参議篁

参議篁(1)

 前の晩から降り続いた雪は、朝になっても止むことがなかった。

 降り積もった雪は平安京たいらのみやこを白く染め上げている。


 本日行われるはずだった朝賀ちょうがは、大雪のために中止となった。

 朝賀が中止となるのは数年ぶりのことであり、内裏の殿舎などが雪に覆われてしまったために、近衛府が総出で雪かきをしたほどであった。

 本来であれば、朝賀は元旦の朝に帝が大極殿にて東宮以下の文武百官の拝賀を受ける行事であるが、人々が集まることができないと判断されたのだ。


 その数日後、豊楽院ぶらくいんでおこなわれた帝の宴では、帝がみことのりして、小野篁は従四位下じゅしいのげの官位となり、蔵人頭くろうどのとうに命じられた。


 蔵人頭とは、みかどの首席秘書であり、部下である蔵人くろうど殿上人てんじょうびとを指揮し、勅使や上奏の伝達や天皇の身の回りの世話などを取り仕切る役職である。蔵人頭は二名おり、一名は近衛中将と兼任していることから頭中将とうのちゅうじょうと呼ばれ、もう一名は大弁や中弁と兼任していることから頭弁とうのべんと呼ばれていた。篁の場合は、左中弁の職にあったため頭弁ということになり、頭中将は藤原ふじわらの良房よしふさの弟である藤原良相よしみであった。


 篁の場合、蔵人頭との兼務として皇太子である道康親王の東宮学士の職にも就いていた。これは帝と皇太子の両者の信頼を得ているということでもあり、朝廷がいかに小野篁という人物を重要視しているのかがよくわかった。

 また、官位が従四位下じゅしいのげとなったことから、位袍いほうも黒を着ることを許されたのだった。


 詔りが終わった後の最勝会さいしょうえでは、尾張おわりの浜主はまぬしによる長寿楽の舞が行われた。尾張浜主は、見た目こそ歩くのもやっとな感じの老人であったが、いざ舞が始まると袖を垂らして曲合わせて踊り、その姿はまるで少年のようであったと見物客たちから言われるほどの舞を披露した。


 この尾張浜主については、称徳天皇(孝謙天皇)の頃より七代の天皇に仕えたとされており、史書においても称徳天皇の前で舞を踊ったと記録が残されている。その後、遣唐使船で唐に渡り、龍笛を極めて帰国し、外従五位下に叙された。今回の舞を踊った最勝会の記録によれば、年齢は113歳だったという。


 それから数日後、篁の屋敷を訪ねてきた人物がいた。藤原良房である。良房は、牛車で篁の屋敷までやって来ると、篁に祝いの品をいくつか渡した。

 良房は現在、太政だいじょう大臣だいじんで従一位という立場にあるが、若き頃よりの友である篁の出世を誰よりも喜んでいたのだ。


「一時はどうなるやと思ったが、ここまでこれたこと嬉しく思うぞ、篁」

 笑いながら良房がいう。


 一時というのは、隠岐に流されていたことを指していた。この時、篁は無位となり職も失った。その流刑地から戻ってきた篁が、従四位下になれたというのは奇跡に近いものがあった。

 篁と良房は、良房の持ってきた祝いの酒を飲み、そして酔った。朝廷に一度上がれば身分の差があるが、二人だけの時は友なのだ。


「頭弁となれば次は参議だな、篁」

「よせ。酒の席とはいえ、そのような戯言をいうでない、良房」

「なにを言うか。帝はお前に期待をしておられるのだぞ。その日も近い」

 ふたりは盃に酒を満たしながら、大いに語り合った。


 しばらく二人きりの宴は続き酔いが回ってきた頃、ふと何かを思い出したかのように良房が言った。


「そういえば、妙な噂を聞いたのだが知っておるか、篁」

「妙な噂?」

「ああ。お前の義弟おとうとについての噂だ」

義弟おとうと? 誰のことを言っているんだ」

有貞ありさだのことだよ。藤原有貞。お前の妻の弟だろ」

「ああ、有貞か。どうかしたのか」


 藤原有貞は、篁の妻である藤の弟であった。父親は藤原ふじわらの三守みもりであり、有貞はその七男にあたる。有貞は姉の貞子が帝の女御にょうごであることから帝からの覚えもめでたく、若いうちから従五位下という官位に就いていた。


「実はな、有貞が密通をしているという噂があるのだ」

「密通だと」

 思わず篁は大声を上げてしまった。


 密通とは、現代で言うところの不倫である。この当時、上級貴族においては正室以外に室を何人か持つ者もいたが、密通ということは室ではない相手と通じ合っているということになり、それはこの時代であっても許されないこととされていた。


「相手は誰なのだ」

「それが……更衣こういである三国町みくにのまち様じゃ」

「なんと」

 篁は絶句した。三国町といえば、帝の更衣である。


 更衣というのは、女御の次となる后妃の身位のことであり、いわば帝の妻の一人ということになる。また三国町は、帝の皇子である源登(更衣の子であることから臣籍降下して源姓となった)を産んだ人物でもあった。

 そんな更衣である三国町と密通を有貞がしているとなれば、ただ事ではすまないだろう。簡単にいえば、若い有貞が帝の更衣を寝取ったということなのだ。


「その噂の真相はどうなのだ、良房」

「わからぬ」

「ありえん……。相手は更衣様だぞ」


 篁の酔いは一気に覚めていた。義弟をどうにかして救ってやらなければならない。そのことが頭の中を駆け巡り始めていた。


「すまないな、せっかくの祝いの席にこのような話をしてしまって」

「いや、助かった。一度、有貞から話を聞く必要がありそうだ。明日にでも有貞に会う必要があるな。話はこの辺にして、飲み直そう。興が冷めてしまったな」

 笑いながら篁は言うと、良房の盃に酒を満たした。

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