参議篁(7)

 備中の国府こくふは、賀陽かや郡に存在していた。

 この地域は、かつて賀陽かやの小玉女おたまめと呼ばれる吉備津神社を祭る氏族の女官が治めていた地域であり、備中国の中心としてとても栄えていた。賀陽小玉女は、藤原仲麻呂の乱の際に活躍し、従五位下・勲六等を朝廷より授かった人物でもあった。


 藤原仲麻呂といえば、吉備真備にとって政敵だった人物であり、仲麻呂の失脚後に真備は出世街道を一気に登り右大臣となっており、仲麻呂の乱で活躍した賀陽小玉女を真備が重宝していた可能性も否めなくはなかった。

 様々な要因が重なり合い、この備中という国は吉備真備と深いつながりがあり、真備が朝廷転覆を企むにはちょうど良い場所でもあった。


「兄上、遠路はるばる来ていただき、ありがとうございます」


 篁たちを出迎えた千株は、家人たちに酒宴の席を用意させた。

 酒宴には備中の名産品が並んでおり、その中でも特に鮎の塩焼きと桃を干したものは絶品だった。


「この地で一体なにが起きているというのだ、千株」

「それが……私にもよくわからないのです、兄上。わかっていることは、ふみにも書いたように、吉備真備の生まれ変わりだと名乗る女が現れて、その者を担ぐ連中が出てきたということです」

「吉備真備を担ぐ者たちは、何者だ」

「ここから少し離れたところに真備村という村があります。その村は、吉備真備が生まれ育った村だとされているのですが、その村の連中が女を真備の生まれ変わりだといって担いでいるようです」

「蜂起を企んでいるという話は本当なのか」

「それは……。こちらの間者によれば、まだ計画段階のようではありますが……」


 どこか歯切れの悪い受け答えを千株はする。

 何か引っかかるな。篁はそう思いながら、話を続けた。


「蜂起は起きると思うか」

「いや、それはどうでしょうか。私にはわかりませぬ」

「そうか。では明日にでも、その真備村とやらへ行ってみよう」

「え、兄上が行かれるのですか」


 千株は驚いた顔をしてみせる。

 それほどに驚くことだろうか。そもそも篁は、真備を止めるためにわざわざ備中国までやってきたのだ。なぜ、ここまで千株が驚くのか。篁はそう思ったが、数年ぶりにあった兄がどんな人間であるか忘れているのかも知れない。篁はそう考えて、話を流した。


「特に備中の者に手助けを頼もうとは思っておらぬ。我ら、四人で向かうから安心せよ」

「はあ……」


 気の乗らない返事をする千株のことを訝しげに思いながら、篁は酒の入った盃を傾けた。

 その日は、千株の屋敷で世話になり、翌朝に篁たちは出発することにした。

 篁の目が覚めたのは、まだ日の登らぬ時間のことだった。

 千株の屋敷の中庭に出ると、篁は月を見上げた。月は半月であった。


「真備よ、お前は何を考えておるのだ……」


 独り言を篁は呟くと、少し庭を歩いた。備中守の屋敷というだけあって、庭はかなりの広さがあり、桃の木などが多く植えられていた。


「篁様」


 不意に闇の中から声をかけられ、篁は足を止めた。

 闇の中に目を凝らすと、そこに花が立っていた。冥府の人間に眠るという概念は無いのか、庭をずっと見て周っていたようだ。


「どうかしたのか、花」

「真備の件ですが、不可解なことが多すぎます」

「確かにそうだな」

「一体、真備は何を考えているのでしょうか」

「それは私にもわからん」


 苦笑いをしながら篁は、花にいった。

 本当にわからなかった。真備は何をしようとしているのだろうか。本当にこの地で挙兵して朝廷を転覆させようというのだろうか。篁には、真備の目的は、なにかもっと別のものがあるような気がしてならなかった。


「冥府は真備をどうしたいのだ」

「……これは、わたし個人の考えですが、真備は封印すべきだと思っています。真備は現世で死ねば転生を繰り返すだけですから」

「封印か……。そのようなことができるのか?」

「真備に匹敵するほどの術師であれば、できるかと思います」

「ふむ……」


 篁は唸るような声を出して黙り込んだ。

 現世で真備に匹敵するような術師など聞いたことがなかった。空海がまだ存命であれば、空海の名を出したかもしれないが、すでに空海は鬼籍に入っている。陰陽師たちは優秀であることは確かだが、彼らが陰陽寮で学んでいるのは、かつて真備が唐から持ち帰った書物などであり、それでは真備を超えることは不可能であった。

 では、どうすれば良いのか。

 武芸に優れた者は何名かいる。在原兄弟もその何名かの中に入るだろう。しかし、武芸で真備のことを封印することはできるのかは、わからないことだった。

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