参議篁(6)

 あの日以来、篁は真備の行方を追っていたが、まったく足取りを掴めないでいた。それは篁だけでなく、平安京たいらのみやこ周辺の捜索を行っていた在原兄弟も同じであり、冥府からやってきた花でさえも真備の行方を見つけられずにいた。真備はどこへ消えてしまったのだろうか。単純に真備が姿を消してしまったということだけであれば、なにの問題もなかった。真備も大人であるし、かつては右大臣を務めた人物でもある。


 しかし、話はそう単純なものではなかった。真備は何者かに身体を乗っ取られていた。陰陽師である滋岳しげおかの雄貞おさだによれば、それは邪の者であるとのことだった。かつて九尾の狐は、篁に真備がいずれ朝廷の転覆を企むこととなるという警告をしていた。考えすぎかもしれないが、いま真備の身体を乗っ取った邪の者が朝廷の転覆を企む者であれば、いち早く真備を探し出す必要があった。


「篁様、千株ちかぶ殿よりふみが届いておりますよ」


 ある日、篁の妻がそう言って一通の文を持ってきた。

 文の送り主は、篁の実弟である小野おのの千株ちかぶであった。千株は現在、備中びっちゅうのかみに就いており、平安京みやこを離れていた。


「千株が文を寄越すなど、珍しいな」


 篁はそう呟きながら、千株からの文を読み始める。

 最初は笑顔で文を読んでいた篁であったが、次第にその表情は曇りはじめた。


「どうかなさいましたか」


 眉間に皺を寄せながら文を読む篁のことを見た妻の藤が尋ねてくる。

 しかし、篁にはその言葉が聞こえなかったのか、文をじっと見つめたまま返事をしなかった。

 そして文を読み終えた篁は立ち上がると藤に声をかけた。


「出掛ける」

「どちらへ」

「備中だ」

「また、急に……。千株殿に何かあったのですか」

「いや、まだない。まだ……」


 篁の言葉を聞いて藤は何かを察したのか、家人たちに声をかけて篁の出かける支度を手伝わせた。

 旅支度を整えた篁が屋敷を出ると、すぐに花が合流してきた。花は男装しており、馬にまたがっている。そして、花に遅れるようにして在原兄弟も馬に乗ってやって来た。在原兄弟には篁が使いを出して備中へ向かう旨を伝えたのだ。


「篁殿、我々も共に向かいますぞ」

「すまない」


 篁は在原兄弟に頭を下げた。


「なにをおっしゃいますか。これは真備殿のため。私は真備殿のためであれば火の中、水の中、どこへでも行きますぞ」


 業平はそう言って笑ってみせたが、篁の隣りにいる花に気づいて、ちらりと花の方を見た。


「篁殿、こちらの御方は?」

「花にございます。お見知りおきを」

「あ、在原業平にございます」


 男装している花に戸惑いながら、業平は頭を下げた。


「篁殿、こちらの御方とはどのようなご関係ですか」


 業平は篁に馬を寄せてくると、小声で聞いてきた。

 その様子を見た兄の行平は、また弟の悪いところが出たと苦笑いを浮かべる。


「花は私の従者のような存在だ。腕はかなりのものだ」


 篁はそう業平に伝えた。


「なるほど、従者ですか。そうですか」


 業平はひとりで頷くと花に近づいて行き、改めて挨拶をしていた。

 篁の弟である千株からの文には、千株の治める備中国で吉備党と名乗る連中が蜂起ほうきを企んでいるという事が書かれていた。吉備党は吉備真備の生まれ変わりとされる女をかしらとして、吉備地方で暴れはじめた集団とのことだった。吉備真備の生まれ変わりとされている女。まさしく、それは篁の知る真備のことだろう。


 篁が調べたところによると、元々吉備地方は吉備氏の領地であった。吉備氏の中で最も出世したのが、右大臣となった真備である。ただ、真備は元から吉備氏であったというわけではない。元の名は、下道しもつみちの真備であり、途中で吉備姓に改姓していた。真備がなぜ改姓をしたのかという、詳しい資料は残されてはいないが、父は下道圀勝くにかつという人物であり、下道氏は備中国下道郡の辺りを治めていた豪族であったとされている。

 記録には、真備がどのようにして朝廷に仕えるようになり、留学生るがくせいとして遣唐使に選ばれたのかなどといった記録はどこにも残されてはおらず、過去の真備については謎な部分が多かった。


 そんな真備が邪の者に身体を乗っ取られ、故郷で朝廷転覆の反乱を起こそうとしているというのだ。九尾は真備が玉藻という人物に転生後に朝廷転覆を企むと告げていたはずであり、その点ではずれが生じているようにも思えた。


「真備よ、お前は何を考えているんだ」


 篁は馬上で揺られながら、そう独り言をつぶやいた。

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