低さを露骨に表した。

「そりゃ、人気者のスキャンダルを記事にしたら、雑誌が売れるからだろ。決まってんじゃん。」

鋭の疑問が如何に世間ずれしているかを指摘するように、仁は雑誌のページを大きく開いて答えた。

撮影を終えた鋭は、ラップトップを元のデスクに置くと、その記事について検索を始めた。

「ふーん。年明け早々、災害で大変だっていうのに、こんな下世話な話題の方が圧倒的に上がってるな。」

仁の持って来た雑誌には目もくれなかったが、検索記事に出て来る内容には、鋭は簡単に目を通した。

「それにしてもさ、彼が地上波からいなくなったら、テレビ局をはじめ、スポンサーも困るだろうなー。」

仁は件のタレントが如何に影響力の大きな存在になっていたかを、あらためて鋭に説明しようとした。しかし、

「まあ、問題視されるのは、まずはそこだろうな。」

と、鋭は少し違った視点で、この話題を捉えているようだった。

「そりゃ、莫大な金が動いてたんだろうから、そんな稼ぎ頭がスキャンダルを起こしたら、番組には使えないし、番組を提供してるスポンサーもイメージを気にして、下りるだろうしなあ・・。で、オマエはそれ以外に、何を問題視してるの?。」

仁は鋭が注視している部分についてたずねた。

「そりゃ、やっぱり、お笑いのパイオニア的存在って面かな。」

「というと?。」

「うん。既存のお笑いって、いわば伝統芸能から端を発して、伝承芸だったのが、TVの登場によって、舞台じゃ無く、画面に収まるタレント性が求められるようになった。その段階で、古風なスタイルと斬新なものとの間に淘汰が生じた。」

鋭は日頃から配信している動画で、古今の芸能や文化論的なことを、その日その日に手も直に語り続けていた。しかし、それは話術の妙や、大衆が如何にその芸人やタレントを関心を持って受け入れているかに焦点を当てた分析が中心であり、スキャンダル的な要素は、極力排除してはいた。鋭は続けた。

「そんな、定型の話芸がTVタレントの登場によって、アドリブが中心のお笑いに変わっていって、ブームも起こったけど、その都度、飽きられるって現象が起こって、局の側は鮮度を求めて、新たなタレントを探すってスタイルが確立されてた。ま、芸人さんの使い捨て時代とでもいうか。そんな中で、件のタレントさんって、既存の話芸というか、そういうスタイルを絶妙な形で壊していって、結果、一人勝ちの様相になってたと。それ故に、各局は挙って彼を使おうと必死になってた。それほどの才能というか逸材だけど、やっぱ、性欲には勝てないってところなのかもな。」

検索を進めるうちに、鋭はこの話題に関する、現時点での大方の意見がほぼ一方向に傾いていると感じていた。暫し鋭の話を聞いていた仁だったが、

「これ、この先、どうなるのかな?。」

と、何気に鋭にたずねた。彼の中にも、記事で活字にされたとはいえ、確証を得ていなかったからだった。

「うーん、法的なことには全然明るくないけど、もし、記事内容の真偽を名誉毀損って形で争うのなら、泥仕合・・かな。」

「泥仕合?。」

「だって、合コンは複数人数で、しかも、公な場所で行われたらしいから、その部分の証拠はいくらでもあるだろうな。でも、一旦、それぞれのペアというか、部屋に分かれていってからの言動は、録音や録画でも無い限り、確認のしようは無いだろうな。」

鋭の解析に、仁は持っていた雑誌を見ながら、

「じゃあ、どうやってこの記事の内容の真偽を確かめるの?。」

と、鋭に食い下がるようにたずねた。

「さあな。ま、せいぜい、出版社の側がインタビューを元に、状況証拠を積み上げつつ、外堀を埋めてくのかな。」

「でも、それって、場合によっちゃあ、嘘かも知れないのに、先に記事にして販売してるってことなんじゃ無いの?。」

鋭が冷静に解説すればするほど、仁は自身が記事の内容に踊らされていたことを恥ずかしく感じ始めた。


「はは。それがゴシップ雑誌の存在意義だろ?。彼らは真偽の程は、万一訴えられた場合の保険ぐらいにしか思って無いのかもな。で、結局は、話題性と、その雑誌の売り上げが立てば、それでいいんじゃ無いのかな。」

「え。でも、それって、人の不幸を飯の種にしてるというか、随分と下世話な話だなあ・・。」

仁は自身が興奮気味になっていた話題に対して、些か嫌悪さえ感じ始めた。すると、

「そうだよ。下世話だよ。だから、記事になってる訳だし、結果、売れる。そういう商行為が認められてる以上、別に問題は無いんじゃないかな。」

鋭はあくまでも冷静に、状況に対してコメントした。そのことを、未だ腑に落ちないといった表情で、仁は閉じた雑誌の表紙を眺めていた。そして、

「なあ。オマエ、件のタレントさんについて、革命児みたいにいってたよな?。それって、大方の人達も、そんな風に思ってるのかな?。」

と、何か思いついたようにたずねた。

「そりゃ、まあ、そうだろうな。世の中が大騒ぎするぐらいだから、オレ一人が面白いって認識してる訳じゃ無いのも明らかだろ?。」

「ということは、そんな彼が、仮に事実無根で、この件を境にメディアから葬られるってことになったら、ちょっとした社会問題が起きないかな?。」

「社会問題?。」

「うん。お気に入りのタレントが、妙ないいがかりで、TVから姿を消す。しかも、その原因になる部分は曖昧。そして何より、そんなネタ元となった雑誌社は、裁判費用こそ払う可能性はあるかもだけど、結果、一人で大儲け。そんなの、大衆が許すというか、捨て置くかな?。」

仁は自身を踊らせた記事の発売元に、今度は恨み節のような話を始めた。しかし、そんな風に仁が短絡的な発想を口にすると、決まって冷静かつ客観的な私見を述べる鋭ではあったが、

「うーん、実は、オレもその点については、同じ意見かもなあ・・。」

と、何気に仁と同調するような発言を始めた。

「オレは別に、自分が聖人とか、正しさの基準を持っているとか、そんな風には全然思っていない。」

「うん。それは常々、オマエが動画の中でもいってるもんな。」

「そう。と、同時に、世の中の人達に対しても、高い水準でモラルとかそういうものも求めてはいない。寧ろ、そんなハードルを設定する側に対して、問題を感じるぐらいだからな。」

「うん。だよな。」

「で、今回の記事というか、この話題については、問題点が幾つか複雑に絡み合ってる。一つは、件のタレントさんが、本当にそういう相手を不快にさせる行為を行ったかどうか。もしそうなら、行為自体がアウトだ。で、次に、その行為が本当に存在したのかどうか。これはさっきもいったように、証明のしようが無い。ま、当事者間で折り合いが付かなければ、最終的には法的判断ってことにはなるだろうけど、現時点で、問題点は、そこじゃ無い。つまり、オレ達が違和感を抱いたのは・・、」

「雑誌社。」

「雑誌社。」

鋭は話の流れの中で、そして、仁は鋭の話を遮る形で、期せずして同じ言葉を発した。

「オレは、あれほどの才能が、こんな件で消え去ってしまう事への危惧ってのが大きいかな。それは、彼の出演を取りやめざるを得ない局やスポンサーの側も、いわば同意見なのかもな。」

鋭は、昨今声高に叫ばれるコンプライアンスというものの弊害の一つとして、この件を論じていた。

「オレは、そんなことで利益を得ることの是非が、ぼちぼち問われ出すんじゃ無いかなって。その点かな。」

仁は鋭のいう、才能の消失を憂える大衆が、このような形で、世に楽しいものを提供する人物を葬る事への、ある種、怒りのようなものを延べようとしていた。

「で、オマエのいう、是非が問われるって、どんな風に?。」

今度は、鋭が仁が抱いているシミュレーションについてたずねた。

「そりゃ、人の嫌がることで利益を得てるって点だろ。暴露されたことに対して、全くいかがわしい点が無い訳ではなくっても、その部分を、倫理に悖るって糾弾するんだったら、そのことで利益を得ちゃ駄目だよな。で、もし、その点に関して、同じ意見というか、沸点みたいなものが拡散していって、糾弾内容はモラルが問われても、糾弾行為によっ手利益を得ることへの反感が高まれば、場合によっては、そういう取材や出版行為というか、そういうものに携わっている人達の存在が脅かされはしないのかなって。」

眉間に皺を寄せながら、仁は話し終えると黙り込んだ。それを聞いた鋭も、背もたれにもたれながら頭の後ろで腕を組んだ。そして、天井を見つめながら、

「そこなんだよなー。オレもどっちかというと、オマエと同意見なんだけど、でも、一方じゃ、世はゴシップを渇望してるってのもあるじゃん?。」

「ああ。あるよな。」

「だったら、その部分については、攻める声は高まらないのかもなって。そういうのを締め上げていったら、ゴシップ記事がなりを潜めて、場合によっちゃ、言論統制みたくなっちゃうからな・・。」

鋭はそういうと、立ち上がった。そして、キッチンの方にいくと、冷蔵庫からジュースを取りだして、コップに二人分注いだ。


 その後も二人は件の報道について議論を交わした。そして、仁が帰った後、鋭は再びラップトップを開いて撮影の準備を始めると、先ほどの議論について、私見を述べるべく、撮影を始めた。タイトルは、

「許されざるべきは、一体難なのか。」

であった。男女による当事者間のトラブルが、その二人を超えて議論が噛み合わない場合、第三者による仲裁、つまり、法的判断が問題点の線引きとなる。そして、その当事者が社会的影響力のある人物であればあるほど、そこに関わる人間が少なからず存在する。当然、様々な思惑が交錯し、莫大な金の絡む自体にもなる。今回の報道が、正にそれである。そして、そのようなトラブルに対して、常に公正な判断を行っているような顔をしているのが、現在の地上波、つまり、局という事になる。鋭はそのような論旨で動画の中で、思いの丈を語った。そして、その動画を配信して数日後、

「会って話が出来ないですか?。」

というコメントが、その動画に付いた。今まで、ごく僅かな登録者しか見ていない動画に、そのようなコメントが付くことなど全く無かった。鋭は驚いた。何より、何処の誰かも全く解らない上に、自身の語る内容は、場合によっては何らかの立場の者にとっては不快に聞こえてもおかしくは無かったからだった。

「うーん、何か、仕返し的なことかなあ・・。」

当然、匿名性が普通なネットの時代。簡単に会う約束をすることは、当然、危惧された。しかし、

「解りました。此方のメールアドレスは以下の通りです。」

と、鋭は書き込んできた相手に、自身のメアドを伝えた。もしそれで連絡をしたからといって、危険だと判断した時点で断るなり、ばっくれてもいいだろうと、鋭は考えた。しかし、

「ご連絡、有り難う御座います。此方のメールアドレスもお伝えしておきます。」

と、先方からも丁寧な文面で連絡が届いた。結局、鋭はその人物と落ち合うことになった。

 三日後、鋭は繁華街にある、とある喫茶店で、書き込んできた相手と会うことになった。相手は動画で鋭の顔を見ているが、鋭は相手の顔も素性も知らない。結局、自身が待っている所に、顔を見て声をかけてもらうより他、方法は無かった。恐らく先に着いたであろう鋭は、喫茶店の戸を潜ると、一番奥にある席に座って、紅茶を注文しつつ、相手が声を掛けてくるのを待った。一見、落ち着いた様子ではあったが、それはただ、そんな風に装っているだけだった。そして、紅茶を飲みながら待つこと十数分、

「あの、鋭さんですよね?。」

と、声を掛けてくる男性があった。

「あ、はい。」

「お待たせしてすみません。ワタシ、例の書き込みをした者です。」

と、その男性は自ら名乗りを上げた。ガッシリとした体格に鋭い眼光。頬には何か鋭い刃物で切られたであろう古傷があった。髪は白髪で、眉間には深い皺が刻まれていた。

「此処、いいですか?。」

「あ、はい。どうぞ。」

男性は向かいに座る了解を得ると、静かに腰を下ろした。そして、ウェイターにコーヒーを注文すると、静かに語り出した。

「すみません。級にお呼び立てして。アナタの動画を時折拝見しているものです。」

「そうですか。どうも有り難う御座います。」

「早速ですが、実はワタシ、今でこそ全うな仕事をしてますが、かつては人にはいえない家業をしていました。」

男性は、自身の身の上について語り出した。若い頃、地元では手のつけられないような暴れん坊で、その後、都会に出ると、すぐさまその腕を買われて、とある組織の構成員になったとのことだった。

「戦後の闇市世代とは違いますが、時代は高度経済成長で、様々な業界に活気があった時代でした。ワタシは遊興施設のカードマンのような仕事を仰せつかってました。」

「遊興施設?。」

「競馬場や競輪場といった所です。」

「そういう所は、警察が取り締まってたんでは無いんですか?。」

「それは、随分後になってからです。ああいう施設は、公営とはいえ、いわば博打場です。一攫千金を求めて、ならず者も少なからず集まります。そういう所は、かつては警察に代わって、我々が仕切ってました。他の気質の人に迷惑がかからないように、我々が目を光らせるんです。」

「そうなんですか。」

「ええ。そういうことを仕事として依頼され、我々も公的な所から利益を得てました。しかし、時代が進むに従い、我々のような人間と公の機関が癒着していることが問題視され出すと、我々はあっさりと排除されました。まあ、時代の流れといえばそれまでですが、あれだけ危ない橋を渡らせておきながら、世間体が悪くなった途端、知らんふり。義理も人情もあったもんじゃ無いです。」


 男性はそういうと、運ばれてきたコーヒーに何も入れず、口にした。その後も男性の話は続いた。上の者に命令されるがまま、幾つも危険な状況に飛び込んだこと、その結果、何度も懲役を食らったこと。そして、組織の連中が若い世代に入れ替わっていくに連れ、シノギという利益優先の業態になっていったことに嫌気が差し、足を洗ったことなど、長時間に渡って詳しく、かつ具体的に鋭に語った。

「妙な話をお聞かせして、どうもすみません。」

今は足を洗って、以前よりは柔和になったであろう男性の顔は、まだまだ現役さながらと、鋭には映った。あまりに重い内容に、鋭もどう返答していいか、しかも強面な表情。それでも、鋭にはどうしても気になる事があった。

「貴重なお話を、どうも有り難う御座います。ところで、ボクに会ってまで話をしたかったのは、一体何故か、聞いてもいいですか?。」

恐る恐る、鋭は男性にたずねた。

「そうですよね。そう思われるのも無理はありません。実は、最新の動画を拝見しましてね。例のタレントさんが女性とどうのこうの・・ってやつ。あの件に対する、鋭さんの意見に、凄く感銘を受けましてね。」

「感銘・・ですか?。」

「ええ。」

鋭は思いの程を、偽らずに常に語ってはいたが、見る人に感銘を与えるほどの内容を、自身が語っていたかどうか、思い出せなかった。

「我々は、いわば、社会からは嫌われる身の上というか、だからこそ、反社という形容で今も呼ばれてます。そのことについては、自身のやってきたことなので、そういわれても仕方無いというか、まあ、当然のこととして受け止めています。ですが、勝手ないい分に聞こえるかも知れませんが、自分の居場所を、日の当たる所に見つけられず、やむなく流れ着いた者も少なからずいる。そして、力こそ全てといった、間違った価値観で突っ走る自分たちを、ある意味利用していたのも、鋭さんが指摘するように、メディアでした。」

鋭は以前に、様々な芸能関係の事務所が、かつては興業と呼ばれていた頃の名残で、あまり宜しくない関係者が関わっていた構図について、自身の動画で解説していたことがあった。男性は、その回を視聴し、その前後辺りから、鋭の動画に傾倒していったようだった。

「あの、差し支えなければ、メデイァがどんな風にアナタと関わっていたのか、お聞かせ願えますか?。」

鋭は自身が受け伝えで聞いたことを語るのみだった内容を、今は直接の関係者から聞けるかもという期待に満ちていた。しかし、

「すいません。そこは具体的に話すことは出来ません。かつては興行主の関係者に、そのような人物が多かったので、結果的にそうい世界と繋がりをもつ機会は多かったんですが、やはり時代の流れで、メディアの側、特に局が手の平を返したように、我々を排除していきましたね。」

「やはり、イメージを気にして・・ですかね?。」

男性の話を聞いて、鋭なりの推測で質問をしてみたが、男性は苦笑いをしながら、カップを口にした。そして、

「スポンサーと称する連中は、正直、局よりも酷いもんですよ。概ね大企業で、莫大な資金を稼ぐにあたって、我々の力も随分と借りていましたからね。株主総会が荒れそうになったのを、何度助けてやったか、数えたらキリが無い。ま、そんな風に、昔は持ちつ持たれつな関係だったのが、やはり時代の流れというか、結局は我々のみが排除されるという結末になりましたね・・。」

男性は、鋭の想像を遥かに超えた事実を、その鋭い眼光で見てきたのだろう。そして、そんな出来事の殆どを、墓場まで持っていくつもりなのだろうと、鋭はそう思った。すると、

「まあ、ワタシのような人間が、今になって何かいったところで、聞く耳を持ってもらえるとも思ってません。ですが、鋭さん。アナタが指摘した、メディアの掲げる正義というのが、ワタシも解せない。芸能事務所の闇を承知で、タレントを大勢起用していたくせに、その神通力が無くなったと見るや否や、其処のタレント達を使わなくなる。あれだけ世話になっておいて・・です。無論、事務所の側の圧力もあって、起用せざるを得ない面はあったでしょう。ですが、それで利益を得ていたのも事実です。それが、こんな短期間で、かつての自分は自分では無かったかのように振る舞える。それが今のメディアです。」

男性はカップを置くと、眉間に皺を寄せながらも、鋭い眼光では無く、寧ろ失意に満ちた眼で、中空を眺めていた。

「あの、アナタのお話をうかがって、やはり感じるのは、一本気というか、そういう、芯のようなものですかね。ボクもアナタほど強いものでは無いですが、保身のためにコロコロと信念を変えることの出来る人達を見て、違和感を覚えずにはいられません。」

鋭は、男性が何故自身の動画に感銘を受けたのか、少しではあったが、何となく解るような気がした。生き様の濃度は桁違いだが、人間として似ている部分が、共鳴反応を呼び起こしたのだろうと、鋭はそう思った。


 一頻り話した後、鋭は世代の異なるこの男性に、今しか聞けないであろうことをたずねてみた。

「あの、アナタの世代だと、TVは初めからは無かったんですかね?。」

「ええ。うちには無かったですね。金持ちの所にはあったと思いますが。」

「じゃあ、ご自身のを持って、見られるようになったのは、その後になってからですか?。」

鋭の質問に、男性は少し首を傾けながら、

「さっきもいいましたが、我々は、タレントと呼ばれる人達が、TVで活躍するよりも前に、商品として扱われる現場を見て来ました。舞台や画面の中は実に華やかな世界に見えますが、一旦其処から下りるか、あるいはフレームから外れると、途端に興業の匂いで一杯です。確かに、凄い芸を目の当たりにして、痺れる瞬間も少なからずありました。ですが、そういう人物ほど、俗にいうパトロンもいましたしね。つまり、TVの草創期と、サーカス小屋や劇場を取り仕切る興行主の思惑が、完全に一致していた時代に、我々はいました。しかも、最前線に。人間臭くもあり、酷い瞬間でもある。どんなに才能に恵まれていても、興行主のお眼鏡にかなわなければ、表舞台に立つことすら許されなかった。支配関係がハッキリしていた時代です。そういうのを、今の価値観で測って、理不尽や悪と呼ぶのならば、それはその通りなんでしょう。ですが、あの時は、そんな理屈で簡単に片付けられるような時代背景じゃありませんでしたからね。みんな食うために、そして、這い上がるために必死でした。」

男性の言葉は、鋭にはどうしても経験することの出来ない壁のように思えた。時代が進み、鋭は自身が恵まれた世代に属している、そして、そのことが、整いすぎて混沌の魅力とはほど遠いものになってしまっているのだと、そう鋭は感じた。

「じゃあ、ネットはどうです?。アナタの世代なら、失礼ですけど、そんなに見ているとは思わなかった。でも、ボクの動画を見ておられた。その辺りについて、お話をうかがいたいんですが?。」

鋭は、ネットは若者が謳歌するツールだという思いを強く持っていた。それ故、今回のような申し出が、かなり上の世代である目の前の男性からあったことが、やはり不思議だった。

「まあ、TVには幻滅していた世代というか、家業ではありましたからね。ですが、ネットの時代がやって来て、暫くはワタシのような者には、全く関係の無いものと、そう受け止めていました。実際、そうですしね。ですが、かつてはそれなりの機材なり環境が無ければ決して行えなかった撮影や配信が、個々人で、しかも簡単に行えるようになった。しかも、スポンサーやコンプライアンスといった足枷が全く無い状態でです。それは即ち、自由の享受。いい時代が来たんだなと、熟々思いました。自らの思う所を、存分に発信出来る。」

世代は大きく離れていたが、男性が今感じているものを、鋭もまた同じく感じていた。この状況が進めば、縛りのある側、つまりTVはさらに衰退し、縛りの無い側は、さらなる拡大と進化を遂げる。未来の有無は、最早必然だった。

「で、アナタを排除した地上波やメディアの世界に対して、何か思う所はありますか?。恨みというか、そういう感情が。」

鋭は、地上波を基軸としたメディアの終焉について、男性にたずねてみた。

「まあ、関わらなくもなったし、ワタシ自身、良からぬ世界から足も洗った。故に、彼らに対する遺恨のようなものは、もう遠い昔です。ですが、鋭さんがいわれたように、彼らだけが裁きを行い、そして、正義の実行者だという欺瞞は、何らかの悲劇を呼び込む可能性に繋がるのかも知れない。そんな風にワタシは思いますね。ワタシがかつて住んでいた世界もそうですが、正義を声高に唱えた瞬間、そいつは間違い無く、悪になる。我々は決して、そんな高尚な存在では無い。下世話で欲まみれ、本能に則して、暴力だの、性だのに突っ走る。それがかつてのワタシです。今は、多少は悔い改める心も芽生えましたが、やって来た罪が消える訳ではありません。それを背負って、これまでも、そして、これからも生きていく。そのことの確認が、アナタの動画を通じてすることが出来た。だからワタシはアナタに会って、お礼を伝えたかったんです。どうも有り難う。」

男性はそういうと、そっと右手を差し出した。鋭も右手を差し出し、互いに握手を交わした。男性の添えた左手は、指が幾分欠けていた。しかし、それもまた、彼が過ごしてきた人生そのものだった。そして、最期は互いににっこりと微笑みながら、喫茶店を後にした。

「今日は色々と、どうも有り難う御座いました。」

男性は鋭に深々と礼をした。

「こちらこそ。貴重なお話を、どうも有り難う御座いました。」

そういうと、鋭も男性に深々と礼をした。その帰り道、

「ふーっ。」

と、鋭は深く息を吐いた。何気にアップしていた動画が、こんな風にになるとは。そして、これから先、迂闊な事もいえなくなるなという想いを込めて。


 件のタレントの報道は、その後も続いた。そして、その勢いは収まるどころか、日増しにヒートアップしていった。

「うーん、下手をすると、収録の内容がこの話題ばかりに偏ってしまうな・・。」

鋭は発進する動画の内容を、もっと様々なことに視点を置いたものにしたかったが、世間でも、そして自身の関心事としても、この話題について構造的な考察をすることに、何らかの意義のようなものを感じていた。

「よう。どした?。」

と、自室で収録をしようとしたとき、いつものように仁が現れた。一階の角部屋に鋭の部屋があったため、部屋の明かりが付いていたときは、仁は勝手口から上がって、鋭の部屋を頻繁に訪れていた。

「例の話題、オマエが持って来た雑誌の。あのことが気になってな。」

「そりゃーな。今一番デカいニュースだもんな。」

「そのデカさなんだけどさ。」

「うん。」

「彼以前にも著名なタレントって、いっぱいいたろ?。なのに、彼が出て来ると、それ以前に活躍していた人達って、次第に地上波から消えていったというか。で、結局は彼の出演する番組やブレインが構成する番組が増えていったって感じだろ?。そんな風に、人の入れ替わりって、どうして生じるのかなって。」

鋭は件のタレントの能力が極めて高いという認識を常に持ってはいたが、彼以外にも面白さが抜群にあるタレントも、何人も見ていた。それだけに、何故、彼に取って代わられることになったのかを、あらためて疑問に思っていた。すると、

「あのさ、それって、単純な話じゃん。」

仁は深く考えすぎている鋭に対して、真逆の反応を示した。

「どんな風に?。」

「賞味期限と、出場枠。それだけだろ?。」

仁がそのようにいうであろうことは、鋭も予想はしていた。

「あのさ、賞味期限でいうなら、リズムネタでブレイクした芸人さんに顕著だけど、飽きられるのが早いってのはあるよな。でも、そうでは無くって、ネタに特化した話芸の場合だと、芸があるってことだから、飽きられる度合いは低いよな。」

「そうかな?。オマエは古典芸に通じてるから、そう思うのかもだけど、舞台を中心にやっている人って、其処が主戦場だけど、メディアへの露出度は低いぜ。つまり、賞味期限云々を評価する対象では無いってなるな。」

いつもと違って、今日は仁の方に分があった。

「じゃあ、賞味期限って、一体何だろう?。」

「そりゃやっぱ、人気さ。世間がその人をどう思ってるかっていう。それを見て、スポンサーも注目度に乗っかって、CMに起用したりするんだろ?。」

「じゃあ、その注目度って、一体何だろう?。」

取り止めも無い問いかけに、仁は釘を刺した。

「あのさ、そのタレントさんが演じるものに、面白いと感ずる部分があれば、人は誰しも注目するだろ?。みんなが白い服を着てるのに、一人だけ黒い服を着てたら目立つように。それと同じで、みんなは特に面白い話が出来なくても、一人だけ面白い話が出来れば、そっちの方を見て、その人の話を聞くだろ?。つまり、その他大勢とは違うことが出来て、それがみんなにとっても面白いとか、興味を引くものだったら、人は自ずとそっちを見る。それが注目度であり、人気ってことだろ。」

仁の回答は極めて的を射ていた。ところが、

「うん。それはオレにも解る。」

と、鋭は自身の関心が、そういうレベルには無い、もっと別の所にあることを示唆した。

「じゃあ、逆に聞くけど、オマエは何処ら辺りに、引っかかってるというか、疑問を抱いてるわけ?。」

「うーん、それがオレにもイマイチ掴めてないんだけど、まだ面白いというか、旬が過ぎた訳では無いのに、まるで入れ換えるのが必然みたいに、タレントさんの起用のされ方が変わるだろ?。で、それをオマエは賞味期限って呼んでる。その辺りの正体というか、何がそういうものを、根本的に左右してるのかなって。」

鋭は自身の疑問を、珍しく上手くは説明出来ないでいた。仁は自身が質問攻めで揶揄われている訳では無いと解ると、口元に手を当てて、一緒に考え出した。

「多分・・だけど、」

先に口を開いたのは、仁だった。

「多分、何?。」

「データってやつじゃ無いかな?。よく、視聴率ってので示される。それって、単に数値だよな?。どれ程、自分の所で製作した番組が見られてるかっていう。」

「うん。」

「番組の中身や、タレントさんそれぞれが面白くなかった訳でも無いのに、結果的に、数値が低いって番組というか、そういう回もある訳だろ?。で、そういうのが続くと、局もスポンサーも、番組の中身より、制作費云々に舵を切って、見られない番組の要因を何らかのせいにして、で、番組を打ち切りにしたり、あるいは出演者を変えたりする。つまりは、個々人の質では無く、総合的な評価としての数値が、番組なりタレントの地上波での賞味期限を規定する、そんな感じかな。」


 仁の説明に、

「それ、ビンゴ!。」

といいながら、鋭は指を差して頷いた。そして、彼は心の中でつっかえていた疑問が、何か取れたような気がした。

「そういうことかあ。つまりは、効率性を重視する企業のようなものと一緒だな。」

鋭は具体例を挙げたつもりだったが、逆に仁がその言葉に戸惑った。

「ん?。どういうこと?。確かに、局も企業ではあるだろうけど。企業が製品を作るように、局も番組が商品ってこと?。」

「いや、それは違うな。商品って、お金を出して買えるものだから。番組は確か、放映する枠を買うことができても、見る都度買ったりはしないだろ?。」

「確かに。」

「そうじゃ無くって、オレがいいたいのは、企業も生産性を重視するようになったってことさ。コスパって言葉があるだろ?。費用対効果ともいうが、掛けた費用や時間に対して、上がってきた利益が、割り算をした場合、単位時間当たり、どれほど利益を上げられているか。その数値が高ければ高いほど、コスパがいいって。」

理系の鋭は、当たり前のように説明をしたが、そうでは無い仁は、

「うーん、どうなんだろう・・。ま、より儲けることが出来てる方がいいってんなら、そういうことかなあ。」

「違うよ。儲けるだけでいいなら、長時間商品を作り続けて販売すれば、トータルでの利益は膨らむ。でも、それだと、働く人間も疲弊するし、製造ラインとかが稼働している間、電気代等のコストもかかる。その辺りをコンパクトにして、最少人数でとか、最短時間でって風に、単位時間で区切って、どの辺りの縮小具合が最適かってのを割り出せば、一番コスパがいい範囲が解るって訳さ。」

鋭の理系的頭脳は、止まる所を知らなかった。仁はますます困惑して、

「うーん、働き過ぎは駄目ってことか?。それならオレも解るけど。」

仁の反応と表情を見て、鋭は自身の説明が、仁にとってやや抽象的になっているのに気付くと、

「ま、そういうことさ。で、オレがいいたいのは其処じゃ無くって、」

と、話を軌道修正した。

「数値として、つまり視聴率に反映はされないけど、質は保ってるというか、面白いタレントさんなり、番組の企画ってのはある訳だろ?。」

「ああ。確かに。」

「でも、視聴率が稼げなかったら、折角そういう、いいタレントさんや企画があっても、局やスポンサーは見向きしなくなる。つまり、自身で賞味期限を設定しちゃってると。」

「うん。だな。」

「でも、その判断って、正しいか?。」

「局やスポンサーの判断がってこと?。」

「そう。つまりは、視聴率を基準にするって考えが。」

「なるほどなー。打ち切りにされても、見たかった内容とか、タレントさんって、全然いるしな。」

「其処なんだよ!。」

二人の話は、次第に噛み合っていった。そして、話は事の核心部分へと向かっていった。

「かつては、娯楽といえばTVだけだったのが、今はネットが普及して、若い層はTVを殆ど見なくなってる。」

「うん、確かに見ないな。見たい動画はスマホで済ませるし、面白い番組も、わざわざTVでオンタイムでは見ないな。」

「だろ?。以前なら、供給される娯楽の窓口がブラウン管だけだったのが、今はPCかスマホの画面ってのがほとんどだろ?。ということは、一人一人が自身の望むチャンネルを探して、それにマッチする動画が配信されていれば、全く問題無いってことだろ?。」

