参議篁(9)

 轟音とともに、ものすごい風が吹き、身体は宙を舞っていた。一体なにが起きているのか、篁にはわからなかった。わかることは、真備が何かしらの陰陽の術を使ったということだけだ。

 身体が地面に叩きつけられ、全身の骨が軋むほどの痛みが身体を駆け抜ける。

 世界は真っ白だった。眩い光を浴びたせいで、目が眩んでいた。


「――かむら、篁よ。聞こえておるか」


 どこからか女の声が聞こえてきた。その声は真備の声に違いなかった。


「我の自我があるうちに話しておく。篁よ、我を斬れ。ためらってはならんぞ、情などは持たずに斬れ――――」


 その声に篁が応えようとしたところで、篁の視力が戻ってきた。

 篁は地に伏せていた。どうやら、気を失っていたようだ。

 先ほどの真備の言葉は、夢だったのだろうか。そんなことを思いながら、篁は立ち上がろうとした。

 何かが焦げたような臭いが、漂っている。周囲を見回すと、村の建物の大半が破壊されており、煙が上がっていた。

 そして、少し離れたところに、在原兄弟が倒れているのがわかった。

 花と真備はどうした。篁は、ふたりの姿を探す。

 見つけた。ふたりは、睨み合うようにして立っていた。


『篁よ、我を斬れ――』


 先ほどの真備の声が蘇ってくる。

 篁は頭を振り、意識をはっきりとさせると腰に佩いた鬼切羅城を抜き、真備へと近づいていった。

 花は剣を真備の鼻先に突きつけるようにして、真備と睨み合っている。


「どうやら、お前が一番厄介な存在のようだな、花」

「黙れ。真備をどうした」


 強い口調で花が真備に言う。


「あれは愚かな者よ。欲望を抱いたせいで、我に身を捧げたのだ。転生しても欲深さは変わらぬ」

「お前は九尾ではないな。何者なのだ」

「それほどに、我の名を知りたいか」


 そういうと真備はにやりと笑ってみせる。その顔は、もはや篁の知る真備とは別人のものだった。


「では教えてやろう。我の名は、禍津マガツ。邪を司る者なり」


 聞いたことのない名だった。ただ、この禍津と名乗る者が真備の身体を乗っ取り、邪の者としてしまったということだけは確かなようである。


「禍津だと……」


 花は禍津の名を知っているようで、驚いた顔をしていた。


「我の名を聞かぬ方が良かったのではないか、花よ」

「真備の魂はどうなったのだ」

「さあな。それは我にもわからん」


 そんな会話を花と真備がしていると、風を切るような音が聞こえた。

 真備はまるで寄ってきた蝿でも払うかのように手を振り、飛んできた矢を弾き落とした。

 矢を射ったのは、行平だった。

 まさか矢を払い落とすと思っていなかった行平は驚いた顔で真備を見ていたが、すぐに次の矢を番える動きに入った。

 再び矢が射られたが、真備は同じように矢を払い落とす。


「無駄じゃ、行平」


 つまらなそうに真備は言うと人差し指を突き出して、行平の方へと向ける。

 その様子を見ていた篁は、やはりこの者は真備ではないのだと確信した。真備は業平のことは知っていたが、行平とは面識は無いのだ。それにもかかわらず、矢を射たのが行平であるとわかっていた。本当に真備の身体は乗っ取られてしまったということなのだろう。

 先ほど、花との会話の中で真備は禍津と名乗っていた。禍津が何者なのかはわからないが、篁がやらなければならないことは一つだけだった。

 真備を斬る。真備を救うには、それしかなかった。


「北斗星君、南斗星君――――」


 禍津は指で印を組むと何かを唱えはじめようとした。

 しかし、それを花が許さず、剣を振って禍津の組んだ印を解かせる。


「おのれ、花め。やはり、お前が邪魔じゃな」


 禍津はそう言うと花に向かって大きく口を開けた。それは、まるで叫び声をあげるかのように見えたが違っていた。禍津の大きく開けられた口からは、大量のむしが飛び出してきて、花へと襲いかかった。


「花殿っ!」


 業平が声を上げ、花の腰のあたりに抱きつくようにして一緒に倒れ込む。

 蟲の大群は倒れた花と業平の頭上を飛び去っていく。

 間一髪といったところだった。


「邪魔ばかりしおって。ならば、全員葬り去ってやろう」


 禍津はそう言うと、再び指で印を組もうとする。

 しかし、それをさせまいと、篁は鬼切羅城の太刀で禍津を斬りつけようとする。

 それに気づいた禍津は慌てて後方に飛び退く。


「おのれ、篁。我を斬りつけるということが、どういうことかわかっておらぬのか。我を斬れば、真備を斬るということになるのだぞ」


 禍津はそう言うと、突然、顔つきを変えて真備の顔に戻る。


「篁、我を助けてくれ」


 顔も声色もすべてが真備であった。


「篁、我を抱きしめてくれ」


 真備はそう言うと両手を広げて、篁を迎え入れるような体勢を取った。

 篁の脳裏には、数々の真備との記憶が蘇ってきた。

 まるで熱に浮かされたかのようなふらつく足取りで、篁は真備へと歩み寄っていく。


「さあ、篁。我をしっかりと抱きしめるのじゃ」


 あと一歩。その一歩を踏み出せば真備に手が届く。

 真備よ……。

 篁は真備の胸へと飛び込むように、最後の一歩を踏み出した。


 鬼切羅城の刃が蒼く輝いた。

 深々と真備の胸に吸い込まれていったその刃は、真備の心の臓を貫いていた。

 口からどす黒い血の塊のようなものを吐き出した真備は、信じられないといった顔をして篁を見つめる。


「お、おのれ……たかむら……なぜじゃ……」

「真備は、私にそのような戯言たわごとなど言わぬわ」


 ただひと言、篁は吐き捨てるように言うと、鬼切羅城を真備の身体から抜き、崩れ落ちていく真備の身体を片手で抱きしめるように支えた。

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