在五(9)

 狐顔の男たちが輿を担いだまま、こちらをじっと見ている。

 いままで牛頭や馬頭、はたまた狗頭の羅刹の姿はさんざん見てきたが、狐頭を見るのは篁も初めてのことだった。


「太刀を収めよ、篁」


 狐面を被った玉藻がはっきりとした声で篁にいう。その声はどこか真備に似ているような気もしたが、まったくの別人の声のようにも聞こえた。


の前で刀を抜くとは、無礼極まりないことぞ、篁」

「無礼なのは、そちらであろう。人にとやかくものをいう前に、自分がその面を取ったらどうだ」


 篁のその言葉に輿を担いでいた狐たちが歯をむき出して、威嚇をしてくる。

 先ほどまで腰を抜かしていた業平も立ち上がり、背負っていた弓を構えた。


「良かろう。我が仮面を脱いだら、その太刀を収めるのじゃぞ」

 玉藻はそういって被っていた仮面に手を掛けた。


 その時だった。玉藻の仮面に掛けた手の指が奇妙な形を作っているということに篁は気づいた。印。そう呼ばれる陰陽道の術式のひとつである。仮面を被っているため口元は見えないが、おそらく呪詞のりとを唱えているのだろう。


「業平殿、あの狐面を射てくれ」

「わかりました」


 業平は狙いを玉藻の狐面に合わせて弓の弦を引き絞ると、矢を放った。

 風を切る音がすると同時に、矢は吸い込まれるように玉藻の被っていた面に当たる。

 矢が当たった衝撃で狐の面は縦に亀裂が入り、真っ二つに割れた。

 在原業平は、狩りの名手として名を馳せていた。得意なのは鷹狩りであったが、弓の腕もかなりのものであり、業平が狙った獲物を逃したことはなかった。


「な、何をするのじゃ……」


 仮面が割れたことで玉藻は慌てて着物の裾で顔を隠そうとする。

 その動作のお陰で、玉藻が結ぼうとしていた印は途中で解かれた。これで術は発動しないはずだ。

 輿の周りにいた狐頭たちが、次々に刀を抜いて襲い掛かってきた。

 篁はすぐに反応すると、鬼切羅城を構えて狐頭の刀を受け流す。襲いかかってきた狐頭たちは三人だったが、篁は圧倒するかのように三人の刀を打ち落とし、顔の目の前に太刀を突きつけてやった。


「おのれ、篁。我はお前を許さんぞ」

「印を結んで仕掛けようとしてきた癖に、よく言うわ」

「業平、お前も許さん」

「許さなくて、結構。化物に許してもらおうと思うほど、この在原業平は落ちぶれてはおらぬわ」

 業平は笑い飛ばすようにそう言うと、次の矢をつがえた。


 この玉藻と名乗る女の正体は本当に真備なのだろうか。篁には、その疑問があった。九尾狐によれば、真備は九尾の力を吸収して玉藻となったというようなことを言っていたはずだ。もしそうであれば、この玉藻の力は計り知れないものであり、篁や業平がどうあがいても勝てるような相手ではないはずだ。


「我はお前たちのことを絶対に許さんぞ」

 唸るような声。そして、玉藻が顔をあげると、そこには憎しみに顔を歪め、怒りで目を吊り上げた真備そっくりな女がいた。


「ま、真備どの?」

 業平はその顔を見て驚きの声をあげる。


「許さん、許さんぞ」

 玉藻がそう呟くたびに、玉藻の口からは蒼い鬼火が零れ出てくる。

 完全に玉藻の姿は物怪もののけであった。


 玉藻は輿から跳躍すると業平の前に降り立ち、大きな口を開けてその鋭い歯で業平の頭に噛みつこうとする。

 業平は地を這うようにして、その玉藻の口から逃れると、篁の背後に隠れるように回り込んだ。


「た、篁殿……真備殿が……」

「落ち着きなされ、業平殿。あれは真備ではございません。真備があのような物怪であるわけがございませぬ」

 篁はそういって業平を落ち着かせると、鬼切羅城を構える。


 業平のことを噛み損ねた玉藻は、ギロリと黄色く濁ったその吊り上がり細い目でこちらを睨みつけている。輿から降りてきたことで、玉藻の姿全体がよくわかった。着物は何重にも重ね着したものを着ており、腰のあたりからは九本の尻尾が見えていた。


「やっと正体を現したか、化け物め」

「何を言う、篁。我のどこが化け物だというのじゃ」

「自分の姿を見てから言うがよい」

「憎らしい……憎いぞ、お前が憎い、篁」


 玉藻は地面に両手をついて四つん這いになると、さらに人間離れをした様子を見せた。


「どうやら、私はお前のことを斬らなければならないようだ」

「誰がお前などに斬られるか、篁」


 そう言った玉藻は身体をぶるっと震わせた。すると身体から蒼い炎が飛び散っていく。

 そこには、もはや真備の原型はどこにもなかった。目の前にいるのは、ただの化け物である。


「許せ、真備」

 篁はそう呟くようにいうと、鬼切羅城の剣先を玉藻へと向けた。

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