第26話 紅き竜人の初夜
祐介とレイゼ、二人で一つの中睦まじい寄り添った影がゆっくりと帰路を辿っていく。どちらからも会話を振ることは無く、だからといって決して固い雰囲気ではない。お互いを思いやるような、そんな柔らかな空気が二人を包んでいた。
二人のアパートまではもう少しである。進む度に高鳴る心臓の鼓動が寄り添うレイゼに伝わりそうで、祐介は少し恥ずかしかった。しかし時折通る車のライトに照らされたレイゼの横顔もそこはかとなく朱を帯びていて、きっと彼女も同じ様に考えているのだろうと祐介は感じた。アパートまではあと少し、そこへと向かうこの僅かな時間でさえも愛くるしく思える。祐介が不意に繋がれた手をきゅっと握るとレイゼも優しく握り返してくれた。あぁ、今はただ全てが愛おしい。
その二人の影とは別に、路地裏を疾走する一つの影があった。マオを肩で担いだメルの影は担がれたマオが綺麗に丸みを帯びており、その横影はまるで走るお化けキノコであった。
「ちょ、ちょっと! メルさん、ストップ! ストーップ!! 祐介さん達の姿が見えませんよ!? もう、いくら早くお酒が飲みたいからって急ぎすぎなんですよぉ、二人を置いてっちゃったじゃないですかぁ! 早く引き返してくださぁい!」
「あん? 何だよ、マオはレイゼちゃんの話を聞いて無かったのか?」
メルは足を止めて返事をした。
「えぇ……お話って、レイゼさんとの結魂記念としてお酒を飲みに行くんでしょ? 違うんですかぁ?」
「ぐしし……違う違う、メルちゃん達は厄介払いされたんだよ」
「……厄介払いってどういうことです?」
「何だよ、察しの悪い奴だなー。レイゼちゃんはこの10万をやるから朝まで消えとけってアタシ達に言ったんだよ、だってまさかメルちゃん達が見てる前で祐介とおっぱじめる訳にもいかないだろ? 今夜はなんてったってレイゼちゃんにとって初めての夜……初夜だからな! ぐししし……」
「しょ……や……? あ? 初夜……? 初夜ぁ!?」
マオは口の中で何度か言葉を反芻させると突然メルの肩の上で暴れ始めた!
「わ、わああぁぁぁぁーーーっっ!! ちょ、離してください! 僕の、僕の祐介さんが汚されるぅ! 祐介さんの処女が散っちゃうぅーーーーっっ!!」
「うわわわ、おい! 暴れるなよ、うぉ……ビッタンビッタンするな!! お前は海老か、アホ!」
メルに担がれたままマオは何度も身体を捩って降りようとするが、メルが上手く勢いを殺すので一向に降りれる気配が無い。その焦れったい時間がマオの心を焦燥感で燃やしていく。
「ぐぬぬっ! ぐぬぬぬぬっっ!! おろ、降ろして下さい! 僕が祐介さんを守るんだからぁ! ぐぬ、ゆ……祐介さぁーーーんっ!!」
「落ち着け、落ち着けって!」
「これが落ち着いていられますか! 大体初夜だから何だって言うんです、僕の初夜だって結局三人で飲んで終わりだったじゃないですかぁ! だったらレイゼさんの初夜だって飲んで終わりにしましょうよ!」
「それも一理あるけどさぁ……でも、レイゼちゃんはずっと健気に作ってたわけよ」
メルの言葉に興味を持ったのか、マオが暴れる動きを止めて「……何をです?」と膨れっ面のままで聞き返した。
「部屋だよ、部屋。レイゼちゃんって凝り性だからさぁ、いつか結魂した時の為にでっかいベッドとかを用意してさ、生活用品とかも全部二人分あるんだぜ? それだけ楽しみにしてた自分と結魂した人が今夜現れた訳よ……その気持ちをさ、多少は分かるだろ?」
「まぁ、少しは分かりますけどぉ……でも──」
「──でも、邪魔するのか? 確かにマオの初夜は飲んで終わりだった、飲みに飲んだアタシも悪い。だけどそれを経験しててもレイゼちゃんに同じ思いをさせるのか?」
メルの冷徹な言葉にマオは思わず気圧されて言葉を飲んだ。しかし正直な所、マオは自身の初夜の事はそれ程は気にしていなかった。それよりも満月の夜に邪魔をされた方がよほど気に障ったのだが、それを言うのは野暮であろう。やがてマオはバツが悪そうに視線を逸らす……だが、それも束の間の逡巡であり、「でも……」と抱えた想いが弾け出す。
「…………でも、でもでも! それでもやっぱり嫌ですぅ! 僕だって祐介さんとしたいのに、この気持ちを抑えながらレイゼさんに譲るなんて絶対に嫌っ! だって僕が一番祐介さんを愛しているんですからぁーーっ!! 祐介さん、らびゅーーーーっっ!!!」
「うるせぇーーー! 耳元で叫ぶな!! でもまぁ、アタシだって似たような気持ちだ。いきなり出てきて祐介を譲れって言われても困るわけよ」
そこでメルはマオをストンと降ろした。すると多少は落ち着いたのか、マオも暴れずにメルの言葉を待つ。
「だけどさ、ここでアタシ達が引き返して二人の邪魔をしたら……レイゼちゃんが怒り狂うぜ? しかも多分だけど本気で怒る。もう形振り構わず暴れまわるだろーなー」
「だから何だって言うんですか!? こうなったらやってやりますよぉ、僕のドッ根性を見せ付けてやりまぁすっ!」
サッと拳を胸に構えるマオを見てメルは溜め息を一つ。
「あっ! その溜め息は何なんですか!?」
「あのなぁ、マオがそれでレイゼちゃんをやっちまったら今度は祐介が怒るだろーが。あとアタシもぶちギレる、つーかそんなことさせねーけどな」
「……むぅー! だったらどうしろって言うんです!? あれも駄目、これも駄目じゃ祐介さんの処女が散っちゃうでしょ!」
「まーまー、落ち着きなさいよ。そこでこのメルちゃんの知性派な所が輝くんだから黙って聞きなさーい!」
マオから見れば手を口元に当てて「ぐしし……」と笑うメルには知性の欠片も感じられないが、メルは自信満々に話を切り出した。
「メルちゃんは今日の祐介ちゃんから学んだわけ、勝ち筋の組み立て方って奴をよ!」
「勝ち筋って……それで結局どうするつもりなんですぅ? きっと時間もあまり無いですよ?」
「いいか? メルちゃん達を遠ざけるにあたってレイゼちゃんは一つだけ大きな誤算がある、それが何か分かるか?」
「えぇ……? 考えてる時間も惜しいんですけど……うーん、何処に向かうか割れている事ですか?」
メルがニマニマと笑いながら「違うんだよなぁー」と首を振るのでマオはムッと頬を膨らませた。
「それなら……もう時間が遅いこと! 祐介さんが眠そうだったこと! レイゼさんのおっぱいが大きいこと! メルさんがとってもバカなこと! 僕達が結魂指輪をしていること!」
矢継ぎ早にあげられた声にメルは何度も首を振る。
「のんのん、そうじゃないんだよなーって誰がバカだっ! ちっ、まったくこのガキはすーぐ調子に乗るんだからよ……いいか? 答えはこれよこれ!」
メルはレイゼに渡された10万円をマオに突き付ける。
「答えはお金……ですか?」
「ぐしし……つまりだな──」
ごにょごにょとメルがマオにそっと耳打ちすると、マオは難しい顔で「……それマジで言ってます?」と聞き返す。
「そりゃ大マジよぉ! 確かにアタシ一人じゃ無理かもしれない、けどマオが居るなら可能だろ?」
「うーん……でも祐介さん達が合体っ! するまでに間に合いますかねぇ?」
マオが勢いよく手をクロスさせて合体を強調すると、メルは呆れ顔である。
「合体を強調するんじゃねぇよ、生々しいな……だけど肝心要のマオがその調子でどーする!? 死ぬ気で間に合わせるんだよ! さぁ分かったらとっとと行こうぜ! 酒と! 肴と! 祐介ちゃんとレイゼちゃんがメルちゃん達を待ってるぜぇーーっっ!」
メルがマオの手を引いて駆け始めるとマオも小走りでそれに着いて行く。目の前には宵闇の裏路地にひっそりと『呑んべんだらり』の看板が浮かんでいる。二人は駆け込むようにして店の暖簾をくぐった。ここからは時間との勝負である、マオは頬を叩いて気合いを入れ直すとずんずんと席へ進んで行った。
二人が店に入ったのと時を同じくして祐介は一人でアパートの外壁にもたれ掛かっていた。レイゼは「少し準備があるから……」と自身の部屋に入っていったのでこうしてぼーっと突っ立っているのだ。
祐介も自身の部屋へと戻ってもよかったのだが、レイゼがここで待てと言うならば待つべきなのだろう。壁に寄りかかり、空を見上げれば朧月が浮かんで揺蕩っている。メルとマオは居酒屋に入った頃であろうか、きっとメルが有ること無いことにくだを巻いているだろう。マオに迷惑を掛けていなければいいが……。
祐介は今一度ゆっくりと深呼吸をして一日を振り返っていた。色々な事があった、とても目まぐるしい一日だったのをこの身体が覚えている。しかし、まだ一日は終わっていない……。
不意にレイゼの部屋の扉の奥からコン、コン、とノックが聞こえて、スッと扉が開かれる。
「祐介、準備……出来たよ」
そう、一日はまだ終わっていないのだ。例え時刻が日を跨ごうとしても、それで夜が明けるわけではない。祐介の初夜はこれからである。
「あ、あぁ……お邪魔、します……?」
祐介は緊張のあまりに声が思わず上擦ったのを誤魔化しながらレイゼに促されるままに部屋へと招かれようとした。しかしそこでレイゼが「祐介、それは違うよ?」と祐介を止めたので、やはり上擦った声はマナー違反であったかと痛感した。だがレイゼは予想とは反して、祐介の胸をぽんっと叩いて柔らかく笑う。
「……今夜からは、ただいまって言うんだよ」
「……そうか、そうだよな。レイゼ……ただいま」
「うん、お帰りなさい。祐介、今日は本当にお疲れ様っ!」
左手に嵌められた結魂指輪が示す、新しい家族の存在。彼女の居る場所もまた、祐介の帰る場所なのだ。
「さ、遠慮せずに入って入って。私の部屋は誰かさんと違って散らかってないからさ! あ、でも……外から帰ったなら最初はここからね」
レイゼは祐介を洗面台へと連れていき、手早くコップに嗽薬を入れると祐介の口へと差し出した。それは流石に気恥ずかしいものがあるので「じ、自分で出来るよ……」と断ろうとしたが「駄目、今日からは私が全部するから」と押し切る。
「はい、口に含んでくちゅくちゅぺってして? ほら、遠慮しないで」
強気なレイゼに祐介は仕方なく従い嗽をすると、今度は手を引っ張られる。
「少し冷たいからな? 我慢するんだぞ」
蛇口を捻り、水を出すとレイゼは祐介の手を先ずは水で流し、ソープを手に付けて丁寧に洗っていく。祐介の手首から爪の先までピカピカに洗うとレイゼは満足そうに頷いた。
「よし、これで手は綺麗に洗えたな。あとは……祐介も食事はまだだよな?」
「そうだな、そういえば夕食はまだ食べていなかったっけ」
思い返せば三冠王を打ち終えて帰ろうとしたタイミングでレイゼ達に会ったのだから昼から何も食べていなかった。そう意識し始めると途端に空腹感が浮き彫りになってくる。
「何か軽い食べ物を用意をするから、はい、祐介はここに座って待ってて」
レイゼは椅子を引いて祐介を座らせると、自身は台所へと向かっていった。
祐介は改めて部屋を見渡してみる。同じアパートなのだからメルの部屋と間取りが一緒なのは当然なのだが、その様相はまるで違っていた。乱雑で卓袱台等を置いてあるメルの部屋が和風なら、高そうな調度品やテーブル、そして大きなベッドが奥の部屋の中心に鎮座しているレイゼの部屋は洋風であろう。
(大きな丸いベッドに枕が二つ……いかがわしい想像しか出来ないな)
それに加えて妙に献身的なレイゼの態度が怪しげなその雰囲気を強く匂わせていた。いや、初夜を迎えているのだからそれはそれで正しい……のか。どうやら祐介もこの雰囲気に当てられてしまったようである。
