第4話 依頼
「一利さんが二十歳で、ちょうど彼のお父様――私の伯父に当たる人から家業の建築業を継いだ頃のことです。彼は従妹である私を嫁にしたい――と、申し出てくれました。反対もありましたが、時代がまだ緩やかでしたし、結局二人はそれから三年後に結婚をしたの。社会は色々と騒がしい時代でしたけど、私たちには明るい未来しか見えていませんでした。その結婚から二年後の暮れのこと、彼は懇意にしている人物から一つの仕事を依頼されました。それは、仕事的には極簡単なもので、小さな物を壊す――というようなね。本当ならば社員がやるところだったのでしょうけど、正月早々寛いでいる社員に働いて貰うのは申し訳ないと言って、自分一人で出掛けたんです。一月三日のことでした。何でも先方には〈その日でないとダメな理由〉があったんだそうですが、それに付いては聞かされたことはありませんし、出掛けていった後のことは私自身の目で見たことではありません」
璃津は頷いた。
「壊す物は、小さな祠だったそうです。祠は石造りで、木屋根だけは定期的に改修しているのか、それほど傷んではいなかったそうです。壊すに当たり、その前で簡単に手を合わせ、御神酒を掛けてから丁寧に石を割り始めたそうです。全額前金だったそうですが、依頼された方は立ち会われず、彼一人で、二時間ほどで祠はすっかり壊され、車の荷台に積み上げられ、さあ帰ろうかという段になって、気づくと一人のお年寄りが現れ、彼に言ったそうです。〈大変な事をしたものだ。ハチガミサマを起こしてしまったね。これでお前さんはお怒りを買うだろう。この年から数えて八年ごとに、お前さんは凶事に襲われる。それはどうしようとも避けられず、八つの呪いが終わるまで続くんだよ〉と言い残し、消えたのだとか。主人は気も強く、現代的な考え方の持ち主でしたので、呪いだとかは信じておりませんでした。帰ってから話してくれたときも、笑っていたほどです。祠を壊したのだから、土地の古老がよく思わないのは当たり前だろうな――と」
――ハチガミサマ…?なんだろう?初めて聞く名前だけど…。
考える璃津に、章子の話は続いた。
「当時、私達にはなかなか子供ができませんでしたが、祠のことがあったその年、結婚から三年過ぎて初めての子供を身ごもりました。生まれる前もあとも毎日が本当に楽しくて、それはもう夢のような――あ、ごめんなさいね、こういうのは余計だったわ」
溜息をつく章子に、璃津は微笑んだ。
「感じられたことなども含めて私には大事な情報なんです。お気になさらず、続けてください」
章子も微笑み、頷いて続けた。
「本当に楽しい日々でした。でも、長くは続かなかったのよ。その子は、八歳になる直前に病気で亡くなったの。まだこんなに小さかったのに」
子供を抱きしめる仕草をして見せた。
「私も勿論、主人の落胆は、それはもう酷いものでしたよ。当たり前ですけどね。主人はどうだったか分かりませんけど、私の頭の中に祠の件が浮かんだのは、あの子が亡くなって数日後のことでした。この不幸は、もしかしたら――。まさか――。そんなふうにね。でも、そんなこと確かめる方法もありません。主人もそうしたことは口にしませんでした。それでも人は生きていきます。やがて二年、三年と時が過ぎて、悲しみはなにも褪せないけれど、傷を少し離れて見つめる程度には癒えていたと思います。主人はと言えば、きっと意識的にだとは思うのですが、仕事に邁進しました。それはもう寝る間も惜しんで。そのせいで会社はどんどん大きくなっていきましたよ。時代も良かったのですけどね。お陰で、今では日本有数――などと称えてくださる方もおられますけど、根っこは――そう、スタートは悲しいことからなの。会社の成長過程で、今のようになる前に、主人はとても酷い経験をしてきたんです。あの子の死から数えて、本当に八年ごとに。それは久三さんがとても懐いていた親戚の死であったり、念願だった大きな社屋の火災であったり様々で」
章子は短く溜息を零した。
「不思議なことに、その度に会社は大きくなっていきました。その頃になって初めて久三さんの口から呪いの話が出ました。あれは本当だったんだろうか――って。でも、諦めていた頃に授かった讓治は――いま社長をしているあの子は、元気に育ちましたし、二人とも心のどこかでは〈偶然だ〉って思いたかったんですよ。そんな人生でしたけど、八つの呪いと言っていた、その八つ目に当たる年が今年でした。偶然と思いながらも、二人とも内心で恐れていたのは事実です。そして、結局あの人は――」
言葉が途切れ、しばらく沈黙が流れた。
「人は結局死にます。呪いだろうが天寿だろうが、死にます。彼は八十九まで生きました。短命に終わられる人も普通に多い中、俺はまだ恵まれた方なのかも知れない――と、死の前日も話しておりました。でも、本当にそうかは分かりません。八つの呪いすべてが終わるまで、苦しみの為に生かされていたのかも――」
璃津を見た。その目は決然とした光を宿していた。
「でも、本当に悔しいのは、苦しみの、死の、その真の理由も知らないことです。人の命は玩具じゃありません。たとえば超絶な存在があったとしても、何故遊ばれねばならないのでしょうね?」
璃津はジッと老婆の目を見つめた。その時点ではすでに、確信はあった。
詰めていた息をフッと漏らし、璃津は微笑んだ。
「私をご指名になったのは、その理由を知る為だけですか?もしも犯人が分かったら、復讐したいとかは?」
章子はかぶりを振った。
「言ったでしょう?人は死ぬの。そこに何かの意思が介在したとして、やり返しても戻らないものは戻りません。でも、自然と言うよりは意思によるのなら、残された者は死の理由くらい知りたいわ」
黙って考えていた璃津は章子に言った。
「分かりました。その真の理由が、どんなものであったとしても、受け止める覚悟はおありのようですね。なら、お引き受けします」
璃津の言葉に、章子は頭を下げた。
「お礼の方は――」
言いかけた章子を璃津は手で制した。
「滞在中の食事と交通費だけ頂きます。あとは不要です」
章子は驚いた顔を見せた。
「でもそれでは…」
「いいんです。これは、自分の為という意味もあるので」
「え?」
微笑む璃津の目に、揺らぐ何かを章子は見た気がした。ゆらりと揺れる、炎に似ていた。
「ただし、一つだけ条件というか、お願いがあります」
「どんなことかしら?何でも仰って」
「この家における行動の制限は無しでお願いします。ご家族の行ける場所には私も自由に行けるよう配慮願います」
「まったく問題ありませんよ。すぐにそのように指示しましょう。どうか――」
章子は背もたれから背を起こして頭を下げた。
「どうか、お願いいたします」
璃津は立ち上がり、頭を下げた。
「任せてください」
OROCHI 狭霧 @i_am_nobody
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