第64話 秘伝の出汁と人の縁

 羅門は閻魔様の隣にドカッと座ると、目の前に差し出した水を一気に飲み干した。


「ぷはぁ~、久々に暴れられたぜ」

「よかったな、羅門。大史くん、きみの心配は杞憂だっただろう?」

「ええ、ものすごくびっくりしてます。何がどうなっているのか」

「まぁ、詳しいことはあとで話そうか。それより羅門、お前は運転があるから酒は飲めなかったな。忘れておった。現世では飲酒運転をすると捕まってしまうから、今日は控えなさい」

「えぇ……マジかよ」

「じゃあ、オレンジジュースでいいか? 皆には先に出しちゃったけど、羅門の分の料理も取ってあるぞ」


 あからさまにテンションが下がった羅門の目の前に、鴨刺しと鴨のローストを出すと腹の虫が盛大に鳴った。人間が作るメシなど、と言っていた羅門だが、閻魔様の話によると毎日社員食堂で小太郎さんが作るメシを食べているらしい。言っていることとやっていることが逆なのは獄卒としてのプライドなのか、はたまた人間が嫌いなだけなのか。何がともあれ、俺が作ったメシを食べればそんな考えも覆るだろう。


「この肉、生じぇねぇか。大丈夫なのか? 俺は火を通していない肉を食うと腹を壊すタイプなんだが」

「躊躇なく生肉食べそうな見た目なのに意外と繊細なんだな。でも大丈夫! 超新鮮な肉だし、滅多に食べれないレアものだ。試しに食べてみなよ」

「そこまで言うのなら……覚悟を決めるぜ」


 羅門は綺麗な鴨の赤身肉を箸でつまむと、眉間にシワを寄せながら口に運ぶ。恐る恐る咀嚼すると、想像していた味と違ったようで目を大きく見開いた。


「うめえ! もっと生臭いかと思ったら全然臭くなくて、ほのかな甘みと旨みを感じる」

「ふふん、そうだろう? これが新鮮な鴨肉の味なんだ」

「これならいくらでも食えるぜ!」


 怖がっていた鴨刺しとローストを勢いよく食べ進めた羅門は、催促するように皿を掲げた。


「おかわりッ!」

「ごめんな、鴨刺しとローストは今出した分だけなんだ」

「なんだと……」

「そんなに落ち込むなよ。今から鴨鍋と炊き込みご飯を出すからちょっと待っててくれないか?」

「おお、最高じゃねぇか! 早く食わせろ!」

「はいはい」


 表情がころころと変わる羅門に対して閻魔様は呆れたように溜息を吐き、松さんと圭太はその様子を見ながら笑っていた。まるで大きい子どものようで、虎之介のほうが落ち着きを感じられる。


 そんな虎之介は黙々と鍋の準備を進めていて、蓋の下からぐつぐつと沸騰する音が聞こえていた。


「そろそろいいんじゃねぇか?」

「そうだな。虎之介は炊き込みご飯をよそってくれるか? 龍さんは配膳な」

「うむ! ご飯は余るか?」

「まぁ、おかわり次第かな。でもたくさん炊いてあるから、まかないで出すよ」

「そうか!」


 炊き込みご飯を食べられると知った龍さんは上機嫌になり、虎之介が丁寧にご飯を盛り付けている様を穴が開くほど見つめていた。よだれ、出てるよ。


「お待たせしました。代々続く秘伝のレシピを元に作った鴨鍋です。俺の先祖は蕎麦屋でして、鴨出汁が効いた具沢山のスープが売りだったんですよ。具材は白菜、カブ、春菊、椎茸、ネギ、鴨はロースともも肉を使ってます」

「おお、なんとも香りがいいね」

「うまそー!」

「待たせたな! 鴨の炊き込みご飯だぞ。我の分がなくなるから、おかわりはしないようにな!」

「だっはっはっ! 善処しよう」

「ちっ。しょうがねぇな……」

「まぁまぁ、冗談ですからたくさん食べてください」


 龍さん、そんな悲しそうな顔をするんじゃないよ。ちゃんと取っておくから。

 各々で鍋の具材をよそうと、立ち込める湯気と共に鴨の芳醇な香りが店内に立ち込める。羅門と騒ぎ過ぎた虎之介もさすがに腹が減ったのか、喉を鳴らしながらその様子を見つめていた。


「虎之介と龍さんも一緒に食べるか?」

「いいのか!?」

「ふおおおおっ! 食べる食べるッ!」

「はいよ。用意するから待ってな」

「メシは大人数で食べた方が美味しいからね。ほら、私たちの隣に座りなさい」

「お、おう」

「邪魔するぞ、親父殿!」

「きみに親父殿と言われると、なんとも恐縮してしまうがね」


 苦笑いを浮かべた閻魔様だが、そもそも龍さんと閻魔様ではどちらが年上なのだろうか。人間の姿では判別がつかない。いや、難しいことは考えないようにしよう。


 熱々な鍋の具材を頬張りながら「美味い」という彼らの言葉を聞けただけで心が満たされた。先祖代々受け継いだ自慢のスープなのだから、当然美味いに決まっている。鴨の炊き込みご飯にも鴨出汁を使用し、米粒ひとつひとつに旨みが染み込んでいるため、どんどん食べたくなる味わいとなっている。


「ご飯、おかわりッ!」

「我も!」

「オレも!」

「じゃあ僕も!」


 元気な彼らは何度もおかわりを要求し、余るはずだった炊飯器の中身は瞬く間に空となってしまった。しいて言うなら俺も食べたかったが、喜んでくれる人を見ると腹が膨れるのは不思議なものだ。


 松さんと圭太は満足げに腹をさすったあと、「さて」の言葉に続いて席を立つ。


「大史くん、ご馳走様。すごーく美味しかったよ」

「僕もお腹いっぱい食べちゃったよ、ご馳走様でした!」

「それはよかった。しばらくは鴨を使ったメニュー提供してるから、また2人で来てよ」

「もちろん! またというか、明日も来るつもりだよ。そちらの御仁方、今日は一緒に食事ができて楽しかったです。またお会いできるといいですね」

「こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました。きっとまたお会いできるでしょう。冥界で待ってますよ」

「め、めいかい? よくわかりませんが、その時はよろしくお願いしますね」

「ええ、もちろん。あなたは人柄がよく素敵な人ですから、その時が来たらぜひとも配慮させていただきますよ」

「あ、ありがとうございます……? では、お先に」


 意味がわからずぽかんとした松さんだったが笑顔で閻魔様と握手を交わし、圭太と店を後にしようとした時だった。


「ふふっ、そういえば大史くん。鴨肉過激派には狙われなかったか?」

「え? うん、なんとか無事だったよ。最初はこの2人がバイクで来たもんだから、鴨肉を強奪されるんじゃないかとヒヤヒヤしたけど。しかし、そんな輩がいるなんて世も末だね」

「ぶははっ! 本当に信じたのか! あんなの子供だましの嘘だよ。なんだい、鴨肉過激派って」

「いやいや、松さんが言ったんでしょ! 嘘だったの!?」

「いやあ、すまん。大史くんと虎之介くんがうちの店に来た時、あまりにも神妙な顔をしていたから笑いを堪えるのに必死だったよ。なにがともあれ、きみたちはそのままでいてくれよ? じゃあ、また明日」

「え……あ、ありがとうございました」


 閻魔様と羅門は不審な様子だった俺たちの行動の意味がようやく分かったようで、腹を抱えながら笑っていた。松さんの言葉を信じていたのは俺だけでなく、虎之介と龍さんも同様だ。冗談だとわかると「大史に付き合ってやっただけだ」と豪語しだし、俺だけのけ者にする始末。調子のいいやつらめ。


 松さんたちが店を後にすると、羅門は溜息をつきながら閻魔様に向き直った。


「……おい、閻魔様。配慮するってなんだよ。私情を挟むんじゃねぇよ」

「ははっ。彼らとの時間が楽しくてな、つい口が滑ってしまったよ」

「まったく、どっちの親父もろくなもんじゃねぇな」


 酒を飲んで随分と機嫌がよくなっているせいか、閻魔様は羅門の言葉を笑いながら聞き流している様子。地獄の閻魔様がこんなフランクな人だとは思いもしなかった。


 食後にお茶を出して一息ついてもらったところで、俺はどうしても聞きたかったことをようやく口にする。


「あの、閻魔様。さっきの話で虎之介と羅門が双子だって言ってましたけど、本当なんですか? 虎之介は人間だった頃、兄弟はいないと言ってましたが……」

「その話なんだが、本当だよ」

「え!? や、やっぱり……」

「は? オレとこいつが兄弟?」

「おいおい、冗談はよせよ。俺は元人間でもねぇし地獄生まれだって閻魔様が言ってただろ」

「ほう! 面白くなってきたな!」

「まぁまぁ、ちゃんと話すから。落ち着きなさいよ」


 ゆっくりとした口調で俺たちを諭した閻魔様。

 湯飲み茶碗には、茶柱が1本ぷかっと浮いていた。

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陽怪メシ屋 とづきこう @kou_meme

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