弾正大弼(2)
伴善男の屋敷は、寝殿造の立派な屋敷だった。
まだ従五位上の善男がこれほどの屋敷に住むことができているということは、相当金を蓄えていたということだろう。その点に置いては、普段より質素倹約を心掛けている篁とは大違いであった。
「こちらが、その琵琶でございます。これが夜中になると、ひとりでに鳴り出すと家人たちが噂をしておりまして……」
そこに置かれていたのは、細かな装飾の施された琵琶であった。
「善男殿は、その音色は聞いておられないのか?」
「それが……一昨日の晩に」
その晩、善男はしたたか酔っていた。
友人である
これは余談ではあるが、紀夏井は篁の書の弟子でもあった。しかも、かなりの長身で、篁よりも背が高かったとされている。伴善男は小柄であったという話であるから、夏井と善男が並ぶとかなりの身長差があっただろう。
夏井のことを見送った後、善男は残った酒をひとりで飲み、そのまま床についた。
目が覚めたのは、喉の乾きを感じたためだった。
起き上がった善男は、水を飲むために御簾をくぐり、廊下へと出た。
その時、かすかな音を善男の耳はとらえていた。
琵琶の音色だ。
そのことに気づいた善男は、声を上げて家人を呼ぼうと思ったが、それよりも自分の目で誰が弾いているのかを確かめてやろうという思いになり、足音を忍ばせながら、音のする方へと近づいていった。
音はいつも琵琶が置いてある場所から聞こえてきていた。
風が吹き、ほのかに香のような匂いが善男の鼻に届く。
御簾越しに人影が見えた。
月明かりの差し込む部屋の中に、確かに女がいた。
「誰じゃ!」
善男は思い切って声を掛けた。善男はこういう時に肝の座る男だった。
琵琶を鳴らす音が止んだ。
風で御簾は揺れている。
「ヨシオサマ、オワスレニナラレタカ」
そう声が聞こえた。確かにその声は、女のものだった。
善男は御簾に手をかけて、一気に捲り上げた。
しかし、そこには誰もおらず、ただポツンと琵琶が置かれているだけだった。
「なんとも不思議な話があるものですね、篁殿」
業平はそう言いながら、目の前にある琵琶の飾りを見つめている。
「心当たりは無いのか、善男殿」
「ありませぬ。在五殿と違い、あまり女性とは縁が無く……」
「しかし、その声の主は、貴殿が伴善男であるということを知っていたのであろう」
「あやかしに名を覚えられるようなことをした覚えもございませぬ」
業平と善男が何やら話をしている間、篁は別のことを考えていた。
もし、善男の前に現れたのがあやかしであったとして、その目的は何だったのだろうか。善男の言い分では色恋沙汰などでは無さそうである。そうなると、恨みといった類のものだろうか。
「この琵琶は、どこで手に入れられたのですかな」
篁がそう質問をすると、善男は少し考えるような表情を浮かべてから口を開いた。
「
「豊城……確か、それは」
「夏井とは母親違いの弟にございます」
「なるほど」
篁は、弟子である夏井に不出来な弟がいることを思い出していた。粗暴な性格で、いつも夏井に叱られているという噂だった。
「豊城はどこで、その琵琶を手に入れたのだろうか」
「出所までは聞いておりませぬが、これは唐の有名な僧が使っていたものだと聞いております」
「して、善男殿は我々にどうしてほしいのだ」
篁はあえて我々という言い方をした。
「その琵琶のあやかしが何者なのか、それを私は知りたいのです」
「知ってどうするのだ」
「なぜ、私の名を呼ぶのか。そして、どうしてほしいのか……」
「わかった。引き受けよう」
そう言ったのは、篁ではなく業平の方だった。
なにを言っているのだ。篁はじっと業平の方を見たが業平はやる気満々といった表情を浮かべながら、篁のことを見つめ返すのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます