第25話 飲みたい夜、飲ませたい夜
「あ! メル、てめぇちょっとこっちに来い!」
レイゼは裏路地からこそこそと出てくるメルを見付けると怒りの表情で手招きをした。メルは嫌な予感を拭うことが出来ずに躊躇するが、やがて諦めた顔で歩き出した。
「うーん、レイゼちゃん、そんなに怒ってどったの?」
「言われなくても分かるだろーが! てめぇ借金を祐介に背負わせるとは何事だ!! つーか借金ってお前は一体何をしてんだよ!?」
掴み掛からん勢いのレイゼにメルは「まーまー」と宥めつつ、レイゼの結魂指輪をわざとらしく持ち上げ始めた。
「あぁー!? これがレイゼちゃんの指輪ぁー!? すっごぉーい、レイゼちゃんを思わせる深紅の綺麗な指輪だねぇ……うんうん、レイゼちゃん……すっごく似合ってるよぉ!」
「な……てめぇは直ぐにそうやって誤魔化すけど今度という今度は許さねーぞ! 大体なぁ──」
「祐介もレイゼちゃんと結魂出来て嬉しいだろうなぁ……レイゼちゃん美人だしなぁ……ほらほら、祐介のあの嬉しそうな顔! あぁーあいつは幸せものだぁー!」
レイゼの反論を許さずにとにかく褒めまくるメルの作戦は功を奏したのか、次第にレイゼの顔付きから険が取れ始め、仕舞いには「……ほんとにそう思う?」と顔を綻ばせるのだから側で見ていたマオは思わず「あいつチョッロ……」と呟いた。
「それにしても美人で気立てもあって胸もあるレイゼちゃんに求められたら仕方がないとはいえ……おい、マオー、今回の指輪は何秒で出た?」
「2秒ですねぇ……」
「意義あり! 俺は2分以上は持ったと思います!!」
「はい、祐介ちゃんの意見は却下しまーす!」
祐介の反論はメルによってにべもなく却下される。
「あのな、前も言ったけど美人に求められたらこんなの簡単に出ちゃうんだよ、仕方ないだろ! だけど2秒以上は持ったはずだ、間違いない!」
「いえ、きっかり2秒で出てましたぁ!」
マオの言葉も容赦が無い。祐介は此処に来てマオが何の時間を計ったのかを思いしっていた。
「簡単に出ちゃうなんて、それは祐介ちゃんがチョロチョロなだけなんだよなぁ……普通はこんな簡単には結魂指輪なんて出ないんだよ! その証拠を今からメルちゃんが見せてやる。いいか、見てろよぉ!」
メルはそう言ってマオの正面に立つと「って事で、いいよな?」と手を伸ばす。
「え……? 何が──」
マオがメルに言葉を返そうとした瞬間、メルはマオの唇を自身の唇で塞いだ!
「んんんんんーーーーっ!!?」
じゅるるるる……っ!! と凄まじい吸い付きに加えて、マオの首を引き寄せる様にメルが手を回しているので、マオがジタバタと暴れても外す事は出来ない。
「んん!? んんんんーーーー!!? んっん…………っ!」
次第にピクピクとし始めたマオが出す声がどうにも艶めいており、祐介はどうしたもんかと思っているとゾロゾロと離れていた観客が戻ってきた。中でも斎藤はこの羞恥の出来事の前に何故か正座である。
「おい、祐介……これは写真撮影はオッケーなのか? 5万までなら出すぜ」
「いいわけ無いでしょ……」
周りがゾロゾロと賑わってきてもメルの情熱的なキスは留まることは無い。むしろ攻勢は増しており、仰け反ったマオを抱き抱え、吸い付く様なキスを続けている。
「ん、んはぁ……っ? ちょ、んむ!? や、やぁ……せめ、せめて電気消し……んん!?」
「急げぇ! 電気を消せぇ!! 間に合わなくなるぞぉーー!!」
「おおぉぉぉーーーーー!!!」
マオから漏れ出た言葉に街灯の電気を消そうと躍起になる人々と、徐々に前屈みになりつつも二人の情事から目を離さない人々が集まっており、二人の周りは正に混迷極まりない状況である。
「あ、ん……え? さわ、触っちゃだめぇ……! あんっ! ん……っ」
メルはやがて唇を貪るだけでは飽き足らず、マオの身体をまさぐり始めた。二人の情事というよりはメルが一方的にマオをなぶる形だったが、観客達は「おぉー……!」と感嘆を息を吐きながらも全員が前屈みであった。メルとの隙間に垣間見えるマオの顔は上気しており、熱ぼったい吐息が漏れ出る度に観客は息を飲んだ。
やがてメルはちゅぽんと音を立てながらマオの唇から離れると、祐介に向かって「……な? 出ないだろ?」と言いながらふふーんと鼻息を鳴らした。しかし男衆は突如始められた美少女同士の絡み合いに違うものが出そうだったのは言うまでもない。
「いーや、今のは出そうだった。皆もそう思うよな?」
祐介の言葉に観客達もうんうんと頷きながらざわめいた。中には「溜まってたのかな、俺……ちょっと出ちゃった」と恐ろしい告白をする輩もいた程である。
「あん? こうしてメルちゃんの指に指輪が出てねーのに出そうも糞もあるかよぉ! おい、マオもいい加減に自分で立てよ!」
メルの腕の中でくたっと倒れ込みそうになっていたマオはガバッと起き上がると慌てて喋りだした。
「……あの! 僕、全っ然感じてませんから!! メルさんも勘違いしないでください!! ほんっとに湿ってすらないんですからね!! もうカピカピですよ、カピカピ!!!」
真っ赤な顔のまま荒い息のマオを観客は生暖かい目で見守る。
「あ……えっと、あ、あまりこっちを見ないでくださいぃ……」
マオは皆のその視線から隠れる様に精一杯腕で顔を隠して俯いた。羞恥に染まる頬の色が見える度にまた観客が沸き上がる。
「……なぁ、俺達、賭けには負けたけど……良いもん見れたなぁ」
一連の流れを経て観客達には一種の連帯感が芽生えたのだろうか、皆が満足そうに話し始めた。
「ま、出した金以上の価値はあったよな!」
「そーそー、金以外にも出そうになったけどよ! こんないいもんが見れるならたまにはメルの口車に乗ってみるもんだよなぁ!」
「マオちゃんの恥ずかしそうなあの顔……声……仕草……やべ、また出そう……っ!」
「こんな所で出すんじゃねーよ! だはははは……っ!」
「おいおい、たまにはマオちゃんだけじゃなくてメルでも出してやれよ!」
「おい! あーあ、メルの名前なんて出すから俺のが萎んじまった。あのな、いくらなんでもメルなんかで出せるわけねーだろ!」
「ちげぇねぇ! ぎゃははははは──」
「おっらぁぁぁーーーーーっっっ!!」
「オッゴオロロロロロロ……ッ!!」
和気藹々とした歓談を破るかのようにメルの拳が斎藤の腹部に突き刺さり、斎藤は堪らず嘔吐した!
「おう、ちゃんとメルちゃんでも出るじゃねーか、結構結構。さぁ、次にメルちゃんで出してぇ奴はどいつだぁーーーーっっ!! かかってらっしゃい!!」
「ごっほ、ヴぉえっこ、いやこれちがうや──」
「あどっこいしょぉーーーっっ!!」
「オゴゴゴゴッウベェぇぇ……っ!!」
抗議の声を上げようとした斎藤はまたしてもメルの無情な一撃で膝をついた。
「やべぇ! メルが本気だぞ、逃げろ、逃げろぉーーーーっ!!」
「ちっ、馬鹿共が! とっとと失せろ!」
わらわらと蜘蛛の子を散らすように走り去る客達の背中にメルは悪態をついた。その頓珍漢な一連の流れにレイゼは呆れた顔である。
「……お前らはいつもこんなことをしてるのか?」
「そんな訳ないじゃーん、こんなドタバタする事なんて滅多にないってぇ」
「いや、メルは結構な頻度で店長と斎藤さんをぶん殴ってるだろ!」
「メルちゃんを貶すのが悪いんだろーが! さっきだって出るだの出ないだのごちゃごちゃ言いやがってぇ! 祐介、言っとくけどお前もだからな!!」
「いやいや、だからそれは男の生理現象の事であってだな……」
「──あのぉ、もう夜中ですし、とりあえず帰りませんか?」
ヒートアップ寸前のメルを宥めながらマオは提案した。既に時刻は日を跨ぎそうであり、客達もとうに走り去っていたのでこの場にいるのは四人だけである。なのでマオの提案はごく自然に受け入れられた。
「……なら祐介は家で説教の続きだ! レイゼちゃんとの結魂記念説教にしてやる! よし、帰るぞ!!」
「嫌だよ! なんで記念に説教されなくちゃならんのだ!」
「はいはい、皆さんもう帰りましょ。明日も早いんですから」
三人がゾロゾロと帰路を辿ろうとした瞬間、レイゼが「待て!」と声を掛けた。
「レイゼちゃん、どったの?」
「……今、メルがとても良いことを言ったな。皆はそれが何か分かるか?」
三人は顔を見合わせて「説教だな」「説教ですか?」「家に帰るってとこだろ?」と聞き返す。
「はい全員不正解! だけどメルの言う通り、今日は結魂記念日だな! おい、祐介……これは正解して欲しかったぞ……」
レイゼが頬を膨らませて睨むので祐介はペコペコと平謝りである。
「折角の結魂記念日なんだ。メル、こんな時間だけど良い店はあるか? 出来れば安くて死ぬ程飲める店がいいな!」
その言葉を聞いた瞬間にメルはパァーッと顔を輝かせて「任せといてぇっ!」と自身の胸を勢いよく叩いた。
「ぐしし……この近くに安くて死ぬ程飲める『呑んべんだらり』っちゅー良い店があるんですよぉー! その店の閉店時間はなんと朝の9時! 死ぬ程飲んでパチンコを打ちに行けるメルちゃん達には正に理想郷! よし、行こ! いま行こ! さぁ行こーっ! 今日も飲むぞぉーーっ!! おぉーーーっ!」
「流石に朝の9時まで飲む気はないが……レイゼが言うならそこで少し飲むか」
メルはぴょんぴょんと跳んではしゃいで皆の腕を掴もうとするが、レイゼはそれを避けてごそごそと自身の鞄をまさぐる。そしてバッと手に持ち掲げたのは……1万円の束……凡そ10万円であった。マネークリップに挟まれたその束をふりふりとメルに見せびらかすと、メルはまるで猫の様に手を出そうとしては避けられる。
「……ここに私の十万円がある、メルが私の言う事を聞いてくれるなら……これを全部酒代として使っていいぞ?」
「はい聞くぅ! はいはーい! メルちゃんは言う事を聞きまーす! ぐしし……今日は死ぬ程飲めるぞぉーーーっ!!」
するとレイゼはポンッと十万円をマネークリップごとメルに投げた。メルは突然に降ってわいた酒代に大興奮である。
「よし、じゃあもう分かるよな? 全部使いきるまで帰って来るなよ? さぁ走って行け!」
「ぐし、ぐししし……おっしゃー、おらぁマオも行くぞーっ!!」
「え? なんです? あ、ちょ……あぁーーーー……っ!」
メルはガバッとマオを肩に担ぐと、十万円を握り締めて走り去ってしまった。後に残された祐介は慌てて「おい! せめて店の場所を教えていけよ!」と追い掛けようとしたが、その手をレイゼがぎゅっと掴んで止める。
「……おい、祐介はこっちだぞ?」
「で、でもメルに店の場所を聞かないと俺も何処に行けばいいのか分からないんだけど……」
レイゼは祐介の頬をきゅっと摘まんで「……にぶちん」と不満気である。
「……とにかく、祐介はこっち」
レイゼは祐介の手を握ったまま、メルの走り去っていった方とは逆に歩き出した。それはいつもの帰り道、最早見慣れた我が家に続く帰り道である。
「明日からは好きにしてもいいけど、今夜は駄目!」
「……それはどうして?」
その言葉で前を歩くレイゼが止まって振り返る。手は繋いだまま、ぽすんと祐介の胸に身を寄せた。そのまま見上げるレイゼの顔は仄かに赤く見えた。
「……もー、私達は今日結魂したんだぞ? それならどんなに遅くとも今夜は……初夜だろ? もー、それも全部私に言わせる気かー? もぉー……っ!」
「なる……ほど……」
なるほど、確かに言われてみれば初夜である。そうか、今夜は初夜だったのか。祐介の脳裏に漠然と初夜という言葉が駆け回る。初夜、初夜とは……つまり。
尚もぽかぽかと胸を叩いてくるレイゼを祐介は「……俺が悪かった」と軽く抱き留める。そして今度は先程とは逆に祐介がレイゼの手を引いて歩いていく。
薄暗い道を淡く照らす街灯から街灯へ、二人で一つの寄り添った影がゆっくりと帰路を辿る。今夜は特別な夜なのだ、祐介は逸る気持ちを抑えて腕に寄り掛かる温もりを感じながら必死に冷静を保っていた。
(……マジで初夜なのか? だけどメルとマオの時は何も無かった……強いて言えばどっちの初夜もメルが寝ゲロを吐いてたぐらいだが……今夜はメルも居ない。つまりは──)
──そう、初夜だ、初夜だぞ、初夜である!
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