凹③

「はぁ……はぁ……」


 息が上がり、肺が苦しくなる。背負っている鞄は、今でも置いておきたいくらい激しく左右に揺れ続いて邪魔でならない。それでも、足は止まらない。


「はぁ……はぁっ……」


 自転車を学校に置き、徒歩で帰路につく。自転車が妥当な距離を、咄嗟の思いつきで歩くことにした。その筈だったが、いつの間にか走り出した。走りたい衝動を抑えきれなかった。


「はぁ……はっ……!」


 脚が重い。息が苦しい。呼吸が熱い。走りたくない。止めたくない。足が痛い。頭がおかしくなる。速く。速く速く速く速く速く速く。何も考えないくらい、速く。


「はっ……! っ……!」


 どれくらい走ったんだろう。どれくらい走れば済むのだろう。まだ足りないのか。もっと速くならなければいけないのか。何が足りない。何をすれば、ここから—―。


「あっ、うっ……!」


 体が限界を迎えたのか、何もない所に足が躓いて、勢い余って前に二、三転する。左掌と膝が転んだ衝撃を受け、荒い地面に擦って血が滲む。頭に痛みを感じず、運良く打たれなかったらしい。


「はあ……はあ……はあ……!」


 空を見上げながら大の字で歩道に倒れている。左掌と膝の擦り傷から痛みがじんじんと伝わり、背中に冷たいアスファルトが感じる。周囲に人の気配がせず、鞄も転んだ際に知らない方向に飛ばされた。


「はあ……はぁ……はぁぁ……」


 倒れたまま深呼吸しつつ呼吸が整えられ、少しずつ冷静になる頭に嫌な考えが蘇る。


 ヒーローみたいって、この俺が? あり得ない話だ。断じてあり得ない。つまり、彼は嘘をついた。噓をつかせてしまった。俺があまりにも不甲斐ないせいで同情させた。

 どうしてこうなった。いつからこうなった。俺はただ、カッコいい人になりたいだけなんだ。俺は—―。


「俺は、なんてカッコ悪いんだろ」


 両腕を顔の上半分に当て、人生最大の情けなさを嚙みしめる。




 ※※※




 一週間が過ぎて、今日も龍仁たちに絡まれる。


「龍仁君、今日いないのか?」


「そんなのてめえに関係ねぇだろ。こっちは暇じゃねぇんだ。用事があんならさっさと吐け」


 と思ったら、龍仁は今日は学校に来ていない。加えて仲間のチンピラ二人は絡むところか、妙にピリピリしていて俺との接触を拒んでいるようにすら見える。やむを得ず、今回は俺の方が彼らに接触した。


「君たちに宣言したいことがある。—―俺は今後一切君たちの言うことに従わない」


「てめえリュウさんがいないからって—―」


「殴りたいなら殴ればいい! その覚悟でここに立っている」


 気分が昂ぶり、感情が入った声がこだまする。いつもとは逆に、無人の校舎裏が有利に働く。


「君たちに喧嘩に勝てるとは思ってない。だが、勘違いするな。殴られるのが怖かったじゃない。怖かったのは殴られた俺自身だ」


 言っていることがさっぱり分からないと言わんばかりに二人は睨む。当然の反応だ。なにせ、これは自分に言い聞かせる言葉だ。


「ずっと殴られた自分が惨めで哀れで情けなくて、そしてなによりカッコ悪いと思った。だが、それは間違いだったんだ。カッコ悪いのは、俺の心だった。一度の失敗に引きずりまわし、ずっと逃げて逃げて逃げまくって。そのままだと、挽回するチャンスもいつかなくなり、俺は二度と立ち直ることができないだろ」


 恥を忍びながら容赦なく自分の心を抉りにいく。その覚悟を、誰でもない自分自身に見せつける。


「そんなのはごめんだ。だから、煮るなり焼くなり勝手にしろ。だが、一方的に殴られると思うなよ。これからは、俺が理想の俺に近づくための戦い。君たちも相応の覚悟でかかってくるがいい!」


 ここまで言って、相手が触発されないわけない。喧嘩早いの不良なら尚更。喧嘩に疎いが、俺なりにファイティングポーズに姿勢を変える。こっちは準備万端。が、


「な、なんだこいつ。リュウさんと連絡つかないだけでも大変だというのに、なんで今更こんなことになるんだ」


 相手が予想外にビビって、こっちのペースまで崩れる。まさかの事態に、これしきの事で引き起こされるとは。


「……クソッ。今日は見逃してやる。けど調子に乗んなよ。リュウさんが戻ったらお前の最後だ。せいぜい今を楽しめッ」


 小声で「いくぞ」とチンピラ1号がチンピラ2号に呟き、二人は俺を睨みながら速足で校舎裏から去っていった。恐らくは龍仁という盾がいないと胸を張れない連中だ。話し合いではイジメを止められないと思い込んでしまったが、どうやら定かではないらしい。


 正しい選択をした。いや、選択を正しいものにするのだ。

 一歩進んだ。一歩は、進んだ。

 後は、歩み続けるのみ。

 振り返らない。振り返るものか。

 理想が現実に。憧れから憧れられるに。

 道のりは長い。

 だが、夢としては丁度いい。


「いつか、ヒーローのように—―」

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