「だよな。っていうか、現に、そうなってるしな。」

「つまりは、個々人の需要が満たされていれば、もはやプラットフォームの役割としてのTVって、必要無くなってきてると。その証拠に、さっきいってた賞味期限切れとされて、地上波で見なくなったタレントさんが、ネット動画で快進撃を繰り広げてる例は、沢山あるだろ?。」

「ああ。あるな。あるある!。」

「最早、それが一つの答えってことさ。」

「なーるほどなー!。」

鋭の指摘は、仁をいたく唸らせた。そして、

「あ、そうそう。オマエにはいってなかったけど、ちょい前、オレの動画に書き込みがあってな。会いたいって。」

と、鋭は先日会った、かつてアウトローの世界に属していた人物について、仁に語った。すると、

「おーい!、そういうヘビーで面白い話は、もっと先にいってくれよ!。」

仁は幾分憤慨した様子で鋭を睨んだ。

「スマンスマン。オレ自身にも、結構濃厚な体験だったのと、その時話したことが、まだ自分の中でも十分に消化出来て無かったんだ。」

鋭はそう答えながら、仁に詫びた。

「で、その人って、TVの草創期以前から、娯楽であった芸能の世界を知っている人で、いわば、タレントの原始的スタイルを知っている人だったんだけど、その人がかつて見ていた世界観が、ひょっとしたら、ネット動画の世界と通じてるのかもなって。」

「通じてる・・って、どういうこと?。」

「メディアというか、TVが登場する前は、演じる内容に審査が入る事なんて無かったろ?。戦時下の検閲は別として。」


 鋭は自身も経験はしたこと無いが、終戦直後の闇市のような、いわば無法地帯ではあったが、混沌としながらも、それでいて闊達でエネルギッシュな状況が、メディアとは一線を画する自由な空間であるネット社会に似ていることを指摘した。

「なるほどなあ。つまりは、地上波ってのは、自身の安全弁としてのコンプラが、逆に自身の首を絞めちゃってたってことか?。」

「ああ。そういうことだろうな。かつては、差別用語も、お色気な映像も、随分とあったみたいだけど、時代と共にそういうのが淘汰されて、今や当たり障りの無い、フィルターを通したソフトな番組のみが提供されてるからな。どんな生魚だって、そのまま食えば危険だろ?。でも、其処には生でしか味わえない旨味ってのもある。そういうものが可能性として危険ってだけで、全て削ぎ落とされちゃったら、我々はそんなスカスカな食材だけで我慢出来るか?。出来る訳無いだろ?。特に旨味を知った後では。だから、もの足らなくなる。もし、淘汰されたものが全て消え去っていれば、諦めは付くのかも知れない。でも、そうじゃ無い。バイオレンスシーンやセクシーなものは、地上波から外されても、地球上の何処かのサーバには必ず存在している。そして、ネットを介して我々はそれらを見ることが出来る。コンプラが無いからな。」

鋭の説明は、またもや仁を大きく唸らせた。しかし、

「でもさ、地上波が長年をかけて、コンプラって安全弁というか、縛りを築き上げたのと同じく、今は野放しなネットも、やがてはそんな風に規制の網がドンドンかかっていくんじゃ無いのかな?。」

と、折角、自由な楽園なるネット世界が、勢いを失うのでは無いかという危惧を、仁は訴えた。

「まあ、それはあるな。現に、匿名性をいいことに、誹謗中傷が横行したことで、法規制が一気に進んで、情報開示請求がスムースに行われるようになった。どんなに便利で自由な空間であっても、みんながみんな、善意に基づいて行動する訳では無い。寧ろ、悪辣なる行為が横行する方が先だろうな。残念だけど、それは事実で、シカも、負の原動力・・かな。」

「負の原動力?。」

鋭の説明は仁にも納得出来たが、たまに独特ないい回しをするので、時折仁は鋭にたずねた。

「うん。ネガティブな感情ともいうかな。そういうのって、人を宜しくない方向に動かすだろ?。恨みを晴らすとか。」

「あー、それな。確かに。」

「そういうのって、恐らくは人間の何らかの本能に根ざしているのかも知れない。それ故、何時の時代も無くならない。昔は便所の落書きって言葉があって、公衆トイレの壁に、矢鱈と個人情報が書かれていたことがあったらしいんだ。電話番号とか。」

「え?、それは一体、何のため?。」

「その番号を見た人物が、試しにというか、悪戯でその番号に電話して、迷惑行為を誘発するために。」

「へー。今は見知らぬ番号からかかってきても、着拒で終わりだけどな。」

「うん。でも、昔は家庭電話しか無かったらしいから、ベルが鳴ったら出るより他は無かった。それを利用した悪質な悪戯さ。そして現在、巨大な掲示板に何でも匿名で書き込めるってサイトが登場して、そこも自由に議論が行える場である反面、互いの名称の無いまま罵り合うといった酷い状況が続いたり、場合によってはさっきと同じように、個人情報が晒されたり、ワザと悪い噂を立てて、事実無根なのに批判を扇動したって状況が続いたらしい。」

「え?、あの掲示板サイトって、そんなだったのか?。」

「うん。今じゃ、それほどでも無いけど、結局は規制がかかったことで、軽犯罪の事例は、犯人が特定しやすい法整備な成されたって訳さ。」

鋭の説明を聞いて、仁はふと物思いに耽った。

「どした?。」

「いや、その構造ってさ、ひょっとして人類というか、行動のひな形かなって。結局は、法って、良くない事例があるから、それに対処すべく、ルール作りが成される。逆に、もし、破落戸がいなければ、そんな法など作る必要が無い。だろ?。」

「ああ。そうだな。」

「でも、人類から破落戸がいなくなるってことは、これまでの歴史にも無いし、これから先も、そういう時代が訪れることは、まず無いってことだろ?。」

「だろうね。」

「じゃあ、新たに便利なツールなりプラットフォームが設立されたとして、やっぱり利便性を謳歌しながら、やがては負の原動力?、それに牽引されながら、活発にはなっていくけど、いずれは規制がかかって衰退していく。その繰り返しってかあ。」

仁の指摘に、鋭は頭の後ろで腕組みしつつ、背もたれに持たれて天井を見つめた。

「ま、そうなるまでの間、みんなそれぞれに十分に楽しんで、其処が窮屈になったら、また別の所へ移動・・って感じかな。それでも、人々の欲求は無くならないし、それを満たすべく、何らかのツールなりプラットフォームが作られて、またコンテンツの供給を始める。そういうことかな。」


 一頻り語り終えると、鋭は動画撮影の準備にかかった。仁もその場に居合わせながら、彼が撮影する様子を、フレームの外で窺っていた。

「えー、鋭です。今日も、先日から話題になっている、某タレントさんについての話ですが・・、」

いつもは登録者の少ないチャンネルだったので、動画配信直後も、目立った書き込みは無かったが、この話題を取り上げるようになった途端、やはり関心が高い話題だけに、様々な書き込みがなされるようになった。鋭は、まだ係争前の話題ということもあって、具体的な内容や、どちらかに偏った意見を述べるのを極力廃止した立ち位置で対応していたが、視聴者は必ずしもそうでは無かった。寧ろ、過激に何かを煽るような書き込みも現れ始めた。収録を終えて、簡単に編集を済ませた鋭は、早速動画をアップした。すると、途端に過激な書き込みを含んだ、様々なコメントが寄せられた。

「ふーん、やっぱり、みんな関心があるんだな。」

仁はコメントに目を通しながら、鋭にそういった。

「みたいだね。話の内容的には、性的なことを、立場を利用して、本人の意志に背いた形で行われたっていう、比較的よくあるパターンなんだろうけど、人物が人物だけに、注目度は高いみたいだな。」

「それにしても、意見の対立軸が見事に二分してるな。男性側に立った意見と、女性側に立った意見で。」

「まあ、そのどちらかにはなるだろうな。感情論的には。」

「感情論?。」

仁は鋭の言葉に疑問を呈した。

「うん。真偽の程が定かで無い限り、憶測でしかものはいえない。しかし、そんな風にいうこと自体、オレ的にはどうかとは思うね。」

「じゃあ、黙ってた方がいいってか?。」

「出来ると思う?。事実、出来て無いだろ?。だから、客観性を欠いた、主観的な意見が飛び交う。つまり、感情的な、自身の価値観にのみ基づいた意見が発露される。」

鋭は、感情のぶつかり合いで議論されている状況も、客観的に分析を加えていた。そして、

「オレだって、配信してる立場上、感情を剥き出しにはしないよう努めてはいるけど、それでも、自分なりの意見を発している段階で、そうしたいって衝動があるんだろうな。何も感じなければ、こんなこともしない訳だし。」

鋭は冷静に、自身の立ち位置を分析しつつ、それでも、自分もまた、他の感情的な発言者と同一平面に位置しているという認識を強く持っていた。すると、

「ははーん。なるほどな。そんな風に、オマエが中立で此処のようなチャンネルを開くことが、いわば起爆剤になってるって訳か。」

仁は、鋭が動画チャンネルを開いた意図を、端的に推測した。

「ビンゴだな。トーク番組のそれと同じ構図だよ。司会者が自身の意見を主張したら、番組的には成り立たない。そういうもんだろ?。」

鋭は、仁の推測を肯定すると同時に、さらなる意見を付け加えた。すると、

「でも、司会者が激高しながら、コメンテーターに食ってかかるっていう討論番組もあったよな?。」

と、仁は別角度からの意見を展開し始めた。

「あれは、トーク番組じゃ無く、討論、つまり、いい合いをさせるのが目的だからな。長けてる司会者から見て、出演者の発言にパンチが無いと解ると、自身が油を注ぐ形にしてるんだろうな。オレはあの番組を初期から見ていた訳じゃ無いけど、昔はみんな若くて、何かもっと、時代の熱気みたいなのがあったようだな。過去画像で見たけど。」

「そういうのって、やっぱ、学生運動世代というか、反体制世代がそのまま、番組にシフトしたって感じなのかな?。」

「うーん、恐らくは、そうかな。イデオロギー闘争が冷静になって、国内では大国のいいなりになるか否かで国論が割れて、で、結局は反体制派は鎮圧されるか、過激な行動に走った組織は、公安に徹底的にやられるか、あるいは国外に逃亡した。そして、一度は辛酸をなめた層が、さまざまな業界に潜っていって、そして時を経て、あの番組に集結したって感じかな。」

「恐らくは、そうかな。それにしても、あの世代の論理力というか、問題意識の強さ、高さは、今の我々とは比べものにならないな。」

鋭は、自分たち若い世代と、かつて学生運動に身を投じていた若者とのギャップを、オンタイムでは知らないまでも、検索等によって得た情報や動画を見ることで、ひしひしと感じていた。

「でもさ、オレも当時のことは当然知らないけど、あの時代の若者を動かした原動力って、何だったんだろうな?。」

仁も鋭が語った内容、学生運動世代について、少なからず関心を寄せているようだった。

「それは多分、第二次大戦にまで遡るんじゃないのかな?。」

「大戦にまで?。」

「うん。オレ達は、当時のことを知らなさすぎる。学校ではそれなりの内容というか、戦争勃発の原因や推移は教えられるけど、果たしてそれだけなのかって疑問は、常にあったな。」

「ということは、そんな風に公教育の場で教えられる内容だけじゃ無い事実を知っていた世代が、体制に反発したってことか?。」

「うん、どうやら、そうみたいだぜ。」


 鋭は先んじて、その辺りについても、様々な調べを行っていた。

「例えば、予備校に花形講師ってのがいるだろ?。」

「ああ。人気講師て、パフォーマンスや、教える内容に定評のある、あれか?。」

「うん。今の人達は世代的にそうでも無いらしいんだが、ひと世代前の講師達って、概ね、闘争世代だったらしい。」

「へー。そうなんだ。」

「うん。で、公安と揉めたり、逮捕歴があったりして、就職が出来ないというか、自ら進んで大きな組織に組み込まれるのを拒んだのか、その辺りは定かじゃ無いけど、結局、当時の闘争について、本当のところを語るべく、フリーな立場でもののいえる予備校講師になった・・ってのは、聞いたことがあるな。」

「へー、学校封鎖で勉強も出来なかったのに、よく予備校講師になれたな。」

「いや、大学に入る前に、しこたま勉強してただろうから、其処で培った能力やスキルを発揮してるんだろ。加えて、敗戦後、軍事関係者や政府関係者は軒並み戦犯として裁かれたけど、国威高揚を促すべく、その根拠となった学術的後ろ盾を担った連中は、戦後も裁かれること無く、教育機関に復帰することが出来たらしいんだ。」

鋭は、取材こそしていないが、その辺りの状況を、つぶさに拾い上げて、判断材料としてストックしていた。

「え?、それは一体、どうして?。」

仁が疑問に思うのも当然だった。例え軽微な罪でも、戦犯と見なされた途端、極刑になった者もいるというのに、戦争を先導するべく、思想に誘導したであろう連中が裁かれなかったことに、仁も理不尽さを覚えた。すると、

「それなんだけど、オレが調べたというか、聞いた話では、終戦後、あらゆる所が破壊され、人々が疲弊しきっていたから、占領軍もまずは、復興を目論んだらしい。そんなとき、教育機関で最も急がれるのは何だ?。」

「そりゃ、授業の再開だろ?。」

「その通り。で、その際、最も必要なのは?。」

「人材。」

「その通り。そんなときに、生き残った頭脳を、直接的には戦争に加担していた訳でも無いのに、全てを処罰していたら、人材の数はどうなるかな?。」

「そりゃ、足りなくなるな。」

「そう。だから、国を建て直すことを最優先に考えた措置として、そんな彼らを速やかに復職させて、教育の場に立たせたらしい。しかし、そのことを快く思わなかった連中がいる。」

「学生か?。」

「うん。」

鋭の話の運びが極めて論理的だったため、その当時の時代背景を知らない仁も、次々に言葉が出た。

「敗戦国が故に、戦争犯罪者は速やかに裁かれ、刑に処された。しかし、真の戦争責任や、何より、戦争に向かわせた要因については、十分な分析や総括がなされていないと、当時の学生は考えていたようだ。そして、思想的に国を戦争に向かわせたであろうインテリ層が何食わぬ顔で復職した事で、学生が憤りを覚えた。どうやら、それが一連の運動の要因だったらしい。」

「へー。そうだったのか。」

「まあ、他にも時代背景的に様々な要因も絡んでたんだろうが、オレが一番印象深く感じたのは、その話だったな。」

「確かに、三国同盟を習った時に、他の二国は独裁政権で、国家を戦争に向かわせた人物や方向性は分かり易かったけど、この国の首謀者は、取り敢えず軍部とはなってるものの、曖昧な感は拭えないもんな。」

「そうなんだよ。オレも、教わった通りに、はい、そうですか・・とは、流石にならなかったな。何か、扇動していた人物なり、組織なりっていう主語的なものが抜け落ちてる気がしてな。それが、この国の国民性というか、風土的なものだというなら、納得せざるを得ないが、恐らくは、そうじゃ無いだろうな。」

鋭は、世が世なら、自身も運動に身を投じる一人の若者として、問題意識を持ちつつ、例え負けると解っても、体制に挑んだのかも知れない。しかし、そんな雰囲気が微塵にも生じない現代の若者として、彼は常に、ある種の物足りなさを感じていた。そして、それが動画配信の切っ掛けでもあり、現代に起きる様々な事象を、自分なりに分析し、私見を述べる場を設けることで、自分と目の前の現象を観察し、常に自身の立ち位置を模索しているのだった。

「オレも、当時に生まれてたら、オマエと連んで運動に参加してたんだろうな。」

仁も鋭の影響を受けている自覚と、自身の直情的な性格を、比較的性格に捉えてはいた。

「でも、不思議だよな。散々、戦争や闘争があって、今はようやく平和な時代だってのに、何でわざわざ渦中に飛び込むような衝動って、湧き上がるのかな?。」

仁は矛盾した状況と感情の間で、得もいえぬ不思議さを感じていた。

「それは多分、人間が矛盾した存在だからかもな。どちらかに寄れば、他方が気になり、反対側に寄れば、また他方が気になる。いわば、振り子のような存在・・かな。」

そういうと、鋭はラップトップの画面に目を落とすと、新たな書き込みを見た。


 鋭の動画が件のタレントの話題について語ったのを切っ掛けに、やはりコメント数は増えていった。その中でも、特に目立ったないようが、メディアに対する違和感であった。立場を異にする人々が、総じてそのような意見では一致している点を、鋭自身も薄々は感じていたが、こうもメディアに反感をもっているのかと、この事を切っ掛けに、あらためて思ったのだった。一緒に書き込みに目を通していた仁が、

「へー。昔は娯楽を提供してくれていたTVや雑誌っていうメディアが、今はかなり批判的な受け止められ方になってるな。これは一体・・、」

仁の推測に、鋭は言葉を遮るように、

「それは多分、中立な立場を崩したって点・・かな。」

と、言葉を漏らした。

「さっきオマエがいってた、主観を述べる司会者みたいなやつか?。」

「うーん、その方が、まだパフォーマンスというか、あれはあれで、番組的には盛り上がってただろ?。そうじゃ無くて、一見、中立でありながら、その実、自身や組織が有するポリシーのようなものを、暗に押し着せてるって感じかな。」

「ポリシー?。どんな?。」

「一番陥りやすい、そんなポリシーさ。当ててみな。」

鋭は敢えて仁にその内容を推測させた。そうすることが重要だという思惑からだった。

「うーん、そうだなあ・・。例のタレントの件に端を発しているのは、その内容の真偽が定かで無いのに、まるで審判を下しているような方向にいってるって点かな。」

取り敢えずは、何となく感じているところを述べた仁だったが、

「そう、それ!。」

「え?、どれ?。審判?。」

「そう。誰だって、見聞きした出来事を自分なりの解釈と価値観に基づいて、頭の中で位置づけしたり、自分ならどう捉えるか、あるいは行うかって、シミュレーションするだろ?。」

「うん。」

「でも、それは、頭の中だけでするから、許されることなんだよ。あるいは、自身の手の届く範囲で何らかに形に書き記しても、口外しなかったりであれば、それも問題は無い。」

「ああ、そうだな。」

「ところが、そういうものを自身の強い思い入れを元に世に放った段階で、もはや自分だけの思考や意見では無くなる。人目に触れることで、公共性が生じる。当たり障りの無い内容なら、それでもいいだろう。でも、其処に何らかの強い思惑が含まれていたとしたら、どうだ?。」

「例えば?。」

「これが正しいって風にさ。」

鋭は、大方の書き込みが唱える違和感の本質的な部分について、さらに仁に想像させた。

「うーん、正しさの強要ってことか?。」

「いや、強要はいき過ぎなんだよ。それだと、その行為自体が問題視される。強要は、相手の意志や人格を無視してるからな。そうじゃ無くって、強要しなくっても、従わざるを得ない雰囲気を醸し出す、そういう概念があるだろ?。正しさというものには。」

「なるほどなー。いわれてみれば。」

「オレはこの言葉というか、その概念さえ出せば、其処から先は精査や反芻をしなくても、まるでそれが答えのように受け取られる、そういう魔力のようなものさえ感じるんだよな。」

「魔力って、それはちょっと大袈裟なんじゃないか?。」

いつも冷静かつ論理的に物事を分析しつつ語る鋭が、その話題については珍しく、非科学的かつ荒唐無稽なワードを挙げた。当然、仁はその言葉が鋭らしく無い点を指摘した。しかし、

「魔力って、別に指先から光線のようなものが出て、無から有を生じさせるとか、そういうものだけじゃ無い。圧倒的にその力を及ぼし、確実にその状態に導くものを形容する場合にも用いる。例えば、美貌でも歌でも、何でもいい。そういうものに得もいえぬ魅力が備わっていた時、それをどう形容する?。科学的かつ客観的な言葉の方が適切か?。綺麗な女の子の魅力を説明するのも、そんなのでいいか?。」

鋭はたたみ込むように仁に語った。それは幾分、熱を帯びていた。

「う、うん・・。そりゃー確かに、魔力って表現した方が、ある意味しっくりいくかな。」

「だろ?。人間って、理屈じゃ無い、感覚的な部分で、その手のものを感じた瞬間に、思考が止まるというか、その感覚を享受することで満足するというか、放心状態の間まで居る自分を良しとする傾向ってのがあるんだよ。それが、ある時は心地良い音であり、またある時は、美しいものを見たときの感動であり、そして、またある時は、」

「正義・・ってことか?。」

「そう。正義は読んで字の如く、正しい意味って字だ。人は正義を行うためなら、場合によっては命だって厭わないよな?。」

「まあ、戦争なんかも、それに当たるのかな。」

「恐らくな。行為としては極端な暴力である戦争でさえ、そこに大義を見出しているなら、自己犠牲だって厭わない。当事者にとっては、それが自身の中で最も尊い、最優先なる価値なんだろうな。でも、一歩退いて考えてみろよ。」


 鋭は、正義に魅入られることの問題点を、ゆっくりと仁に語り始めた。

「さっきオマエがいった戦争って、行為としては善悪を付けること自体、ナンセンスだろ?。どちらも暴力を行うし、どちらにも犠牲が出る。でも、その最中は、正義感に満ちているからこそ、邁進も地震の犠牲も厭わずに戦える。これって、どういう状況か、解るか?。」

「うーん、無法地帯と?。」

「まあ、ある意味、そうだな。戦時下では、法の執行は完全に停止状態にある。法の有無が消失した現場にあっては、どんな理不尽な行為も許されてしまう。だから、千条では、民間人に対しても、かなり酷い行いさえ躊躇無く行われる。その時、人は頭の中で、一体何を考えてると思う?。」

鋭は仁の目を真っ直ぐに見てたずねた。

「何をって、少なくとも、モラルとかはぶっ飛んでるんだろうな。」

「恐らくな。そんなもの持ってたら、やってけないだろうしな。つまり、それって・・、」

「何も考えて無い・・。そういうことか?。」

「ああ。いわゆる、思考停止状態ってやつさ。人間は、理知的に思考するから、他の野生動物とは異なった存在なんだ。そういうものが文化や文明と並行して備わり、互いに異なる価値観でありながらも、同じコミュニティー内に共存することが出来るようになった。つまりは、思考するからさ。」

「なるほどなー。じゃあ、感動とか、その際に生じる思考停止は、問題無いのか。」

「ああ。寧ろ、人は好んで、そういう状態に身を浸し、没頭する。悦に入るって感じかな。それは、相手を、他を強いることなど無いだろ?。」

「そうだな。確かに。」

「だから、それは許されるんだ。でも、人によっては、悦に入る基準というか、水準が異なる。特に権力構造の場合、どうしても、権力側は社会に対してルールを設定したがる。それが支配の根本だからな。」

「まあ、ルール自体、支配って意味もあるしな。

「極端に歪で理不尽なルールなら、反感も買うだろうし、そういう権力者は、いずれは倒される。でも、程よく、そして心地良いルールなら、どうだ?。」

「心地良いルール?。」

「ああ。誰が見ても悪い行いをしている人物が街中にいたとする。そういう人物を掴めるなり、其処まではしなくても、諫めるなりしたら、それは周囲の人間にとっても、納得出来る瞬間だろ?。」

「痴漢を取り押さえたり、喧嘩の仲裁とか・・か?。」

「ああ。つまり、その制止や諫める行為が、その状況で共有されていて、なおかつ、賛同を得ている。それが、正義が持つ、一つの側面さ。」

鋭は、正義だからという一言で片付けようとする風潮に、常に違和感を覚えつつ、警鐘を鳴らすようなスタンスではあった。それ故、気心知れた仁に対しても、この言葉と概念を語る際には、十分な時間を要しつつ行った。

「オマエが、社会一般でいわれている正義ってのに対して、一家言持っているのは、オレも知ってるし、今聞いた話も、その考えの具体的な例示なのも分かる。でも、世の中がそれでいいと思って、一定の基準として正義と考えるのって、そんなに悪いことなのか?。オマエの考えを否定してる訳じゃ無い。ただ、もう少し先を聞かないと、オマエの、一般に定義された正義に対するスタンスが、イマイチ見えないんだ。」

仁は、鋭がさらに深部を伝えたいのは解っていた。そして、それが今の鋭にとっての、最大のこだわりであろうことも、感じ取っていた。鋭は仁の自身への気遣いの言葉を聞いて、自分がヒートアップしていることに、急に気付いた。

「ふーっ。ちょっと飲み物でも飲むか。」

そういうと、鋭はキッチンにいって、冷蔵庫からジュースを取り出すと、二人分グラスに注いで、一つを仁に差し出した。

「サンキュー。」

二人は喉を潤した。そして、鋭は少し仕切り直した形で、

「特にこの国って、村八分って言葉が残ってるように、そのコミュニティー内で共有されてる価値観を重要視するだろ?。」

「うん。そういうのが、この国の文化的特徴かもな。」

「そういう縛りというか、効力を発揮する上で、一番協力なのが、正義・・かな。自らが正しいことをやっているって、そう思い込むことが出来れば、人は想像以上の力を発揮出来る。それはオレだってそうだしな。」

「まあ、そうだよな。」

「でも、それって、自分が個人の判断でそうするのと、集団認識ってのに委ねてするのとでは、訳が違う。オレはそう考えてる。そして、後者の場合、正しさだけが先行して、その行為の是非を問う前に、躊躇無く行動し易くする傾向を生み出す。みんなが正しいと思っているからっていう、そういうのを根拠として。」

「ははーん。なるほどな。思考より先に、結論在りきってことか。だから、思考停止状態ってことだな?。」

「そう。」

仁の推測に、鋭は頷きつつ、またグラスを仰いで喉を潤した。

「そう考えると、正しいって概念は、不思議だよなー。間違い無くいいものだって、そう思えるから正しいはずなのに、狂信的にそれを捉えると、逆に駄目ってことなんだろ?。」


 仁は、正義の概念が有する矛盾について、鋭にたずねた。

「うん。恒久的に正しいってのは、物質の存在とか、化学的現象とか、恐らくはその範疇内だけだろうな。そこに、人間の感情や判断を交えると、必ず、その人間の思惑が作用するから、意図を持った形になってしまう。別に、それが悪いって訳じゃ無く、人間とは矛盾をはらんだ存在だっていい回しもあるように、それはそれでいい。問題は、その矛盾や曖昧さを排除しようとした瞬間だろうな。」

「意図的正しさ・・みたいな感じか?。」

「ああ、そのいい方、妙にピッタリ合ってる気がするな。」

仁の形容が、殊の外上手かったことに、鋭は思わず微笑んだ。

「それにしても、人が正義を求める心理って、一体、何なんだろう?。」

仁はジュースを飲みながら、何気にそういった。すると、鋭は急にグラスを置いて、

「それ、何だと思う?。」

と、身を乗り出しながら、仁にたずねた。慌てた仁は、

「え?、何って、オレも解らないから、何気に聞いてみたんだけど・・。」

と、詰め寄る鋭に、聞き返した。

「だよな。人間が求めるものって、何でそれを求めるのかの理由について、いちいち考えたりはしないしな。腹が減ったら飯を食うし。眠たくなったら寝る。それは生物としての本能ってことで片付けたら、それでお終い。正義ってーのも、ある種、思考停止状態で、それを答えとしておきたいっていう、人間の衝動から来るものなのかも知れないな。」

鋭は、正義を求める心理については否定的では無かった。寧ろそれが自然な姿勢なのかも知れないと。問題なのは、その施行の仕方であると。そう考えていた。

「あのさ、この話が、さっきオレがいった疑問を解く鍵になるかどうか、ちょっとあれなんだけど、よくTVで外国からやって来て、日本に居着いた生物を駆除するって番組、あったろ?。」

仁の例示に、鋭はその手の番組を幾つか思い出しながら、

「あれか?、池とかの水を排水して、中にいる外来種を駆除するってやつ?。」

「そう、それ!。あれ見てて、いつも思うんだけど、あれこそ正しい行為なのかな・・って。だって、その外来種だっけ?。それって、人間が勝手に持ち込んで、本来の生息地とは違う場所で増えただけで、生き物自身に罪は無いだろ?。」

鋭は恐らく仁がそういうだろうと、そう睨んでいた。

「はは。それはその通りだけど、その論旨だと、殺生はいけないっていう、ある種、宗教観みたいな話になっちまうぜ。」

「いや、オレがいいたいのは、そーじゃ無くって・・、」

「解ってるって。」

仁は自身の話に脱線する癖があったので、鋭はそのことを解りつつ、仁の話を聞いた。

「ああいう生物って、結局は生き残り戦略に長けてるから、この国で増えてる訳だろ?。そのまま放置したら、本来この国いい多種類が生存競争に負けていなくなる可能性ってのは解るんだけど、そうなると、何がいけないのかな?。」

もっともな意見だった。今まで野放しだった外来種を、何故今頃になって、躍起になって駆除するのかについての論拠は、実は乏しいのが現状だった。そのことについても調べ物を済ませていた鋭は、

「うーんとな、まず、この手の議論で必ず出て来るワードってのがあってな。それが、生態系の破壊ってやつだ。」

「生態系。生き物が暮らしているって意味の?。」

「それなら、生息場所で十分じゃん。それだけじゃ無くって、何らかの場所に、色んな生き物が関わり合いを持ちながら、一定のバランスを保ちつつ生息している。そういう状態のことを指していったのが、生態系らしい。で、それぞれの地域で、長い年月をかけて、その土地土地に合った生態系が成り立っている。それは、地球上に人類が登場する前に、既に成立していた。ところが、人類の移動と同時に、それらの生態系に暮らす生き物も、少なからず影響を受けた。食料として取られたり、あるいは、ペットとして輸送されたり。その後、一定の場所で管理しきれなくなった、他所から来た生物たちが、本来とは異なる場所に放流されると、思ったより外敵がいないことで、これまで以上に個体数を増やすことが出来たと。ザリガニとかミドリガメみたいに。他にも山ほどいるけど。」

「へー、あいつらって、他所から来たのか。」

「名前にアメリカって付いてるだろ?。」

「確かに。」

「で、結局、その勢いは留まる所を知らず、ついにはこの国で優占種になっていった。と同時に、本来この国にいた固有種は、どんどん姿を消していった。」

鋭がそういったところで、

「それなんだよ。そんな風に、生物の種が入れ替わることが、どうして駄目なことなんだ?。オレは、それが解らないんだ。」

「自分で調べてみたか?。」

「・・・いや。」

仁は、疑問を抱いたり、いい所を突いている発想はたまにあったが、持続性が無かった。

「さっき、生態系っていったろ?。それとほぼ同じ位に、最近いわれてる言葉があってな。」


 鋭ほど生物系の話に通じてない仁は、推測でもその言葉が出なかった。

「それ、何?。」

「ダイバーシティ。種の多様性ってやつさ。」

「種の多様性?。」

「うん。どの土地にいっても、色んな生き物がいるだろ?。様々な色、様々な形。そうやって、多種多様な生き物が存在するってことさ。特に赤道直下で降雨量のある所、つまり、熱帯雨林なんかでは、この国とは比べものにならないぐらいの生物種が存在してる。」

「熱帯魚みたいに・・ってこと?。」

「魚だけじゃ無い。昆虫や鳥や、色んな種類がさ。でも、その中の、例え一種類でも絶滅したら、それまで保たれていたバランスが崩れて、その地域の生態系が大きく乱れるといわれている。例えば、ある種の小さな昆虫が絶滅すると、それを主食としていた爬虫類も伴って絶滅する。そして、その爬虫類を食べていた、さらに大型の動物も絶滅するって具合に。」

「へー。そんなに連動してるんだ。」

「らしいよ。まあ、全く関係無く、これまでの個体数を保つ生物も多くいるとは思うが、一旦空いた生態系の穴は、少なからず多種に影響するってことかな。で、それがもし、人類が食糧としている動物や植物に及んだら、どうなると思う?。」

鋭は、深刻な状況を仁に想定させてみた。

「そりゃ、人口が減るだろうな。」

「ああ。実は、それに似た現象が、かつてヨーロッパでもあったらしい。」

「種の絶滅がカギとなって?。」

「いや。この国では米が主食だろ?。小麦や芋が主食の国もある。そんな中、ジャガイモはヨーロッパでよく食べられているらしいが、昔、ジャガイモの疫病が流行して、主食を得られない国々があったそうだ。」

「へー。知らなかったなー。」

「で、そのせいで、とある国では人口の四分の一程が減少したってことだ。」

「うーん、それは深刻だなあ・・。」

「ああ。ある種の食物となるものが絶滅するか、あるいは生産量が壊滅状態になると、それを食する生物が影響を受ける、まさに典型だな。」

鋭は様々な時代背景についても博識であった。

「でも、その場合って、疫病の病原体が他の地域から持ち込まれたってことか?。それとも、確か、ジャガイモって南米原産だったよな?。それが他国に持ち込まれて、本来なら感染するはずの無い病原体がヨーロッパにいて、結果、それが組み合わさって、飢饉みたいになったってことかな?。」

「現時点では、アメリカからヨーロッパに、病原菌が渡ったとされてるな。」

「作物になる植物を、他国から持ち込んだことが悪かったのかな?。」

「その辺りは、議論するのは難しいだろうな。もう既に、様々な作本が、本来の国とは異なる場所で栽培されるようになってるし、そのおかげで、人類は色んな国で増加し、発展してる訳だからな。トウモロコシもそうだし、稲作だって、大陸から伝わってきた訳だし。」

「そう考えると、地球本来のスケールというか、タイムテーブルというか、そういうものだけなら深刻な被害に繋がらなかったのが、人類が登場して様々な輸送を行った結果、余計な事態を招いたってことにはなるのかな。」

「ま、それはいえるかもな。でも、もし、人類の登場が無かったらって仮定は、成り立たないな。現に存在しているし。その逆を考えるのは、正に非現実的さ。」

そういうと、鋭はコップに残ってるジュースを飲み干して、話の軌道修正を行った。

「そんな訳で、種の多様性が失われることは、我々人類の存在も脅かしかねないってのは、論理的にはいえるかな。だから、外来種がこの国の固有種を席巻することは、その後、何らかの生物種の存続に影響するのは間違い無さそうだ。だから、警鐘を鳴らす意味で、外来種の駆除が積極的に行われてる。そういうことかな。」

「でも、オマエ、そのことに納得してるの?。さっきのいいぶりなら、その考えに賛同している風には見えなかったけど。」

仁は、鋭が外来種を駆除する番組に批判的なスタンスなのを覚えていた。

「可能性の問題さ。外来種を駆除した方がいい根拠ってのが、種の多様性を脅かすことで起きる、他種への影響。でも、そうならない可能性だってある。現に、かなり以前から外来種が蔓延る自体にはなっていたけど、そのことが、今のところ、我々には影響として出てないだろ?。」

「ああ。そうだな。ザリガニだって、ずーっと見続けてるけど、そのことで我々の周囲に悪影響が出てるってのは、聞いたことは無いかな。」

「うん。でも、実際には、田んぼの畦とかを壊されて・・って話はあるいたいだけどな。まあ、申し訳無いけど、被害が軽微だったといえなくも無いのかな。そんな具合に、生態系が壊されるというか、乱れることで、多種への影響がどう転ぶかは、その後の観察を、相当長い期間追跡調査しないと、解らないものなんだ。それを、さも危害が直ぐに及ぶって演出でTVで配信してたら、そりゃ誰だって、その雰囲気に流されるだろうな。」


 鋭は、いよいよその手の番組に批判的な理由を述べ始めた。

「化学的検証で、まだ確証を得ていないのに、情報発信だけを先に行っちゃうと、その報道が正しいと信じ込む層は、極めて多い。それもいわば、思考停止な状態かな。だから、あの番組で、子供達がまるで悪者をやっつけるが如く、外来種を駆除しているのを見ると、それは果たして啓蒙的なのか、それとも無思慮なのか、訳が分からなくなってくる。」

「さっきいってた、可能性ってので考えると、現時点ではどちらとも取れるってことだもんな。」

「そうなんだ。でも、どっちかまだ解らないってスタンスだと、番組として不成立だろ?。だから、勧善懲悪的な分かり易い図式の方が、見る者の目を惹く。そういう、半ば強引な演出を行うのが、局や地上波の悲しい宿命かな。そうしないと、視聴率を稼げないだろうし。」

「科学的真理より、経済性の優先・・かあ。」

「ああ。」

仁のまとまった表現に、鋭も賛同した。

「じゃあさ、そういうのをテーマにして動画配信するってのは?。」

「外来種駆除の番組を批判的に扱うってことか?。」

「ああ。それだと、今まで騙されていたって思う人達から注目を集めて、登録者数を稼げるんじゃ無いか?。」

「それだと結論が、地上波の局と同じになっちまうだろ。視聴率を稼ぐ事が至上命題っていう。それに何より、科学的真理よりも、人は解りやすい構図の方を好む傾向があるから、科学寄りな内容になればなるほど、心地良く放送に騙されている人達を逆撫ですることになりかねないし、折角信じているものを、寝た子を起こすようなことは、しない方が吉かな。」

「ふーん。その部分の正義については、争う気が無いってことか・・。」

「外来種駆除は、それが適切だって可能性を含んでるからな。それと、タレントの素行の報道とは、ちょっと混同出来ないな。」

「どうして?。」

「前者の場合、先にいった通り、モラル云々の問題じゃ無いだろ?。短絡的ではあるかも知れないけど。でも、後者の場合は、モラルの線引きの問題だ。人の行いがモラルに触れている場合、余程の犯罪は別として、そうでは無いレベルだと、正義を云々する側が、余程清廉潔白な人格じゃ無いと、何でオマエがそんな裁定なり、線引きが出来るんだって批判がでるだろ?。」

「つまりは、それを局がするな・・と?。」

「そんな風になるんじゃ無いかなって話さ。昔のように、今もTVや局の存在を重宝している層が多ければ、オレのいっていることは軽くスルーされるだろうけど、逆に、勝手に正義の主みたく振る舞う局を快く思っていない層が増えているので在れば、TV離れに拍車がかかるのは時間の問題かな。」

「で、実際は、どうなのかな?。」

鋭の長い解説を聞いた仁は、彼の行おうとしていることが、多数に影響を及ぼす可能性についてたずねた。

「今まで通り、ゴシップ雑誌が出版されて、それを有り難がって読む層の割合が変化しないのであれば、世のゴシップ好きって事象は、いわば真理かな。その場合、オレの出る幕は、もう無い。でも、逆に、そんなものに辟易している割合が高まっているのなら、そういう媒体は利益を上げられなくなって、結局は自身の行いに魅力も価値も感じなくなるのかな。で、そういうことから撤退・・と。」

「そのシミュレーション、現実味はどれぐらいかな?。」

「うーん、オレの見立てでは、この国特有の文化というか、ゴシップで、ああだこうだといえてるのが、皮肉にも平和の度合いを表してるのかなって。過酷な自然環境や、そういった背景から生まれた宗教国家だと、そんなことを発したりすること自体、恐らくは許されないだろうな。」

「宗教・・かあ。」

仁は、鋭のメディア批判の目が、さらに大きな、宗教組織に関して全く取り上げないメディアについても、同様の考えなのかを知りたくなった。

「あのさ、その辺りの絡みって、どうなんだろう?。」

「絡み?。何の絡み?。」

「宗教団体とTVさ。」

「そうならそうと、ちゃんといえよ。」

鋭は真の言葉足らずな部分を知ってはいたが、あまりにも鋭が勝手に類推して、仁の思考を代弁してくれるだろうという、そんな甘い考えを諫めた。

「その話題については、我々だけで話すことはあっても、動画内で語るのは流石に無理かな・・。」

「どうして?。かなり巨大な団体の世代交代が起きても、そのことを大きく報じる局は無いぜ?。そういうのって、忖度っていうんじゃないのか?。」

「何?。オマエは、其処の組織に何か問題があるって、そう踏んでるのか?。」

「オマエはどう?。何ともないと思うか?。巨大な組織ではあるし、そういう所であれば、中枢に位置する人物に何らかのゴシップがあったとしても、局はどういう事情を恐れてか、番組無いで触れない。それっていわば、公平性を欠くってことだろ?。」

「ま、そりゃそうだけど、そのことを、命を賭してまで語るか・・っていえば、流石に厳しいかな。」

鋭は、理不尽なるものには果敢に取り組むスタンスと思っていた仁だったが、この話題については、殊の外、冷静かつ現実的だった。


 仁はその理由を知りたかった。

「やっぱ、宗教的なことって、TVでもそうだけど、一般的にも話題に上らせるのはタブーってことなのかな?。」

鋭は口元に手を当てながら、少し考えている様子だった。そして、

「あのさ、例えばオマエが、どんな宗教を信じてるとかって、普段から聞いたりしないだろ?。オレだって、かつては駅前でアンケートみたいなので、よく声は掛けられて、それが後に何らかの宗教関係者だったってのはあるけど、露骨に何を信仰しているかなんて、聞かれないよな。」

「まあ、確かに。」

鋭の説明に、仁は頷いた。

「それって、やっぱり、最もプライベートな部分だからなんだよ。憲法とかでも保障されてるぐらいだしな。」

「いや、個々人については、それが権利で保障されてるのは、別にいいんだ。問題は、巨大な組織として、少なからず影響力を持ったとき、それが社会的に見てアウトな行為を行っていた場合、やっぱり公平に報じられるべきでは無いのかなって。そういう話をしてるんだ。」

この話題については、仁の方が幾分、過熱気味だった。

「うーん、まず、局の判断で報じないってのには、其処がスポンサーだったり、数の論理で、その団体に不利な内容を報じたら、その後の報復が怖い・・ってのもあるんじゃないのかな。どんな恐怖にも屈せずに、ジャーナリスト魂を貫くかどうかを問うのは、流石にちょっと可哀想な気がするな。」

鋭はその辺りの背景について、例示を始めた。

「この国って、歴史も古いし、宗教色の来い建物や施設、あるいはパワースポットみたいなものも、各地に点在してるだろ?。」

「うん。」

「それだけ、太古の昔から、神話的なものや、あるいは大陸から渡来したものであっても、その教えに帰依するって精神が根付いてるからだろうな。でも、この国の神話って、多神教なんだよな。」

「多神教?。」

「ああ。海外の宗教では、一神教が多いとまではいわないが、そういう方が、強大な力を持ったり、戦争に発展したりってのが目立つかな。オレも全部調べた訳では無いけど。」

生物系の話題意外にも、鋭はこの手の話題に、一家言ありそうだった。

「その、信ずる対象の数が一つか複数かで、そんなに違いが現れるものなのか?。」

「うーん、それが直接的な原因かは分からないけど、自然物を信仰の対象にする多神教だと、一つの教えに拘るといった雰囲気はマイルドなものになるのかな。対して、崇める対象や教えを唯一のものにしてしまうと、他の信仰に対して、どうしても敵対的な構図になるだろ?。」

「まあ、二つの信念がぶつかるってことか?。」

「うん。その辺りが、幾つあってもいいじゃないかって精神性が培われた地域と、過酷な環境が故に、一つのものにのみ依存せざるを得ない精神性が構築された地域とでは、自ずと温度差というか、宗教観が異なるのは当然かな。」

「なるほどな・・。」

「ま、推測ではあるけど、そういう背景もあって、この国は信仰の対象は沢山あるのに、信仰の深さというか、度合い的には、若者や、特に都心部では無神論者の割合が多いのかなと、オレはそう感じてる。因みに、オマエはどうだ?。何か強い信仰を持ってるか?。」

鋭は、自身の推論を確認するべく、仁にたずねた。

「いや、年に一度、家族が墓参りにいくぐらいかな。オレは申し訳無いけど、いったり、いかなかったりだな。」

「だろ?。うちも似たようなものさ。特に家の中に仏壇みたいなのがある訳でも無いし、クリスマスは普通にパーティーにいくけど、その数日後は初詣だろ?。その時点で、多神教というよりは、寧ろ、拙僧の無い無神論って感じじゃん。」

「いわれてみれば・・。」

「オレは、そのことを責めてる訳では無いんだ。寧ろ、そんな風に、寛大というか、別に無節操と捉えられてもいいんだが、その方が、かえって平和だろ?。宗教戦争が絶えない地域と比べたら。」

「うん、それはオレも思うな。そこまでして、信仰を貫く必要が、何故あるのかとは思ってしまうな。」

鋭は、この話の奥行き的なものを、かなり理解かつ想定をしていた。

「でな。オレ達には、信仰に厚い人達や地域って、不思議に感じるだろ?。でも、そう思われてる側の人達って、オレ達には計り知れない、強い想いが存在してるんだ。」

「強い想い?。神様を信じるってことへの?。」

「うん。そんな風に、簡単に言葉でいえてる時点で、オレ達の信仰心は浅いのさ。つまり、理解をしていない。でも、それが深い物へ変わるきっかけみたいなのは、人生の折々にはあるみたいだな。」

「え?、急に信仰心に目覚めるってこと?。」

「その方が自然だろ。今から信仰をしますって顔で準備する方が珍しいよ。何らかの切っ掛けがあって、そういうものに目覚める。例えば、病気や近隣者の死などで、自身の死について考えさせられる状況が生じたとき、人は少なからず、しに対する恐怖を切実なものと感じる。普段よりもな。」

「あー、なるほど。」


 仁も他と同様、常日頃から死が常に自身の周りを取り巻いているなどとは、想像だにしていないうちの一人だった。

「あるいは、そんな風な直接的な死が近くで起きる状況で無くても、人生にいき詰まったり、自身の存在そのものに疑問を抱くというか、自身の居場所を上手く探せずにいた場合、強い孤独や不安を感じることだって、あるだろ?。」

「うーん、どうだろう・・。オレは・・、」

鋭の指摘に、いまいち賛同出来ない仁の様子を見て、

「ははは。オマエは幸せ者ってことさ。そういう感覚を抱かずに生きて来れたんだから。」

「そうかな?。」

「そうさ。普通は、一般的な家庭というか環境に育っても、何らかの理由で、そんな心理に陥る。そして、それが過酷な家庭環境であれば、なおさらさ。オレもそこまで酷くは無かったが、今思い返せば、こんな風に何でも分析的にものを考えるようになったのは、そういう背景があったからだとは思うよ。」

「それって、聞いてもいいか?。」

長い付き合いの二人ではあったが、鋭の現在のキャラを貫く、そのような批判精神の起源を、仁は全く聞かされてはいなかった。それ故、今はかなり強く興味を抱いていた。

「ま、あんまり人にいえた話じゃ無いけど、うちの親がその昔、変な宗教に凝っちゃって。知り合いから勧誘されたみたいなんだけど。その後、寄進と称して、矢鱈散財したり、家族にも信仰を強要したり、阿下喜の果ては、ご近所もどんどん勧誘するって事態にまでなって、結構トラブルになったんだ。」

「そんなに熱心だったのか?。」

「熱心というよりは、オレから見たら、何か取り憑かれたって感じだったな。で、結局は、そういうのが原因で、引っ越すことにもなったし、そんな気持ちが解けるようになるまでは、随分と時間が掛かったなあ・・。」

「そんなにのめり込むなんて、余程、心の中に不安とか抱えてたのかな?。立ち入った話で悪いけど。」

仁は、身近にそのようなことになった人物がいなかったので、鋭の話を聞いて、さらに興味を深めていった。

「いや、多分、そんな大きな切っ掛けは無かったとは思うな。それまでは、順風満帆な、普通の家族だったし。でも、その日を境に、殺伐とまではいかないけど、何をどうしていいかは、全く解らない状態だったな。で、オレは受験を控えてたし、妙なことで自身の将来を台無しにするつもりも無かったから、極端に酷い状態にならないなら、例え我が家でも、我関せずなスタンスを通したよ。」

「まあ、その方が無難ってことなのかな。」

「ああ。でも、反面、何故親がそんな風に変貌したのかについては、徹底的に調べ物はしたかな。そうすることで、ちょっとでも解決策のようなものが見つかればって思いで。でも、結局は見つからなかった。その内、環境が変わったことで、親も自然と元通りになってくれたのは幸いだったかな。」

「良かったよな。本当に。」

「ああ。でも、その時のことが、やっぱりオレの中でも未解決なまま、自身の心の中心に、ドカッと腰を下ろしてる。そして、その時の者の考え方が、今の自分を大きく、強く形成したってのは間違い無いかな。」

「その理屈っぽさか?。」

「ああ。でも、それだけで済んだというか、そういうものの考え方が出来るようになっただけ、まだ有り難い方かな。少し前のニュース、覚えてるか?。」

「ニュース?。どんな?。」

「元首相が襲撃されて、手製の銃の銃弾に倒れたってやつ。」

「ああ、あれか!。」

鋭は座り直しながら、少し姿勢を正すと、話を続けた。

「ああいうのを見ると、オレにとっては決して人ごとじゃ無いなって、そう感じるな。あの犯人は、ともすれば、オレだったんじゃ無いかなって。そういう衝動も、たまにだけど、あるかな。」

「・・そうか。怖い話だけど、さっきのオマエの話を聞いた後だと、何となく頷けるなあ。」

「信仰って、人々の不安を救ったり、和らげるものだとばかり思ってた。昔はな。でも、歴史的な背景を学んだり、家族の中にそういう歪な信仰心を持った者が出ると、決してそうじゃ無いってのを、強く感じたなあ。人を惑わすというか、人を人じゃ無い状態にさせてしまうというか。」

「自己喪失ってやつか?。」

鋭の話に、仁はどこかで聞いたことのある言葉を当てはめてみた。

「うん、そういうときって、自制心とか理性って、喪失状態なんだろうなー。太古の時代、シャーマンが憑依しながら物事を占うのも、ある種の自己喪失だもんな。」

鋭は仁の形容を切っ掛けに、自身の知る最も古いであろう、宗教の起源について話した。

「それって、どれぐらい前のことなんだろう?。」

「シャーマンか?。さあ。歴史というか、文字という文明が起きて以降の記録は残ってるけど、それ以前の記録は、残しようが無いもんな。だから、歴史に記載されてるよりも、遙か昔からなんだろうな。」


 仁は、文化や文明と、ほぼ同時代に宗教的なものも興っていたのだろうと、勝手に思い込んでいた。しかし、鋭の話を聞いて、その考えが一気に変わった。

「じゃあさ、そういう何か神様的なものを崇める真理って、サルが人間に進化する過程の何処かで、既に生じていたってことかな?。」

「あのさ、サルが人間の起源じゃ無いからな。」

仁は自分なりに思いついた、いいことを話そうとしていたが、生物系の例示に、鋭が引っかかった。

「え?、違うの?。」

「我々人類と、ニホンザルに共通の起源となる、人型というかサル型というか、そういう生物がいたらしいんだよ。そして、在るグループはサルに、そして、在るグループは人間に進化した。」

「へー、そうなんだ。じゃあ、その起源となった生物って、何処にいるの?。」

「いや、それは化石などの証拠で類推するしか無いみたいだな。丁度中間的な存在って、その後現れた生物に淘汰されて、消えていくらしい。」

「ふーん。」

「ま、それはともかく、オマエの指摘は、かなり鋭いかもな。オレも正直、宗教の起源となると、全く判断材料を持ってない。でも、野生のサルや、その仲間が信仰のような概念を有してるとは思えないから、恐らくは人類だけが、そういうものを感じたり信仰したりしてるんだろうな。それが何故必要になったのかを推測すると、我々が文明や文化を有する以前の生活の段階で、既にそういう感慨のようなものを持っていないと、辻褄が合わないもんな。文明が生じて暫くして、急に宗教が興って、信仰を始めます・・じゃ、どう考えても可笑しいしな。」

「だよな!。」

仁は、自身の思いつきが鋭に評価されて、ご満悦だった。そして、

「じゃあ、それって、何時、どんな風になんだろう?。」

と、あらためて鋭にたずねた。

「だからあ・・、そんなのが解ったら、歴史学者も考古学者も苦労はしないって。アニメキャラに出て来る、ネコ型ロボットに頼んで、タイムマシンに乗せてもらうしか、確かめようが無いじゃないか。」

「あ、そっかー。オマエでも駄目かー。」

「オレは、時間の概念を遡る理論なんて、思いつかねーよ!。」

鋭はからかい半分で、しかし、人類の科学的限界を端的に述べた。

「でもさ、やっぱ、宗教って、怖いんだよ。」

ふざけながら、暫し盛り上がった二人だったが、鋭が何気に呟いたことで、再び空気が一変した。

「怖い・・って、オマエの家であったことみたいに?。」

「いや、そういうんじゃ無くって・・。」

鋭は宗教の二面性について語り始めた。

「神様を信じるっていうか、人間の存在を超えた、超常的な存在を想定するというのが、人間が他の類人猿とは異なる最大の部分らしいんだけど、そういうものが存在して、そして、それを人格化させて、そういうものが作り出した律というか、それに則して人々は生まれ、そして生きてるって考えが、太古から今まで、ずーっと続いてる。これだけ科学は発達した現代においてもだ。」

「うん。そうだよな。」

「例えば、病気になったりしても、医師による科学的根拠に基づいた治療法を提示されても、信仰上の理由で、その提案を拒否する場合も、少なからずあるみたいなんだ。」

「え?、命を危険に晒してもか?。」

「うん。その層の人達にとっては、科学的根拠よりも、自らの信ずる教えの方が、遙かに上回る。そういう心理なんだろうな。そういうの、解るか?。」

「いや、解らない。」

「だろ?。オレだって同じさ。だから、繰り返しになるが、オレ達は宗教というものを、根本的には理解していないし、この先も、理解出来るとは、ほぼ思えないな。」

「まあな・・。」

「でも、それがどういうものかという、観察眼でなら、ある程度捉えることは出来る。」

鋭は、信仰心でも宗教観でも無く、科学的な目で捉えた、自身の宗教に対する感慨を述べ始めた。

「まあ、起源はどうあれ、宗教ってのは、人々の救済を謳っているものが多いというか、殆どかな。故に、その教えを乞うて集う人々が数多存在する。つまり、巨大な集団に自ずとなり得る。その時代その時代の王朝や権力組織が樹立されると、大抵はその傍らに、同じく権勢を振るう宗教組織も立ち並ぶ。そして、ある時は互いに協力しながら、またある時は、対立に発展し、どちらかがどちらかを蹴落とそうとしたりもする。いずれにしても、それほどに、宗教の組織化、膨大化は強力なものになる。さらには、寄進が集まる構造が出来上がっていれば、資金力も半端無い。」

「金がものをいう時代なら、なおさらかあ。」

「そういうことなんだよ。うちの親も、かつてはその構造に組み込まれていたからな。一つの家庭でも結構高額な資金がお布施と称して吸い上げられるから、信徒が多ければ、集まる資金も莫大ってことさ。税制上、非課税なる部分があるのも、ま、大きいかな。」


 鋭は、現在の巨大化する宗教組織について、簡単に概要を述べた。そして、

「ま、同じ価値観を有しながら、共に信仰をってのは、仲間意識も高まるだろうし、行っている人達自身にとっては、幸福感に直結するものだろうな。そういうのが、大きな意味での宗教の一面かな。」

「じゃあ、もう一つの面って?。」

「禅宗って、しってるか?。」

「あの、山奥か何処かで、お坊さんが座禅組んで、たまに長い棒で後ろから打たれるって、あれか?。」

「偉くザックリな認識だなあ・・。」

鋭は仁のうろ覚えな知識に、眉間に皺を寄せながら返事をした。

「仏教の一宗派なんだけど、昔、ブッダが悩みに悩んだ末、悟りを開いたって現象があってな。」

「悟り?。」

「うん。まあ、この世の全ての現象に通ずる、何か途轍もない発見って感じなのかな。オレも自分が悟った訳じゃ無いから、その中身や感覚は分からないぜ。でも、そのことを切っ掛けとして、彼の教えがアジアに広まっていった。そして、その悟りを開いた時と同じ瞬間を体得すべく行う修行が、座禅らしい。そして、そういう鍛錬を中心に日常を送る宗派が禅宗かな。」

「へー。お寺とかはあるいたいだけど、普通のお寺とは、ちょっと違うって感じかな?。」

「らしいよ。修行が中心なんだって。で、さっきいった大きな組織化した宗教は、一般の人達も普通に集う、そういうものだけど、こっちの方は、個々がひたすら修行することで、悟りの心境を得ようとする、超個人的体験っていうらしいんだ。」

「超個人的?。」

鋭が語った抽象的なワードに、仁も思わずたずねずにはいられなかった。

「うん。絶対個というか、自身とこの世との現象とを真剣に対峙しながら、やがては自他の区別も無く、完全に一つの状態というか、溶け合った状態というか、自身の存在を無として感じるらしいんだ。」

「無って、無くなるってことか?。其処に座ってるのに?。」

有るのに対して無いということしか想定出来ないのに、自身が無になるなど、仁には全く想像がつかなかった。

「らしいよ。物質的な話じゃ無くって、感覚的な話な。そういう修行って、完全に一個人として、真剣に向き合う鍛錬なので、大勢を従えてのものとは対極にある。そんな感じかな。そして、そのどちらもが、やはり宗教でもある。」

「全然別物なのにか?。」

「其処なんだよ。世界中で色んな宗教が興っていて、信ずる対象も異なるのに、自身の存在を貫く根本的な疑問に対する答えを得ようとした際、修行の様式って、何故か共通する部分が多いみたいなんだ。人里離れて、静かな所でひたすら瞑想状態になる。俗世的な欲望も一切捨てて。そうすることで、今までに体験したことの無い、天啓のようなものが訪れる。そういう一連のプロセスが、世界中で共通している。国内の宗教に入り口の相違はあっても、突き詰めれば同じ所に辿り着くってのは、あっても不思議じゃ無いかな。」

「へー、瞑想かあ・・。じゃあ、宗教じゃ無くって、ヨガなんかも、その修行の部分ってことかな?。仏教と同じく、インド発祥みたいだし。」

「それはそうみたいだな。瞑想に入る前に、正しい姿勢になって、正しい呼吸法を行う。そして、そのまま瞑想状態に入る。人間って、腹式呼吸を行うことで、副交感神経が働き出すと、ある種のトランス状態になるらしいけど、それがポイントなのかな。」

「オマエ、本当に詳しいな。自身がやってる訳でも無いのに。」

仁は、鋭のあらゆる方面に対する造詣の深さに舌を巻いた。しかし、

「オレの話がそんな風に聞こえるのは、ネット社会のお陰さ。昔は自分で書籍で調べるか、自身の足で稼ぐしか無かったのが、今は此処にこうして座って、ひたすら検索すれば、大抵の情報は得られるからな。凄い時代だよ。」

鋭は謙遜では無く、そういう情報を得られる環境の恩恵を、熟々有り難く感じていた。それ故に、自身への評価を決して過大には行わなかった。

「で、ここからが本題なんだが・・、」

鋭は宗教とメディアについての問題点を挙げようとした。

「ちょっと待ってくれ。オマエの話を聞くだけじゃ無くって、頭を使いながらだったから、腹減っちゃったよ。」

仁は、一旦給油をしようと、鋭に申し出た。

「賛成だな。よし、ちょっと腹ごしらえにでもいくか。」

そういうと、二人は連れ立って、近所のファミレスに出かけた。鋭の家からそう遠く無い所に、いきつけのファミレスがあった。二人はドアを潜ると、お決まりの角席に陣取って、ドリンクと食べ物を注文した。そして、やって来たのはパスタとピザだった。

「この国にいながら、イタリアンが普通に食べられる方が、宗教の伝来よりは凄いかもな。」

「はは。確かにな。」

二人は黙々と食べ続けた。運動後ぐらいに、体内の血糖値を思考に使い果たしているかのように。そして、十分お腹を満たした二人は、ジュースを飲みながら、

「あー、何か、さっきみたいに語るの、ちょっと面倒になって来たかな・・。」

と、ともすれば鋭に叱られそうなことを、仁は口走った。


 ところが、

「はは。オレもさ。お腹が満たされたら、消化のために胃に血がいくから、頭が回らなくなる。当然さ。まあ、でも、こんな具合に、我々は日頃から食糧に満たされてるだろ?。」

「だな。」

「そういう状況が歴史的に得られなかった地域というか国家ほど、常に空腹状態にあったんだろうな。だから、気持ちも殺伐としてたのかも知れない。で、そのまま殺伐なる衝動を実行に移すのか、それとも、そんな過酷な状況にありながらも、何とか争わずに、互いに生きようとするのか、そういう選択肢が生じて、後者の側を求めて止まない人達の間で、ある種の宗教観って生じてきたのかも知れないな。」

そんな風に語り合っているうちに、二人のお腹も次第にこなれてきたらしく、

「ちょっとは頭が回るようになったかな。」

「だな。」

と、食前に交わしていた議論の続きを始めた。

「さっきオレ達が話してたのって、自分たちは信仰心が希薄だって話題だったけど、そのスタンスって、実はメディアも同じなんだよな。」

「え?、どんな風に?。」

鋭の指摘は、仁を驚かせた。メディアというものに対して、総じて批判的なのが鋭のスタンスなのを、仁は十分に知っていたからだった。

「メディア、特に報道は、客観性を重視する。故に、取材対象に距離を置くというか、感情移入をしないように努める。それは解るんだけど、その報じ方が、何ていうのかな、信仰心の厚い層を、奇異な目で捉えてる感じがしてな。」

