参議篁(8)

 翌日、篁一行は千株の屋敷を馬で出発した。

 千株は何名か護衛を付けると申し出てくれたが、篁はそれを断り、案内役を一名お願いしただけで、あとは何も望まなかった。

 案内役によれば、真備村というのは小さな農村であり、武装蜂起など考えられないということだった。

 その言葉を裏付けるかのように、のどかな田園地帯が続いている。


「その真備村というのは、何名くらいが暮らしているのだ」

「村民は四〇名にも満たない人数です。ただ、真備と名乗る女がやってきてからは、その真備のもとを訪ねてくる人間が増えているようです」

「そうか……」


 もし、真備が武装して抵抗するということになった場合、こちらは四名しかいないという不安はあった。武芸に秀でた在原兄弟と冥府の花。面子めんつとしては、十分な戦力ではあるが数が多すぎるとどうなるかはわからなかった。


「この先が、真備村です」


 案内役が指をさした先に見えたのは、山の麓に小さな家がいくつか並ぶ場所だった。

 家の周りには田畑が広がっており、遠目から見る限り、武装した人間がいるようには見えなかった。


「案内、助かった。千株にもよろしく伝えてくれ」


 篁はそう言うと、案内役を千株の屋敷に帰らせた。

 ここからは、四人だけで行く。それは最初から決めていたことだった。

 篁たちが村に近づいていくと、田んぼにいた農夫が何か珍しいものでも来たかのようにこちらをじっと見つめていた。

 馬を降りた篁は手綱を引きながら、土を固めた道を歩いた。馬を降りたのには理由があった。もし、武装した人間がいるようであれば、すぐに臨戦態勢に入れるようにするためだ。篁はあまり馬上での戦いは得意ではなかった。そんな篁に比べ、在原兄弟などは馬上で弓を引くのは得意らしく、騎乗したままだった。


「篁ではないか」


 声が聞こえた。そう思った瞬間、黒い影が篁に飛びかかってきた。

 あまりにも急なことに、篁は身構えることも出来なかった。

 その黒い影をなんとか受け止めた篁は、黒い影の正体を見て驚いた。

 真備だった。

 真備は赤い着物を身につけ、髪を垂らした状態だった。


「久しいな、篁」


 まるで少し会わなかった友人に話しかけるかのように真備はいうと、抱きついていた篁の身体から離れた。

 香を炊いていたのか、良い匂いが真備の身体から漂っている。

 以前までの真備は香などを焚くことはなかった。しばらく会わないうちに変わったということだろうか。


「このようなところまで、どうしたのだ。まさか、に会いに来たのか」


 弾んだ声で真備はそう言うと、まるで子どものように顔をくしゃくしゃにして喜んだ。

 拍子抜けだった。

 武装蜂起と聞いていたはずなのに、飛び出してきたのは相変わらずの真備だったのだ。

 一体これはどういうことなのだろうか。

 篁は困惑していた。


「お前の弟である千株はよく出来た人物じゃな、篁。我のことを大事に思ってくれ、かつて我の生家のあった真備村に住む場所を与えてくれた。さすがは、篁の弟よ」


 真備は自分の家が村の奥にあるから来いと、篁の手を引こうとする。

 その姿は、まるで客人相手にはしゃぐ子どものようであった。


「真備殿……お久しぶりにございます」


 馬から降りた業平は地面に立膝をつくように座って見せると、真備に頭を下げる。


「お、業平。お前も来たのか」


 真備は業平の方へと近づこうとした。

 次の瞬間、鍔鳴りの音が聞こえ、真備は後方へ飛び退いていた。


「なにをするのじゃ」


 そこには太刀を抜き放った花がおり、睨みつけるような目で真備を見ていた。


「花殿……」


 あまりにも突然の出来事に、業平も唖然とした様子だった。


「騙されるな、業平殿。この者は、貴方たちの知る真備ではありません」

「なんと」


 業平は素早く立ち上がると、太刀の柄に手をかけた。

 その様子を馬上で見ていた行平も弓を構えると、矢の狙いを定める。


「馬鹿なことを申すな、花。我は吉備真備じゃぞ。お前もよく知っているであろう」

「そ、そうですぞ、花殿。どこからどうみても、真備殿じゃありませんか」


 真備の言葉に業平も同調する。


「外見は確かに吉備真備に間違いは無いでしょう。しかし、魂は別の者と入れ替わっております。おそらく、真備の記憶も取り込んでいるはずです」


 花がそう言うと、真備は突然笑い声を上げた。


「さすがは閻魔の眷属じゃ。愚かな男どものようには騙されぬか」


 真備は大きな口を開けて笑ってみせる。その口は大きく避け、歯は獣の牙のように尖っていた。


「邪の者に取り込まれたか、真備」

「馬鹿なことをいうな。我が取り込まれるわけがなかろう。逆に我が取り込んでやったのよ」


 再び真備が笑うと口の端から蒼い炎が漏れ出た。

 もはや真備は人ではなくなっていた。以前、真備の身体を支配していたのは、鍾鬼と呼ばれる唐の鬼だった。鍾鬼は、人の欲望を喰らい、その力を増幅させていった。しかし、その鍾鬼は篁がスサノオノミコトの力を借りて討ち滅ぼしたはずだった。


「今度は何を取り込んだというのだ、真備」

「愚かな狐よ。我を嵌めようと企んでいたようだが、逆に取り込んでやったわ」


 真備が取り込んだのは、九尾狐であった。あれほど篁に警告をしてきたというのに、自らが真備に取り込まれてしまったというのだ。しかし、九尾狐は瑞獣のはずである。邪の者ではないはずだ。もし、九尾を取り込んだとしても、このような邪の者となってしまうだろうか。

 篁は疑問を抱きつつも、腰に佩いた鬼切羅城へと手を伸ばした。


「篁よ、我に従えば、お前を宰相さいしょうにしてやってもよいぞ」

「馬鹿なことを言うな、真備。目を覚ませ。お前は九尾を取り込んだつもりかもしれないが、邪の者に取り込まれているぞ」

「愚かなり、愚かなり、篁」


 真備はそう呟くようにいうと、指を動かして印を組みはじめた。


「篁様っ!」


 花が叫んだ時、真備の頭上には黒い雲が集まってきていた。


「九天応元雷声普化天尊」


 そう真備が呟くと同時に雷鳴が轟き、辺りが閃光に包まれた。

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