「祐介、こんな物で悪いけど……」
レイゼはテーブルに皿を乗せると隣に座った。そして、皿の上に切り分けられたボリューミーなハムをフォークで刺して祐介に差し出す。
「はい、あーんして?」
「え、いや、自分で食べれるよ?」
「駄目だぞ、今夜から祐介の一切合切は私が世話をする! さぁほら、我が儘は止めて口を開けるんだ……!」
我が儘を言っているつもりは無いのだが、折角レイゼが食べさせてくれるのだから甘んじて受け入れるべきか。祐介が素直に口を開けるとレイゼが「そうそう、素直が一番だ」とハムを祐介の口へと入れた。
「ん……む、これ旨いな」
「そうだろ? これは結構良い肉だからな、ほら……あーん」
それから何度かハムを頬張ると、レイゼが「あ、ソースがついてる……」と祐介の口を拭う。
「むぐ……あ、ありがと。ところでレイゼは食べないのか? それとも、俺が食べさせてあげようか?」
「ふふ……私は食べたくなったら自分で食べられるから大丈夫だ。さ、まだまだあるから……」
ちなみに俺も自分で食べられるぞ、と思った祐介の考えが見透かされたのか、レイゼは「祐介はだーめ」とまたハムを差し出した。そうして祐介がハムを食べる度にレイゼが嬉しそうに微笑む。
そのまるで甘ったるいベタベタな新婚生活の1ページの様な食事の風景から遠く離れた居酒屋『呑んべんだらり』では、マオが勢いよくコップをカウンターに何個も叩き付けていた。
バンッ! とコップを叩き付けるとマオがすかさず「次ぃっ!」とお代わりを要求する。そして店員が素早く代わりの酒を差し出すとマオはそれを受け取って飲み干す。最後に空になったそのコップをテーブルに叩き付けて「次ですぅ!」と叫ぶのだ。マオは店に入ってから同様の事をかれこれ何十回も繰り返している。
「一杯飲んでは祐介さんの為ぇ……ぐびっ! 次っ! 二杯飲んでは祐介さんの為ぇ……ぐびぃ! お代わりぃ! 三杯飲んでは……ほらぁ、早く持って来てくださぁい!」
そう言いながら次々と積まれるコップの山は賽の河原を彷彿とさせるが、その異常な光景をメルは酒を煽りながら爆笑していた。
「だははははは……っ! わんこ酒みたいな飲み方をしてやがる! は、早すぎだろ……っ! お前の身体はどうなってんだよ!?」
「んもう、ぐびっ! メルさんも、ぐいっ! 飲むのを、んぐぃ! 手伝ってくださいよぉ! お代わりぃーーっ!!」
「あん? 無理無理、メルちゃんはそんなに早く飲めねーもんよ、酒のあてもいるしよー」
「何で僕ばっかりぃ、んぐっ! ぷはぁーっ! 次ぃ、そっからそこまで飲みますからねっ! 準備をお願いしまぁす!」
マオが棚の酒瓶を適当に選ぶと、またグイグイと飲み始める。
「んじゃメルちゃんはそこの高そうなお酒ね、あと乾物でいいから肴も適当に見繕ってくれぃ!」
メルはその横でチビチビと酒を口にしながら御満悦といった表情であった。何せいけすかない竜人達を相手に祐介が完膚なきまでに勝利したのに加えて、レイゼがくれた10万円分のお金で酒が飲み放題なのだ。更に隣でひたすらわんこ酒に勤しんでいるマオもいるとあってはメルが上機嫌この上ないのも無理はなかった。
「おーっとっとっと……危うく溢す所だったぜ、ぐしし……さぁて、このお酒をぉ……口からお出迎えじゃーい!」
「ちょっとぉ! 何を普通に楽しんでるんですかぁ! 早く10万円分のお酒を飲まないといけないんですよ!? 祐介さんの貞操の危機を……処女を僕が守らなきゃ……お代わりぃーーっ!!」
「うーん、祐介の貞操を考えるとマオをこのまま此処に留めて置いた方が良いような気がしてきたにゃ……あ、メルちゃんもお酒お代わりね」
暴走行為ともいえるマオの飲みっぷりはメルの立案の為であった。二人があのまま祐介達の元へと戻ったとすると、レイゼの怒りを買ってしまう。しかし、レイゼの言葉通りに10万円分の酒を飲んでしまえばどうだろう、レイゼとの約束を守った上で祐介達が睦み合いをする前に帰ることが出来ればレイゼもまさか文句は言えまい。つまり、メルの作戦は単純明快である。さっさと飲んでさっさと帰る、これだけだ。だがこの作戦を成功させるには凄まじいスピードで酒を飲み続けなければならない、その鍵こそがマオであった。
「あーもう、このお酒は一本いくらですか!? 三千円!? それなら十本持ってきくださぁい!!」
今度はコップ使わずに酒瓶をそのまま口へと傾け始めるマオは正に大蟒蛇である、その底知れない飲みっぷりを初対面のレイゼは知らなかったのだ。それこそがメルの言っていたレイゼの誤算の正体であった。
「僕のドッ根性……見せちゃるですぅ! ぐびぐびぐびぃぃーーーーっっ!!」
メルは次々と空けられる酒瓶を見ながら、祐介達を思っていた。今頃は何をしているだろうか。世話焼きなレイゼの事だ、きっとあくせくしながら祐介の世話を焼いているに違いない。
(アタシとしては、レイゼになら祐介との初めてを譲ってもいいんだよな。レイゼには色々と迷惑を掛けてきた事だし、だけどマオの邪魔をした手前そういうわけにもいかないのがなんともはや……)
メルがクイッとコップを空けた。酒のアルコールが熱い塊となって喉を焼きながら通っていき、次第に程好い酩酊感がメルを心地好く支配していく。直にマオは10万円分の酒を飲み干すであろう、それまでに飲めるだけ飲まねば勿体無いのである。メルはメニュー表を見ながら心の中で『レイゼちゃん……もしも事をする前に間に合っちゃったら……ごめんね』と謝っていた。
メルの心の謝罪が届いたのか、レイゼは自室の洗面台の前で小さく身震いをした。
(何か悪寒が……気のせいか?)
祐介はそのレイゼの様子を見て「どうした?」と声を掛けた。
「いや、何でもない。さ、祐介はイーッてして、イーッて」
祐介は言われるがままに歯を食い縛る様にして口を開けた。するとレイゼは歯ブラシを祐介の歯にあててゴシゴシと磨いていく。レイゼの磨くその様は真剣そのものであるのだが、椅子に座っている祐介の前で立ちながら一生懸命歯ブラシを揺するものだから、レイゼの大きな乳房が祐介の前で暴れまわっていた。
(いかん、いかんぞ永瀬祐介。レイゼはただ一生懸命に俺の歯を磨いてくれているだけなのだ。そんな彼女をいやらしい目で見るなどあってはならない)
レイゼの乳房が右へ揺れれば祐介の視線も釣られて右へと泳ぐ。そうして右へ左へ上から下へと動く祐介の視線に気付いたのか、レイゼは「……えっち!」と呟いた。男が眼前の揺れる乳房から目を離せる訳が無い、よって不可抗力である。
「よし、歯は磨けたぞ。次は手を上げてばんざーいしなさい! ほら、ばんざーい!」
ここまで来たら後は野となれ山となれである、祐介は半ば自棄気味に手を上げて万歳をした。するとレイゼは素早く祐介の服をスポーンと脱がしてしまう。
「祐介、次は立ってね、下も脱がすよ?」
「な、何もここまでしなくても……」
という抵抗も虚しく、祐介はあっさりと全裸に剥かれてしまった。そして風呂場へ追いやられたので、腑に落ちないながらも湯船へと浸かる。
正に至れり尽くせりといった状況だが、此処に来て漸く一人でゆっくり気を落ち着かせる事が出来た。風呂場には祐介一人であり、レイゼは部屋でいそいそと何かを準備している。
(……まるで赤ん坊扱いだな、いくらなんでも世話を焼きすぎじゃないのか?)
とはいえ、決して悪い気はしない。背は小さいとはいえ、美人な女性が献身的に世話をしてくれているのだ。これに文句を言う奴は罰が当たるだろう。それに恐らく、風呂から出れば……そういう事になりそうな雰囲気である。
祐介はチャプ……と湯を掬って顔を洗う。
(うぅ……何か緊張してきたな。は、初めてだけど上手く出来るのか!? そりゃそういう本はいくらでも読んできたし、一人でのプレイは既に達人の域だ。だけど初めての対戦プレイだからな……自信なんて無いぞ……)
白い湯気の奥で、湯に反射して見える己の顔をじっと見る。自信無さげな思考とは裏腹に口角が僅かに上がっている。そう、今更自身を取り繕う必要もない、俺は、レイゼとの行為を大いに期待しているのだ! あんな美人と閨を共にするのだぞ、男冥利に尽きるというものである!
「祐介ー? 湯の加減はどうだー?」
「ひゃ、ひゃい!? あ、い、良い……とても、良いです、うん」
いきなりの声に祐介は上擦った声で醜態を晒してしまった。その滑稽さに思わず自身の額をペチンと叩く。何たる慌てようだ、返事ぐらいもっと格好良くとはいかないものか、と己の情けなさが身に染みる。
「……うん? 何をそんなに慌てているんだ? まぁいいか、それじゃ私も入るよ?」
「はい? え、ど、どこに!?」
レイゼは返事をせずに戸をガラガラガラ……と開け放った。祐介は反射的に自身の目を両手で覆うが、偶然にも指の隙間から覗くレイゼの姿は……湯浴み着一枚であった。
「見てないけど!? 見えてないけど布一枚は流石に不味いですよ!!」
「きちんと見えてるじゃないか、別に裸でもよかったんだけど……折角用意してあった湯浴み着だからさ。着てみたっ! ふふ……似合うか?」
(ほぼ裸ワイシャツじゃん! しかもこれ着てる方がえっちに見えるやつ!!)
レイゼは湯浴み着の裾を握ってふりふりと可愛さをアピールするが、祐介にとっては鼻血が出そうなほどの衝撃であった。そもそも白地の湯浴み着はうっすら透けており、見れば見るほど扇情的である。
「え……私には似合わないか?」
(似合うって言っていいのか? 透けてる湯浴み着が似合うっていったらそれはもう痴女だろ!? うー、だけどそんな顔をされると……)
「……とても似合ってるよ、俺には少し刺激が強すぎて言葉を失ってたんだ。ところで、その……一緒に入るのか?」
「もう、なんだよー。反応が微妙だったから身構えちゃっただろー? えーと、祐介と一緒に入ってもいいんだけどさ、背中を流してやろうと思って来たんだ。さ、出てきて?」
レイゼがそう言って促すので祐介は動揺して動きが止まる。
「おいおい、どうしたんだ? 私が背中を流してあげるから、出ておいで?」
二度目の催促に祐介は焦った。もし、今立ち上がってしまうと既に立ってしまっているものが衆目に晒されてしまう。愚息はいつだって愚かである、主人の言うことなど聞きはしない。こうなればとにかく間髪を入れずに話し掛けて時間を稼がなければならない、クールダウンの時間が必要なのだ!
「あ、あのレイ──」
「ふふふ、分かったぞ。私の手で風呂から出して欲しいんだな? うんうん、私の配慮が足りなかったな。さぁ祐介、出ておいで……って、うっ!!?」
レイゼが祐介の両脇に手を添えてざばぁっと持ち上げると、背の低いレイゼの丁度眼前に祐介の臨戦態勢な愚息が姿を現した。祐介の身体が大地とすればピーンと直立にそそり立つその様は男として誇らしい限りだが、それを示すのは今ではない、今ではないのだ!
結魂した相手とはいえ、人間より数十倍は強いであろう竜人のレイゼ相手にこれ程の無礼を働いてしまったのなら最早愚息に未来はない。次の一瞬で愚息を削り取られて俺は明日から祐子ちゃんとして生きていく事になるだろう。
(愚かな馬鹿息子よ、どうやらもうお別れだ。幾度となくも繰り返したお前とのシェイクハンド……悪くなかったぜ。さようなら祐介、そしてこんにちは祐子ちゃん)
しおしおと萎みそうな愚息に安眠をと祐介は安らかに目を閉じた。やるならやってくれ、但し優しく頼むぜ。と誰に言うでも無い最後の男気を振り絞ったのである。
「──ふふふ、初夜に向けてこれは頼もしい限りだ。だけどな祐介、この子の出番にはまだ早いよ?」
そのままレイゼは眼前にイキリ立っている祐介の愚息にふーっと息を吹き掛けた。祐介は突然の突風に身を捩って身悶えた。
「さ、私が祐介の身体を洗ってやるからなー! 当然だけど前も後ろも余すとこなくアワアワで洗ってやる……けど、出しちゃ駄目だからね……?」
何を? とはもう言うまい、祐介の緊張は徐々に高まっていく。間違いない、ついぞ見たことがない初夜が、メルの寝ゲロ以外の初夜が遂に目の前まで迫っているのだ。
レイゼは祐介を座らせるとボディソープをスコスコと手に出してじっくりと馴染ませている。祐介は鏡越しのその姿に目を見開いて驚愕した。後ろの、美少女が、自らの手で、俺を洗おうとしているのである!
「ちょ、ちょ! ちょっと待って、それは流石に俺でも出る可能性がある! 手は不味いよ手は、言うなれば正に禁じ手の可能性が──」
「ほーら、あわあわーあわあわー! 祐介の肌をすべすべにしてやるぞー!」
「あわ、あわわにゃわわわ……っ!?」
レイゼが小さい手を存分に開いて祐介の身体を隅から隅まで擦り始める。背中はまだ我慢が効いたが、レイゼが後ろから祐介の胸板を洗おうとするとどうしてもその豊満な胸が祐介の背中に当たるのだ。湯浴み着という透けた布には何の遮断性も感じられない、柔らかで暖かな二つの膨らみと、身体を弄る小さな手の感触が祐介の精神を苛んでいく。
広くはない浴室に二人きり、レイゼの手に馴染んでいる粘液が泡を含んでちゅくちゅくと音を立てる。レイゼは鼻歌交じりで上機嫌だが、祐介は綺麗にされていく身体を自ら汚してしまいそうで気が気でなかった。
「さーて……ここも、きちんと洗わないとな……」
レイゼの手が祐介の秘部へと伸びていくが、祐介の秘部は既に伸びきっていた。
「こ、ここは……自分です、するから……っ!」
「だーめ。私が綺麗にするから、祐介は頑張って……我慢してね?」
祐介の抵抗も虚しく、レイゼの手がスルリと秘部へと滑り込む。主人以外とのシェイクハンドは愚息にとって初めての事である。ぎゅっと握られ、祐介の感情が大きく昂ったその時、遠く離れていながらもマオは祐介のその異変を感じ取っていた。
「ん……? んんん……っ!!? あれ、ちょ、メルさん!?」
「あん、にゃ……にゃんだよぉ?」
「この感覚……どうなんですか? 祐介さんの指輪に異変を感じませんか? 何かこう……我慢しているのに、出そうな変な感じが……」
メルは自身の指輪を額に当てて「うーん……」と考え込んだ。
「こりゃ……イッちまったかもなぁ……んー? にゃあぁー、メルちゃん酔っててよくわからんちん、だははははは……っ!」
「んもう! メルさんのあんぽんちん!!」
腹を抱えて笑い転げるメルとぷんぷんと頬を膨らませるマオの元へと店員がやってくる。
「あのぅ……言われた通りに10万円分のお酒の提供が終わりましたけど、いかがなさいますか?」
遂にその時が来たのだ、後は10万円を支払ってアパートへと駆け戻るだけである。マオはグッと拳を上げてガッツポーズを決めた。
「っしゃぁ! お会計お願いしますぅ! はい10万円、これで大丈夫ですよね!? さぁメルさんもう帰りますよ!? 早く起きてくださいよぉ!」
「にゃん……? にゃぁ……ん、おぉ……おかーりっ!」
メルはガバッと起きて空のジョッキを天に翳すが、また直ぐにテーブルへと倒れ込む。
「あーもう、行きますよってばぁ!」
マオがメルを引き起こしそうとグイグイと引っ張っていると、店員が申し訳なさそうに「あのぅ……」と声を掛ける。
「あ、すみません。直ぐにこの酔っ払いを引っ張って出ていくので!」
「にゃふぅーん? おかーり、おかぁーり! ぐしし……」
「起きろぉ! この、このっ!」
一向に起きないメルをどうしようかと思っているマオの肩がまた店員に叩かれる。
「本当に直ぐ出ていくので! もうちょっと待ってください!」
「いえ! あの、お代金の方が……足りないのですが……」
マオの動きが止まる、10万円分のお酒を頼んで10万円を払って何故足りないのだ。そうか、成る程……これが巷で噂のぼったくりという奴か。マオは拳に力を込めた、渾身の怒りが籠った拳である。これを今ここで振り下ろせばどうなるか……愚かな餌共に見せてやろうか。
マオが拳を大きく振り上げたその瞬間! 店員が遠慮がちに声を上げた。
「確かにお客様のご注文通りに10万円分のお酒を提供させて頂きましたけど、お連れ様の飲食代も合わせまして、あの、11万4514円になりますがよろしかったでしょうか……?」
マオは「うるぁっ!」と拳を真っ直ぐにメルへと振り下ろした! ぼこんっとメルの脳天に衝撃が走る!
「いっちゃーい! にゃんだよぉ!?」
「思いっきり足が出てるじゃないですか! もう! んもう! 残りの足りない分はメルさんが出してくださいよ!!」
「にゃはは……無理無理、メルにゃんはお金を持ってないみょーん」
「え、あの客から巻き上げた30万円とか、毎月祐介さんから頂いているメルさんの小遣いは何処へいったんですか?」
「あれは祐介ちゃんに渡したしー、メルにゃんの小遣いはとっくに飲んじまった! いやー、悪いけど代わりに払っといてよ。だってさっさと払って早く帰らないと……祐介ちゃんが穢れちゃうかもよ?」
半ば脅迫染みたメルの言葉にマオは「ぐぬぬ……」と二の句が継げなかった。確かに刻一刻と時間は過ぎているのだ、なので今は口論する時間も惜しい。マオは諦めて自身の財布から足りない分を出してメルを背中にサッとおぶさった。
「おりょ? メルちゃんをおぶって何処に行く気かにゃ?」
「そんなもん決まってるでしょ! 祐介さんの待つあの部屋に……帰るんですよぉぉーーー!!」
マオが凄まじいスピードで祐介達の居る部屋へと向かっている途中、祐介は暗闇の中で立ち尽くしていた。祐介からレイゼの姿は見えないが、何処で祐介を待っているのかは理解していた。ベッドの上で、シーツの端を胸に抱えて俺を待っているのだ。
『電気を消してから、私の元へ来てね……?』
祐介はレイゼの言葉を思い出していた。電気を消した今、もう後戻りは出来ない、しない。祐介は真っ直ぐにレイゼの待つベッドへと歩を進めている。ぎしり、ぎしりと暗闇の中で響く足音が嫌に鮮明に聞こえている。ゆっくりとレイゼの待つベッドへと近づく度に結魂指輪が嵌められた左手の小指が疼く。まるでお互いの鼓動と共鳴しているようだ、祐介はレイゼとの指輪をそっと優しく撫でた。
「ん……くすぐったい……もう、祐介ったら……早くこっちにおいでよ」
暗闇の中心から耳朶を擽るような甘えた声が祐介に届く。ベッドの端まで辿り着いた時には祐介の鼓動が早鐘の様に何度も脈打っていた。自身の荒い呼吸に紛れて聞こえてくるレイゼの呼吸もまた荒くなっていた。お互いにこれから起こる事を想像しているのだろうか。
「さぁ、祐介……おいで?」
ベッドのシーツが衣擦れの音を立てながら開け放たれたのを祐介は見えないながらも感じていた。いや、暗闇に目が慣れてきた今、カーテンから漏れ出る月明かりが、ベッドの上で両手を開き今か今かと待ち望むレイゼの姿を浮かび上がらせていた。
祐介は幻想的なその光景に引き寄せられる様にベッドの上を這いずりながら近付いていく。レイゼが一人で寝るには大きすぎるそのベッドの端からずるり、ずるりとにじり寄り、遂にレイゼの側まで辿り着くと醜い欲望のまま、浅ましい劣情を隠そうともせずにレイゼを抱き締めた。
「あ……っ!」
レイゼの漏らしたその声は、驚きの中にも艶っぽい嬌声を含んだ吐息であり、抱き返してくれたその両手が自身を受け入れてくれたのだと、祐介の興奮を殊更に助長させた。
少し癖の掛かった真っ赤な髪に流線型に飛び出た角、見る者全てを震え上がらせる鋭い目付き、そして小さな身体には不釣り合いともいえる大きな胸、その全てが今自身の手の内にあるのだ。祐介は興奮のあまり、意図せずに強く抱いてしまっている事に気付いた。
「す、すまない……っ! いくらなんでも強く抱きすぎた!」
祐介がバッと手を離そうとしたが、レイゼはその手をもう一度自身の身体に抱き付かせた。
「馬鹿……私は竜人だぞ? この頑丈な身体が祐介の力でどうにかなるもんか。だからさ、祐介の抱きたい力で抱いていいよ。ほら……祐介のしたいようにしていい……私は祐介が望む事をされたいんだ。だってもう私の身体は祐介の物なんだから……」
それはレイゼなりの愛なのだろう。真っ直ぐな瞳は月明かりを浴びても真っ赤に潤んでいて、祐介は望むまま、そして望まれるままに深い口付けをした。長い、長い口付けを終えると、祐介は「触れても……いいか?」と遠慮気味に聞いた。レイゼは「……馬鹿、一々そんな事を聞くなよ」ともう一度なじると「触って……欲しい」と微笑んだ。
祐介の右手がレイゼの頬を優しく触れる。まるで高貴な調度品を触れる様に傷付けるのを恐れている手付きだったが、レイゼはそれすらも受け入れてくれた。頬から首、そして豊満な胸に手が伸びそうになった時、祐介の右手嵌められた指輪が輝いているのにレイゼは気が付いた。普段なら漆黒の筈のマオとの指輪が黄金に輝いている。
レイゼはその異常事態に嫌な予感を覚えると、素早く祐介を抱き寄せた。
「なぁ、祐介……竜人、その中でも上位に位置する私達は各々が特殊な息を持っているんだ。お祖父様は拘束でハムルは毒、そしてルーナが錆の息。それなら戦闘に適してないと言われた私の息は何だと思う?」
「い、いきなりだな……えと、なんだろ……?」
突然の質問に祐介が戸惑っていると、レイゼは祐介の顔を優しく両手で抑えてふぅーっと息を吹き掛けた。甘さすら感じるその息は祐介の意識を次第に蕩けさせていく。
「正解は……魅了の息……だよ……さぁ、祐介の欲望のまま……私を求めて……?」
「あ……ぁあ……れ……?」
焼ける、脳髄が爛れて焼けていく。祐介の意識が強烈な金槌で叩かれた様にぐわんぐわんと揺れている。近い筈のレイゼの存在が急に遠く希薄に感じられ、思わず祐介は手を伸ばした。
「ふふ……ほら、私はここだ……」
レイゼに捕まれた手を通して、彼女の体温が伝わってくる。その暖かさに身体が震える程の安堵と共に、胸中に浮かんだ狂暴ともいえる飢餓感。欲しい、この手を思い切り引き寄せて彼女を自身の物にしたい。血走る目に興奮が収まらない荒々しい息の祐介を前に、レイゼは妖しげに微笑んでもう一度ふっと息を吹き掛けた。最早祐介にまともな意識は無い、ただ只管に劣情によって空いた心の隙間を埋めるべく目の前の愛しい人を求めるだけの怪物に成り下がっていた。
「うぁ……レ、レイゼ……っ!」
レイゼは答えない、応えない。祐介は繋がった手だけを頼りに彼女の身体をまさぐりながら伝っていく。指先から手のひらを抜けて手首、前腕と頬擦りする様に確かめながら、腕を超えて肩、そして遂に顔の輪郭を捉えると──。
「うらぁーーっ!! 祐介さん、無事ですかぁーーっ!?」
「マ、マオッ!? それにメルまで!!」
そこには確かに施錠した筈の玄関を蹴破る勢いで開け放ち、ぐでぇっと伸びきったメルを背負いながらマオが立っていた。
「てめーら、私達の初夜を邪魔すんなって金を渡しただろーが!! どういうつもりだ!!」
「邪魔したつもりはありませんけどぉ!? 僕達は渡されたお金分を飲みきったから帰ってきただけですぅ!! おらぁっ! 領収書じゃーーい!!」
バシッとマオが叩き付けた紙切れには頼んだであろう品目がずらっと並んでいた、安物居酒屋で10万円以上を頼んだだけあって凄まじい長さの領収書である。レイゼがそれを覗き込んで確認していると、マオはメルを放り投げて素早く祐介の元へと駆け寄った。
「……んぎゃっ!」
べちゃっと廊下に投げられたメルが「うぅ……?」と呻き声を上げていると、マオが祐介の異変に気付いた。目の焦点が定まっていない、いや、その焦点は徐々にマオを捉えていくと祐介の手がマオへと伸び始めた。
「……マオ?」
「祐介さん!? お尻の穴はご無事ですか!?」
祐介はそれに答えず、マオの身体に覆い被さる様に抱き着いた。
「マオ……出会ってからずっと家事をしてくれてありがとうな……こんなに可愛い子が俺と結魂してくれるなんて、まるで夢のようだよ。いつも側にいてくれて、いつも俺を慕ってくれて、あぁ……なんだか満月の夜を思い出す。今、この場で……あの時の続きを……いいか?」
「え、そんな祐介さんたらぁ……よっしゃー!!! ばっちこいですぅ!!!」
拒否する素振りを微塵も見せずに受け入れようとしたマオの首根っこをレイゼはむんずと掴むと、そのまま後ろへと放り投げた。
「な、何をするんですか!! 今から良いところだったのに!!」
「私の部屋で! 私の夫と何をする気だ!!」
「そんなの決まってるじゃないですか! ぐっぽぐっぽじゅぶじゅぶですぅ!!」
「そんなことさせるか、ボケッ! 大体な──」
尚も言葉で畳み掛けようとするレイゼの背中から、祐介の手がぬっと出てきてその小さな身体を抱き締めた。ぎゅぅっと強く抱かれた身体から「あっ」と艶かしい吐息が漏れ出る。
「……俺はさ、レイゼの気持ちが嬉しいよ。竜人の君は誰よりも強くて、格好良くて、そしてこんなに美しい。最初は怖かったけれども、今はただ愛おしいんだ。深紅に染まった髪も、その瞳も、今、この場で俺の物にしたい……しても……いいかな……?」
「……うん、今夜からはずっと……祐介の物だか──」
「はーい、レイゼちゃんもそこまでーっ!」
レイゼと祐介、二人の唇が合わさろうとした瞬間に祐介の身体をぐいっと押し退けて、メルは二人を引き剥がした。夜風に当たって酔いが覚めてきたのか、メルの足取りは確りとしたものであった。メルは祐介をベッドの奥へと押しやるとレイゼの方に向き直した。
「レイゼちゃんさぁ……祐介に魅了の息を使ったでしょ?」
メルの言葉にレイゼが「う……っ」と言葉を詰まらせた。メルには正気を失っている今の祐介の状態に心当たりがあったのである。
「やっぱりなぁ……祐介からこんな歯の浮きそうなセリフが出るとは思えないもんねぇ……」
「ちょっとちょっとメルさん、その魅了の息って……今の素直な祐介さんに何か関係あるんですか?」
「魅了の息ってのはレイゼちゃんだけが吐ける特別な竜の息だよ。細かな調整が効くかどうかは知らないけど……効果は今の祐介ちゃんを見れば分かるじゃん? ま、大方嫌な予感がしたから事を急ごうと祐介に魅了の息を掛けたんだろうけど……」
メルの予想は正鵠を射る如くに大的中であった。レイゼは二人の視線に居心地の悪さを感じながらも、開き直る様に腕を組んで「ふんっ」と鼻息を鳴らした。
「別にいいじゃねーか! これは私の力だ、ここは私の部屋だ、そして祐介は私の! 夫なんだぞ! 10万円分の酒を飲んできたのは予想外だったが……二人ともとっと出ていけ、焼き殺すぞ!!」
「祐介さんは僕の旦那様ですぅー! 僕を焼き殺すぅ? 上等ですよぉ、その喧嘩買ってやりますぅ! おらぁー! しゃっこぉーーい!!」
「ぐしし……まぁまぁ、二人とも落ち着いて。とりあえず次は……メルちゃんの番じゃん?」
取っ組み合いをしそうな二人を引き剥がしたメルに、レイゼが「メルの番って何がだよ」と睨んだ。
「そりゃ勿論、祐介ちゃんからの愛よ、愛! レイゼちゃんもマオも祐介に迫られてずるいだろぉ! メルちゃんもぐいぐいと迫られたいんだよぉ! ほらほら祐介ちゃん、今がチャンスよ? ぐいぐい迫って、よしよしって褒めて、メルちゃんを崇め奉っても……よいぞよ?」
メルが心非ずと呆けている祐介の顔を自身に向けると、徐々に祐介の焦点がメルへと定められていく。これだ、これを待っていたのだ。メルは期待に胸を弾ませていた。
「メル……」
「おっほぉ、何々? 祐介ちゃんはどうやってメルちゃんを求めてくれるのかにゃ?」
「…………メル」
祐介の手がメルの肩を力強く抱いている。続く言葉を待つメルは勿論、残った二人も大人しく静かに待っていた。祐介がメルをどう思っているのか知る良い機会だからである。
「メル……」
「そうそう、それからぁ!? そっからどしたのぉ!?」
「………………………………………メル」
「ちょ、せめてなんか言ってよぉっ!!」
「メル……お前と会ってから、ろくでもない事ばかりだ。借金は背負わされるし、変なことに巻き込まれるし、何かよく殴られるし、寝ゲロの始末はさせられるし。あとは……借金を背負わされるし……」
「て、てめぇ! ちゃんとメルちゃんを褒めろやっ!!」
激昂してスパンと祐介の頭を叩くメルを見て、後ろの二人は「そういうところだよ」と頷いていた。祐介は叩かれた頭を揺らしながら「……でも」と続ける。
「メルと会ってから、毎日が退屈しないよ。メルが隣に居るだけで、毎日が楽しいんだ。パチンコだって、スロットだって、一人で打つよりも何倍も楽しい。なぁ、これからも……俺の……隣で……」
祐介の手がメルの頬を優しく添えられる。そしてメルもまた祐介の背に手を回してそれを受け入れようとすると……後ろの二人が「待ったぁ!!」と声を上げた。
「お前も人の部屋で何をする気だっ!! アホメルッ!!」
「何って、そんな事をメルちゃんの口から言わせる気? あ、それから二人とも今から二時間ぐらい外に行っててくれない? 祐介ちゃんとメルちゃんはこれからお楽しみ……なんだから!! ぐししし……っ!」
「絶対にさせないですぅ! 祐介さぁん! あなたのマオはここにいまぁーす! ほらぁー、早く早く僕の所に来てぇーっ!!」
「祐介ぇ! 今夜は私との初夜だぞ!! さぁ、他の馬鹿共は無視して私の所においで……?」
「あん? あのねぇ、君達……祐介ちゃんの一番最初のお嫁さんは一番最初に愛されるの。それが当然至極の事なの。分かる? ここまで言っても分からないなら……力尽くで教えてあげようかにゃー?」
「はぁ? 僕とやる気ですかぁ? へぇ……それなら丁度良い機会ですから、姉妹間の下克上といきましょうかねぇ……っ!!」
「馬鹿共が……本気になった竜人をあまり舐めるなよ……っ!」
「ぐしし……やっぱり祐介ちゃんと最初に致すのはメルちゃんだもんね……それを邪魔をするお馬鹿さん達は……とりあえず隅っこで踞ってて貰おうかな……っ!」
祐介を取り囲んだ三人が睨み合い、凄まじい敵意同士が今にも衝突しそうになったその瞬間、三人の中心で力なく座っていた祐介がパタリと倒れてしまった。
「お、おい祐介!? 大丈夫か!?」
三人が覗き込むと、祐介は穏やかな顔ですぅ……すぅ……と寝息を立てている。
「寝てる……な。ちょっと魅了の息を嗅がせすぎたか? あーもう、お前らが一々突っ掛かって来るから祐介と出来なかったじゃねーか!!」
「んー……駄目だこりゃ、完全に寝てるじゃん? ま、レイゼちゃんには申し訳ないけど、これも運命だってことだにゃー。ぐししし……」
メルは笑いながらマオにゴショゴショと耳打ちすると、マオは「それは良い考えですぅ!」と部屋を出て行った。
「おい、今度は何をやらかす気だよ。というかお前も部屋に帰れよ!」
「まぁまぁ、今日はレイゼちゃんの結魂初夜だよぉ? だからさ、メルちゃんだって祝ってあげたいんだよ、だって……レイゼちゃんは……レイゼちゃんはメルちゃんの大事な友達なんだからぁーっ!!」
「けっ、心にもない事を言う奴だな。大体なぁ、友達だって言うんなら、初夜の邪魔をするなよ! ま、お互いに友達とはとても思えねーのはしょうがないけどな」
「ぐしし……レイゼちゃんと最初に会ったのは七聖姫会議だっけ? あの時は皆がギスギスしてたなぁ。時が経ってアタシ達の森とレイゼちゃん達の里の諍いが起こって、お互いに敵として対峙した時もあったっけ……」
「対峙しただけだけどな。私とメルじゃ力量に差がありすぎてまともな戦いにならないし……」
二人は寝ている祐介を起こさない為に、ベッドから離れてテーブルを挟んで椅子に腰掛けた。
「それから生け贄みたいな感じでここに来てさ。あの時のレイゼちゃん、思い詰めた顔をしてたから見てて可哀想だったよ」
「……確かにそうだけど、生け贄としては受け取って貰えなかっただろ」
恨みがましい目付きでレイゼが睨んだ。
「流石に、ね……あの時はアタシもどうなるか分かんなかったし。でもさ、ある日突然だけど祐介が来た。そしてアタシと祐介に縁が出来て、マオとも縁が繋がった。そして今夜、アタシとレイゼちゃんは……祐介を伝って家族になった。結魂指輪が結んだ、紛うことなき姉妹だよ……あっと、アタシが姉ね?」
「そうですねぇ、言うなれば僕もレイゼさんから見たら姉って事になりますねぇ……」
いつの間にか戻って来ていたマオがドンッと液体の入った瓶をテーブルに置きながら椅子に座った。
「これは……葡萄酒か?」
「そうだよぉ、ちょっと良いワインだよぉ! こんなこともあろうかと、メルちゃんが用意しておいたんだもんね! ぐしし……ま、かつては何があろうともこれからは姉妹同士、皆で仲良くしようじゃん?」
メルがワインを各々のグラスに注ぐと「んでは、僭越ながら長女のメルちゃんから……」と立ちながら話し始める。レイゼはワイン越しに見えるメルの姿を見て思わず溜め息が漏れ出た。最早祐介と憧れの初夜を過ごす事は叶わないであろう、その事実がレイゼを落胆させているのだ。
「おいおーい、なーんでそんな溜め息を吐くのさ。これからは姉妹一丸となって祐介ちゃんを守ってやらないと! そうでしょ!?」
「うーん、借金を背負わせたりして一番心労を掛けているのがメルさんのような気がしますけどぉ……」
「それはマオもだけどな。でも本当にメルが一番心配の種なんだよ……あまり祐介に迷惑を掛けてくれるなよ?」
「ぐしし……メルちゃんはこれでいいんだよ! 祐介も言ってたろ? メルは側に居るだけでいい……いつまでも側に居てくれ、そして俺が一番愛しているのはメル、お前だ! メルちゃん大好き、愛してるぅーーってさ!!」
「そんなん言ってねーですぅ!! 捏造しないでくださぁい!」
「はいはいペチャパイは黙ってなさい! よーし、ではでは皆さまグラスを掲げてぇーー……今日は祐介ちゃんの新しいお嫁さんの為にぃーー、乾杯っ!!」
マオだけは不満気ながらも、三人は一斉にグラスを傾けてワインを流し込んだ。それから残っていたハムを食べながら談笑し、レイゼの初夜は騒がしく過ぎていく。この日は祐介を中心とした縁がまた一つ増えた記念日なのである。それはメルとマオ、そしてレイゼにとっても嬉しい事なのだった。ベッドで寝息を立てている祐介を見守りながら、三人の夜はゆっくりと更けていく。幾つもの酒瓶を転がした頃、三人は祐介の側に寄り添いながら眠りに落ちていった。
……………………
…………
……
時は深夜、寝ている祐介を中心に三人が泥のように眠っていたが、その内の一人がゆっくりと起き上がる。上体を起こしたまま、ゆらゆらと不自然に揺れていたが、やがてピタリと止まるとまるで洪水の様な音と共に──。
「おっごおろろろろ……っ!!」
「きゃ、きゃぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!!?」
「うおぉぉーーーーっ!? メル、お前またかよっ!!」
「な、め……メル、お前ぇーーーーー!! 私の部屋でふざけんなぁぁーーーっ!!」
メル、通算三度目の初夜。そして三度目の大噴火であった。
異世界玉球物語 ─パチンコ、パチスロハーレム物語─ @kokukosetsu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。異世界玉球物語 ─パチンコ、パチスロハーレム物語─の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます