参議篁(5)

 六道辻にある寺の境内には、古井戸が存在していた。

 すでに使われていないようで、井桁には苔が生えており、井戸の周りにはつる植物の類が絡みついている。


 この井戸が冥府と繋がっている。そのことを篁に教えたのは、であった。花は篁がまだ弾正台の下級役人であった頃に出会った女性だった。ある時は庶民のような格好をしており、ある時は着物を着崩し妖艶な姿だったり、ある時は水干を着て男装であったりと、会うたびに様々な姿を見せていた。その花の正体は冥府の人間であり、閻魔大王の眷属であった。

 はじめて会った時に、羅生門に棲み着いた鬼を篁に退治させたのも花であり、それ以来、篁には冥府との繋がりが出来ていた。


 馬を降り、寺の境内へと足を踏み入れた篁は井戸の中を覗き込んだ。井戸の中は真っ暗で何も見えず、底もわからない。その井戸に篁は迷うことなく飛び込んだ。

 一瞬、身体が浮き上がるような感覚を覚える。しかし、すぐに足は地につき、次第に視界も開けていく。


 闇の中に浮かび上がる蒼い炎。巨大な門扉がそびえ立ち、その門の脇には馬と牛の頭をした筋骨隆々な鬼の姿がある。


「久しいな、篁」


 篁が朱色に染められた門に近づいていくと、馬の頭をした鬼が声を掛けてきた。馬頭めずである。


「おお、篁が来たのか」


 馬頭に続いて、牛の頭をした鬼が声を掛けてくる。こちらは牛頭ごずであり、牛頭と馬頭は二人ひと組で牛頭馬頭ごずめずと呼ばれていた。


「閻魔に用がある。門を開けてくれ」

「お安い御用だ」


 牛頭馬頭は声を合わせて言うと、その巨大な門扉を開けはじめた。門扉は牛頭馬頭が押すようにして開けるものであり、それがふたりの仕事でもあった。


「そういえば、私の前に閻魔を訪ねてきた者はいたか?」

 篁は自分が通れるくらいの隙間が開いた門扉を見つめながら、牛頭に聞いた。


「うーん、どうだろうな。覚えているか、馬頭」

「いや、覚えてないな。誰かを探しているのか、篁」

 その馬頭の問いに篁は少しだけ考えるような表情をして答えた。


「真備……吉備真備を探している」

「ま、真備だと」

 馬頭は驚きの声を発した。吉備真備もかつては篁と同じように、閻魔大王の仕事を手伝っていたことがあったそうだ。そのため、牛頭馬頭は真備のことを知っていた。


「この前に会った時は、あいつ女だったぞ」

 牛頭がにやにやと笑いながらいう。


「そうなんだ。いまは、真備は若い女だ。見ていないか」

「見てないな」

 牛頭も馬頭も首を横に振っていった。


「そうか。こっちには来ていないか。ならば、よい」

 篁はそういうと、牛頭馬頭が開けた門扉の隙間をすり抜けるようにして中へと入っていった。


 この先には、冥府裁判所と呼ばれる閻魔大王の職場がある。ここで裁判を受けたものが六道のいずれかに送られるのだ。


「篁様ではありませんか」


 声を掛けられ、篁は振り返った。

 そこには唐服を着た大柄な女が立っていた。花である。花は会うたびに違う姿をしているが、冥府では閻魔大王の補佐をする司命しめいの役職についているため、この格好をしていた。


「どうか、なさいましたか」

「閻魔に会いたい」

「……真備の件ですね」

「ああ」

「わたしは真備の転生には反対だったのです。こうなることはわかっていましたから」


 花はそう篁に告げた。どこか機嫌が悪そうだ。篁は花のことを見てそんなことを思った。

 しばらくすると、赤ら顔に顔の下半分をひげで覆った、唐服の大男が姿を現した。閻魔大王である。閻魔は黄色く濁った大きな目をぎょろぎょろとさせながら、篁のことを見た。


「真備が面倒事を起こしているようだな」

「わかっているのか」

「ああ。知っておる」

「知っていて、放置なのか」

 篁は睨むような目で閻魔のことを見た。


「そういうわけではない。ただ、わしには現世うつしよのことは、どうすることも出来ないのだ、篁」

「だから、私にどうにかしろというわけか」


 篁の言葉に閻魔はゆっくりと髭を撫でるだけで、何も答えようとはしなかった。その無言が、ある意味答えなのだ。


「もちろん、手は貸そう」

「では、花を」


 篁はそう言って花のことを見た。

 最初から篁は決めていたのだ。わざわざ冥府までやって来た意味。それは、花の力を借りるためだったのだ。

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