弾正大弼(4)
伴善男は自分の出世を願うあまり、とある
その祠というのは洛外にある竹林の中にぽつんと佇む祠であり、
善男は宇迦之御魂神がどんな神であるかもわかっていなかったが、このような場所にあるのを見つけたもの、きっと導きがあったからだろうと解釈し、その祠に祈りを捧げるようになった。
毎日のように足繁く祠に通った善男の願いは、朝廷内での出世であり、出世できるのであれば多少の犠牲も
いつものように善男が祠に祈りを捧げていたある日、祠の裏から女の声が聞こえてきた。その声の主は、自らを宇迦之御魂神の眷属であると名乗り、善男の願いを叶える代わりに、毎日供え物を捧げよと命じてきた。善男はその声に従い、毎日のように川で取れた魚や旬の果物などを祠に捧げるようになった。
そんな日々が続いていたある日、祠で自分と同じように祈りを捧げる女がいることに善男は気づいた。その女は、細面で切れ長の目をした美しい女だった。女は翌日も、その翌日も、善男が祠にやってくると姿を現した。自分の顔には自信の無かった善男であるが、女が優しく微笑みかけてきたことで、心が通じ合ったと善男は思った。その日、善男は女を自分の牛車に連れ込み、女を抱いた。
その日以来、善男と女は祠で会うたびにまぐあうようになっていた。女は善男のことを優しく抱きしめ、善男はその女の身体を貪った。
しかし、そんな女との密会も長くは続かなかった。足繁く祠へと出掛けていく善男のことを妻が怪しむようになったのだ。そして、善男は妻の従者に尾行され、祠で女と会っていることが露呈された。
妻は嫉妬深い女ではなかった。しかし、夫の不貞があまりに酷かったため、激怒した。どこぞの貴族の娘と逢引しているのであればまだしも、善男が牛車に連れ込んでいたのは一匹の狐だったのだ。それは身体の大きな狐だった。最初、従者からの報告を受けた時は、何かの間違いであろうと思っていた。しかし、妻は自分の目でそれを確認し、善男が牛車に一匹の狐を連れ込んだところをその目でしっかりと確認したのだ。
善男には美しい女に見えていたが、妻にはそれは獣の狐としか見えなかった。夫が狐に化かされている。そう悟った妻は、陰陽師に狐を祓うように依頼をしたのだった。
陰陽師が行ったお祓いのせいで善男に近づくことができなくなった狐は、善男にあることを頼んだ。それは自分の魂を別のものに乗り移らせるということだった。善男はこの提案を受け入れた。
「どのようにすればよいのだ」
「私の首を絞めて殺してくだされ」
「え……」
「さすれば、私はこの身を捨てて琵琶の精となれましょう」
「ほ、本当か?」
「嘘偽りはございませぬ。私は、あなた様にわざわざ殺されるのですから」
「わ、わかった」
善男は女とまぐあいながら首を絞め、そして女を殺した。そして、紀豊城から譲り受けた琵琶を持ってくると、その琵琶に女狐のあやかしを乗り移らせたのだった。
その夜から、善男の屋敷では夜中になると琵琶の音色が聞こえるという噂が流れるようになった。
しかし、善男の幸せな日々は長くは続かなかった。女狐のあやかしは徐々に善男の精神へと侵食してこようとしたのだ。これはいけないと気づいた善男は、徳の高い僧にこのことを相談し、自分の身を守ろうとした。それが女狐の怒りを買うこととなったのだ。
「すべては、貴殿の欲望のせいではないか」
篁は呆れた顔をして善男にいう。
さすがの業平もこれには善男を擁護することなく、扇子で膝のあたりを叩きながら苦笑いを浮かべていた。
「私がすべて悪いのは重々承知しております。どうか、お助けくだされ」
「助けよと言われてものう」
「篁様は、狐狸やあやかしの退治をされると聞き及んでお入ります」
「どこの誰がそのような話を言いふらしておるのだ」
怪訝な顔をして篁が言うと、善男はじっと業平のことを見た。
「わ、私ではありませんぞ、篁殿。ただ一度、篁殿があやかしを退治したところを見たことがあるというような話をしたことがあるような、無いような……」
しどろもどろになりながら業平がいう。
「わかった。もうよい。それで、その女狐のあやかしをどうすれば良いのだ」
「できれば、我が屋敷から出て行っていただきたいのです」
「本当にわがままよのう、善男」
業平がそう呟くように言うと、どこからか琵琶の鳴る音が聞こえてきた。
「おいおい、女狐が怒っているのではないか、善男」
「お、お助けください、篁様」
善男は床に頭を擦り付けるようにしながら篁に言うと、業平の背中に隠れるようにした。
篁と業平は顔を見合わせると立ち上がり、ゆっくりと腰に佩いている太刀を抜くのだった。
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