「奇異な目って?。」

「自分達とは違う、変わり者といった風に見る目。」

「へー。オレは其処まで考えたことは無かったなあ・・。」

「ま、オレだけの見方かも知れないけど、そんな風に、メディアはいつのまにか、中立なるものが正しいって雰囲気を醸し出すようになっていった気がしてな。それだけなら、オレも特に何も思わなかったんだけど、正しさって基準と、其処から離れてる度合いで、それぞれの立場にいる人や、その価値観を測りだした気がしてな。で、思ったんだ。そんな権限、何でオマエらにあるんだよって。」

「じゃあ、あれか?。サブカルチャーに傾倒してる若者を撮影した番組も、ある種、スタンダードと如何にかけ離れているかって例か?。」

「おお!、それそれ。そうなんだよ。」

仁の頭が冴えてきたことに、鋭は目を輝かせた。

「例えば欧米の場合、誰がどんな格好をしたり、どんなものが好きなのかなんて、いちいち周りが気に留めないというか、完全に個人主義の文化らしいんだ。だから、個性ってのが尊重される。でも、この国では、みんなとは異なる外観や内面を備えてるっていう、ただそれだけで、まずは話題に上るだろ?。」

「うん。」

「そんなの、別に放っておきゃいいのに、番組になるからって、わざわざ取材したり、それを面白がって放映してるのを見ると、悪意というんじゃ無く、如何にスタンダートとして正しさを暗に掲げてるのかってのが、透けて見えるような気がしてな。ちょっと穿った見方過ぎるかな?。」

鋭は自身の持つ感慨を、仁にたずねてみた。

「オマエがそんな風にいうまでは、オレもみんなと同じというか、ただ単に、報じられてる番組を面白おかしく眺めてるだけだったな。でも、そういう風にいわれてみると、確かにメディアって、そのスタンスから全然抜け出せないでいるって感じだな。それよりも、寧ろ、正しくあれっていう、無言の同調圧のようなものを感じるな。」

「だろ?。それが、今オレにとっても、一番気になる所なんだよ。オレ達は、信仰心が厚いか否かで、人を測ったりはしない。人それぞれでいいと思ってるからな。オレ達は。でも、この国の文化は、根本がそうじゃ無い。学校の現場なんかでは、個性の尊重とかいわれてるけど、その実、イジメとかあったりする訳だろ?。」

「うん。」

「あれも、一対一なら、全く存在しない概念じゃん。イジメなんて。一対多だからこそ、イジメという現象として存在する。そのことと、メディアのスタンスが、オレにはどうも、同じに見えてな。」

「同じ・・かな?。」

「だって、正しさって、万人が受け入れやすい、便利な概念って、前に説明したろ?。」

「ああ、いってたな。」

そうやって、万人を引き込んで、少数派を嘲笑う。あるいは、自身達が掲げる正しさに見合わない者を、自分たちとは違うといって批判する。それって、イジメの構図そのものじゃん。」

「なるほどなー。」

「ということは、そんな風に、自身の価値観に見合わなかった者を阻害してるから、ゆく末って・・、」

「自身がイジメの対象になる!。」

「自身がイジメの対象になる!。」

二人は期せずして、同じことをいった。彼らはかつて同じクラスに属していたとき、そのような現象を見たことがあった。とある女の子が、自分の気に入らない子を、仲間と一緒になじっていたが、とある瞬間から、些細なことが切っ掛けで、イジメの首謀者が、逆にイジメられるようになったのだった。


 鋭の理性的な視点と、仁の感性に基づいた発想が相まって、二人の話は絶えず何らかの盛り上がりを見せた。そうこうしていると、新たな客が二人の隣の席にやって来た。

「あー、飲んだなあ。」

「ホントにな。」

現場仕事を終えて、そのまま何処かで一杯引っ掛けてきた、そんな雰囲気の男性二人組だった。

「しこたま飲んだから、何かサッパリしたもんでも食うか。」

「おうよ。」

鋭と仁は、隣の会話を聞くとは無しに聞いていた。声が大きかったからだった。

「じゃあ、パスタとトンカツでいくか!。」

「オレはラーメンと親子丼。」

一体、そのメニューの何処がサッパリなんだよと、鋭と仁は思いつつも、隣の席から聞こえる声があまりにも大きかったので、自分たちの議論を一旦中断していた。

「ところでよ、例の話題、盛り上がってんな!。」

「話題?。」

「ほら、お笑いタレントのスキャンダル。」

「あー、あれな。」

隣の二人も、あろうことか、自分たちと同じ話題で盛り上がり始めた。やはり、世の中がひっくり返るぐらいの大騒ぎになってるのは、間違い無さそうだった。

「でもよ、あれって、何がいけねえんだ?。」

一人の男性が、ビールのジョッキを片手に、もう一人の男性にたずねた。

「ん?。そりゃオメエ、女の意に反して、しようとしたからだろ?。」

「あれを・・か?。」

「決まってんだろ!。男と女が、上手いもん食って、上手い酒飲んで、その後二人でってなったら、することは一つだろう。」

そういいながら、もう一人の男性も勢い良くビールを飲んだ。

「でもよ、それだったら、両方がそれなりにOKってなってたんじゃねえのか?。」

「いやー。大抵は男が先走る。だろ?。」

「まあな・・。」

「でよ、何ていうのかなー、お互いが対等っちゅーか、そういう関係なら、男も気を遣いつつ、女を落とそうとするだろ?。」

「ああ。」

「でもよ、立場が偉くなっちまったり、妙に金回りが良かったりすると、そういう、自分の能力じゃ無いものに頼って、女を落とそうとするだろ?。」

「そうなんかな?。オレ、偉くも金持ちにもなったこと無えから、解んねえや。」

「ははは。ま、そりゃそうだ。」

二人は時折、大声で笑いながら、ビールを飲んだ。豪快な喋りっぷりに、鋭と仁は、ジュースを飲みながら、隣の話に聞き耳を立てていた。

「ま、でもよ、たまに付き合いで、ちょっといい店にいったりするじゃねえか?。そん時に、如何にもお偉方って感じの紳士が、見た目こそ小綺麗だけど、端で聞いてたら、口説き方が全然なっちゃいねえってーの、あるだろ?。」

「うーん、オレ、ほとんどそういう店にはいったこと無えからなあ・・。」

「ま、別に、店で無くてもいいんだけどよ、女ってーのは、兎角、恥を掻かされるのを嫌う生き物なんだ。」

「恥?。」

「ああ。」

「それって、男も同じじゃあ?。」

「ところが違うんだな。これが。」

鋭はあまりジロジロ見ては失礼と思いつつも、その手のことに長けてそうな話しぶりをする男性を見てみた。すると、言葉こそ粗雑だったが、端整な顔立ちで、なおかつ優しそうで、如何にもモテていただろうという雰囲気の男性だった。

「男は仕事でしくじったりしたら、ドヤされたりするだろ?。鼻っ柱をへし折られるっちゅーか。だからよ、プライドなんか必要以上に持ってたら、成長しねえんだよ。」

「そりゃ、そうだな。」

「ところがよ、女ってーのは、どうしても感情的に譲れない領域みたいなのを、心の中に持ってるんだ。それは理屈じゃ無え。だから、其処を傷つけないように、どう扱うか。それが肝心なんだよ。」

「へー。そういうもんなんか。」

「ああ。でもよ、さっきもいったように、男女の関係が対等だと、互いの人間性っちゅーか、持てる能力同士のぶつかり合いになるんだけど、立場が上になったりすると、無意識のうちに相手を見下したり、ともすれば自分の思い通りに事が運ぶと、そう思い込むヤツも少なくねえんだな。これが。」

「へー。」

「人はよ、成功したくって頑張る。それは解るんだが、それと引き換えに、本来の自分というか、以前の自分と同じままではいられなくなる。その切っ掛けが、さっきもいった、偉さと金さ。そいつは、人を変えちまう。」

「それって、何でかな?。」

「ま、周囲が変わるからだろ。偉い人間を前にしたら、大抵の人間は媚び諂うし、金の面を見たら、尻尾を振る。そういうのを度々経験してると、いつの間にか、周りが自分の思い通りに動いてくれるって、そう思っちまうんだろうな。」

「へー。そいつはちょっと、羨ましいな。」

「そう思うか?。」

「だって、自分の思い通りになるんだろ?。」

「上辺はな。」

二人の話が殊の外面白く感じた鋭と仁は、もう聞き耳だけでは済まない状態だった。もしこれがドラマか舞台のワンシーンなら、幾分でもペイして、もっと聞いてみたいとさえ感じていた。


 話の合間に、隣の二人は散々飲み食いしつつも、やはり興味深い話を続けた。

「そういう状態を、心地良いって感じるだろうが、みんながみんな、同じように自分にいい顔をしてくれるとは限らない。相手だって人間だからな。たまには、こっちの思い通りの反応をしてくれない女も現れる。そうなったら、どうする?。」

「どう・・って、そりゃー、もっと金を積むとか?。」

「金でうんといってくれなかったら、どうするって話さ。」

「でもよ、それって、普通じゃ無えのかな?。世の中、金だけじゃ無えだろ?。」

「ははは。オメエは健全だよ。勿論そうだけど、今まで金で相手を頷かせていたのが、急にそれが出来なくなったら、男はどうする?。」

「うーん、もう手が無きゃ、諦めるかな。」

「ところが、よ。一旦偉くなっちまったら、引っ込みが付かなくなるんだよ。諦めきれねえってな。それでも、どうしても拒まれることだってある。そん時に、自尊心を傷つけられたって感じた男は、相手を詰る。そいつが最悪なのさ。」

「じゃあ、今回、騒動になってるのって、そういうことか?。」

「さあな。オレも記事の内容はあんまり読んで無えけど、偉くて金持ってる男が、女と揉めるって、大抵はそのパターンって話さ。」

そういうと、男性は豪快にビールを飲んだ。

「オレはオメエと違って、女にモテたこと無えから、口説くのとフラれるのが、ほぼ同数だな。だから、そんな駆け引きとか、まどろっこしいのは面倒だから、専ら風俗専門さ!。」

「ははは。オメエらしいや。でも、その方が後腐れな無くて、いいやな。」

「まあな。確かに性欲は満たせるけど、でも、それだけさ。たまには、燃えるような恋もしてみてえもんだよなあ・・。」

もう一人の男性を見た仁は、正直冴えない顔つきだなとは思いつつも、彼の話しぶりに、何処となく親近感のようなものを覚えていた。

「まあ、人それぞれ、得手不得手ってのがあるからな。オメエは正直だから、そのうち、其処に惚れる女が出て来るかもよ。」

「ホントか?。」

「ああ。女を落としたくって、腹に一物あるヤツは多いが、そういうヤツは、モテてるように見えても、本当の恋心ってーのを知らねえ。その点、オマエは純粋だ。其処にグッと来る子は、世にはいるもんさ。」

「ほっほー!。何かオレ、俄然やる気が出て来たぜ!。でもよ、素朴な疑問なんだけど、オレがモテないってのは解るよ。この面だし、女の扱いは下手だし。対するオマエは、女にはモテたんだろ?。」

「モテたって、何で過去形なんだよ?。」

「だってよ、大抵オレと連んでるからさ。」

「そりゃー、同じ仕事だし、仕事終わって飯いくのも一緒ってだけさ。ま、気も合うしな。」

「じゃあ、オレと会った後に、女の子と宜しくやってんのか?。」

「あたぼうよ!。と、いいてえところだが、流石に最近は、そうでも無えかな。」

「どうして?。年で中折れでもするのか?。」

「馬鹿野郎!。あっちは毎晩、ビンビンよ!。」

下世話な言葉も度々飛び出したが、鋭と仁には、まるで落語か漫才の掛け合いのように、二人の会話は響いた。

「そんなにあっちが達者なのに、何でいかなくなったんだ?。女の方に。」

「うーん、さっきオメエがいってた、燃えるような恋ってヤツかな・・。」

「え?、オマエ、かみさん、いなかったんじゃ?。」

「ああ、いねえよ。でもよ、ちょっと前から、気になる女が出来ちまってな。」

「へー、どの子?。」

「オマエの知らない子だよ。」

「素人か?。」

「当たり前だろ。オレは風俗にはいかねえからな。おふくろの介護で、預かってもらってるところがあるんだけどよ。其処で働いてるスタッフの子が、何ていうのかな・・、妙に色っぽいというか、」

「じゃあ、体目当てじゃねえかよ。」

「最期まで聞けよ。その子が、本当に、親身になって、おふくろを見てくれるんだよなあ。勿論、仕事だからってのもあるだろうけど、それだけじゃ無え、心からっていうか、そんな雰囲気がひしひしと伝わってきてな。」

「ふーん、何かそれ、いい話だな。」

「だろ?。オレもそんなに若くは無えから、何年か前から女遊びもしなくなっててな。次の日、仕事がキツイ現場だと、疲れ引きずったままじゃ危ねえからな。だから、久しく女とは遊んでなかったんだよ。」

「だから、毎晩オレと飲んだり食ったりしてたんか?。」

「ま、それもあるかな。でよ、久しぶりに、その子を口説いてみようかなって、そう考えたんだが、どうも上手く言葉が出なくってな・・。」

「何でだよ?。昔取った杵柄じゃ無えか。いつもみたいに、口説きゃいいじゃねえか。」

「オレも初めは、そう思った。でもよ、そう考えれば考えるほど、オレの恋愛観って、本当に独りよがりだったなって。その子は、相手のために一生懸命に世話をしてくれる仕事だぜ?。そんな子を好きになっちまったら、ますます部分のして来たことが、恥ずかしく思えてなあ・・。」

あれだけ勢い付いていた男性だったが、その話題になって以降、ビールのピッチも次第に落ちていった。


 もう一人の男性は、何かアドバイス的な言葉をかけてあげようにも、自身には好きな女性を口説けた例しがなかった。しかし、

「あのさ、さっきオマエ、オレが正直だって、そう褒めてくれたよな?。」

「ああ。」

「じゃあさ、オマエがその子のことを好きってのを、正直にいったらいいんじゃねえのか?。正直って、いいんだろ?。」

「・・うーん、まあな。そりゃ、さっきはオマエにもそうはいったよ。でもよ・・、」

かつてモテていた男性は、腕組みをしながら、少し考え込んだ。

「なんだよ。オマエらしくも無いな。多分だけどよ、オレは自分が正直だってーのを、オマエがいってくれるまで気付かなかったのと同じように、オマエも自分のことが解ってるようで、実は解ってないんじゃ無えのか?。」

「自分のことが・・?。」

「ああ。人って、大抵、そんなもんだろ?。自分じゃ自分が見えねえ。だから、人の振り見て、我が振り直すとか、そんな諺があるじゃん?。」

「へー。オマエ、なかなか、いいこというな?。」

「へへ。そうか?。」

「ああ!。今のは、何か、効いたぜ!。なまじ、遊びすぎてたから、自分の気持ちに正直にってのを、忘れちまってたのかもな。有り難うよ!。」

「いやー、いいって。」

そういうと、男性は気を取り直して、また二人で乾杯した。その様子を、相変わらず無言で聞いていた鋭と仁は、隣の二人の語りと、其処から伝わってくる深い友情に、得もいえぬ感動のようなものを覚えていた。そして、鋭は無言のまま仁を見た。すると、仁も鋭の方を見た。二人は目が合うと、何とも微笑ましい顔で、互いを見つつ、軽く頷いた。

「よーし!。オマエのお陰で、オレも俄然、やる気が出て来たぜ!。早速、明日にでもアタックしてみるか!。」

「おお!。それがいい!。善は急げだ!。」

「善・・かな?。それって。」

「恋愛成就は、いいことだろ?。」

「まあな。」

「じゃあ、善だよ!。」

二人の小気味いい会話が蘇ると、

「さっきの話だけどよ。例のタレントの。」

男性は話題を元に戻した。

「あの話、実はもう一つ、肝心な部分があってよ。」

「どんな?。」

「確か、合コンみたいなのは、高級ホテルか何かでやってたんだろ?。」

「みたいだな。」

「でも、帰りの足代とかって、微々たる銭しか渡さなかったっていってたな。」

「あー、そんな風に書いてあったかな。又聞きだけど。」

「それってよ、別に、威圧的でも無いし、確かに幾分かは金を渡してるから、一見、悪い話でも無さそうだけど、でもよ、それって、一番キツイんだよな。」

「キツイ?。」

「ああ。何かこう、ボディーブローみたいによ、何時までも痛みっちゅーか、怠さみたなのを引きずるんだよ。」

「それって、どういうことなんだよ?。」

「ま、要は、ケチってことさ。」

「あー、確かに。」

「これって、些細なことに見えるだろ?。でもよ、人は相手からケチな行為を受けると、思いっきりぶん殴られるよりも、案外忘れないもんなんだよなあ・・。」

「へー。其処かでか?。」

「ああ。オレが以前勤めてた所でよ、親方が時折、昼に飯おごってくれたんだけどさ、そのメニューってのが、毎回唐揚げ定食なんだよ。お持ち帰りの。」

「うわー、それ、ちょっとキツイな。」

「だろ?。確かに唐揚げは美味えよ。でもよ、午前の仕事終わって、昼に何食うかを選ぶのって、楽しいじゃん?。」

「そりゃな。」

「そんなときに、おごってもらうのは有り難いけど、選ぶ楽しさを台無しにされた気分ってーのは、何時までも記憶に残ってな。しかも、それって、飯の話じゃん?。いわば、人間の根本というか。そういう所に気が回らないってことは、当然、他の部分にも気が回らないってことに繋がる。案の定、その親方は、最期まで人の心を汲み取るのが上手くは無かったなあ。」

そういいながら、男性は遠い目をして、あまり思い出したくない光景を見つめているようだった。

「オレが女を口説き倒してたときって、若かったから金は無えわけさ。それでも、何とか成功させようと思ったら、取るべき方法は一つさ。」

「へー。それって?。」

「誠意!。これさ。とことん、口説く女に尽くす。それだけは違えたことは無かったなあ。ま、そういうのを、マメっていうんだろうけど、オレはそんなことが意識しなくても出来た方だったかな。で、仕事が順調になって、実入りが良くなってからは、金も使うようにはなったが、金で面叩くマネはしなかったな・・。」

「それって多分よ、オマエが女の子に心の底から優しいからじゃ?。オレはすぐに、やりたい気持ちが勝っちゃうから、そういうのが顔に出ちゃうのかもだけど、オマエは、やりたい以前に、女の子と恋愛というか、気持ちのやり取りをちゃんとしたいってのが、常にあるからじゃ無えのかな?。」


 その言葉を聞いたモテる男性が、

「そりゃオレだって、やりてえ気持ちはあるよ。男だからな。でもよ、それだけじゃ無え、何つーか、こー、胸にグッとくるとかって、あるじゃねえか?。オレは、そーいうのが好きなんだろうな。惚れた女の子とを思うと、胸が締めつけられるとかさ、暫く会えねえとなると、妙に切ないとかよ。そーいうのも引っくるめて、惚れた腫れたじゃねえのかなって。」

と、体の関係だけでは無い、意外ににプラトニックなものを語った。

「へー、オメエ、結構ロマンチストだな。」

「そーいういい方はよせよ。何だかこそばゆくなっちまうぜ。確かにオレ達は人間って動物だ。やることやらなきゃ、この世には生まれねえ。オレもオマエも、オレ達の父ちゃん母ちゃんが、やることやってくれたから、こーして飯食って、酒飲んだりできるんだ。」

「その通りだよな。」

「でもよ、そーいうのを、何かこう、オブラートに包んだようにいった方が、趣きがあるじゃねえか。」

「へー。趣きと来やがった。昔、学校の国語で、古典か何かの時に聞いて以来だな。」

「ああ。何か、源氏物語だったか?。平家物語だったか?。帝が色んな女に手えつけてってやつ。」

「そりゃ、源氏の方だな。平家つったら、芳一が耳千切られるやつだ。和尚さんが、耳にお経書き忘れたとか何とかの。」

「気持ち悪いこというなよ。ま、それはともかく、その源氏か?。やってることつったら、女を取っ替え引っ替えだろ?。でも、そーいうのをダイレクトにいっちゃうんじゃ無くって、情緒的っつーのかな、焦らしながら、あるときは相手のことを思いながらって、そーいう奥ゆかしいのが、何ともいいじゃねえか。な。」

「趣きの次は奥ゆかしいと来た。ま、でも、見えそうで見えないストリップも、初めからすっぽんぽんで舞台に出て来るよりはマシだしな。」

もの凄く文化的な話題の中に、もの凄く下世話な例示が交錯して、二人の会話は、何時しか周囲全てが耳を傾ける程になっていた。

「でもよ、話は戻るけど、あんなゴシップで飯食うような雑誌って、ホントにいるのかな?。」

無骨な男性が、モテる男性に、鋭や仁たちも議論していた、事の本質をたずねた。

「そりゃ、読むヤツがいるし、売れるからこそ、そういうものの必要性ってのがあるんじゃねえのか?。オメエだって、気になる女の噂話とか、たまに聞いてみたいとは思わねえか?。」

「そりゃ、まあな。でも、逆に聞いてゲンナリすることもあるから、やっぱ、聞かない方がいいかな。」

「ま、そこいらは、人それぞれだろうけどよ、確か、洞窟の理論だったか、洞穴の理論だったかってのを聞いたことがあってな。」

「ほう。それって、どんなだ?。」

「例えばよ、洞窟の外は猛吹雪。自分は洞窟の中だから平気。そんな具合に、外で色々と激しいことが起きるのを、見たい気持ちはあるけど、自分にはその影響が及びたく無いって話だったかな。だから、他人のゴシップも、自分に厄介ごとが降ってこないのなら、好奇心で聞きたいってなるんじゃ無えか?。」

「ってことは、オメエはああいうゴシップ雑誌に賛成って訳か?。」

「いや、一般論の話をしてるんだよ。世間的にというか、女性週刊誌が売れる背景って、そんな感じなんじゃねえのかなって。」

「じゃあ、オメエ自身はどうなんだよ?。」

「オレか?。オレは、自分の色濃いで手一杯だな。だからよ、人のこととやかくいってる暇が無えわな。」

「そうかな?。その割には、さっきからオレ達、この話題ばっか喋ってる気がするけどな。」

「ま、話題としちゃあ、面白れえからな。ただよ、そんなこんなも、有名なタレントさんであっても、身近じゃ無えよな?。」

「ああ。」

「でも、もし、そういう話が、ごくごく近しい所で起きてたとして、そのことを根掘り葉掘り聞きたがるヤツがいるってなると、どうだ?。」

モテる男性は、どうやらゴシップに纏わる、宜しくない経験をしているようだった。

「どおって、オレはそういうことが周りにも起きたことが無えからな。オメエはあるんか?。」

「ああ。随分前になるが、オレの連れに、ダブル不倫したやつがいてよ。」

「ほう。」

「で、結局、連れは女房と別れて、その不倫相手と懇ろになった。そのぐらいだったら、まあ、よくある話だわな。」

「よくかどうかは知らないけど、まあ、オマエがいうんなら、そうなんかな。」

「でな、その連れってーのが、とあるご夫婦と仲が良かったらしいんだが、その不倫の一件が、何処からともなく漏れて以降、そこの夫婦、特におかみさんの方が、急によそよそしくなったんだとよ。

「ふーん。何でそんな急に、態度をかえるんだろう?。」

「さあな。自分はモラルとか、そういうのをキッチリと守って暮らしてるのに、自分の快楽のために、そういうのを破る人間が許せないって、そういう心持ちなんじゃねえか?。よくは解らねえが。」

「そういうのも、人それぞれって風には、取ってもらえないって事かな。」


 モテる男性は、胸ポケットからタバコを取り出すと、それをくわえて、一服しようとした。

「よお。此処、禁煙だぜ。」

無骨な男性に指摘されて気付いたモテる男性は、

「お、そうだったな。」

そういいながら、タバコを胸ポケットにしまった。

「それでよ。さっきの話なんだが、よそよそしくした夫婦の旦那が、オレと顔見知りでよ。で、ある日、オレん所へ来て、連れの不倫に関して、何か知ってるかって、探りを入れて来やがったんだよ。」

「何でわざわざ?。」

「さあな。どうしても噂話の核心部分みたいなのを知りたかったんだろ。オレは一応、事情は知ってたけど、知らん振りして、適当に誤魔化したな。でもよ、そこまでして、自身の好奇心を満たそうとするってのを目の当たりにして、何とも悍ましい気分になっちまったなあ・・。」

「なるほどなあ。何となく、解るような気がするなあ。」

「ま、そんな訳でよ、ゴシップ好きの心理ってのは、何処にでもあるみてえなんだが、そん時、熟々思ったね。」

「何を?。」

「人の色恋気にして批判だの何だのって、くっちゃべってるぐらいなら、一度でもいいから、人生の全てをかけて、燃えるような恋愛してみろってよ。恋の炎に、身を焦がすぐらいのよ。」

「だからオマエ、色々と口説いて回ってたのか。」

「いや、口説いて回っちゃいねえよ。一つの恋が終わったら、また次に。オレは、毎回毎回、真剣だぜ。」

「へー。真剣な色恋のガトリング銃ってか。」

「何か、かっこいいんだか、節操無えんだか、訳が分からねえな。まあ、何でもいいや。歌にもあるけどよ、人生なんて、短けえんだ。だからよ、可能な限り、恋をしろって。」

「そりゃ、乙女に対していった言葉だろ?。オレは乙女じゃ無えぜ。」

「そんなむさ苦しい乙女が、一体、何処にいんだよ?。」

「むさ苦しくて悪かったな。」

こんな具合に、時折、喧嘩腰なものいいもあったりで、周囲は彼らの話に、飽きることは無かった。

「さーて、しこたま飲んで食ったから、ぼちぼちお開きにするかあ。」

そういうと、モテる男は伝票をさっと取って、レジに向かおうとした。

「此処はオレが払うって。」

無骨な男性は、おごられるのを快く思って無かったらしく、暫し、伝票の奪い合いになった。すると、二人の斜め向かいに座っていた老紳士が、スッと立ち上がると、伝票を奪い合ってる男性の元に歩み寄ってきた。

「あのお・・、」

「はい?。」

「はい?。」

二人はほぼ同時に返事をした。

「失礼とは思いましたが、さっきからアナタ方のお話を聞かせてもらいました。正確にいうと、アナタ方の声が大きいので、聞こえてしまったというべきか。ま、いずれにせよ、ワタシはアナタ方のお話を、いたく気に入りましてな。いやー、実に内容の濃い、そういう感想を持ちました。ですので、ここは一つ、ワタシにおごらせてもらえませんか?。」

老紳士の申し出は、あまりに突然だった。しかし、鋭も仁も、気持ちは老紳士とほぼ同じだった。一本気な男達の真剣な議論。恐らくは、曲がったことも大っ嫌いなんだろう。当然、みんなは、二人が老紳士の申し出を断ると、そう踏んでいた。ところが、

「そうかい、爺さん!。悪いねえ。じゃ、お言葉に甘えて・・。」

そういいながら、モテる男の手に、無骨な男もてを添えて、二人して老紳士に伝票を渡した。そして、二人して老紳士の肩をポンと叩くと、鼻歌交じりで、何処へともなく消えていった。後に残された老紳士は、少し拍子抜けといった表情だったが、自身の申し出を受け入れられたと、そうとらえると、手渡された伝票を持って、レジの所まで静かに歩いていった。さっきまで聞き耳を立てていた周囲の客達は、ようやく正気を取り戻したかのように、それぞれのテーブルで会話を楽しみ始めた。

「何か、豪快なんだか、セコいのか、訳が分からない状況だったな。」

仁が、鋭にそうたずねた。

「ああ。胸の空くような話っぷりだったな。でも、言葉は粗雑だったけど、実に含蓄があったなあ。」

鋭は、二人が語った言葉の端々に、物事の本質を突くような何かを十分に感じ取っていた。正にお腹いっぱいの心境だった。そして、

「理屈より実践が先んじる人生って、ああいうのをいうのかもな・・。」

と、未だ耳に残る彼らの言葉の余韻に浸っていた。

「うん。オレも理屈よりは実戦派という自負は多少はあったつもりだけど、今日ばかりは、自分が如何に井の中の蛙かってことが、良ーく分かったよ。」

「だよなー。でも、彼らのペースに引っ張られちゃ駄目なんだ。オレ達はオレ達のスタンスで歩めばいい。」

鋭は冷静さを取り戻すと、最初は難しかった、彼らの影響を払拭することが、ようやく出来た気分だった。

「じゃ、オレ達もそろそろいくか。」

「だな。」

鋭の言葉に、仁も頷くと、二人は席を立ち上がった。そして、互いに顔を見ながら、どっちが伝票を取るのか、暫し伺った。そして、

「割り勘でいいよな。」

「勿論。」

と、取り敢えずは鋭が伝票を持っていき、レジで二人は半分ずつを出し合って、店を後にした。


 某タレントのスキャンダルは、その人物がかなり大物だっただけに、そのこと自体が一つの問題提起となって、鋭の頭の中に大きく存在していた。故に、ゴシップを取り扱うことのみが、まるでメディアであるかのような思考に陥ったのも、ある意味、仕方が無かったと、鋭は反省しながら、そう考えていた。

「それにしても、メディアが矢鱈と正義を云々というか、掲げだしたのは、そもそも、どういうことが切っ掛けだったかな・・。」

と、鋭は、ワイドショー的にスキャンダルを追うのでは無く、事実を伝えるのを指名とする報道に着目した。ニュース映像は、毎日何らかの時間に決まって報じられる。その昔は、事実のみを淡々と伝えていたのが、いつの間にか、ショーアップされた報道内容や、タレント的な司会者を起用した、派手なものに様変わりしていった経緯があったが、鋭は、その変遷をオンタイムで見ていた訳では無かった。

「うーん、古い映像を見る限りでは、私見を述べるアナウンサーとかキャスターは、ほぼいないな。そういうのを声高に叫んでいるのは、ちょっと違った角度の番組みたいだな・・。」

鋭が特に着目したのは、政治に対する報道陣の在り方だった。今も政治とメディアの対立構造は、一定の形で存在してはいたが、権力の世界が生々しい昭和の時代には、その衝突は鮮明だった。

「権力に対しての監視的なスタンスってーのがあって、メディアの側が常に目を光らせている雰囲気だなあ・・。」

鋭は、かつての大物政治家が疑獄やスキャンダルを巻き起こした際の、メディアの動きや、その報じ方について色々と検索してみた。そして、鋭は報道記者の間で語られている、とあるワードにぶつかった。

「夜討ち朝駆け・・?。」

記者達は、政治家の邸宅等に張り込み、少しでも何か特ダネを得ようと、朝から晩まで躍起になって取材をする。そういう姿勢のことを表したのが、この言葉だった。まるで刑事のように、何故そこまでして張り込んだり、ぶっ続けで取材をする必要があるのか。鋭はその真意について、いろいろと分析してみようと考えた。

「とはいっても、オレ、政治の関係者に知り合いはいないしなあ・・。」

そう思いながら、鋭はかつて政治秘書を務めていた人が書いた暴露本や、それに近い発言がなされているサイトを覗いたりしてみた。

「ふーん、政治家って、報道では兎角揶揄される存在にはなってるけど、一日の活動スケジュールを見る限りでは、自身の時間がまるで無いって感じだなあ・・。」

とある政治家の一日について書かれた書籍の抜粋では、選挙前に協力を取り付けるべく走り回ったり、所属する党や派閥への根回し、そして、地元有権者への挨拶回り等、実に事細かに書かれてあった。それは、まるで頭を下げることこそが仕事であるかのような、そういう内容であった。

「うーん、毎日毎日こんなことしてて、仕事として魅力を感じる瞬間なんて、あるのかなあ・・。」

鋭はそもそも政治について関心のある方では無かったし、学生運動世代の父親の影響もあって、反骨精神を持つことこそが重要だという教育を、時代遅れながらも叩き込まれたので、無意識のうちに政治や権力に関することに対しては、一定の距離を置くスタンスが身についていた。そして、そのことが同時に、メディア本来の活動に対する理解を遅らせていたことに、鋭は気がついた。

「親父は権力を毛嫌いする傾向があったからなあ。でも、政治記者や新聞社は、寧ろ、敢えて彼らに近付いたり、突っ込んだ取材をすることで、少しでも権力がどのように秘密裏に動いているかを暴こうとしていたみたいだなあ・・。」

太古の時代なら、権力者の力は絶対的で、逆らうことすら難しかっただろう。しかし、時代を経て、民主化が進んだ国では、国を権力者の私物にする構造から、市民や国民自らの手で創っていくという、そういうものに変遷していった。そして、選挙によって代表者を選びつつ、国の舵取りを間接的に任せるといった構造が構築されていった。その流れは、ある種、理想的ではあるし、選挙によって多数決の原理で望ましい人物を国政に送り出すというのも、やはり理想的だろうと、そう感じなくも無い鋭ではあった。しかし、

「絶対権力の終焉を迎えて、理想的な民主主義になったはずなのに、何故相変わらず、権力構造の中では、問題が起き続けるのだろう?。」

鋭は、今まで見聞きしなさすぎたツケが、今になって回ってきたことに対して、若干の後悔を感じた。それでも、

「知らなかったら、今から知ればいいんだ!。」

そう自身を奮起させながら、次第に政治の腐敗的なものに対する記事を検索しては読み込むということを繰り返していった。学校で学ぶ政治は、基本的な構造や制度のみであって、今画面上に出て来るような際どい話題を聞ける機会など、殆ど無かった。


 あまりにも手つかずな領域ではあったが、鋭は検索結果で出て来る政治のスキャンダル的な話題を中心に、色々と読み込んでいった。

「ふーん。かつての幕府のときも、此処に書かれてる昭和の政府も、やっぱり、権力闘争ってものの本質は変わらないのかなあ・・。」

鋭はブツブツいいながら、画面の記事に没頭した。すると、

「よっ!。」

と、鋭は急に肩を掴まれた。

「わっ!。ビックリしたー!。」

仁がいつの間にかやってきたのを、鋭は気付かずにいた。

「声掛けてるのに、全然振り向かないからよ。」

「悪い。いや、ちょっと調べ物しててさ。」

「調べ物?。何を?。」

「うん。これ・・。」

そういいながら、鋭は仁に画面を見せた。

「あー、これかあ。角さんの話題な。はいはい。」

仁は画面を見ただけで、反応を示した。その速さが気になって、

「知ってんのか?。」

と、鋭はたずねた。

「当たり前だろ。超有名人だぜ。この人。」

と、仁の言葉に、鋭は自身が余程世間離れしていたことに、瞬時に気付かされた。

「確か、小学校しか出てないとかいってたな。で、その後、苦労して土建屋になって、その後、正解に打って出て、金で人を集めて巨大派閥を作って、トップにまで上り詰めた人物だな。」

「へー。詳しいな。オマエ。」

鋭は仁の説明に関心したが、逆に仁は、

「何いってんの?、オマエ。常識だよ。常識。」

と、浦島太郎でも見るかのような顔で鋭を見た。

「だって、かなり以前の人だろ?。」

「そりゃ、オレ達からすれば、随分前の世代の人だけど、戦後の歴代総理の中で、この人ほど影響力というか、インパクトのあった人は、いないんじゃ無いかな。」

「そんなに凄いのか?。まあ、立身出世を絵に描いたような人物っぽいけど。」

鋭が、その人物について、あまりにも知らなさすぎるのを心配して、

「まずは、この人物の動画を見るといいぜ。活字で説明されてるのを見るだけじゃ、この人の迫力は伝わってこないからさ。」

そういいながら、仁は鋭のPCを勝手に操作して、その人物に関する動画を検索した。そして、

「これなんか、いいんじゃ無いかな?。」

そういいながら、その人物に関するお勧めの動画をリストアップした。

「どれどれ・・。」

鋭も興味深そうに、その動画をクリックしてみた。とある講演会のワンシーンを収録したものだったが、其処に現れた人物は、脂ぎった顔に、ちょび髭を蓄え、だみ声で観衆に向かって語り始めた。そして、事あるごとに数字を口にしては、自身が掲げる政策やその根拠を具体的に説明していった。そして、講演の最後の方には、割れんばかりの拍手が起こるといった、そんな動画だった。動画を見えた仁は、鋭の方を見た。すると、鋭は口元に手を添えながら、動画の終わった画面をまだ見つめていた。

「どうだ?。」

仁がたずねた。

「・・・うん。何だろう、この感覚。」

「気に入ったか?。」

「・・・よくは解らないが、今オレが感じている感覚を、オマエに伝えることができたなら、その表現が一番適切なのかも知れない。」

「だろ。」

仁は、この人物をオンタイムで知っている訳では無かったが、家族や親戚から、この人物について聞かされることが多かった。それ故、日頃は知識の豊富な鋭に押されっぱなしなのが、今日は立場が逆転していた。

「確か、コンピューター付きブルドーザーってあだ名がついてたかな。学が無くて、ゼネコン系の出身だけど、数字を覚えたり語ったりする能力は卓越してたみたいだぜ。」

「ああ。今見た。」

「普通、国会の答弁って、つまらないじゃん?。最近はいい大学を出てる大臣も少なくないから、そつなくこなす大臣も多いけど、逆にたどたどしい大臣は、すぐに官僚に頼って、答弁を中断するじゃん?。でも、この人は、全てを自分の頭の中に叩き込んで、淀みなく話す。しかも、それだけじゃ無くって、次第に自身の論理に相手を巻き込んでいく。そんな、懐の深さみたいなのが、答弁にも出てるんだよ。」

仁の説明に、鋭はひたすら頷いた。全く以て、その通りだからだった。

「しかも、ドデカいスキャンダルも引き起こしたけど、それ以外の逸話も、かなり凄いみたいだぜ。」

そういいながら、仁は話を続けた。

「この人の横にいる、恰幅のいいメガネの男性がいるだろ?。」

「ああ。」

「この人も、初めは完全な敵対者だったらしいんだ。」

「敵対者?。」

「うん。当時の革新的新聞社で、政治記者かなんかやってたのが、ある日、この人を取材したことで、対立するどころか、うちに来いって、誘われたらしいんだ。」

「へー。で?。」

「まあ、一緒に天下を取る夢を、この人とだったら見られるって、そう感じたらしい。で、以後は、この人の右腕となって、最後まで行動を共にしたらしい。」

「ほー。敵さえも味方にしてしまうってか?。」

「ああ。ちょっと考えられないだろ?。でも、それがこの人の真骨頂なんだって。どんな人間も、たちまち魅了する。豪快さだけじゃ無い、そんな細やかさも、なかなかなものだったらしい。」


 そんな具合に、仁は件の人物についてのエピソードを、幾つも鋭に話した。苦労人が故に、自身が権力の座についても、料亭で下足番をしている人達にも、声を掛けたり、手を取ったりと、気遣いを怠らなかったことでも有名だったなど、今なお、彼の厚意を讃える逸話は語り継がれていると、仁は鋭に熱弁をふるった。

「・・・なるほどなあ。確かに、よそよそしいとか、冷たい雰囲気とか、そういうのとはほど遠い人物像ってーのは、窺えるかな。」

「だろ?。家の家族や親戚は、大抵、この人のシンパだよ。」

「でもさ、それだけみんなに好かれてるのに、何故、スキャンダルが起きるんだろう・・。」

鋭は単純に、人気者がそんな境遇に陥ることはないのにと、素朴な疑問を仁にたずねた。すると、仁はキョトンとした顔をして、

「オマエ、大丈夫か?。」

と、冷静に鋭に聞き返した。

「え?、何が?。」

「政治っていったら、今も昔も、金だろ?。お金がかかる。権力を手中に収めたら、金のなる木を得たも同然だけど、そこにいき着くためには、莫大な資金がかかる。必要以上に金がかからないように、法律で規制はされてるけど、そんなの上辺だけさ。だから、いつだって、記載漏れとか報告漏れって称して、後から金の流れがバレてるだろ?。兎角、政治には金がかかるってのは、昔も今も常識さ。」

仁はかなり具体的に説明したつもりだったが、それでも鋭には、いまいちピンと来なかった。

「政治家って、給料いいんだよな?。だったら、そんなに金集める必要無いじゃん?。」

鋭は無垢な顔で、仁にたずねた。仁は眉間に皺を寄せながら、頭を抱えた。

「あのさ、政治家一人が当選して、お給料やら活動費は下りるけど、その分で、秘書やら何やらの給与も賄わないと駄目なんだぜ?。しかも、地元に帰ったら、次の選挙で必ず投票してもらえるように、何かと配る必要もあるだろ?。」

「え?、でも、金とか、些細な土産物とかでも、配ったら駄目なんだろ?。法的に規制されてるし・・。」

鋭は、政治については、何処までも無知に等しかった。

「あのさ、世の中の人間全てが、法律を守って行動してるか?。だったら、世の中から犯罪なんて無くなってるはずだろ?。でも、厳然と存在する。っちゅーことはだな、法の規制はあっても、それを掻い潜ってでもやりたいことというか、衝動ってーのが、人間にはあるんだよ。」

鋭は熱弁を振るった。そんなこんなを繰り返すうちに、鋭も次第に政治に関わる人間が、どのような感情を抱いて、権力の中枢に群がるのかを、自分なりにシミュレーションしていった。

「そうか・・。世のため人のためとか、綺麗事でいってるのかと思ったけど、そういう人物達って、自然と義憤のようなものに駆られて動き出すんだろうな。で、それが人一倍強いから、さらに力を得て、理想とする国家なりコミュニティーを実現しようって考えるんだろうな。」

「だと思うよ。オレも。」

「でも、その実現に至るためには、権力の座に近付くか、その座を得る必要がある。そして、そのための手段として、より多くの賛同者を得る必要があると。だから、そんな賛同者に応えるべく、求められるものがあれば、それを叶えようと、彼らの欲しがるものを分け与える。そういうことか。」

「まあな。単純に考えてみなよ。何にも見返り無しに、見ず知らずの人が、自分のために動いてくれると思うか?。」

「いや。」

「だろ?。だから、アナタのために動いてあげるから、その代わりに、何か頂戴ってーのは、ごく自然な契約というか、約束だろ?。」

「だな。でも、その際に金品が動くことが常態化したら、常に何らかの見返りを渡すことの出来る、つまりは金持ちの意向だけに沿うような構造になっちまうって訳か・・。だから、そうならないために、法で規制すると。」

鋭は、金銭が飛び交う政治の状況を、そんな風に締めくくろうとした。ところが、

「はは。そんな風に、いくら規制したところで、手を替え品を替えで、また新たな方法で、同じことが起きる。悪いことなのに。それは一体、どうしてだ?。」

いつもとは立場が逆転して、今日は仁が鋭によく質問をした。

「うーん、善悪の判断なんて、ハッキリと線引きがされてる訳じゃ無い。当然、グレーゾーンもある。その幅は、人によってまちまちだ。だから、自身の価値観と照らし合わせて、法的にアウトなことよりも、自身にとって優先順位が上なものがあれば、そっちを選ぶ。」

「その通りさ。政治に携わる人物って、やっぱり、普通じゃ無いんだよ。人のために、何かデカいことを一丁やったるかっていう、そういう気概の人物がなるもんなんだよ。そのためには、例え自分が泥を被っても、一肌脱いで、人のためになるのならっていう具合に、一般の人と比べて、心の天秤が何処か壊れてるんだろうな。じゃなきゃ、政治家になんかならないよ。」


 仁の話を聞くに従って、鋭はこれまでに抱いていた政治や政治家に対する思いは、まるで食わず嫌いの偏見のようにさえ思えてきた。そして、事の善悪を逸脱してでも、人々の想いを具現化するのが、いわば政治家の一つの側面なのだと、そう考えるようにもなった。

「じゃあ、オマエや家族が推してる、例の政治家って、良かれと思って倫理や法を逸脱した部分もあるってことになるのか。」

「さあな。確かにそういう部分も少なからずあるだろうが、やっぱり、物欲や自己顕示欲も満たしたかったんじゃないかな。純粋に人のためだけを思って献身的に何でもやろうとするなら、寧ろ清貧の宗教家になってたんじゃないのかな。」

やはり、仁はこの議論において、鋭を上回る感慨や言葉を並べ立てた。

「そうだな。でも、そんな風になると、言動は綺礼かも知れないが、如何せん、力は伴わなくなるかもな。清ければいいってもんでも無いしな。故に、政治に携わる者は、清濁併せ呑んでいるだけに、力強いって訳か。」

「力強いだけでも無いぜ。いくら権勢を振るったとしても、悲しいかな、末路は哀れ・・ってのも、少なくは無いしな。現にその人物も、最期は裏切りに遭って、そのまま倒れて政界を引退したしな。」

「裏切り?。」

「ああ。一大派閥を形成して、我が世の春が如く振る舞っていたけど、収賄で逮捕と同時に、一時は失脚したように見えても、キングメーカーとして、傀儡政権を作り続けた。で、最終的には、派閥をごっそり持ってかれて、ジ・エンドさ。」

「派閥を持ってかれたって?。」

「ああ。上辺は従いますってフリをしながら、快く思わない部分も色々あったんだろうな。結局は、目をかけていた連中も、あっさりと新しい派閥に移っていって、本人は相当参ったらしいよ。」

「裏切り・・かあ。」

何かの台詞やシーンでは見る言葉だったが、鋭には、その言葉や概念がピンと来なかった。

「その、裏切った背景って、一体何だったんだ?。」

「えーっとね、何かややこしい話だったなあ。自身の派閥は、他の派閥から総理を出すのを後押しするけど、自身の派閥からは総理は出さない。そうなると、その派閥にいる連中は、待てど暮らせど、総理になれる目は無い。そういうのに業を煮やしたとか聞いたことあったなあ。本当のところは解らないけど。」

「ふーん。総理の椅子が欲しいから政治家になったのに、その可能性が無いと見ると、身を翻したって訳か。」

「別に、政治の世界で無くっても、そういうのは其処彼処にあるみたいだぜ。うちの親父が勤めてた会社も、車内で造反劇があって、大量の離反者が出たっていってたなあ。」

「それ、詳しく聞いてもいい?。」

鋭は、人が人を裏切る心理のようなものを、どうしても知りたくなった。

「オレも詳しく聞いた訳じゃ無いけど、親父のいた部署の上司が、会社トップの経営が代替わりして、これまでとは違った方針になったらしいんだ。で、ここまで築き上げた人脈や方法論が通用しなくなって、その上司がお払い箱になりかけたと。で、このままじゃ、社内での自身の立場が危うくなると踏んだその上司は、交代したての新たな経営者を追い落とそうと、別の取締役の尻を掻いて、また経営を交代させようとしたらしい。」

「へー。結局は、自身の思惑に反する状況になった場合、その状況を変えようと、策を練って実行したって訳か。」

「ああ。裏切りってーのは、概ねそういうのが原因なんだろうな。思惑のぶつかり合い。で、真面に勝負せずに、どっちに着くか、周りに判断を委ねながら、数の論理で勝ち上がる。やる方もキツそうだけど、どっちかに着くよう強いられるのも、かなりキツそうだな。昨日まで仲良くしてたのが、自分たちは喧嘩してた訳では無いのに、上の意向で、修復不可能な仲違い状況になっちまう訳だからな。」

「で、その後、その上司の人は、どうなったの?。」

「それがだな・・、」

鋭は先が知りたくて仕方無かったが、仁はその先を語る前に、一息つきたかった様子だった。

「用意周到に取締役に付き従う仲間を増やして、資金も調達して持ち株数も増やしてって、徹底した戦略で、代替わりしたての経営者に対抗しつつ、ついにはその人物を追い出すことに成功したんだと。」

「へー。じゃあ、裏切りが実ったって訳か。」

「それが、そうでも無いんだな・・。」

「え?、どういうこと?。」

鋭は、一件落着では無い結末に、さらなる疑問を抱いた。

「要は、その上司が自らの保身を図って、大がかりな裏切り行為をさせようとした。で、気のよさそうな取締役は、自身に経営のお鉢が回ってくるのを知ると、恐らく心変わりしたんだろうな。このまま話を持って来た件の上司のいうことを聞いていては、自分をトップに推した恩を、ずっと着せられると思ったらしい。で、取締役は自信がトップになった途端、その上司の首を切ったらしいんだ。」

「えー!。そうなんだ。何か、エグいな。」

「まあ、裏切りだからな。スムースだったりソフトに済む訳が無いわな。」


 仁の話は、実に生々しかった。鋭はその先を聞くのが若干憚られたが、それでも、その先をたずねた。

「首の切られ方か?。その上司が取った方法と全く同じ方法で、自身が切られたらしい。些細な失態を、その上司のせいにして、それに対する批判の声を共通認識として、みんながその上司に反目した。そういうことらしい。」

「因果は巡るってやつかあ・・。」

「ああ。因みに、親父はその騒動を、ずーっと静観してたらしい。例の政治家の話を、ずっと見聞きして来たからな。そういう場合の動きみたいなのが、瞬時に読めたらしいぜ。」

「へー。」

「で、結局、社内の綱引きみたいなものが生じ始めたとき、極力そういうのに加担しないで済む方法を取ったらしい。」

「どんな方法?。」

「聞いて驚くな!。」

鋭の問いに、仁は姿勢を正した。

「その方法とは、馬鹿になる。ただそれだけだそうだ。」

「何だそりゃ。」

「そういうときって、みんな精神を消耗しちまうんだって。普段は無いことだから。で、有能に見える連中から、双方の引き抜き合戦に遭う。故に、そういう連中ほど消耗度が激しいんだって。で、うちの親父は、子供のオレがいうのも何だけど、そんなに冴えてない方だから、丁度馬鹿に見えたんじゃないかな。で、結局は、丁度いい具合に、巻き込まれずに済んだらしい。その時、何か格言めいたことをいってたなあ。」

「どんな格言?。」

「裏切ったやつは、必ず裏切られる。仮に裏切られなかったとしても、その先の人生を、裏切られるかも知れないという恐怖を抱いたまま生き続けるって。」

「なるほどなー。どう転んでも、エグい話だなあ。」

「ああ。組織の中で、思惑の強い人物が二人以上存在したら、概ねそんなことが起きるんじゃないのかな。」

仁も鋭と同様、直接に裏切りを目の当たりにした訳では無かったが、そのような話に触れる機会が多かったせいか、そういう世界観を自然に有するようになっていた。

「でも、端的に思うんだけど・・、」

悍ましい話の連続ではあったが、鋭はそんな中にも、何かを見つけたようだった。

「裏切られる側に問題がある場合も多いとは思うけど、そうで無くって、裏切られる場合もあるよな?。」

「気が良すぎてってこと?。」

「ああ。」

「ま、どっちかというと、そういうパターンの方が多そうだけどな。」

「そんな場合、どっちが悪いってことになる?。」

「え?。そりゃー、裏切るのにはそれなりの理由があるから・・、」

「上からの理不尽な圧力ってのでは無くって、この場合、裏切り行為をする側にのみ、そういう意図があって、される側は何の落ち度も無いんだぜ?。」

「うーん、そうなったら、やっぱ、裏切る方が悪いってなるかな。」

「だよな。確かに油断してるから、裏切られもするんだろうけど、でも、気のいい人がそんな風にされちゃったら、ショックはあるだろうけど、遺恨とかは残らないのかもな・・って。」

「裏切るよりは、裏切られる方がマシってやつか・・。」

「いや、違う。マシってのは、相対的にまだその方がいいってことだろ?。でも、この場合、相対的な問題じゃ無く、行いの質の問題だろ?。そういうことをするかしないかっていう。」

「ああ。確かに。」

「裏切られまいと必死なのよりは、裏切られても、ま、いいかって方が、余程器が大きい。そういう人は、多少の裏切りはあったとしても、結局は周囲を巻き込みながら、より大きなものを創っていく。何か、そんな気がしてな。」

鋭は裏切りの構図の中に、例え僅かでも希望の一片のようなものを見出そうとしていた。鋭の話を聞いて、仁は急に柔和な顔になった。そして、

「オマエは多分、裏切られることはあっても、決して人を裏切らないんだろうな。」

と、鋭を真っ直ぐに見つめながら、そういった。

「え?、何で?。」

「そういうことを思いつくからさ。そんな発想が無きゃ、そんなこといえないだろ?。オレにはそういう発想は無いしな。誰かを裏切ろうとか、そういうことは思わないけど、裏切られたくないあまり、ガードが堅くなるってのは、やっぱあるだろうな。オレの場合は。」

仁は、今日の話では鋭を圧倒出来ると何気に感じていたが、結局の所、鋭の人間性の大きさに、逆に圧倒された気分だった。そして、

「話は戻るけど、今の政治家って、みんな、こぢんまりしてるだろ?。昭和の時代と違って。メディアに足元掬われたり、追いかけ回されるのを極端に恐れてというか。で、正義の何たるかを問い詰めるべくマイクを向けられて、ますます萎縮しちゃってる。豪放磊落な政治家は、もう育たないのかもな。」

そういいながら、仁は背もたれに持たれながら頭の後ろに手を組んで、いつも鋭がするみたいに、自身も天井を見つめた。そして、

「そうだ!。オマエが政治家になりゃいいんだ!。」

と、突拍子も無いことを口にした。


 何をいきなりといった表情で、鋭は仁の顔を見た。

「オマエ、案外向いてるかもよ。だって、今オマエがやろうとしてることだって、既存のメディアに対する疑問をぶつける形になってるだろ?。」

仁の指摘に鋭は少し考えて、

「まあ、批判というか、違和感の元凶を模索してるって感じかな。」

「だろ?。色んな内情を根掘り葉掘り聞かれたり暴露されたりで、政治家もタレントも、はたまた犯罪加害者の家族も、たまったもんじゃ無いだろ?。なのにやつらときたら、人の心の中にまで土足で踏み込むようなマネはしてるだろ?。言論の自由だか知る権利だか、そういうのを縦にして。」

仁の説明は、ある意味無茶苦茶ではあったが、それでも、彼のいわんとする所は、鋭の中にも少なからず共通認識としてあった。

「政治家による権力の暴走を防ぐべく、監視したり、国民の声を代表する形で、メディアってのは後ろ盾を得て動いてるって、やつら自身も、そして視聴者もそんな風に思い込んでるけど、今回オマエが問題視したように、最近のメディアって、その辺りがどうもおかしいって、オレも思うんだよ。で、そんな状態がこのまま続くようなら、いずれは何らかの形で、メディア側は痛い目に遭うのかなって。」

仁の話とほぼ同じことを、やはり鋭も随分前からシミュレーションをしていた。

「どんな風に?。」

試しに、鋭は仁に聞いてみた。

「一番考えられるのは、法による報道や取材の規制かな。この国は異常に、そういう連中に踏み込ませるきらいがあるだろ?。でも、社会主義の国とか、権力が絶大な国では、報道規制が滅茶苦茶厳しいじゃん?。お隣の大国なんか、一見観光地風でも、間違ってカメラを向けてたら、それだけで逮捕で、その後はスパイ容疑で長期刑って例も一度や二度じゃ無いだろ?。」

「ああ。確かに。」

「つまり、オレ達のいるこの国は、そういう危機感が全く無い。メディアの側は、何時までも規制されないと、そう思い込んでるのかも知れない。違った形の平和呆けとでもいうか。でも、この国のトップだって、選挙の度に変わって、その辺りの規制に乗り出すような人物が現れても、不思議じゃ無いだろ?。今は非現実的に見えるけど。」

「うーん、そうなんだよなあ・・。オレもその辺りは不思議には思ってる。強権発動って、他所の国々じゃ、当たり前のように行われてるし、近隣のアジア諸国でも、軍事政権がメディアをシャットアウトしてる例も少なくないしな。それが、ちょっと離れたこの島国では、妙に甘い具合というか、メディアの側が大きな顔をする構造にはなってるよなあ。」

「まあ、一部では、日本最大のメディアのトップが、政界と通じてるって見方もあるし、その人物の助言で実際に政治が動いていた時代もあったらしいが、そんな蜜月関係は、今後も続くとは思えないな。オレは。」

仁は、やはり政治絡みの話になると、鋭を圧倒していた。

「どうして、そう思うんだ?。」

「まずは、何といっても高齢ってのがあるかな。どんな人間にも、必ず寿命は来る。件の人物も、申し訳無いが、お迎えはそう遠くは無いだろうな。となると、後継者が後を継げるかって話になるが、そういう能力って、まあ、一代限りだろ?。」

「そうだなあ・・。製造業なんかでは、トップがいなくなっても、会社は存続するし、社訓や社風は保たれることが多いからな。反面、メディアについては、これまでだったら、新聞や雑誌等の出版を伴う所は、それなりに歴史もあるし、強みではあったろうが、最近では紙媒体は軒並み、ネットにシェアを奪われちゃってるからなあ。地上波の局も、若い世代を中心にTV離れが急激に進んでるから、TV派とネット派って具合に住み分けをするのも、現実問題、難しいかもなあ・・。」

鋭は、メディアが自らの行動の中に問題点を抱えてるだけで無く、ネット社会と上手く連携が取れていない点について、人ごとながら危機感を覚えていた。

「だろ?。そんな具合だから、ひょっとしたら、これからの政治家って、既存のメディアじゃ無く、ネットを主催する側にシフトする可能性があるんじゃないのかなって、オレはそう考えてる。」

仁は、あまり根拠については考えていないタイプだったが、その話については、根拠が多少薄いながらも、その指摘は当たらずといえど、遠からじといった雰囲気だった。

「うーん、その辺りは、正直、どうかなあ・・。オレも、ネットの勢いが益々強くなるってのはビンゴだと思うが、新聞社なんかに比べて、まだまだ歴史が浅いし、現行の権力基盤との結びつきも、十分とはいえないかもなって。国内で何処か大きな所がそういうのを主催していた場合、政府も誰と連携を取ればいいかってのは分かり易いだろうけど、今、ネットで最大シェアの所って、拠点はほぼ全て、海外だからな。あと、そういう所って、各国の権力者と懇意にするよりも、中立性を保ちたいって価値観の方が上だろうから、政治とは一定の距離を置くんじゃないかな?。」


 鋭は、ネット社会の構造については、比較的調べを怠らなかった。今までの企業とは異なり、短期間で急激に巨大化したGAFAが、今までに無い力を蓄えていて、その後、どんな風に展開するかが未知数な点についても、常に注視していた。

「ネットの勢いが止まるシミュレーションって、現時点では極めて考え難い。急激な情報伝達と、双方向性。そして何より、個々人でも行える情報発信等の即応性。そういうのって、以前は既存のメディアのみに許されてた、いわば特権だった。でも、その構造が急激に一般に流れ出て、誰でもが個人TV局みたいなことまで出来るようになった。そして何より、コンプライアンスっていう足枷は、個人には無いから、どうしてもワンクッション置くメディアは後れを取る。情報商材を売り物にするのなら、その点は命取りだな。ワンテンポ遅れても、余程面白い演出やコメンテーターの意見を添えた放送が成されれば、多少は視聴率も稼げるだろうが、先もいったように、若い世代はもはやTVを見ないからな。因みに、オマエ、TV見てる?。」

「いや。」

「だろ?。オレもさ。つまり、もう既にTV離れって言葉を通り越して、TVを無なるものとした認識が着実に進んでるってことさ。それはある意味、自滅だな。」

「メディア王朝崩壊・・かあ。」

鋭のメディア分析は、仁にとってもかなり現実的な感触を持って伝わった。二人とも、紙媒体から情報を得ることは、日常生活からは既に無くなっていたし、TVも同様だった。故に、そういう古生代の生物のようなメディアが絶滅したとしても、ともすれば気付かずにいるのだろうと、そこまで考えていた。

「それとな、ネットに対して立ち位置を間違えたってのもあるけど、以前話した、自分たちの思う正義感を振りかざしたり、それに当てはめようとしていたのに加えて、本当ならばかなり問題だった事件が、忖度かなんかで一切報じないって姿勢って、あるだろ?。」

「ああ。確かに。巨大な宗教関係や、芸能事務所。他にも探せば色々・・かな。」

「だろ?。そういうのって、一方では自らで正義を掲げておきながら、他方では、タブー視よろしく、一切報じない。最近でこそ、そういう組織のトップが亡くなって、徐々に告発されはし出したけど、まだまだ構造の瓦解って程でも無い。それもまた、メディアの自滅の要因かなって。対するネット社会は、その環境の提供者であるプロバイダ等は巨大であっても、其処のサーバを借りて情報伝達をしてるのは、地球規模の人類だからな。何処かが取り締まるにはあまりに膨大すぎるし、さっきもいった社会主義国や軍事政権で情報統制が布かれていても、海外のサーバにアクセスすれば、外から上方はいくらでも得られるみたいだしな。それだけ、情報化社会の拡散力ってのは、凄まじいってことさ。」

そういいながら、鋭はPCの画面を人差し指でコンコンと叩いて見せた。

「東欧の民主化って、知ってるか?。」

話のついでに、鋭は仁に一つ、例示しようとした。

「えーっと、何か授業でチラっと聞いたことはあったけど・・。それって、何だっけ?。」

比較的上の世代には、社会主義やベルリンの壁崩壊は、忘れることの出来ない歴史的瞬間だったが、彼ら若い世代にとっては、そういう事実も、最早教科書で習う一つの事例にしか過ぎなかった。

「以前は、国家の体制が社会主義と資本主義の二極化した時代があった。今のロシアが革命後、ソビエトって国に変わって、それとほぼ同時に、ヨーロッパの東側を、自分たちと同じ社会主義国家として連携を結んでいた。今はドイツは一つしか無いが、その時代は、東と西に分断されていたらしい。ベルリンって街に至っては、高い塀で囲って、人の出入りが出来ないようにって年の入れようで。」

「へー。そうだったんだ。」

「で、結局の所、その対立は冷戦って呼ばれて、直接戦火を交えない冷ややかな闘いだったらしいんだが、結局の所、社会主義経済ってのは革命当時の熱を失って、その体制は崩壊寸前だった。」

「何で崩壊に向かったんだ?。」

「金だろ?。資本主義って、金儲けを是とする社会の在り方だし、対する社会主義って、貧富の格差を無くすべく、全てにおいて平等を謳おうとした、絵に描いた餅のような国家体制だった。人間って、何かと贅沢をしたいって衝動が誰にでもあるから、そんな平等を重視した体制なんか、ちょっと考えたら無理に決まってるって解りそうなもんだけど、結局は何十年もかかって、緩やかに崩壊に向かった。そして、その皮切りになったのが、さっきいったドイツらしいんだ。」

「どんな風に?。」

日本の政治については、仁の博識ぶりは疑いが無かったが、より広い視野を要する知識については、やはり鋭の方が強かった。

「社会主義は、貧富の差が起きないっていうのが、真っ赤な嘘だったと、その国々に属する国民は相当不満を抱えていた。しかし、厳しい統制と抑圧された社会に慣れてしまって、反撃の機会を得られずにいたんだ。」


 鋭の歴史観を、仁は食い入るように聞いた。

「そんな中、東ドイツの国家体制を担う側にも、反乱分子が少なからずいたらしい。ただ、すぐ近くにソビエトが控えていたから、なかなか反旗を翻すことが出来なかった。でも、彼ら自身の国家体制も、実は自分たちで思っているほど、既に強固な者では無くなっていた。統制が取れていなかったらしいんだ。」

「国家の体を成してなかったってことか?。」

「うーん、一応、国家としてはこれまで通りらしかったんだが、政治機構が既に機能不全に陥ってたんだろうな。本来ならば、西ドイツ等の資本主義国に出国することは厳しく制限されていたのが、知らない間に審査が緩くなっていたらしい。そのことに目を付けた政府関係者が、一定期間、ベルリンの壁を通って、自由に国外に出てもいいという、そういうお触れを、仕事終わりギリギリの最終に、政府に提出したんだ。そうすることで、慎重に審査されるのを防ごうとしたらしい。案の定、機能不全の関係者は、これまで通りの、ただの書類だと思って、その申請内容を、そのまま国民に伝えちゃったんだ。」

「TVを通じてか?。」

「ああ。当時、まだネットは無かったみたいだしな。で、その報道を見た東ドイツ国民が、それが本当かどうか試そうと、夜中に次々にベルリンの壁の所に集まった。従来なら、壁に近付くだけで銃殺されたこともあった壁なのに、その日の夜は、誰も受講を向けられることは無かった。そして騒ぎは次第に歓喜の声に変わり、みんなが壁の上に立ったり、つるはしで壁を壊そうとしたりと、東西冷戦の終焉を、互いに喜び合った。そういう出来事があったんだって。」

「そうかー。厳しい国家体制から、自由を勝ち取る瞬間ってのを、オレ達は経験したことが無いし、目の当たりにしたことも無いから、その感動を知ってるか否かで、感じる温度差は大きいんだろうな。」

「多分な。で、そのことを境に、まずは東欧から社会主義体制が崩壊を始めた。その際、一番効力を発揮したのが、」

「情報の流出!。」

「そう。メディアだ。TVがオンタイムで、政府の発表を流さなかったら、壁の崩壊は、その時には起こらなかっただろうな。ま、いずれは起こったかも知れないが。」

鋭の話で、仁はあらためてメディアの力に対して、肯定的な感情が芽生えた。

「それじゃあ、今のオマエの話だと、メディアの存在はやはり必要って論旨になるよな?。」

「ああ。」

「でも、ネットと比較して、既存のメディアは駄目だって、ついさっきいってたよな?。」

「ああ。いったよ。」

「それって、矛盾しないか?。」

仁は、鋭がメディアを是とも非とも述べていることに、違和感を覚えた。しかし、

「この話、実は矛盾していないって、解るか?。」

「矛盾してない?。」

「ああ。東欧の民主化当時、メディアの中にネットは無かった。それでも、情報の伝達こそが、国家体制崩壊のカギになった。かつてもその体制を打ち壊そうと試みた者もいたそうだが、軒並み鎮圧された。情報伝達と漏洩が不十分だったからだろうな。連携が取れずに、軍部によって鎮圧されたんだろう。つまりは、情報の伝達のスムースさ。これが全てのカギさ。そしてそれは今、既存のメディアでは無く、ネットの側に確実にある。その速度と自由さを有する者が、時代時代の変遷の勝利者って訳さ。」

「情報の速度かあ。そういうものが、長年不変でだと信じていた国家体制をも変えさせる。正に時代のカギだな。」

「そういうこと。で、話を元に戻すと、この国のメディアって、やっぱり、体制が古いってのが露見され出した。そして、そのことに、もし国民が総じて自覚的になって来たとしたら、どうなると思う?。」

鋭は、新たなネットへの可能性を語る前に、一つ片付けておきたい話を、仁に振った。

「えっと、それって、正義の基準の押しつけを、国民が好ましいと思わなくなったならってことか?。」

「ああ。そうだ。」

「そりゃー、SNSで何気にその話が拡散されて、タイムラグがあるかどうかは解らないが、ほぼ一斉にメディアを見捨てる。そんな所か?。」

「ビンゴ!。自滅が早いか、見放されるのが早いか。そういう感じかな。」

二人にとって、地上波も新聞も、最早日常にはほぼ関係の無い代物ではあったが、例えシミュレーションとはいえ、そんな風に権勢を誇っていたメディアが衰退すると考えるのは、少しばかり気の毒な感慨もあった。

「うーん、タレントさん達って、主戦場はかつては舞台で、それがTVに移行して、そういうものを、前の世代の人達は、見たり楽しんだりして来た訳だろ?。それが、そんな風に一気に無くなっちゃうってことか?。」

「ああ。恐らくはな。」

「余韻に浸ったり、懐かしさを覚えてる暇も無く、時代が先行しちゃうってことかあ・・。」


 本来なら、既存のメディア全盛の時代をほぼ知らない仁ではあったが、そのことに対する語り口調は、幾分、ノスタルジックなものを帯びていた。反対に、鋭は時代の変遷が必然的な者である以上、自分たちが今目にしている現象は、単なる過渡期に過ぎないという、淡々とした視点に立っていた。

「それじゃあさ、色んな分野でも産業構造が変わってったって話、あるじゃん?。」

「街にあった商店街と電器屋さんが無くなっていったって話しか?。」

「そう。そんな風に、メディア産業も様変わりする過程で、様々な人が職を失ったりするんだろうなあ・・。」

「聞いた話だけど、かつては商店街が、街の暮らしを支えていたのが、今は完全に大型スーパーに取って代わられたってのは、お婆ちゃんがいってたなあ。」

様々なアミューズメント施設が併設された郊外の大型スーパーの様相は、二人にとっては当たり前の風景だったが、そういうものも、やはりかつては無かった施設であり、そういうものが海外から導入され、それと同時に従来型の店舗や産業が衰退していくのを、彼らはほぼ知らずにいた。

「郊外型の大型スーパーって、確かアメリカが発祥だったかな。あっちは国土が広いし、車社会が先んじて発展した国だから、各家庭に車が普及して、ドライブがてら買い物にいくってライフスタイルが、何処よりも早く誕生したんだろうな。で、少し遅れて、日本にも車社会がやって来て、大型スーパーも出展し出して、みんなそっちに買い物にいくようになった。小さなスケールで仕入れして来て売るのは、対面販売で親近感もあっただろうけど、大量に一括仕入れで一括販売が出来るスーパーの資本力には、まず勝てないだろうしな。価格も抑えれるし、何より、独自の流通経路で、産地直送や、場合によっては、自社製の生産ブランドも作れるだろうから、そういうのが出て来るほどに、従来型の店舗や販売方法は退かざるを得ない。そんなところだろうな。」

鋭の話を、仁は顔を曇らせながら聞いていたが、

「あのさ、やっぱりそんな風に、大きな所が一人勝ちする図式というか、経済の在り方しか無いのかな?。」

と、資本主義の在り方についてまで、疑問を呈し始めた。

「うーん、そりゃ、資本主義って自由経済だから、競争があってナンボだろうな。で、やり方の上手くない所は、結局は資本力の前に平伏す。まあ、ニッチと称して、そういうのとは真逆なやり方で生き残るってパターンもあるみたいだけどな。」

「ニッチ?。」

「隙間のことだよ。大手のやり方や主流みたいなのに対して、細やかで独自のやり方に特化した、そういう方式のことな。ニッチとは、そういう場所、つまり、隙間を指した言葉で、そういう隙間で活躍しているのを、隙間産業っていうな。」

「ああ、それか!。何か、普通とは違う、マニアックなものを取り扱ったりとか、そういうので、敢えて大手とは競争を避けるっていう、あれか?。」

「うん。それな。大型店は一つの企業体が取り仕切ってるから、概ねトップダウン方式だ。意志決定は社長や取締役が協議し、その指示を、各店舗が実行する。まあ、地域別とか、店舗によっては、独自の判断に任せる所もあるだろうが、大抵はロスを防ぐというか、一括の方式で営業するのが普通かな。何処のコンビニにいっても、全く同じ品揃えだろ?。営業時間も、営業方針も。」

「ニッチとは真逆ってことか。」

「そう。悲しいぐらい、モノトーンだろ?。それでも、その業態が儲かるってことならば、フランチャイズ方式に加盟する層も、少なからずあるんだろうな。独自性を考えたり発揮したりって、ある意味、一番難しいからな。」

「でも、オリジナリティーを出せるって、かなり魅力的なことじゃ無いのか?。」

「ホントにそう思うか?。」

仁は、鋭が挙げたニッチの話を、いたく気に入ったらしかった。なのに、いい出しっぺの鋭が、そのことをあまり是としないのを、仁は不思議に思った。

「あのさ、ニッチって、小さくて僅かだから、ニッチなんだよ。隙間って、狭いだろ?。それに、大きな所と大きな所に、ごく僅かだから、隙間なんだよ。物理的な大きさで例えてるけど、それって、要は人間が思いつくことの出来るアイディアの質というか、そういうことが思いつく割合って、決して多くは無いだろ?。そういうことを例えて、そういってるんだよ。」

鋭は、自身が動画配信や、様々なクリエイティブなことをやっているだけに、その難しさを十二分に知っていた。そして、そのような方向性で勝負を挑むことの危険性も。しかし、仁はあることを見逃さなかった。

「でもさ、オマエが今やっていることって、正にそれなんじゃね?。ニッチというか、独創性というか。そんなに批判的にいう割には、自分自身でやってるのって、やっぱ矛盾してるんじゃね?。」

鋭には、予感があった。この話が出た際に、仁ならば、そのようなことをいうかも知れないという。


 鋭は、自身の矛盾しているようにも見える、クリエイティブなものに対するスタンスについて、説明を始めた。

「自身が感ずるままに、そのことを具現化しつつやっていくってーのは、創造的ってことにはなるかな。そして、そういうものをずっとやり続けて、いずれは仕事に出来るならば、なお理想的というか、生きてる実感の味わえる行為だろうなとは思う。でも、やっぱり、そうは簡単にはいかないんだよ。」

「才能を与えられし割合は、常に僅か。そういうことか?。」

「いや、確率論の問題じゃ無いんだ。」

仁の推測は、この件に関しては、的を射ることは無かった。

「才能の有無は最も重要なことだろうけど、それがあるからといって、必ずしも成功を収める訳でも無い。逆に、そういうものが自身の中に無いと自覚したとしても、そんな風に何かを創りながら生きていきたいと思うなら、心底努力もするだろう。でも、そのどちらも、成功するとは限らない。」

「じゃあ、何でするんだよ?。そういうことを。」

鋭の話を聞くに従って、仁の頭の中は、ますます混迷を極めた。

「うん。それなんだよな。何故そういう風にするのか。そのことが解ってる人間は、そういう生き様をし続ける。逆に、そういうのが全く解らなくても、別に構わない。そんな風にしなくったって、いや、そんな風で無い普通の生き方の方が、暮らしを安定させる上では重要だからな。」

鋭は端的に、創造的に生きていくことの覚悟のようなものを、仁に伝えようとした。

「じゃあ、例えば、ロックバンドで成功したいと思っても、自分たちの奏でる音楽がみんなに受け入れられなかったら、食うために夢を諦める。そういうことか?。」

いつもなら、鋭の考えを出来るだけ汲み取ろうと、仁はギリギリの具体例を挙げようとするのが、この時はかなり荒っぽい、よく耳にするような例に止まった。すると、

「まあ、そんな感じ・・かな。」

と、鋭はこれ以上、仁が無理して自分を理解しようとすることに、平易な言葉を用いることで遮った。

「人は、他人からいくら、どう思われようとも、あるいは、どんなに成功より遠くて不幸せに見えようとも、自身がそれこそが信ずるものだというものに魅入られたら、その道を進むしか無い。そして、そのような感覚とは、同じ衝動を持ち合わせた者同士にしか、決して解りはしないんだ。だから・・、」

鋭は心の中でそう呟くと、この話に終止符を打った。

「まあ、何にしても、かつては発信された情報の速さのみが重要視されてたし、それをメディアが担っていたのが、今は双方向の情報のやり取りを、何の縛りも無く瞬時にやってのけるネットの世界が担うことになりそうだってとこかな。それに伴って、さっきオマエがいってたように、産業構造も変わるだろうし、食いっぱぐれる層もすくなからず出て来るだろう。単純作業がAIに取って代わられるのと同じように。」

鋭は話の切り替えが難なく済んだと、そう思った。仁も先ほどの話題をぶり返すことは無かった。しかし、鋭は仁の目が、

「こいつ、はぐらかしたな・・。」

と物語っているような、そんな不安に駆られた。メディアの功罪について語らっていたのが、いつしか話題は様々な方面に飛んで、鋭が考える、最もデリケートな話題にまで及んでしまったかと。すると、

「なあ、鋭。オレにはオマエみたいな才能は無いよ。それは自分でも解ってる。でも、オマエの持ってるそんな感覚は、やっぱりオレには共有出来ないかな。解ろうとするのも、無理な話かな?。」

と、鋭が危惧していたことを、そのままぶつけてきた。鋭は一瞬、動揺しつつも、

「すまん。オレが間違ってたよ。」

と、さっきの自身の態度を、友人である仁に詫びた。

「何でも聞いてくれ。可能な限り、言葉にしてみるから。」

と、鋭は仁の言葉を待った。

「さっきオマエがいってたように、オレも自身の才能とか、そういう自分の中に信じられるものを持ってないから、生きる糧を得ることに重心を置いた、そういう生き様を、これからもしていくだろうとは思う。なまじ実現しない夢を追いかけるよりは、その方が堅実だろうとも思うし。あ、別に、オマエのことを批判してる訳じゃ無い。単純に、自分はそうするだろうって。」

「解ってる。オレも、オマエがそういうスタンスだろうというのは知ってるし、だからこそ、さっきみたいな話題転換になっちまったんだ。」

「解った。じゃあ、そのことについて、オレがどうしても疑問に思うことを聞くぜ。」

「ああ。」

「オマエが今やっているように、自身の才能というか、そういう感覚に賭けて、何処までも突っ走っていける者と、そうで無いものとの差って、一体何だ?。オレにはそういう感覚が無いだけに、逆に興味が湧くんだ。」

仁に限らず、そういう光景や描写を何らかの物語で目にした際、同じように思う層は、少なくは無いのかも知れない。しかし、何かを仁に語ってあげたくても、鋭自身、それが何なのかを、まだ確証を得ている段階でも無い。今はただ、信ずる方向に向かって、突っ走りながら、チキンレースの真っ最中だとしか、いいようが無かった。


 自身の能力を信じて、そのまま何らかの形を作り上げるべく、感性を表出させる生き様は、成功すれば華々しい未来に繋がるだろう。しかし反面、ごく一部の成功者の影に、幾千幾万の敗退者がいたであろう事はいうまでも無い。鋭は、自身が目指す何らかの方向性に、そのような状況がゴロゴロ転がっているだろうことは、常に想定していたし、今なおしている。ともすれば、いや、ほぼ間違い無く、自分も道端に倒れている屍の一つとなるだろう事も、想像に難くない。そして、そのような悪夢のような状況を振り払うのは、自信の持てる能力に対する希望なのかというと、そうでも無い。寧ろ不安の方が圧倒的に付きまとう。なのに、何故それでも進もうとするのか。その明確な答えが、言葉となって鋭自身の中にある訳では無かった。しかし、やはり今日も、鋭は確実に前を向いて歩みを進めようとしていた。暫し黙考した後、鋭は重い口を開いた。

「多分だけど・・、」

「多分?。」

「諦めの悪さ・・かなあ。自身が才能に魅入られない存在であることを受け入れるのは、誰しも怖いものさ。素直に受け入れて、早々撤退する者は、寧ろ幸せなのかもな。でも、そうでは無い、先のことなど、どうなるのか解らずにひたすら進む心理の中心に位置するのは、諦めきれない自分がそこにいるからだろうな。」

「ふーん。そうまでしても見てみたいものが、その先にあるからか?。」

「多分な。オレ達は、みんな普通に人間なんだけど、頭の中身って、人それぞれだろ?。サルや野生動物なら、力の優劣がほぼ全ての価値観だろうが、人間だけは違う。知恵や思考力、想像力や価値観が、社会での立ち位置に差を付ける。優劣の差を。」

「ああ。そうだな。」

「かつては人類も力を鼓舞していれば、それだけで統率者になれたり、思いのまま天下を取ることは出来ただろう。でも、今は、少なくともこの国では違う。やはり何らかの能力に長けた者が、その社会で高みを望める。そして、その基準の中で、最も強く、人々を魅了するものが、才能だろうな。」

鋭は一点を見つめながら、そういった。

「オレ達は、某タレントのスキャンダルについて議論してたよな?。」

「ああ。オレが持って来た雑誌がきっかけだったな。」

「その話って、オレはメディアの在り方に違和感を感じてならなかったんだけど、そもそも、何でこの話題が大事になってるかっていえば、」

「そのタレントの才能が凄かったから・・か。」

仁は鋭が考えているであろう言葉を、先回りして語った。

「そう。つまり、彼に何の才能も無ければ、この話はこんな風にはならなかった。でも、彼一人が、ほぼ今のTVの魅力を牽引していたといっても過言じゃ無い。誰が見ても解るぐらいに、才能に溢れてるだろ?。」

「そうだな。どのチャンネルを見ても、ほぼ出てたし、そのコメントを聞いても、まあ面白かったしな。」

「うん。しかも、彼の出現の前と後では、お笑いのスタイルさえ変わってしまって、彼を目指す不幸な若者が増えたろ?。並べるはずが無いのに。」

「そうだな。並べないって解ってても、それでも同じ立ち位置を目指してるって感じかな。」

「まあ、野球やサッカーのようなプロスポーツのスター選手と同じだけ活躍出来る割合って、ほぼゼロに等しいだろうけど、それでも枠があれば、せめて仲間入りは出来るかな。その辺りを目指すってのも、全然ありだとは思うけどね。ま、いずれにせよ、才能が突出すればするほど、世間の注目度は上がる。故に、表舞台だけじゃ無く、私生活も含めて、全て注目の的さ。」

鋭は、才能を有する者が背負う宿命のようなものを、仁に解いた。

「四六時中、見張られてるって感じなのかもな・・。煩わしそうだな。」

「それはどうだかな。有名税って言葉もあるように、人気とその手の煩わしさは、表裏一体というか、いわばセットだろ。それを分かってて、スポットライトの下に向かった訳だから、その心理の本当のところは、その人自身にしか解らない。そういうものだろ。でも、オレがいってるのは、其処じゃ無い。」

鋭は、才能を有する者を見る、傍目を論じてはいなかった。才能を持つ者の眼が映し出す、そういう景色について語っていた。

「まあ、恐らくは先駆者達だろうから、孤独感が強いのかもな。そういう部分が恐怖心となって襲いかかることもあるから、周囲に当たり散らすよな天才も少なからずいたんだろうな。無論、静かに謙虚に、その状況を受け止めながらって者もいただろうが、人気の的であればあるほど、需要も高まる訳で、周囲がそれを黙ってはいない。何せ、金になるからな。」

鋭は、才能というものが、どのような副次的効果をもたらすのかについて語った。

「ああ。それな。亡くなったアメリカの超有名タレントなんかも、恐らくは終始、そういうものに悩まされてたのかもな。」


 鋭は、本棚の中から、かつて聞いていた古いCDを一枚取りだして、プレイヤーにかけた。

「あ、これこれ!。この曲。」

「彼は世界的スターだったからな。そして、そういう人物は、何故かしら早く逝ってしまう。まるで人生の前半で、寿命を集約させて発露したかのように・・。」

鋭がそのスターについて語る様子は、陰りそのものだった。それとは対照的に、プレイヤーから流れて来る音楽は、華やかさそのものだった。

「タレントって言葉も、そもそもは才能だからな。そういう立場の名称みたいになってるけど、要は才能を有する者。そういう意味だしな。」

仁は鋭の様子が気になった。メディアへの批判を展開していたときは、熱気を帯びていたのが、この話題になると、青白く燃え盛っているのか、それとも凍てついているのか、仁にも区別が付かなかった。

「オマエが目指すものって、何なんだ?。」

仁は端的にたずねた。それは、興味でもあったし、同時に怖いもの見たさのような、不安を伴う、そんな感情だった。鋭はまた暫し黙考した。そして、

「解らない。具体的にこれといった方向性やジャンルがある訳では無いな。ただただ、自身が関することや考えたことを、動画として配信してるのが今であって、その先にあるものが何なのかは、解らない。ただ・・、」

「ただ?。」

「キザないい方だけど、感性の趣くままに・・って、そんな感じかな。」

「理屈や常識じゃ無くってことか?。」

「うん。多分な。常にそうって訳にもいかないけど、そういうものを、オレは暗に目指してる、そんな気がする。」

仁は才能を有する者に共通する特徴があるのか、そして、それはどのようなものかについての判断材料は持っていなかった。しかし、それでも、今目の前にいる鋭は、どうやらそんな人物のうちの一人なんだろうと、根拠も無くそう感じた。

「オマエが放つ言葉って、時折難しいなってのはあったけど、今日の話は、特にそうかな。いや、難しいというのとは、ちょっと違うかな。難易度はオマエの言葉を理解するだけの知識がオレに足りない場合に使う形容だけど、今オマエが語っているものって、難易度の設定って、ひょっとしたら無理なのかもなあ・・。」

仁はあくまでも、自身に才能というものが無いというスタンスで、鋭のことを見つめていた。そして、判断材料がないまでも、彼の発する言葉を、自身の感性に照らし合わせて、精一杯受け止めようとしていた。そんな風に仁に見られながら、鋭も最初は過大評価だと、照れくさそうにしていたが、やがて、謙遜や否定の言葉はなりを潜めた。

「言葉じゃ無くなる。感じるままを創造していくと。だから、創造物に魂を込めて作出するんだろうな。音でも、絵でも、陶器でも、そして、散りばめた単語でも。何でもいい。心に訪れた感性に一番近い形が表現出来れば。そんな感じかな。」

鋭の横顔は、何処までも先を見据えて、熱く、そして冷たかった。少なくとも、仁にはそう思えた。そして、それ以上、人の口から言葉が発せられなくなったのに気付くと、

「あ、わりいわりい。」

と、友人の顔に戻った鋭は、仁を見つめながら笑った。

「格好付けすぎたな。オレ。」

「はは。まあな。でも、いいじゃん。格好いいって。」

仁は、やはり、目の前にいる一番親しい友人であっても、鋭の感性の先を一緒に見つめるのは不可能なんだろうと、そう思った。

「まあ、タレントさん達の心境を推測しても、それが直接メディアへの嫌悪感と直結するって訳では無いかな。」

鋭は、また話を元に戻した。

「結局は、メディアって、タレントとか注目する人物を追っかけるのが宿命だろ?。ネタが金になるから。」

「ああ。」

「その牽引力が、タレントさんの才能だってのは先にもいった通りだけど、そのことを報じると、見る側にどういう感想が生まれる?。」

鋭はいつものように、仁に質問をした。

「まあ、面白いとか、格好いいとか、可愛いとか。憧れ・・っていうのかな?。そういうのって。」

「うん。それだな。憧れ。その感情が、さらに注目度を高める。でも、それって、ポジティブな表現だよな。」

「ああ。」

「じゃあ、逆に、ネガティブなものは、どうだ?。」

「ネガティブさとして付きまとうものか?。うーん、それはやっぱり、やっかみとか、嫉妬とか、そういうものかな・・。」

「うん。純粋に、見る対象を良いものとして捉えた場合、いい意味で見続けたいと思うだろ?。でも、逆の場合、見はするけど、同時に見たくないっていう、複雑な感情も伴うかな。そんな場合、矛盾する二つの対立概念というか感情を長く抱えておくのは、精神的によくないよな?。」

「うーん、ちょっと怖そうな話だが、まあ、そうかな。」

「そんな場合、その心理的状態を、出来るだけ解消しようという感情が芽生えるから、取るであろう方法は、恐らく二つかな。」

鋭は、いつもの冷静さで、状況分析を行った。

「二つ?。どんな?。」


 仁は、鋭がいつものように行った分析に、興味を抱いた。

「一つは、ネガティブな感情をこれ以上起こしたくないから、そういう対象から、自身が離れる。例えていうなら、好きな子にフラれたら、それ以上側(そば)にいたくないから距離を置く。そんな感じかな。」

「ああ、それなら解る。オレもつい最近、」

「フラれたんか?。」

「いや、そういう話を漫画で読んだ。」

「漫画かよ!。」

仁はボケた訳でも無いが、鋭は自然と突っ込んだ。

「で、もう一つは?。」

「うん・・。怖いけど、聞く?。」

鋭はワザと、おどろおどろし表情をしながら、鋭にたずねた。

「オマエのいう怖いって、ホント、怖いからなあ・・。まあでも、教えて?。」

「じゃあいうけど、これも、実際にあった話なんだけど、憧れの対象を消し去る。」

「・・・その消し去るって、つまりは、」

仁は敢えて鋭にたずねた。すると、鋭は仁を見つめたまま、静かに首を縦に振った。

「そういう事件も、残念ながら後を絶たないな。その辺りの心理については、検索すれば何らかのものが引っかかるとは思うけど、オレもそういうのを見るのは、得意じゃ無いな。」

「だよな。自分勝手の極みだし、何ら同情を感じる部分も無いかな。」

「うん。まあ、辛い話ではあるけど、最近流行りの言葉でいうと、人間って、どうしても承認欲求ってのがあるから、その逆の対応を取られたら、複雑さを通り越して、絶望にまで至る事も、まあ、あるんだろうな。」

その言葉を聞いて、仁はさっきまで漫画の話をしていたのが、

「オマエ、女の子にフラれたこと、ある?。」

と、突然たずねた。

「うーん、明確には無い・・かな。オレ、モテるから。」

「何だよ、それ!。」

鋭は冗談ともつかないいい方をしたが、仁は、そうでは無かった。

「オレ、フラれたときのこと、今でも結構思い出すなあ。アレって、キツイんだ。」

「キツイ?。」

「ああ。初めからアタックしてフラれても、まあまあダメージはあるけど、好きでずっと付き合ってたのが、突然別れることになったら、かなりキツイぜ。」

「どんな風に?。」

「そんなこと、思い出さすなよ!。」

この話題になると、今度は鋭が興味を示しだした。

「まあ、此処だけの話、絶望って言葉がそのまま当てはまるって感じかな。もう生きてるのが嫌になるぐらい、何もかも暗くて重たく感じる。いや、感覚すら無くなってる・・かな。」

「そんなにか?。」

「ああ。だから、キツイんだ。」

「で、そういう状態って、何時まで続くんだ?。」

鋭の興味は、ますます深まっていった。

「まあ、人によっても違うだろうし、好きだった度合いにもよるだろうけど、まるで枯れてしまった井戸の底から、かなり時間が経って、再び少しずつ水が湧き上がってくる、そんな感じかな。」

「へー。なかなか詩的だな。その表現。」

「そうか?。」

仁はメタファーが苦手な方だったが、その表現は、鋭にもしっくり来た。

「人間は、井戸みたいな存在・・かあ。そして、生命が水。いいじゃないか。それ。いただき。」

「パクるのかよ!。」

二人は冗談を交えつつ、若者特有の恋愛観について、率直に意見を交わした。そして、

「でも、やっぱり詰まる所、色恋だよなあ・・。」

鋭は何気に呟いた。仁もその通りといわんばかりに唸った。

「性欲。一般的には淫靡な言葉として受け取られるけど、これ無くして、人類の発展は無かったわけだし、もっというなら、生物の誕生から増殖・進化すら無かった訳だしな。」

「そりゃ、そうだな。」

「でも、社会に存在する倫理ってフィルターを介すると、そんな本能に根ざした行為も、善悪によって途端に判断される。例のタレントさんの件も、大元はそれだしな。」

「うん。それは間違い無いな。そういうことが控えめだったなら、大騒ぎにさえならなかっただろうし。でも、それってやっぱ、英雄色を好む・・ってやつかな?。」

仁はその諺と今回の現象が一致しているのか、鋭にたずねてみた。

「うーん、彼はある意味、英雄ではあるけど、だからといって、色を好むってのは、ちょっと違うかもなあ・・。論理的に見て。」

「論理的?。」

「簡単な話さ。英雄で無ければ、性欲は弱いか?。」

「・・・いや。」

「だろ?。ほら、もう結論が出た。つまりは、多かれ少なかれ、誰だって性欲はある。当たり前な自然現象さ。要は、人間は高度な社会性を営む動物だから、本能のままってだけでは駄目なんだ。属する社会の価値判断基準に照らし合わせて、自身の性欲の発露が、適切かどうかを鑑みる必要がある。そして、その上で、OKとなれば、いざ出陣・・・っと。」

「出陣って・・。」

言葉遊びを交えながら、それでも鋭は、その点について真剣に考えてみた。

「諸刃の剣なんだよなあ・・。性って。絶対に衝動が湧くのに、迂闊には出来ない。だから、魅力も難しさもある。今回の件だって、そのやり方自体が問題視されてるから、タレント自身の知名度に加えて、問題が大きくなってるからな。」


 仁もそのことについては、思う所があった。

「昔、銀幕のスターとかいう人たちは、豪快に遊んだって聞くけど、そういうことが出来なくなったのは、やっぱ、スキャンダルが転がってないかを貪る連中が出て来たからだろ?。」

「うん。そうだと思う。」

「じゃあさ、何で、そんな連中が横行する社会になっちまったんだ?。」

仁は直接の世代では無かったが、両親や祖父母から映画全盛の時代のことを、少し聞いていた。有名な映画俳優がかつては何人もいたが、そんなスケールの俳優を、今は全く見なくなったと、親たちがぼやいているのを聞いて、その理由が知りたいと、仁はかねてより考えていた。

「うーん、オレもやっぱり映画俳優が輩出されてた時代を直接知ってる訳じゃ無いけど、確かにかつてのスターと今の俳優が並ぶと、明らかに違うな。」

「だろ?。あの、目に見えて異なる差って、一体なんなんだろう・・。」

仁の指摘したことを、鋭もあらゆる角度から考えてみた。

「ひと言でいうと、時代がスターを作ったってのはいえるかもな。」

「時代が作ったって?。」

「うん。昔はTVなんか無い訳で、でも、娯楽は昔から存在した。芝居小屋なんかがそうだろうな。で、その後、映画が登場して、その絵に収まる俳優達が集められ、出演者は軒並みスターになったんだろうな。他に露出する媒体がないからな。」

「ふーん。映画オンリーかあ。」

「ああ。で、インタビュー等が雑誌に写真入りで載ったりはするだろうけど、みんなは次の映画作品を心待ちにしてたんだろうな。で、俳優達は色々と遊んでいたみたいだけど、ゴシップを追いかける連中も媒体も、まだ存在してなかったんだろうな。」

「じゃあ、そんな風に、時代が大らかで、かつ、絶対的な注目度があったから、俳優達はスケールを大きく出来たって訳か。」

「まあ、推測だけどな。それから時を経て、全てにおいて批判的なスタンスというか、そういう思想が蔓延した時代があったらしい。体制批判とか、そういった感じかな。」

鋭は社会背景の移り変わりについても、一応の見識があった。

「政治や権力に対して批判的になったのも、その頃かな?。」

「うーん、それはもう少し前からかもだけど、まあ、そういうのが一気に爆発した時期があったみたいだな。で、初めは大きな力に対する批判や反骨精神で、それに対抗してたのが、何時の頃からか、批判の矛先が変わっていったみたいだな。」

「どういう風に?。」

「うん、有名人のモラルに関してというか、そういうのを題材として取り上げて、それを報じることで、視聴率を稼ごうとしたのかな。」

「じゃあ、問題を批判する姿勢がまず在りきじゃ無くって、注目を集めるからって理由だけで、そういうのが始まったと?。」

「うん。そう考える方が自然かな。単純に、噂話って、昔っから関心が高い行為だし、その伝播力も凄いだろ?。しかも、誰かが妙なというか、宜しくない行動をした場合、その噂は力も速度も増す。人は噂好きだからな。そういう心理も手伝って、その手のスキャンダルも、広がるんだろうな。そういうのに目を付けたメディアが、其処に商機というか、儲けみたいなものを見出したんだろうな。」

「で、それが次第に、社会の中で役割を得るようになっていったってと?。」

「恐らくはな。しかも、注目度が高い事は必至だから、わざと何かを起こしたように見せて、自身を売り込む連中も出て来たみたいだしな。」

「いわゆる、売名行為ってやつか?。」

「ああ。ネット動画でも、そんな風に自身を演じて、視聴数を稼ぐ連中もいるしな。つまり、媒体が変わっていっても、そういう行為をする連中と、それに関心を抱く層ってのは、常に世の中に存在する。そういうことだな。」

鋭は、人間とはまるで、それが本能であるかのようにゴシップ好きであるというのを、現象として受け止めていた。

「じゃあ、そういう暴露的なものって、メディアが国民を扇動したって訳でも無いってことか・・。」

「うーん、プロパガンダとは、ちょっと違うしな。」

「プロパガンダって?。」

「国家や権力機構が、国民に対して行う扇動行為かな。思想を拡散するべく、大々的に発表して、自らの正当性を主張する。例えそれが間違ったものであっても。戦時中なんかは、そういうのが頻発してたらしい。」

「へー。でも、それって、国家規模で人民を騙す行為でもあるんだろ?。」

「うん。」

「そんなの、みんな信じるのかな?。」

仁も鋭も現代の若者であり、そんなプロパガンダが効力を発揮する時代のことを、知る由も無かった。しかし、

「それなんだが、実は、ある程度は、効果絶大だったらしい。とある層を除いてはな。」

「とある層?。」

「うん。プロパガンダに乗せられるか否かは、ひとえに、知識があるかどうかで別れたらしいんだ。」

「知識・・かあ。」


 鋭は、この国が戦争に傾いていった際、反戦を唱えた人物について、幾つかの話を集めたことがあった。そういう人達には、宗教的に殺生を是としない層もいたが、概ね、戦況を客観的に知る立場にある人達が多いと、鋭は知っていた。戦況が悪化し、プロパガンダの内容がますます酷くなっても、国家はそれを報じ続け、最期には無惨な敗戦に終わったが、知識人達は、相手国の圧倒的な物量を開戦前から掴んでおり、もし戦争に突入すれば、どのようになるかも、事前に把握し、想定をしていた。それでも、軍部の暴走は収まらず、折角知り得た戦況に関する知識も、声高に反戦を唱えて抑止するには至らなかった。客観分析が可能な人材を有しながら、それでも非現実的な勝利を信じて国家が暴走したのは一体何故かと、鋭は信じられなかった。

「まあ、知識があったからといって、結局は軍の暴走を止めるには至らなかった。知識は重要なものだけど、それだけでも駄目ってことだろうな。」

「じゃあ、何がいるんだろう?。」

「力・・だろうな。結局は軍に力があったから、暴走出来た訳だし。」

「力・・かあ。」

仁は鋭の説明に、オウム返しのようになっていた。彼の説明が理路整然としているせいもあったが、長い議論で、脳が疲れているのに気付かなかったからだった。それを見越して、

「オマエ、そろそろ思考停止状態になってないか?。」

と、鋭は指摘した。

「・・だな。流石に疲れてきたな。」

「そういうときは・・、」

そういいながら、鋭はPCの音量を最小にして、仁にとあるサイトを見せた。

「こ、これは!。」

議論に疲れてボーッとしていた仁の目は、一気に覚醒した。それは、エロサイトの画面だった。

「オレ達、別に高尚なことをいってた訳じゃ無いぜ。そもそもが、メディアがスキャンダルを拾おうと躍起になってるのに違和感を覚えたってのがきっかけだったけど、取材される側に、何らかの性的な問題がなければ、取材される理由も無い。でも、人間って、下世話な生き物でもあるから、性衝動はあって当然。さっきまでそんな話もしてたろ?。」

「ああ。してたな。」

「あのさ、こういうアングラ的なカルチャーって、決して表沙汰にはならないけど、その実、凄まじい裾野というか、広がりがあるんだぜ。」

そういいながら、鋭はそのサイトの入り口をクリックして、様々なカテゴリーの趣味嗜好がることを仁に示して見せた。

「ほほー!。これは凄いな!。」

「はは。驚いたか。オマエ、ひょっとして、日頃からアイドル系のそれしか見てなかったとか?。」

「・・・うん。」

「ま、それが一般的だろうな。でもな、こういうサブカルチャーというか、そーいうのって、かつてはヨーロッパやアメリカが主流だったが、いまやこの国から発信されるものが、かなりの人気を博してるらしい。」

鋭は不思議なぐらいに、メディアの話も、政治の話も、そして、信仰や歴史の話も、下ネタと同列に、そして、同じポテンシャルで仁に語った。仁は少しにヤケ顔で、鋭のアングラ文化の話を聞いていたが、鋭は至って真剣だった。

「オマエ、こういうサイトとかも、そんな堅苦しい分析眼で見てるのか?。」

「堅苦しい?。オレがか?。オレはただ、ひたすら楽しんでるだけだぜ!。」

仁にはそんな風に見えなかったが、鋭はこれでも、十分に楽しんでいるらしかった。

「じゃあ聞くけど、何でこの国は、こういうジャンルに対して後発組だったのに、いつの間にか世界トップのアングラ王国になったんだ?。」

仁はその手の世界観を知りたいというより、鋭の考えるアングラ感に対して、遥かに興味を抱いていた。

「それはな、細やかさだ。」

「細やかさ?。」

「そう。この国の文化は、基本的に手間暇を惜しまない文化さ。例えば、フランスパンってあるだろ?。」

「ああ。あの、細長いパンとかか?。」

「あれは、バゲットといって、フランスパンの代表みたく思われてるけど、他にも色々ある。で、とあるフランスのパン職人が日本に来た際、その種類の多さに腰を抜かしたそうだ。しかも、自国のパンよりも、遥かに美味しかったと、その職人は舌を巻いたんだ。

「へー。」

「つまりは、パン一つとっても、初めは輸入だったのが、いつしか本国の技術やレベルを超えて、オリジナリティーを発揮した洋風のパンを作れるようになったらしい。そして、そんな風に、あらゆるジャンルで、海外から仕入れた元ネタが、いつしかこの国のフィルターを通して。グレードアップした形で、世に拡散される。そして、エロに纏わる文化も、ご多分に漏れず、質を深め、量を増やしていった。表立って語られないだけで、実は凄いんだぜ。この国は。」

そういいながら、鋭はようやくニヤッと含み笑いを見せながら、仁の顔を見た。

「オマエ、マニアック店の店主かよ!。」

脳が休まった仁の口から、極めて適切な形容が飛び出した。

「はは。そいつはいい!。オレが目指しているのは、実はそれだったのかもな。」

回復した仁を見て、鋭もますます気が乗ってきた。


 やはり、若い世代二人にとって、下ネタは尽きない世界だった。それはそうである。健全な肉体ならば、自然現象として催すのも当然である。二人は今まで語り合った内容とは、全く異なるモチベーションで、互いの性に関する、思う所を忌憚なく述べ合った。

「オマエのいうそれって、性というよりは、恋愛観だな。」

鋭は仁が如何に女性を口説き落とすか、そして、どのように付き合うのかに主眼を置いた話を披露した。

「だって、いきなり行為に至る前には、必ずその前が必要だろ?。いきなり本番を求めるだけなら、風俗でいいじゃないか。」

このとき、仁は鋭のいっていることを、全く理解していなかった。

「それは、入り口の話だろ?。それは社会一般でいうところの、通念ってやつさ。」

「通念?。」

「うん。いわゆる、ぎりぎり表、表面上ってやつさ。」

鋭は、仁の性に対する世界観の浅薄さを指摘した。

「じゃあ、裏って、どんなだよ?。」

少しムッとしながら、仁はザン無いたずね方をした。

「うーん、そうだなあ・・。ウツボカズラって、知ってるか?。」

鋭は奇妙なメタファーを語り始めた。

「ウツボカズラ?。何、それ?。」

「食虫植物の一種だよ。」

「あー、虫を捕らえて食べるっていう、あれか?。」

「そう。熱帯アジアのジャングルに生えてて、観葉植物としても出回ってるけどな。あれって、発破の先が伸びて、蔓になるんだ。で、その先が膨らんで反り返って、大きな袋状になる。やがてその袋は上部の口が開いて、中に液体を蓄える。そして、開いた口は周囲がすべすべしていて、止まった昆虫がそのまま中に滑り落ちる。その後、昆虫は液体の中で消化されて、植物の栄養になる。土壌の養分が乏しい地域で進化した、植物の知恵ってやつさ。」

「で、そのウツボカズラと性が、一体どんな関係があるんだ?。」

仁は鋭の話が全く掴めないでいた。

「性ってのは、まあ、本能だよな?。生物学的には繁殖行動ともいうし、それが無ければ、全ての生物種はこの世に存在し続けることは出来ない。それはさっきもいった通りなんだが、人類だけが、その行為に尾鰭を付けて、本来の行為以上のものを演出したりする。」

「ムードってやつか?。」

「はは。それはまだ入り口さ。」

どんなに仁が鋭の話を察しようとしても、今回だけは全然及ばなかった。

「だから、人類は性行為そのもの以外に、膨大な妄想を伴った、いわば快楽の遊技場を設けようとした。」

「それが風俗・・、」

「いいから黙って聞け!。」

勘の鈍い仁に、鋭は少し苛つきながら話を進めた。

「例えば、何のために縛る?。何のために蝋燭を使う?。何のために鞭打つ?。」

「SMのことか?。うーん、それはオレにもよく解らんなあ。」

「そうだろうな。オレだって、そういう趣味は無い。でも、そういう世界観は厳然と存在する。」

「確かに。」

「じゃあ、その理由は何だ?。」

「知るかよ。オレ、そんな趣味無いっていったじゃん!。」

「と、そんな風に、普通はなるんだよ。つまり、オマエはウツボカズラの罠には落ちない虫って訳さ。」

此処へ来て、鋭のメタファーがようやく仁の疑問と絡み出した。

「ほう。なるほど。じゃあ、その理由が解る層が、その罠の中に落ちていくって訳か?。」

「有り体にいえばな。しかし、それは理解や同調じゃ無い。単なる好奇心と観察だ。」

鋭はその行為や世界観に主体的に関わるか否かの、境界線的な話をしていた。

「で、そういう趣味の無いオマエが、何でそんなことが解るんだよ?。」

仁は鋭がいっている矛盾についてたずねた。自身はSMに興じないのに、何故事の本質を知っているように語れるのかとを。すると、鋭は少し微睡んだような目つきになりながら、

「ま、恍惚感。だろうな。」

「恍惚感?。快楽とか、そういうのか?。」

「それは、括りの差だ。快楽は何にでもある。性に限らず、食事でも、楽しい遊びに興じても。しかし、それだけで恍惚感に至れるかといえば、そうじゃ無い。」

鋭は可能な限り、概念としての恍惚感を、仁の感覚に訴えかける物いいを試みようとした。

「性という行為は、確かに快楽を伴う。でも、それだけだ。生物学的には、余計なオプションが無くとも、それで成立する。ところが、人間は想像をする生き物だ。だから、行為と想像が伴わない場合も、往々にしてある。例えば、オレ達は実際に女性と上手く付き合えなくても、性欲だけはあるから、想像で色々とするだろ?。」

鋭は、卑猥な手つきをして、それを仁に見せた。

「ああ。」

「まあ、詳しくいえば、其処で大きく二手に分かれるんだが、その話は置いといて、想像によって得られる快楽と、本番によって得られる快楽は、自ずと異なる。しかし、もし、その二つが重なり合って、さらなる相乗効果を生んだとしたら、どうだ?。」

さっきまで虚ろともいえる目つきだった鋭は、そういい終えると、急に眼を見開いて、瞳の奥に尿な光を宿らせながら仁を見た。

「うわっ。近いって!。」

仁は思わず仰け反った。しかし、

「うーん、よくは解らんが、でも、オマエのいわんとすることが、ちょっと見えてきた気がするな。」


 仁は自身の推測で共感を得るより、この場合、ひたすら鋭の教示を聞いていた方が、その世界を体感出来るような気がした。そして、彼はある種、そういう世界へ誘うガイドの天才なのでは無いかとさえ感じていた。

「人が快楽を得るか否かは、脳内の伝達物質が放出されることで行われる。ま、科学的メカニズムとしては、それがオンオフの鍵になってると。しかし、其処から感じられる刺激は、全身を駆け巡る。そういうのを外部から摂取して、端的にその状態に至ろうとするのが、いわゆる薬物さ。」

「違法のか?。」

「合法違法はともかく、外部からの摂取でその状態に達するのは可能ってだけさ。オレがいってるのは、そういうものじゃ無い。内部から自然に沸き起こる、そういうものさ。」

鋭の話はとどまる所を知らなかった。

「虫ならばウツボカズラの危険を感じずに、偶然にして幸い、罠に落ちずにそのまま飛んでいくか、あるいは不幸にも、罠に落ちて分解されてしまう。昆虫とは、前者のみを是とする存在だ。ところが・・、」

鋭はそういうと、さらに眼を見開いた。

「罠に落ちて、そのまま身も心も溶かされてしまうことを、是とすることが出来たら、どうだ?。」

「・・・。」

仁はいつものように、すぐに思いついた感覚を言葉で形容せずに、仁の妙に輝く瞳を見ながら、どんな言葉を欲しているのか、反芻しながら考えた。

「・・形が、なくなる。」

その言葉に、鋭は仁の方をグッと掴んで、

「そう、それだっ!。」

と、歓喜の声を上げた。仁は自分とは違って、全てにおいて平凡に生きるであろう、一友人。そんな風に捉えていた仁が、今正に、鋭の世界観にグッと近づいて来た。そのことに、鋭は思わず声を発した。

「快楽なんて、所詮は既存の概念なんだよ!。いい換えれば、形骸化すらしてしまってる。風俗にいって、お決まりのコースで処理だけ行ってもらっても、それだけだろ?。ノーマルなんだよ。だからこそ、人は物足りなさを埋めるために、アブノーマルに走る!。それは即ち、既存のものを破壊する。そして、新たな自分が誕生する瞬間なんだ!。解るか?。」

仁は鋭の熱を帯びた表情に幾分退き気味ではあったが、さらに彼のいわんとすることに共感を覚え始めた。

「あ、ああ。解る・・ような気がする。」

「そうなんだよ。我々は、自らが好んでウツボカズラに身を投じる存在なんだ。そして、その状態を知れば知るほど、ますます抜けられなくなる。罠という形容は絶妙だが、それでも物足りない。じゃあ、何が最も適切か。それが即ち、」

「恍惚・・かあ。」

鋭の最後の言葉を、仁が代弁した途端。鋭は急に姿勢を正して、

「はい、よく出来ました。」

と、まるで先生が生徒を褒めるような口調で、仁の頭をポンポンと軽く二回叩いた。そして、

「オマエ、いい線いってるよ。」

と、普段の状態に戻った鋭は、椅子に座り直してPCの画面を見つめた。

「いや、オレがいい線とかの問題じゃ無く、オマエがぶち抜いてるんだよ。そういうものに。」

鋭の世界観のほんの僅かを体感した仁は、あらためて彼の凄さを目の当たりにした感覚だった。鋭は、冷静な口調に戻って、

「な。そういうのって、一般的にはマニアックだの、変態だのって、在り来たりな形容の言葉しか無いんだ。それはいい換えれば、自身がその奥底に到達出来ないことへの、突き放した表現でもある。やっかみってやつかな。」

「なるほどなー。オレもさっき、オマエのことをそんな風にいったよな。悪かったかな?。」

仁は鋭に気を遣ったが、彼は一向に気にしないといった表情で、

「全然。だって、それが普通だからな。人は自身が知らないものを理解出来ないって感じた時、二つの反応に分かれる。一つは、さらにその先を知りたいと身を乗り出すか、もう一つは、それ以上知ることの意義を感じないって勝手に判断して距離を置く。ま、後者の方が圧倒的だがな。だから、マニアックと評された場合、それは褒め言葉にしか聞こえない。そういうもんさ。」

鋭は自身の立ち位置と世間一般との構図を、客観視出来ていた。

「でもさ、そういうのって、オマエがいう境界線を踏み越えることで、必ずそんな風に恍惚感を得られるものなのか?。」

仁は、もっともな疑問をぶつけた。

「はは。それこそ正に、趣味嗜好だよ。全然知らなかった世界観に急に嵌まる人もいれば、そうで無い人もいる。人それぞれさ。ただ、どんな方向性であれ、概ね、人は何らかのものに嵌まれば、そういう感慨に至る事は出来るんじゃないかなって、オレはそう思ってる。」

鋭はまるで恍惚感の申し子のような表情で、中空を見つめた。

「そういうのが実現出来て、みんなが喜びを持てたら、世界も平和なんだろうな・・。」

仁も鋭の言葉に同調しようとしたが、

「いや、それは違うぞ!。」

と、急に激しく叱責した。


 鋭は今までの熱とは逆の熱気を持って、仁にいい放った。

「あのな、オマエは性というのを甘く見てるぞ!。」

「え?、どういう意味だ?。」

「性の嗜好性は奥深いものでもあるけど、同時に、此処によって好みが異なる。場合によっては、そんなものに興奮を覚えるのかって領域もあるんだ。そしてそれは、イリーガルな方面にも・・。」

鋭は性に関する話があれだけ饒舌だったのに、途端に口が重くなった。仁は、自身が余程いけないことをいってしまったのかと、かなり気になった。

「何か悪いこといったな。済まなかったな。」

「いや、いいんだ。ただ、性への衝動って、殊の外止められない面がある。だから、戦場なんかでは箍(たが)が外れて暴走するような光景もしばしば見られてしまう。そして、この国みたいに、何処よりも治安のいい国でさえ、やはり同様のことがアンダーグラウンドで起きる。勿論、イリーガルに。それぐらい、性とは人間の人格やブレーキを跳び越えて、暴走を招くこともある。例の雑誌の話題が発端になった件も、そういうニュアンスを含んでるといえなくも無い。普通の人間が、高級ホテルで一同を介してのコンパなんて、開かないだろ?。それはやはり、知名度なり金があるからだ。でも、それだけのために、わざわざそんなことはしないだろうって事ぐらい、ちょっと勘を働かせれば、誰だって想像が付く。故に、その先に何か宜しくない行為が生じる可能性も否定は出来ないが、仮に合意があってなされたとしても、それってやっぱり、性に纏わることだろ?。つまりは、性って、起爆剤なんだよ。社会の顔を持った人間性が壊れて、本来的な生物としての人間が発露する。」

鋭は、人間が生物である以上、その衝動と切り離して存在は出来ないということを、徹底して仁に解いた。

「なるほどなあ。つまりは、オレ自身だって、日頃は常識の範囲で行動してるのが、それが切っ掛けとなって、逸脱することがあっても、可笑しくないってことか。」

「ああ。オレも、そういうことは無いだろうと、暗に信じてはいる。自分に対してな。でも、だからといって、衝動が無い訳では決して無い。そういう危険性ってのを、常に孕んではいるんだろうな・・。」

鋭は何らかの宿命的なものを見据えたような表情を浮かべた。そして、

「自身の生に関する方向性が、いわゆるノーマルのそれとはかけ離れていた場合、大抵は悩むだろうな。で、それがさらにイリーガルなものであったなら、なおさらだろうな。」

と、自分たちの嗜好性が幸いにして、そういうものでは無い事に、申し訳なさと安堵の入り交じった感情を覚えていた。これ以上そういう方面について語っても、重く先細る話題だと感じると、鋭は再び軌道修正をした。

「まあ、そういう余程な事はあれだから、ちょっと置いとくとして、それにしても、やっぱ、豊富に資金があったら、オレ達の想像も付かないようなシャングリラみたいなパーティーなり何なり開催して、さぞかしご満悦なんだろうな。」

鋭は珍しく、俗っぽい表現をした。

「へー、オマエ、そういうの、羨ましいって思うんだ。」

「そりゃー、男だもん。そんなことが一生のうちに一度でも出来るってんなら、その機械を逃す手は無いかなって。」

「ふーん、オレは其処までは考えないかな。逆に、一人の女性と付き合ったり、結婚してても、浮気の虫が騒ぎ出して・・ぐらいは想像するけどな。」

仁は、至極当然なことをいったつもりだった。ところが、

「あのさ、一般的にひかくすることでは無いけど、その場合、どっちの方が悪いと思う?。っていうか、そんな風に受け止められると思う?。」

鋭は、そういいながら、仁の顔をジロジロ見た。

「え?、そりゃー、大枚叩いて、御大名よろしく、どんちゃん騒ぎで乱れる方が悪いんじゃ?。」

「それの、どの部分に悪かったり批判される要素があるんだ?。全員合意の上として。」

仁は、行為の判断基準を規模でのみ考えていた。妻帯者も参加してのそんな騒ぎは、メディアに嗅ぎつけられて、後々叩かれるだろうと想定した。

「騒ぎになってる時点で駄目なんじゃ?。」

「それだったら、街中で行うパレードだって同様だろ。みんなが静かに眠る時間に、その妨げをしてるとか、そういう問題じゃ無いだろ。」

鋭は、人の発想について問題視した。短絡的すぎると。

「で、こっそりとした浮気なら、規模が小さいから大丈夫って風に思ってるだろ?。でも、実際、裁判云々で、何かと問題視されたり、もしオマエが有名人だった場合、メディアでしつこく騒がれる話題っていったら、どんちゃん騒ぎと、こっそりしたう浮気と、果たしてどっちかな?。」

鋭は、鬼の首を取ったように、仁を見下ろした。

「え、そりゃ、その・・。」

「な。これまで報じられてきたタレントのスキャンダルも、概ねそっちだろ?。不倫とか何とかのレッテルを貼られて。」


 鋭の言葉に、仁は問題の本質について、一気に深まった感覚を覚えた。

「そうか。規模じゃ無くて、深さか。罪の。」

「そういうこと。仮に相手が受けた傷が深いと審判が下った場合、多額の慰謝料等が発生するのは、断然こっちだぜ。一般的な収入だったら、相場の上限は決まってるだろうけど、もしオマエが会社か何か興してて、莫大な資産があったなら、その金額は恐らく、天文学的な数字だろうな。」

「にしても、その罪の意識って、この国にも本来的にあったものなのかな?。」

仁は抵抗していた訳では無かったが、その罪の定義、つまり不貞行為の概念について、鋭にたずねた。

「うーん、それは違うだろうな。そもそも、この国には本妻以外に女性を囲うっていう風習も、少し前まで存在していたみたいだし、海外では一夫多妻制が今なお残ってる国もあるしな。ま、恐らくは、キリスト教的な宗教観が、一夫一婦制の拡散を後押ししてるのかもなあ。オマエにとっては厄介なものだろうけど。」

鋭は仁の性格をしっているだけに、最後の言葉は殊の外、彼に響いたようだった。

「何とも過ごしにくい世の中にしてくれたものだよ・・。時代が逆行することって、この先も・・、」

「無いな。我々はタイムマシンを発明出来ない限り、それは無い。残念だけど。」

そういいながら、鋭は仁の肩に手を置いた。

「我々は、現行法の下に生きる定めか・・。」

「だな。」

鋭は、何故だか解らなかったが、仁を宥めた。すると、

「あ!。」

仁は突然、何かを思いついたようだった。

「もしかして、これか?。」

「ん?、何?。」

あまりに思いつきの感覚だけを表する仁に、鋭も何が何だか、訳が分からなかった。

「いや、だから、一夫一婦制さ。」

「あー、はいはい。そういうことね。」

仁がようやく言葉で思いつきを表現したことで、鋭の思考も追いついた。

「ま、その普及と心頭が、世の浮気者全員を苦しめる結果に繋がったことは確かかな。そして、一番オレが問題視している、メディアが鬼の首を取ったように論拠を求めるのも、正にその部分さ。」

仁は自身の浮気心に先手を打たれたことに、そして、鋭はその価値観さえあれば、どんなに不定をやらかした著名人であっても、叩いてもいい風潮にしてしまっている事に憤りを覚えた。

「何か、オレ達、気が合うな!。」

仁はそういいながら、鋭を見た。しかし、

「結果論だろ。それ。一緒にするなよな。」

と、鋭は冷たく遇った。

「でもさ、メディアの掲げる正義の根拠って、こんなものなのかな?。」

仁は長い時間行ってきた議論の中核が、その話を基軸にしていることに、不思議な思いを抱いていた。

「まあ、それが不貞を捌く法的根拠になってるのは間違い無さそうだしな。」

「あのさ、それって、その宗教圏での価値観だろ?。それが何故、アジアであるこの国なんだ?。」

「さあな。日本は明治以降、近代化を急いだからな。そんな中に、宗教的価値観が紛れ込んだとしても、不思議は無いな。」

鋭は現実問題として淡々と分析的に語ったが、仁はいまいち、納得がいかない様子だった。

「それって、馴染むのかな?。この国に。」

「うーん、馴染んでるかどうかといわれれば、必ずしもそうでは無いかな。」

「一夫一婦制が保たれてはいないってことか?。」

「そうじゃ無くって、婚姻制度はそうだけど、実質問題、そうでは無い割合は、思ったよりは高いらしい。」

「カギはそこかあ・・。」

鋭は、実際の統計で、夫婦以外に関係を持つ割合について、その数字が過半数は下回るものの、決して低くは無いことを知っていた。そのことを知った仁は、

「それって、適正なのかな?。つまり、不貞すること無かれっていうのは。」

仁は現行法を根本的に疑うスタンスを示し始めた。

「うーん、それは、どの角度から論ずるかによって異なるな。例えば、ヒトという動物が一夫一婦制を本能的に取る生態なら、それに反する行動は生態的に異様に映る。でも、ハーレムを形成する動物が哺乳類には多いという事例もあるから、底を基準に擦ると、応えはノーだろうな。で、まあ、不貞って、何かとトラブルの元というか、釈迦に不安をもたらす可能性もある訳だろ?。なので、欧米のように契約社会の価値観では、その契約に従った行動原理や生活様式を行うから、その基準が主流になる。もし、アジアが欧米に対してそのようなスタンスに馴染まないという歴史があったとしても、この国は、昔から権力というか御触書みたいなのに暗に従うっていう精神性があるだろ?。」

「ああ。確かに。」

「だから、そういうものを法で規定されちゃったら、それに自然と従うっていう風になっちゃってる。だから、馴染まない部分はあっても、抵抗は示さないって感じかな。」

「ふーん、まあ、確かにこの国って、市民革命みたいなのが起きた試しは無いしなあ。軍国主義が崩壊したのも、大戦に負けた結果だしな。自身の手で革命や改革は、行えない、そういうメンタリティーなのかもな。」

「ああ。維新はあったけど、結局は将軍が廃止に放ったけど、武士が士族として政治を担うって構図と、権力が国民を統制するってシステムは、特に変化は無かったからな。」


 鋭は、アジア特有の権力に複縦的なメンタリティーの宿命のようなものを、仁に語った。

「じゃあさ、そういう背景というか、同じような本質が、メディアが勝手に掲げてる正義感にもあるって感じかな?。」

仁の推測的考察が息を吹き返した。しかし、

「うーん、それはちょっと違うかもなあ。確かに取材に際して威圧的な態度を取る取材陣はいるみたいだけど、あれは権力のそれとは、やっぱ違うな。強制は伴ってないからな。」

「でも、圧はあるだろ?。」

「ああ。」

「じゃあ、それって、やっぱ暴力なんじゃね?。取材される側も嫌がってるのに、逃れられない訳だし。」

「うーん、そういう意味を暴力の範疇にまで入れるなら、そう言えなくも無いかな。危害を加えてる面は、確かにあるしな。」

仁は鋭の言葉を聞いて、やはり自分もそういうものに憤りを覚えていることを、あらためて感じた。

「じゃあ、そういうのって、攻撃の対象にはならないのかな?。」

「メディアがか?。」

「ああ。」

そのことは、実は鋭も既に考察をしていた。以前、自身の関係する女性に、半ば強引な取材を試みたメディアに腹を立て、その記者が所属する会社にタレント達が襲撃するという、社会問題にもなった事件があった。しかし、その事件はタレントの側が及ぼした暴力にのみ焦点が当てられ、取材を行った側への批判やお咎めは封殺された形になっていた。

「快く思わない層ってのは、オレ達を含め、他にも沢山いるだろうとは思う。だからこそ、オレも動画で語りながら配信してる訳だし。でも、必要悪って言葉があるだろ?。」

「必要悪?。メディアがか?。」

「いや、メディア全体じゃ無く、そんな風にスキャンダルを暴いたり、強引な手法を採ったりしてネタを拾う行為というか、そんな連中な。彼らは彼らで、権力に立ち向かってる面もあるってのは、前にもいった通りだが、下世話な話題をほじくり返して、それをみんなで面白がるというか、そういう奇妙な価値観の共有ってのが、そういうメディアの側面を許してるのかも知れないな。」

「覗き見趣味と、それを満たしてくれる役割って感じでか?。」

「ああ。それな。社会生活を営む人間は、やっぱり、他者やその生活が気になる生き物らしい。だから、常に周囲を気にしたり、周囲のことが気になったりってのが付いて回る。その行動の一つが覗き見さ。そういうのって、アングラで続く文化でもあるらしい。社会の階級を問わずに。」

「上流階級でもあったってことか?。」

「うん。寧ろ、流行してたって話も聞くな。この国の古典にも、垣間見って風習が書かれてるけど、あれこそ正に、覗き見だろ?。」

「あー、そうかー。」

「オレは覗き的な趣味は無いが、例えば、みんなと喋ってて、自身がその場から離れた場合、みんなは自分のことを、どう評してるのかって、気にならないか?。」

「いわれてみれば。」

「だろ?。そんな具合に、人間って、やっぱり評価というものとは独立して生きていくのって、難しい存在なんだよ。」

鋭は、人間の社会性が、単に生活圏や風習を共にするだけでは無く。互いを暗に監視し合いながら、価値観を共有したり、場合によっては同調圧をかけつつ、コミュニティーの縛りのようなものの中で生きる存在だということを主張した。

「エゴサーチって言葉、あるだろ?。」

「うん。」

「あれなんか、その最たるものだろ?。自身の評価が気になって仕方が無いから、自分の名前を検索する。タレントには多い現象らしい。知名度があるから検索もかかり易いだろうしな。」

「まあ、オレ達素人には関係無い行為かな。」

「いや、そうでも無いぜ。」

そういうと、鋭はPCの画面にとある会話文を開いて見せた。

「何?、これ。」

「ログ。」

「ログ?。何の?。」

「とあるサイトで行われてた、会話の。普通、メンバーしか見られないから、その中で安心して、好き勝手語り合ってるだろ?。そういうのって、大抵は外部に漏れないと、そう思い込んでる。でも、こんな風に、このサイトに何の関係も無いオレが、その内容を手にしてるんだぜ?。」

それを聞いた仁は、

「オマエ、趣味悪いな。」

と、批判めいた発言をした。

「これは、オレが抜いたログじゃ無い。とあるサイトに転がってたのを、コピペしてみたんだ。誰かがログアウトした後に、そのメンバーについて、他のメンバーが語らってた。その例だ。」

「で、オマエは何のために、そんなの持ってるんだ?。」

「うーん、題材・・かな。噂話を提供するメディアに対してオレ達が批判的になっても、噂話を渇望する方が主流なら、メディアの暴走を止めるのは難しい。だから、もし、そういうのとバトルになることがあったとして、周りはどっちの側に着くか。そういうシミュレーションをしてみてるんだ。」

鋭は、最終的な戦略について、ついに仁に語り出した。


 鋭は背筋を正した。そして、仁を真っ直ぐに見た。

「これは、ある意味、賭けでもあるんだけど、何か物事を変革させようと思ったら、自ずと既存のものと闘うことにはなる。メディアは情報を、あるいは真実を提供すべき重要な手段であることも、オレ達は知ってる。そして、彼らが報じる内容を、我々は享受してる。でも、そのことに重きを置くばかりに、誰かが犠牲になっていいって話にはならない。自身のプライベートを守るべく、立場や築き上げたものをかなぐり捨てて、一心不乱に立ち向かった人物もいる。しかし、それすらスキャンダルとして取り扱われるだけで、結局、その行為を切っ掛けとして、何かが改まったりはしなかった。だから今も、タレントはプライベートを勝手に切り売りされてしまう。有名税と片付けるのは簡単だろう。でも、オレはそうは思わない。何故なら、もしオレが何らかの理由で世に名が知れたとして、人の心情を慮ること無く、土足で上がり込んで来て、自身の価値観をこれ見よがしに押しつけようとする者が現れたら、オレは多分、ヘラヘラと笑いながら対応はしないだろう。そう思うからだ。」

そういい終えた鋭の目は、これまでに仁が見た事のない、怒りとも哀れみとも違う、何とも悲しいものを見つめている、そんな目つきだった。

「・・じゃあ、もしオマエがそんな取材攻勢に遭ったなら、どうする?。」

「命を賭する。」

即答だった。一切の躊躇も無かった。鋭はいつも仁に対して、友人として馬鹿話をしたり、あるいは冷静沈着に状況を分析しつつ、理路整然とかたるのが普通だったが、今日は少し、いや、かなり違っていた。

「まあ、どんなに強大な国家の権力者も、最期には滅びるからなあ。今はこの国では、政治機構に属する者や巨大企業の連中より、メディアが鎮座しちまってる。そういうことか。」

「ああ。かなり以前の話なんだが、プロ野球チームの労組を作ろうと、尽力した選手がいたんだが、それに対して、メディア最大手の重鎮が何ていったか知ってるか?。」

「いや。」

「選手如きが。そういったんだ。そんな価値観と認識の輩が、この国のメディア世界のトップに君臨している。自身の事を、帝王か何かだと、そう思ってるんだろうな。人間誰しも・・って風に論じることは出来ないが、偉くなってしまうと、ああもふんぞり返ってしまうものなのかなって。勿論、中には頭を垂れる稲穂のような人物もいるのかも知れない。でも、権力の力って、人を変える。その必然性は今もずっと健在なんだろうな。」

鋭は、政治記者上がりにして最大手の新聞社を率いる人物に対して、青白い炎を上げながら述べた。かなりな高齢ゆえ、このまま放っておいても、いずれは寿命を迎えるだろう。しかし、鋭はそのことにさえ、不満を抱いている様子だった。

「なあ、鋭。世の中っていうか、人間、それなりのことを成し遂げたなら、必ず功罪が付きまとう。オレはそういうものだと思うんだけど・・。」

仁は鋭が批判するメディア王を弁護するつもりは無かったが、このままでは、何かと死が突拍子も無い行動に打って出るのではという、そんな危うさを覚えた。

「うん。確かにな。一つの行いが必ず善、必ず正義なんてことは、あり得ないからな。為し得た行為に是とする者もいれば、非とする者もいる。それはオレも解る。でも、その是として捉えられた功績の影には、必ず踏みにじられた人間もいる。オレは、そういうものを見過ごせない。」

鋭は窓の方に目を遣りながら、仁にそう語った。幾分、表情は和らいでいるように見えたが、反面、それは何らかの決意を示しているようにも、仁には見えた。そして、暫し沈黙が続いた後、

「オレがやっている規模の情報発信程度では、そういうものに対して何らかの変革に繋がるとは、思っちゃいない。ちっぽけすぎるからな。でも、そうせざるを得ない、そんな衝動が常に湧いてくる。だからオレは、せめて自身の顔で、自身の声で、そういうものに対する何かを述べている。話していることは情報なり、思考の末に出た言葉だろう。でも、それは理屈じゃ無い。衝動なんだ。」

鋭は日頃から冷静でいることが多い故、こんな風に何かに固執した姿など、仁は見た事がなかった。誰かと議論になりそうになっても、常に一歩退いて、相手に譲る素振りさえあった。故に、彼は物腰の柔らかい、フレキシブルな発想の出来る人間だと思っていたが、実はそうでは無かった。仁は愕然とした。人知れず、自身の信念を遂行すべく、闘志の炎をひた隠しにし、じっと機会を伺っていた。それが鋭という人間なんだと。仁は、日頃から自身の人に対するスタンスが、妥協ばかりしているのを自省的に捉えていた。芯の通った、理路整然と語る鋭は、自分にとって友人でありながら、憧れでもあった。


 仁は困惑した表情のまま俯いた。

「オレは妥協ばかりしながら、今日まで生きてきた。でも、それが結局は、自分を生きやすいものにしてくれていたんだ・・。」

鋭への憧れが褪せた訳では無かったが、仁はあらためて自身の生きる姿勢に対して、奇妙な形で自己肯定感を得る結果となった。

「あのさ、」

「ん?。」

「オレ達ずっと、既存のメディアは、ネットに取って代われるから、自然消滅する。そんな風に話をしてきただろ?。」

「ああ。」

「だったら、それでいいんじゃ無いのかな?。需要を失った企業が衰退するように、民衆から見放されたメディアもまた、自然消滅する。そこまでは待てないのか?。」

仁は、鋭が何かを企てて、良からぬ行動を起こすことに危機感を覚えていた。

「それが、何時のことになるのやら・・。社会主義の圧政に苦しんだ国民は、自由を渇望しながら、志半ばで散っていった。その後、時を経て自由がその国に訪れたとして、亡くなっていった者達は、浮かばれるのかな?。」

やはり、いつもの鋭では無かった。たまに極論で仁を黙らせることはあったが、今回は極端過ぎた。それでも仁は、

「オレは運命論者とか、そういうのでは無いけど、圧政から解放される日を目にするか否か、それまで生きていられるかどうかは、やっぱり自分には決められないんじゃ無いのかな?。志半ばって言葉もあるように、その途中で倒れてしまう人々も、少なくは無いだろうし。自己犠牲で終わる短い人生ってのもあるのかも知れないけど、でも、それは何ていうのかな・・、理屈抜きで悲しいな。オレには。」

そういいながら、鋭を見つめた。その眼に宿る何かに、鋭もできる限りの姿勢を示そうとした。

「刹那過ぎる。そういいたいのか?。」

「・・・ああ。」

「刹那で何が悪い。とは、いわない。それはオレも解ってる。でもな、やはり、許されざる現象ってのも、起き続けていてな。」

そういいながら、鋭はつい最近報じられた、とあるニュース画面をPCに表示した。そして、それを仁に見せながら、

「知ってるか?。これ。」

と、たずねた。

「・・ああ、チラッとだが、見たかな。よくは知らないけど。」

「自身の作品がドラマ化されたことで、結果的に自ら命を絶った。そんな原作者のニュースさ。」

「デリケートな話題だなあ・・。」

「ああ。」

内容が内容だけに、流石に鋭のトーンも下がって、普段通りの冷静さを取り戻したように見えた。

「どういう話だったんだ?。」

「映画やドラマって、その元となる原作があるだろ?。小説や漫画などの。」

「ああ。」

「それを、映画会社やメディアが目を留めたものを採用して映像化するんだけど、原作と実際に映像化したものとでは、どうしてもズレが生じる。長い作品なんかでは、フィルムやドラマの時間枠に収めなきゃいけないからな。所謂、尺ってやつだよ。」

「無尽蔵には映せないしな。」

「ああ。で、その際、原作の長さというか、世界観とどうしても異なる編集をしないと収まらない事態も生じる。で、問題は、その前段階で、そんなこともあり得るっていう可能性を、制作側は原作者に伝えるんだけど、そのいい方が問題らしい。」

「問題って?。」

「立場の優位性をこれ見よがしに見せつける。そんな物いいさ。」

鋭は背もたれにもたれるながら、いつものような口調で話し始めた。

「メディアの側って、やはり、ふんぞり返ってる事が多いらしい。映像化してやるというか、そういうことでオマエらも儲かるだろ?。だから、オレのいうことを聞け・・ってな風らしい。」

「そりゃまた、露骨だな。」

「まあ、実際に其処まで酷いのかは、オレにも解らない。でも、そんな風に、原作者は、必然的にメディアの尺に収まるように、妥協を強いられるって意見は、SNSでも散見されるなあ。概ね、そういうことが横行してるんだろうな。」

「それって、搾取か?。」

「いや、それは違う。初めから理不尽さが前提であって、それを強いるなら搾取だろうけど、問題は、それを原作者の側が選択出来るって点かな。つまり、自身の世界観は、尺に合わせるために勝手に編集されたり、書き換えられたり、無茶苦茶にされるかも知れない。でも、そのことでメジャーになれたり、利益は入る。それを是とするか非とするかは、自分次第。」

「うーん、キツイ選択だなあ・・。売れるまでに苦労した原作者さんなら、喉から手が出るほど利益も欲しいだろうしな。」

「ああ。で、泣く泣く妥協しながら、利益を得る層も少なくは無いらしい。反面、どうしても自らの世界観を壊されるのが耐えられない原作者は、例え利益を逃したとしても、メディアからの申し出を断って、孤高の道をいく。と、それなら、その選択肢を選んだ人物が、例えこの先困難であっても、納得はいくだろうな。でも・・、」

「でも?。」

「口では原作通りに映像化するといっておきながら、そんな約束を反故にされたとあっては、どうだ?。」


 仁は、鋭の話を聞きながら、実は後者の選択肢を頭の中に描けないでいた。妥協しながら生きていくことに慣れていたからだった。

「うーん・・、と、考えるふりをするのはやめるよ。知っての通り、オレはオマエほどクリエイティブじゃ無いし、何より、妥協することに抵抗がほぼ無い人間だ。だから、もしオレが何かを創れる人間だとしても、前者の側に立っただろうな。」

仁の告白は、鋭には驚きでは無かった。むしろ、そんな風に自分をあっさりと出し合える中であることに、得もいえぬ安堵感を覚えた。

「なるほどなー。オマエらしいというか、でも、それが大方なんだろうな。ところが、中には、どうしても自身の世界観に拘る層も存在する。何故だか解るか?。」

鋭は、そういうことを推測するのが苦手な仁に、敢えてたずねた。

「ほら来た。うーん、でも、考えてみるか・・。」

仁は典型的な考えてる人のポーズよろしく、腕組みしながら難しそうな顔をした。そして、

「命より大事だからか?、作品が。」

と、突然、答えをいった。

「お、やるな!。」

鋭は、仁との付き合いの長さが、彼に答えさせたと、そう感じた。

「つまりは、そういうことなんだ。創作をするって、そこに命を注ぐというか、命を削ってでも完成させるというか、そういう気迫というか執念というか、全身全霊で挑むものなんだ。それほどまでに身を粉にして作られた作品を、一体、どうして他人が勝手に作り替えていいって理屈になる?。そんな風に思う原作者もいることは、想像に難くない。寧ろ、自然だろうな。」

「なるほどなー。オレはそんな感性は持ち合わせちゃいないけど、でも、オマエのいうことは、流石に解るよ。」

鋭は、再びこんな風に、いつもの鋭と語らえることが嬉しかった。

「まあ、それでも、バランスとか、関わった人達の思惑というか、そういうのに配慮しつつ、自身の意見を引っ込めるって層も、あるんだろうな。そんな中、今回の悲劇は、キツイな。」

「全く妥協しなかったからか?。」

「それは浅薄な見方だろうな。同じような目に遭っても、平気でいられる人間もいれば、涙を呑んで堪える人間もいる。そして中には、自身そのものが壊されたと、そう受け止める人もいるだろうな。今回の件が、そのどれに当たるかなんて、邪推さ。でも、確実にいえることは、一つある。」

「メディアか。」

「そう。」

仁の即答に、鋭も即、反応した。

「原作者というものに対して、ディアは驕っている。その構図が完全に露見した事例だろうな。それが証拠に、事件が起きてすぐの、メディアのコメントが何とも冷徹だった。問題意識というのをサラサラ持ってないことの表れだな。付け加えるなら、そのメディアこそ、かつて労組を起ち上げようと必死になっていた選手を、選手如きと称した輩の所さ。」

「あちゃー!。」

仁は、懲りないメディアが、変わらず驕った姿勢を嘆いたのでは無く、再び鋭のメディアに対する憎悪の炎が再燃したことに嘆いたのだった。

「あのさ、こんなこといったらあれなんだけど・・、」

と、仁はかなり躊躇した様子で語り始めた。

「自ら命を絶つって、オレには全く想像出来ないんだよ。何でそんな風な選択をするのかが・・。」

それを聞いた鋭の表情が、急に変わった。

「それが普通だよ。」

普通。仁は、総評されることで、オマエはこの話題には一生関わり合いになることは無いだろうという、そんな烙印を押された気分になった。しかし、

「世の大半が、そんな風には考えない。それはデータ的にも明らかさ。国々や状況によって差はあるけど、概ね、そうさ。でも、やはり、どうしてもそのような思考や感情から逃れられない層ってのも、必ず存在する。そして、こんな風な事態になったことに対して、その個人の気質に全てが起因する論調で語る連中もいる。でも、それは違う。」

鋭はメディアを憎むべく、思い詰めたような表情の時とは、明らかに異なった、それでいて、何処か柔和な感じが窺えた。

「やっぱり、構造的な問題なんだよ。過労が祟って死を選んでしまうのも。それは、過度な労働が脳を正常に機能するのを妨げる。そういうメカニズムが働いて、快楽や希望といった感覚が脳に湧かなくなってしまう。それは科学的にも証明されていて、そんな抑うつ状態に陥ると、人は思考停止状態になってしまうんだ。気分転換や、発想の切り替えが出来れば、何の問題も無いはずなのに、それが出来ない。その段階で、正常な判断は出来なくなっている。そして、感覚が鈍ると同時に、何故かネガティブなことしか思い浮かばなくなってくる。最悪な状況だけど、そのことすら自覚が無い・・。」

鋭は表情こそ柔和だったが、語る内容は、極めて重く、そして、何処までも具体的だった。仁は思わずたずねた。

「どうして、そんなことが解るんだ?。」

不思議そうに見つめる仁に、鋭は少し微笑みながら、

「オレも経験者だからさ。」

と、そう答えた。


 仁は背筋に冷たいものが走った。何をいい出すのだ、彼はといわんばかりに鋭をみつめながら、仁は絶句した。

「え・・、じゃあ、オマエ、」

言葉に詰まる仁に、鋭は優しく微笑みながら、

「オマエには解らないだろうが、人が死を見つめるなんて、よくあることさ。だって、人はいつか必ず死ぬんだから。でも、それが自身や周囲には起きないと、何故か人はそんな風に思いながら生きてるんだ。ま、それが健全なのかもだけど、でも、そうでは無く、自身の生に対して、疑念を抱いたまま、それが振り払えずに苛まれる、そんな状況に思い悩み、苦しむ人も、常に存在はする。みんなと同じように、楽しくのほほんとやってればいいのに、それが出来ない。オレ自身もそうだった。」

鋭の告白は切なすぎたが、しかし、言葉とは裏腹に、その表情は何処までも優しかった。

「オマエ、よくそんな平気な顔でいえるな?。そんなこと。」

仁にはやはり、不思議でたまらなかった。

「うん・・、オレも最初は戸惑ったよ。自身の思考というか、感覚が全く他の人達とは異なってるって分かったときには。みんな楽しそうに学校で過ごしたり、電車で通勤通学してるのに、オレといったら、自分は四六時中、死のことばかり考えていた。取り憑かれていた。憧れとか、そんな感情は一切無い。毎日が絶望の連続だった。何の切っ掛けも無いのに。せめて、苦悩な状況があれば、それを理由にも出来た。でも、普通に歩いたり、何かを見たり、そんな瞬間でさえ、死の恐怖や、自身の人格が壊れてしまうんでは無いかって恐怖に苛まれた。まあ、当時と違って、今ではそれがどのような原因で起こる症状なのか、メカニズムが解明されたし、気持ちを安定させる薬もあるみたいだし、日常生活を比較的楽に過ごせるようにもなった。でも、その時に味わった、あの強烈な感覚と記憶は、頭の中に常に残ってる。」

鋭の話に、仁は、彼が生還者なんだと、そう感じた。

「自分が自分でなくなる。それが精神なのか、それとも肉体なのか、あるいはその両方なのか。何にしても恐ろしい。例えようも無いぐらい、恐ろしい。もし死に神がいて、それに出会うことがあるとするなら、オレは鼻面を付き合わせた位の距離で、そいつを見たのかも知れない。そして、そのまま、そいつのいいなりになって、ついていってしまうのが、死なのかもな・・。オレはそうじゃ無かったから、本当のところは解らない。でも、今はこうして、オマエと語らってる。有り難い話さ。」

鋭の表情が、語る無いように反して穏やかなのは、そういうことだったのかと、仁はようやく理解した。いや、そんな気がした。

「オレはメディアに対して、オマエが指摘したように、敵愾心を通り越して、よくない感情を抱いて、そして、それに拘り、囚われていたんだろうな。でも、オマエと話すことで、何だろう、不思議と、そんな自分を客観視することが出来たのかな。」

鋭はそういうと、席を立って台所からグラスとジュースを持って来た。そして、それをグラスに注ぐと、一つを仁に差し出した。

「ほれ。」

「サンキュー。」

二人は長く厳しい議論に、小休止を入れた。

「でも、あれだな。やっぱりオマエがいうように、今のメディアって、相当問題を孕んでるなあ。」

「うん。自浄作用が働かないほど、巨大かつ強大な組織になっちまってるのが、その状況を引っ張り続けてる原因なのかもだけどな。昔は無かったものだからな。それが情報伝達の手段が発達した途端、急激に力を持ち始めて、統制が難しくなった。そして、其処に招かれて知名度をさらに得たタレントや創作者は、一個人で存在していたとき以上に、影響力という壮大な重圧がのし掛かるようになったんだろうな。」

「翻弄される・・ってやつかな。」

「ああ。メディアは、自身のサイズを超えて、その人間を大きく見せるレンズのような働きがあるからな。でも、元々のサイズは同じ。何ら変わらない。なのに、世間の目は、そのままの状態では、いさせてくれない。それでも、そんな自身のサイズと期待されるサイズとの間に起きる齟齬を抱えつつ、それでも前に進んで何かを創り出そうとする人達を、メディアは自分たちも恩恵を受けている訳だから、もっと丁寧に扱うべきだろうな。馬鹿なスキャンダル雑誌のネタを切っ掛けに、一斉に潮を引く真似なんかせずに。」

「だよなあ。で、もし、オマエが有名になって、メディアの側が揉み手しながら、オマエに擦り寄ってきたら、どうする?。結構な大枚をちらつかせてだぜ?。」

穏やかな表情になった仁に、鋭はいつもの調子で、質問をぶつけた。

「大枚かあ・・。そいつは考えちまうなー。」

「しかも、ちょっとやそっとの額じゃ無いぜ。」

「んー。大抵の物欲は満たせるレベルか?。うーん・・。」

鋭は腕組みをしながら、真剣に考えた。そして、

「やっぱ、やめとくわ。オレ。」

「何で?。」

「だって、煩わしいもん。あんなのと関わってたら。」


  気がつけば、かなり長時間二人は話し込んでいた。そして、

「腹減ったな?。何か買いにいこうぜ。」

と、仁は鋭と連れ立って、近所のコンビニに食べ物を買いにいった。そして、軽食と缶コーヒーを買うと、若者がよくするように、駐車場の縁石に腰を下ろして、そのままサンドウィッチを頬張り始めた。

「何か落ち着くなあ。」

「だなあ。」

空腹が故に、幾分ギスギスした議論にもなったが、こうして腹を満たしながら夜景を眺めていると、得もいえぬ和やかな空気が流れた。

「やっぱメディアって、煩わしもんかな・・。」

仁はさっき中断した、鋭の言葉を思い出しながら、そういった。

「うん、決まり事が多くなり過ぎたんだろうな。昔はもっと自由だったのかも知れないけど、番組作りに際して、スポンサーの意向を汲まないといけないとか、世間が必要以上に寛容じゃなくなったから、そういうモラルに対するチェックが日常的になってるんだろうな。そのくせ、弱者に対しては上から目線で取材したり、出入りの業者を安く買いたたいてるんじゃないのか。」

「何か、悪辣だな・・。」

「うん。そんな風に、自らで自身の首を絞めてるから、その進む先は、自ずと見えてるのかもなあ。」

鋭はそう分析しながら、缶コーヒーを飲んだ。と、其処へ、一台の車がやって来て、

二人連れが下りてきた。

「チキショー。参ったな。こんな時間まで働かされてよ。」

「ああ。でも、期限があるから、しゃーねーな。」

鋭と仁は、その声に聞き覚えがあった。見ると、先日ファミレスで大声で語らっていた二人連れだった。二人は店内に入ると、大きな弁当とペットボトルのお茶を買って、すぐに店から出て来た。そして、

「持って帰るまで我慢出来ねえから、此処で食っちまおうぜ!。」

「おう。」

そういいながら、二人は鋭達のすぐ近くの縁石に腰を下ろすと、ガバッと弁当の蓋を豪快に開けて、かき込むように食べ始めた。そして、口元から零れるのも気にせず、大きなペットボトルでお茶をラッパ飲みにした。

「ぷはーっ!。美味えなーっ!。」

「ああ。これがビールだと、最高なんだけどな。」

その点については、二人は実に残念そうに首を縦に振ると、また無言で弁当をかき込んだ。鋭達は、彼らがまた面白い話をしてくれるのではと、あまりそちらの方を見ないようにしながら、何気に聞き耳を立てた。すると、

「ところでさ、オマエ、何でこの仕事やってんの?。」

と、一人の男性がたずねた。

「ん?。そりゃーだって、他に無えからさ。仕事。」

「何で?。」

「いや、オレ、前があるからさ・・。」

二人は、立ち入った話を始めた。

「前って、パクられたんか?。」

「ああ。」

そういいながら、もう一人の男性は弁当をかき込んだ。

「聞いてもいいか?。何やったん?。」

「ん?。あれだよ、あれ。傷害。」

「それぐらいだったら、オレもあるよ。でも、パクられる程じゃ無いだろ?。」

確かに、昔はヤンチャしてそうな二人の風体ではあったが、それとは違う、少し事情のある様子で、もう一人の男性は語り始めた。

「あんまり大きな声じゃいえねーけどよ、うちの親が昔、やらかしたんだよ。」

「やらかしたって、何を?。」

「犯罪さ。俺も知らなかったんだけど、何でも、人様から預かった金を勝手に使い込んで、どーたらとかいってたな。」

「へー。」

「オレ達家族には全く知らせないところでやってたらしいから、突然パトカーが大挙してやって来た時には、そりゃ驚いたさ。で、刑事がドカドカと上がり込んできて、親父に輪っぱかけて、腰縄持って、そのまま連れていかれた。飯食ってる最中だったから、茶碗持ったまま唖然としたのを覚えてるなあ・・。」

「ふーん、そりゃー大変だったな。」

「まあ、親父は欲どおしいから、いいお灸だったんじゃねえか?。二、三日で帰って来るだろうって、オレ達は高を括ってたんだ。ところがよ、」

そういうと、男性は箸で相手を指しながら、

「騒ぎを聞きつけたマスコミがよ、矢鱈と家に来んだよ。四六時中ベル鳴らしやがってさ。初めは訳が分からず、丁寧に対応してたんだけど、同じことを別の連中が何度も聞いてくるし、挙げ句の果ては、そんな悪いことを家族がやったのに、何とも思わないんですかって、いいたいことズケズケといいながら、マイク向けてくるんだよ。胸元にこーしてよ。」

そういいながら、男性は箸で相手の胸をグイグイと押した。

「うわっ、ヤメロよ!。」

男性は仰け反った。そして、

「でも、そんなことされたら、確かに腹立つな!。」

「だろ?。妹はまだ小さいから、びびっちまってよ。で、あんまりしつこいから、オレ、頭にきたんだよ。」

「で、やったんか?。」

そう聞かれて、男性はお茶を一気に飲み干すと、

「ああ。そいつ玄関から引きずり出して、袋にしたんだ。で、その様子を他のカメラマン達が撮ってたもんだから、そのまま通報されて、即逮捕と。」

「ふーん、まあ、相手が悪かったんだし、別にいいんじゃ無えの?。」

「ところがよ。映像が残ってるってーのがバツが悪かったな。裁判で思いっきり証拠として扱われてよ。で、そのまま実刑だとよ。」

「食らったんか?。」

「ああ。怪我の程度も結構だったので、思ったよりは長い別送暮らしだったぜ。」


 男性はそういうと、立ち上がりながら、食べ終えた弁当とペットボトルを丁寧にゴミ箱に捨てた。そして、

「だからよ、オレみたいなのを雇ってくれる所なんて、そうそう無えって訳さ。」

それを聞いたもう一人の男性も、弁当を食べ終えると、同じようにゴミ箱に捨てながら、

「で、オマエ、後悔はして無いんか?。そんな風に履歴に傷が付いてよ?。」

と、何気にたずねた。すると、

「ん?、何で?。また来たら、またやるよ。」

と、ケロッとした顔で、そう答えた。そして、

「それが、正義ってもんだろうよ!。」

そういいながら、相手の方に手を回して微笑んだ。

「はは。違え無えや!。」

相手も愉快そうに微笑みながら、二人は車に乗り込んで、颯爽と立ち去った。その様子を目で追いながら、鋭は持っていたサンドウィッチを急に豪快に口に押し込むと、缶コーヒーを一気に飲み干した。それを見た仁も、残りを頬張って、同じように缶コーヒーを煽った。そして、

「さ、いこうか!。」

「ああ!。」

鋭は仁の肩に手を回しながら、二人は軽快な足取りで駐車場を後にした。煌々とお月さまが、二人を照らしていた。

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亡メディア論 和田ひろぴー @wadahiroaki

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