弾正大弼(3)

 その夜、篁と業平は伴善男の屋敷に泊まった。

 もちろん、ふたりは寝るわけではなく、例の琵琶が鳴るのをじっと待っていた。

 伴善男は一緒に起きているといったのだが、酒を飲んだ後、急に目をとろんとさせて眠りこけてしまっていた。


「まったく、当てにならぬ男よ」

「それにしても篁殿、琵琶を弾く女のあやかしとはどのようなものなのでしょうな」

「鼻の下がのびておりますぞ、業平殿」


 篁の言葉に、業平はにやりと笑みを浮かべると扇子で口元を隠す。

 本当に見境の無い男だ。女であれば、あやかしでも良いのか。篁は業平のことを半ばあきれて見ていた。


 しばらくの間、ふたりは無言のまま夜空に浮かぶ月を見たりしながら過ごした。

 そして、夜半よわになり、かすかながら琵琶の鳴る音が聞こえてきた。 

 その音を聞いた、篁と業平は顔を合わせて頷くと、音を立てぬように立ち上がった。

 ふたりとも腰には太刀を佩いている。

 伴善男は寝息を立てながら眠っていたため、そのまま放置して、ふたりは琵琶のある部屋へと足を進めた。

 どこか悲しげで、美しい音色だった。

 琵琶が置かれている部屋の前にふたりが立った時、御簾越しに人影があるのが見えた。


「篁殿、ここは私が」


 業平はそう言うと御簾を持ち上げて部屋の中に入っていく。

 篁は腰にある太刀の柄に手をかけた状態で、いつでも抜けるようにしながら業平に続いた。

 そこにいたのは、黒い影だった。影ではあるが、それが女性であるということはなぜかわかった。


貴女あなたは、どなたなのでしょうか」


 業平がその影に問いかける。

 かすかに何か声のようなものが聞こえたが、その声は聞き取れなかった。


「私は、在原業平と申します」


 優しい声。それは普段の業平からは聞いたことのないような、声色だった。おそらく、業平はこの声色で女性を口説いているのだろう。


「……ナリ……ヒラ」

「ええ。そうです。業平です」

「ナリヒラ……ナニヲシニキタ」

「貴女はなぜ毎夜、毎夜、姿を現されるのでしょうか。それを知りたく思い」

「ヨシオハ……ドウシタ」

「善男殿は、眠っておられます」

「ヨシオデナケレバ……ダメダ」

「この在原業平では駄目でしょうか」

「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ……ダメダァ!!!!!」


 女の絶叫。

 それと同時に、その影が大きく膨れ上がる。

 まずい。篁はそう思ったと同時に、業平に飛びつくようにして床を転がった。

 篁と業平は、転がった勢いで御簾を破り壊し、廊下に出る。

 御簾が外れたことで月明かりが部屋に差し込むと、その影は逃げるように消えていった。


「ご無事かな、業平殿」

「大丈夫です。ただ……」

「ただ?」

「せっかくの美女とのご対面が、男同士で抱き合う結果となってしまった」


 業平はそう言って笑ってみせる。

 もし、篁が業平に飛びついていなければ、きっと今頃、業平はあの影に喰われていただろう。あれは業平の言うような美女などではない。ただの化け物だ。


「善男殿は、まだ我らになにか隠していることがあるはずだ。それを聞き出しましょう」


 そう業平は言うと立ち上がり、善男が寝ている部屋へと戻ることにした。

 これだけの騒ぎがあったにもかかわらず、善男はいびきをかいて眠り込んでいた。


「善男殿、善男殿、起きなされ」


 眠っている善男のことを揺さぶるようにして、業平が善男を起こす。


「な、なにかあったのかな」


 寝ぼけ眼で体を起こした善男は自分のことを覗き込む業平と篁の顔を見て、不思議そうな表情を浮かべている。


「出ましたぞ」

「え……なんと、出たのか!」

「ええ。もう少しというところで取り逃がしてしまいましたが」


 悔しそうに業平がいう。


「と、取り逃がした……と。まさか、お二人はあのあやかしを捕まえるおつもりなのか」

「もちろん。捕まえるか、退治をしなければなりますまい」


 篁がそう答えると、善男は困ったような顔をしてみせた。

 その表情を見た業平が助け舟を出すかのように、口を開く。


「善男殿、なにか我々に伝え忘れていることはございませんか?」

「あ……いや……それは……」

「あれは、琵琶に憑いているわけではありませんね。あのあやかしをどこで拾ってきたのですか」


 篁がそう言うと、善男は観念したような顔をして床にひれ伏した。


「申し訳ありません。お二方を騙すつもりはなかったのです。どうか、この伴善男をお救いくだされ」


 突然のことに、篁と業平は顔を見合わせた。

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