最終話 夢の世界へようこそ

月日が流れ、優馬は高校を卒業後。

大学を進学し心理学を学ぶため上京した。心理学を進んだのは、夢の世界に関する研究するため。

就職のことはまだ考えておらず、ただ好奇心に心が躍っていた。

真面目に授業を受け、学友とレポートの相談したり、教授と共に学会に参加したり、積極的に研究に勤しむ優馬は大学生活を満喫していた。


大学2年の7月下旬。

茜色に染まった夕暮れ。コンビニのバイトが終わった帰り道に、いつも通っている歩道が、車が歩道を超えて建物に突っ込んだことで通行止めになっていた。


(この道が近道だったのに)


優馬は落胆したが、事故になってしまったのはしょうがないと諦めて、わき道を通って迂回することにした。陽が沈む時間帯で、道がうす暗くじめじめして不気味だ。

歩いている人はおらず、明かりが点いている建物がない。


「早く明るい道に出よう」


ひとり呟く優馬。肩に掛けているショルダーバックを強く握って、早足に歩く。


「にゃー」


どこからか猫の鳴き声が聞こえた。こんなところに。

優馬は立ち止まって周りを見渡す。暗いせいか猫の姿が見えない。


(気のせいだろうか)

きっと、恐怖で現実逃避しようと猫の幻聴がきこえたのだろう。そう思い込もうとして再び一歩踏むだすと

「にゃー」

「わぁ!」

足元から猫の声が聞こえ、気づいた優馬は悲鳴を上げて一歩後ろに下がった。


「いつの間に・・・」


その猫は金色の瞳をした闇のような黒い毛。綺麗な姿勢で優馬を見上げている。

暗いところに黒い毛の猫を見つけるのは至難の業。猫が鳴かなければ踏んでいたかもしれない。

「お前、どこから出てきたんだ?」


優馬は、しゃがんで猫に尋ねる。猫は、答えずじっと優馬を見つめる。


(この猫逃げないな)


優馬と猫の距離は、1m満たない。手を伸ばして触れられる距離だ。

野良猫なら逃げるはずだが、この黒猫は全く逃げない。


(試しに触ってみようか)


優馬は猫の頭を撫でようと手を差し出す。

しかし、猫は躱して足にすり寄って来た。ここまで人懐こい猫は初めて見た。誰か飼われている猫なのか。だが、首輪がついていない。


「俺、餌持っていないんだけど・・・」

飼い猫でもなければ、やはり野良猫だろう。野良でも地域の人に世話されてる地域猫かもしれない。

優馬、ズボンのポケットに触れて、無いことをレクチャーする。

それが伝わったのか、黒猫は優馬から離れた。5歩先で止まって優馬を見る。

「にゃー」

猫は声をあげ、金色の瞳が優馬を見る。

何がしたいのかよくわからない。

ただ、この猫は普通の猫と違うことはわかる。急に近づいて、急に離れて、優馬をじっと見つめる。まるで何か伝えたことはあるように。


「お前、俺について来いって言ってるのか?」

「にゃーーー」


優馬の問いかけに力強く答えた。

さっきの問いには答えなかったのに、今返事したのは言葉を理解して返した。

優馬は立ち上がって、猫の後を追う。


先頭に歩く猫は、ときどき振り向いては待っている。ちゃんとついてきているのか確認している。

どこに案内しているんだ。

角を右に曲がったり、左に曲がったり、知らない道を進んでいく。

しばらくして、猫が急に走り出した。

優馬は追いかけると、猫が入っていったのは立ち入り禁止の看板を掲げてある廃墟したビルだった。3階建ての雑居ビルのようだひび割れた壁、隙間から苔が生えている。割れたガラスのドアの上には、《ファッションセンターマリアージュ》と看板が掲げられていた。元々被服店だっただろう。


「にゃーん」

猫の鳴き声が、建物の中から聞こえた。

もしかして、店の中に何か見せたいものがあるだろうか。優馬は、立ち入り禁止の看板を無視して、中へ入っていった。

中は広々した空間。ドアの小さい音が良く響く。一歩歩くと埃と湿気で空気がよどんでいた。吸い込むと咳が出る。


「おい、どこだ?」


猫の行方を探す優馬。すると、上から人の声が聞こえた。

女性の声。どこかで聞いたことがある。


「これは、歌?」


優しくて暖かい声、ずっと聞いていたくなる。

優馬は自然と上の階に続く階段を上った。


近づくたびに、声がはっきり聞こえる。

屋上からだ。

屋上につながるドアを開けると、茜色の陽光が優馬に差し込む。

眩しくて腕で隠した。

屋上にいたのは、夕日に向かって手すりに寄り掛かるワンピースを着た女性。

風で靡く腰まで伸びた銀髪。

凛とした声に、優馬は息を飲んだ。


(まさかここに、でも人違いじゃないか)


けれど、確かめずにいられなかった。

一度深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。

そして、大きく口をかけて呼ぶ。


「アリア」


女性は歌うのを止めて、振り向いた。

シルクのような肌に見透かされているような瑠璃色の瞳に目に見つめられる。


「優・・馬・・・?」


名前を呼ばれ、ようやく確信した。

優馬は、頷くと、アリアは大粒の涙を目尻に溜めて。流れるのを堪える。

今にも泣き崩れそうな彼女を優馬は駆け出し、そっと受け止める。


「本当に優馬なの?」

「なんだよ。疑うのか」

「だって、だってこんなところに会えるなんて・・・」


アリアも信じられないようだが。

優馬もまさかこんなところでアリアに会えるなんて思いもしなかった。

疑うアリアに本人だと証明するため、優馬は提案した。

「だったら、合言葉。覚えているか」

「もちろん」


二人は口を開けて合言葉を紡ぐ。


「夢の世界へ」

「ようこそ」

二人しか知らない合言葉。あの世界で交わした約束をここで果たした。


2年ぶりの再会。


「なんで、なんでここに来たの?」

未だの信じられないと言わんばりにはしゃぐアリア。

その様子に変わっていないと安堵する優馬は、アリアの手を握る。


「話せば長くなるけど、バイト終わりにいつも通っている道が事故で通れなくなって、迂回してわき道を歩いていたら、猫がここを案内したんだよ」

「猫?」

「そう、黒猫。変な話だけど」

「ううん。きっとその猫が私たちを引き寄せたんだよ」


優馬の話を否定せず、彼女なりの解釈で受け止めた。


「アリアこそ、なんでここにいるんだ」

「私は病院がこの近くで、帰るときいつもここにきて、夕日が落ちるところを眺めていたの。あの世界と似ているから。」

アリアは視線を夕日に向ける。

オレンジ色の染まる空。山の陰に沈む夕陽はまさに夢の世界と同じ景色だ。


「綺麗だな」

優馬も落ちていく夕陽を眺めてつぶやいた。夢での景色も綺麗だっただが、現実の夕日も美しい。そう思えるのは、隣にアリアがいるからだろうか。

せっかく再開したのに、いっぱい話したいことがたくさんある。

それなのに、心臓の音がうるさく、手に変な汗が掻く。喉の奥がつっかえる感覚に襲われる。一回深呼吸をした。


「「あの!」」


二人の声が被り、数秒の沈黙が流れる。


「「先にどうぞ」」


声と手を差し出すタイミングがピッタリだ。

またもや、静寂だけ流れ、お互い半分口を開いたまま顔を見合わせる。

優馬が間近みで見るアリアに胸が高鳴っていた。

現実でのアリアは、滑らかな銀髪に、シルクのような肌に見透かされているような瑠璃色の瞳に目に見つめられる。

夢の世界とほとんど変わらない姿なのに。


(アリアってこんなに小さかったけ?なんかめちゃ可愛くなっているような)


夢の世界で一緒にいたのに、2年前の記憶が曖昧になっているのか、目の前にいるア

リアが可憐で美しい。

まっすぐ見つめられる瞳に、優馬はどきっと早鐘を打つ。

手は汗ばみ、顔に熱が帯びて赤くなる。この状況に耐えきれず、目を逸らした。


(直視できない!)

「な、なんで目を逸らすのよ!」

「な、なんでって言われても・・・」


優馬が視線を逸らしたことに、アリアは頬を膨らませる。そもそも睨めっこしているわけではない。

「私、多くなった優馬を見ていたい」

アリアが落ち着いた声音で上目遣いをする。

その仕草は、優馬の心を鷲掴みする。可愛いアリアが可愛いことをするのは、反則技。

優馬の心臓の音が壊れるほど隠して、息ができない。


「ダメだ。見られると恥ずかしい」


優馬は上擦った声で、片手で顔をガードする。


「なんで?見せてよ」

「いや無理」

「なんでよー」

ずんずんと詰めてくるアリアを、後退りをして距離を取る。

しかし、アリアはかまいなしに詰めてくる。

これ以上されたら、心臓持たない。


「優馬も、現実で会った私を見てよ」

その艶めいた声が引き金となって、白状した。

「アリアが可愛すぎるから!俺の心臓保たないんだよ!」


心のうちを明かすと、呼吸が浅くなり、顔が赤くなっているところ見られたくなくて、手で隠す。

何も言わないアリアに、優馬は閉じていた瞼を少し開ける。

「か、かわいい・・・て」

優馬より顔が赤くなり、湯気がのぼるこど熱を帯びていた。

さっきまで怒っていたのに、急におとなしくなった。


(相変わらず反応がわかりやすい・・・・けど、そういうところも)


「かわいい」


優馬はアリアの目を見て答えると、アリアは小さな悲鳴をあげて、後ろを向いた。


(どういう反応?)


顔が見たいと言っておきながら、今度は小さな背中を見せる。感情の起伏が激しく、どう反応すればいいのかわからない。

困った優馬は頬をかく。


「なんで、背中向くんだ?」

「・・・私、今変な顔しているから見られたくない」


恥ずかしいのだろうか、声が小さい。

見られたくないから、無理にこっち向かせるわけにはいない。


(見たいって言ったら、怒るかな)


ようやく再開したのに、話したいことがいっぱいあるのに、言葉が出てこない。

どう話題を振ればいいのか悩んでいた優馬。

頭をひねって浮かんだ話題を振ってみた。


「目をさました時、どこにいた?」

夢の世界では、睡眠剤の過剰摂取で自殺を図ったと知った。彼女に受けた傷は計り知れない。

優馬は慎重に声を掛けた。

「病院にいた」

「近くに誰かいた?」


「知らない人。たしか児童保護担当って言う人。私が眠っている間離婚したらしく、親権を放棄だって。しょうがないよね。この見た目だもん」

「アリア・・・・」


すると、アリアは優馬に振り向いた。吹っ切れたような顔をしていた。


「私は孤児院に預けられたんだけど、誰も私を変な目で見たり、乱暴な言葉を言う人誰もいなかったの」


楽しそうに笑うアリアは続けて話す。


「目が覚めてから、どれくらいの時間が過ぎたのか自覚なかった。夢の世界で過ごした時間が短く感じていても、現実では長い時間を過ぎていたんだ。まるで浦島太郎みたいって思った。だって、私5年も眠っていたんだもん」

「5年!?」


優馬は上擦った声を上げた。アリアは歯を見せて笑っているけど

5年の歳月は、言葉にしてしまえば短い時間と感じるが、実際の時間の感覚は長い。

アリアの場合、夢の世界で過ごした時間は、空白の5年間に等しい。

世の中の出来事や常識、社会が変わる。取り残されたアリアの気持ちは計り知れない。


「孤児院に預けられたんだけど、私を変な目とか乱暴な言葉や暴力は一度もなかったの。皆優しくて、とても楽しかった」

アリアはゆっくり振り向いて優馬を見つめる。

夕日に照らされた彼女の表情がはっきり見える。


「孤児院を出て、私最初にここにきたの優馬を見つけるために」


微笑む彼女に、優馬は目が離せなかった。初めて夢で出会った彼女と同じように捉えて離さない青い瞳に見つめられる。


「私、優馬を忘れられなかった。ずっと、最後に見た景色を探していたの。そうしたら、ここを見つけて、歌を歌ってたら見つけられるかなって」


廃墟化したビルは、老朽化で建物が崩れやすくなっているため、立ち入り禁止になっているが、それを無視しただろう。


「だからって、危機感なさすぎだろう」

「優馬も人のこと言えないでしょ」


ぐうの音も言えない。


「でも、そのおかけでアリアを見つけることできた。」


アリアの歌声が聞こえなければ、辿り着けなかったかもしれない。

それは結果論かもしれないけれど、もし、迂回しなければ見つけられなかったかもしれない。


「あーあ。先に私が見つけたかったのに悔しいなー。もっと早く回復したら、探しに行けたのに」


アリアが悔しそうに口を尖らせて、錆びた手すりにもたれる。


「女の子に探せるわけねぇだろう。もしものことあったら、会うことできなかったかもしれないだろう。」


優馬もアリアと並んで、手すりに持たれて、山の向こう側に落ちる夕目を眺めている。


「そうだね」

ふふっと笑うアリア。


「でも、アリアがここで歌ってくれたから、見つけることができた。だから結果オーライだな」

「そうだよ。私の歌に感謝してね」

アリアが胸を張って威張る。


「そうだな。ありがとう」

優馬は頬を綻んでお礼を言う。


ちょっとは突っ込んでよと肘で突くアリア。アリアは笑うしかできなかった。

涼しい風が二人の間をすり抜ける。

空は一番星が強く光っている。

2年前と同じ景色をもう一度落ちていく夕日をアリアと見る。


「ねぇ、優馬」

「何?」

「せっかく現実で再開したんだから、連絡先を教えてよ」

「そう言えば、まだしていなかったな」


二人はスマホを取り出して、連絡先を交換した。

アリアが連絡帳に優馬の名前を、見ると頬を赤くしてえへへと微笑む。

優馬もアリアの連絡先を見て、アリアに声かける。


「・・・なぁ、アリア」

「何?」

「会いたかった」

優馬がその言葉にした瞬間、鼻の奥がツンと痛く、瞼に雫が溢れそうになる。堪えるために拳を強く握った。


「うん。私も会いたかった」

「俺、ずっと怖かったんだ。アリアとはもう一生会えないじゃないかって、夢の中でしか会えないのかって寂しかった。」

言葉が次々と溢れて止められなかった。

もしかしたら、忘れられている。合言葉も忘れられている。

優馬が夢から覚めても、アリアだけ覚めなかったってこともありえた。

再開の前に、アリアが死んでいるじゃないか。毎日不安があった。


(けれど、生きていること信じて今日まで来たんだ)


「アリア、生きていてくれて、ありがとう」

震える声で、お礼を言う。

アリアは、優しく微笑み優馬と向き合う。


「優馬も生きていてくれてありがとう。」


彼女の笑顔が眩しい。まるで太陽のようだ。

その笑顔で、優馬何度も救われてきた。


「えへへ」

「あはは」

笑い合う二人。

東の空に浮かんだ銀色の満月が、二人の再開を祝福するように照らす。



――――了―――――

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夢の世界へようこそ 竹園陽鞠(たけぞの ひまり) @anian

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