凸①

 小さい頃はヒーローに憧れていた。いや、正確に言うと今も憧れている。変わったのは少し理想のヒーローに近づけたことだ。


「ん―――! ん――――!」


 普通の子供のように、小さい頃はテレビでヒーロー番組を観て、ヒーローに憧れた。幼稚園では他の子たちと一緒にヒーローごっこして遊んで、毎回欠かさずにヒーロー役に立候補した。


 だけど小学校に進学した直後、なぜかヒーローごっこをやりたがる子が綺麗さっぱりなくなった。誘っても誰一人乗らないし、僕もヒーローごっこ以外の遊びに関心がない。気がついたら、一人になってしまっていた。それでも諦められず、ずっと一人でヒーローごっこをしていた。


「んっ――! んん――――!」


 そんなある日、教室でちょっとした騒ぎが起きた。窓から少し大きめの虫が教室に入って、クラスの女の子たちが騒ぎ出した。思えば先生の顔も強張っていた気がする。飛んで疲れたのか、その虫が教室に止まった。その時に選んだのが僕の隣の机だった。


 その席に座っていた女の子は逃げるタイミングを見逃し、けれどいざ動いたら変に虫を刺激したりすることを恐れて、涙目ながら席に身動きができなかった。その状況を目前に、虫に対して得意不得意がない僕はティッシュを手にして、すっとその虫を捕まって教室の外に出した。


 大したことをしていない。そのつもりだったが、隣の席の女の子に深く感謝され、僕は考えを改めた。その時に内心を満たした恍惚感。それまでに知る由もなかった矜持。一瞬だけど、僕は彼女のヒーローだった。


 僕は気づいた。皆がヒーローごっこをやりたくないのは、それぞれが目指したいヒーローがあったからだ。サッカーのヒーロー。数学のヒーロー。競走のヒーロー。所詮お遊びのヒーローごっこでは物足りないのも頷ける。一度本当のヒーローの気分を味わえたら、戻ることはとてもできない。

 人を守るヒーロー。それが僕の目標。クラスの女の子を虫から守ったように、これからも人を守っていきたい。


「ん……んっ……はっ……! 取れた!」


 しかし、小学生ができることは限られた。警察、消防士、自衛隊。どれも子供ではできないこと。自分の無力さを痛感し、改めて何ができるか考え込んでみた。考えて考えて考えた末、答えは目の前にあったと気がついた。


 人を虫から守る。既にやって成功したことだ。それなら子供だってできる。だけど、一つの問題があった。それが、事件が起きなければやることがないことだ。だから、


 警察が事件が起きる前に悪人のアジトを襲撃するように、僕も虫の住処を襲撃すいぼつする。

 消防士が火事が発生する前に予防対策をするように、僕も予防対策むしつぶしをする。

 自衛隊が万が一のために予行演習をするように、僕も予行演習をするむしをもやす


 虫の数が減った分、虫を怖がる人が減る。虫をたくさん殺す僕は、人を守るヒーローになれた。周りの人に気味悪く思われたけど、僕も前は他人の行動を理解できなかったから、その気持ちは分かる。


「おい! 誰かいないか! おおおい! 頼む助けてくれぇ! 拘束されて何もできないんだ! おおおおい!」


 それからに順調にかつ密かに進んでいたヒーロー活動に、高校に入って少し時間が経った頃、考え直すきっかけが訪れた。


『おい、見ろよ! こいつ、ここで虫と遊んでるんだぜ』


『うわっ、本当だ! ハハッ! 小学生かよ』


『気色悪っ』


 高校の校舎裏でヒーロー活動に取り組む最中、感じの悪い三人組に絡まれた。これが人を虫から守るための活動だ、と彼らに説明したが返って笑われた。そこまではどうでも良くて初めてのことでもないが、その後に言われたことが心が動揺してしまった。


『なら俺たちは虫を守るために、お前を思い切りブッ叩いてやる!』


 虫を守りたい。それまでは考えもしなかったこと。だけど考え始めたら、すっと納得できる話だ。虫を守るヒーロー。根本的に僕とは変わりがない。叩かれて殴られても文句は言えない。むしろ、虫が可哀想とか、そういうクレームを言いに来る人がいなかったの方がおかしいくらいだ。


 虫にそれまでとは異なる興味が湧いて、自力で調べたところ、どうやら虫は感情と痛覚がないらしい。そしたら虫を憐れんだりしないのも合理的。しかし、その事実をあの三人組に確認したら、


『あぁ? 聞いたことねぇよ、んなの』


『理由が必要ってんなら、虫が好きだからって十分でしょ。知らねーけど』


 そう言われて、ぐうの音も出なかった。つまるところ、彼らは僕と同類の人だった。好きを原動力に行動する。それ以上もそれ以下もない。僕に、彼らを止める権利はなかった。


『そこまでだ』


 そんな殴られる毎日が続く中、突然知らない人が僕とあの三人組の間に乱入し、彼らを止めた。正確に言うと体で止めた。僕の代わりに、その知らない人がサンドバッグのように殴られまくった。


 分からない。理解できない。あの三人組は僕を止める権利があった。殴られて当然だった。なのに、なぜその間に立ち入った。なぜ僕を守った。状況を理解していないのに、軽率に首を突っ込む理由はなに? お節介して何のメリットがある?


『—―君を助けたいなんて思ってない。思いもしなかった。俺は自分のためだけに、あの場に割り込んだんだ』


 自分のため? 殴られて何のためになるというの? どうしてこんな見え透いた嘘をつく。腹の底に何を隠している。僕を守って、何に――。

 僕を守る。自分のことを蔑ろにして、僕を守った。どうして気づかなかった。良く考えたら、答えは一つしかない。――彼は僕と同じ、人を守るヒーローだ。僕の憧れるヒーローみたいに。


「叫んでも無駄ですよ。ここ一帯は誰も通りませんから。念のために猿轡をかませましたけど、無駄骨でしたね」


 ありがとう、名前を知らない、人を守るヒーロー。おかげで、僕はやっと気づいた。僕の理想のヒーロー像に。ヒーローとは自分の身を省みずに使命を遂行する者。どんな手を使っても目的を果たす永遠の憧れ。今度は、僕が守る番。


「お前か、俺をかどわかした奴? いいこと教えるから良く聞け。今すぐ目隠しと拘束を外せ。こんなことして、西宮グループに知れたらああああああぁっ! あああううぅぅっ!」


 夢のヒーローまでの道は険しい。やったことがないこと、慣れていくしかないことが僕を待ち構えている。その中に、人を守るために、他人を傷つけたりすることも当然含めている。


「ごめんなさい。人を刺すのは初めてですので、上手くできなかったみたい」


「はあ……はあっ……! その声……! 貴様、泉幸みさきか! こんなことして何が目的! 今までの報復か?」


「はて、何か勘違いしていますか? キミを恨んだこと一度たりともないですが」


 夢に向かって慣れないことに挑戦する姿勢が醜い欲求に例えられ、少し傷ついた。


「報復じゃないなら、目的はなんだ? 金か? いくら欲しいんだ」


「うーん、簡単に言ってしまえば、虫の駆除?」


「――は?」


「前にも言ってましたが、僕は人を守るために虫を殺しているんです。なりたいんです、人を守るヒーローに。今回の虫はいつもより大分デカいですけど、やることはほぼ一緒」


 今まで沢山の方法を使って、沢山の虫を殺したが、ナイフで虫を殺すことはさすがに今回が初めて。こればかりは練習あるのみ。


「……おい。冗談はよせ。やめろ。やめろやめろやめろやめろやめてくれ。頼む。死にたくない。俺が悪かったよ。謝るから許してくれぇ。何でもするよ、なあ?」


「ごめんなさい……嫌なのがわかります。だけど、キミなら理解できると信じています。だって、。キミたちが言ったように、?」


 ブスっと、一番柔らかそうな腹部にナイフを刺す。思ったより刺しにくかった。

 ドスっと、思いっきり肺に向けてナイフを下す。肋骨が邪魔だった。

 ぐいと、眼球を抉りにナイフを突く。これは上手くいった。

 シュっと、遅れたトドメを届けようと首にナイフを通す。飛び血のケアはしっかり。


 正しい選択をした。いや、選択を正しいものにするのだ。

 とりあえず一歩。まずは一歩。

 後は、歩み続けるのみ。

 困難にしろ、孤独にしろ、

 見つけた以上、もう手から離さない。

 道のりは長い。

 だけど、夢としては丁度いい。


「いつか、ヒーローに—―」

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凹凸 十三夜甲 @13yakabuto

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