在五(7)
「ここでございますか、業平殿」
「ええ、この寺に間違いございませぬ」
霧の中から真備と業平の声が聞こえてきた。
どうやら二人もこの寺へとたどり着いたようだ。
「――あとは頼みましたよ、篁殿」
「誰も引き受けるとは」
「真備は邪の者。朝廷転覆を阻止するためにも」
それだけ言うと若藻は姿を消してしまった。
これは、参ったな。篁は難しい顔をして寺の本堂から出た。
「篁殿、ここにおりましたか」
業平が駆け寄ってくる。
「ええ。霧が出て迷った挙げ句、この寺にたどり着いたのです」
「私と真備殿も同じです。従者たちはどこかへいなくなってしまいました」
「ここが業平殿の見た夢の場所ということで、よろしいのか?」
「ええ。間違いございませぬ」
さて、どうしたものか。篁はそう思いながら、真備の方を見た。
真備は警戒を緩めていない様子で、辺りに目を配っている。
篁は真備に近づくと、業平には聞こえないように小声で真備に尋ねた。
「どう思う、真備」
「どうとは何がじゃ」
「業平殿が見た夢の場所に我らが連れてこられた。何かおかしいとは思わないか」
「まあ、おかしいことはおかしいな」
「それだけか」
「
それだけ言うと、真備はぷいと顔を背けて本堂の中へと入っていってしまった。
何か勘付いているのだろうか。篁はどこか不安な気持ちになった。
真備を殺してほしい。確かに若藻はそう篁に告げた。
本当に真備を殺さなければ、朝廷が転覆するような事態が起こるのだろうか。
「おい、篁」
本堂の中にいた真備が篁のことを呼んだ。
「なにかあったのか、真備」
「いや、その逆じゃ。何も無い」
真備の言葉通り、本堂の中は伽藍堂である。
篁に続いて入ってきた業平も首をかしげながら、本堂の中を見回している。
「おかしいな。私が夢で見たときは、ここに釈迦如来像があったはずなのだが……」
「それに境内に古井戸もないのう」
「まあ、それは業平殿の夢の話であろう。ここは現実にある寺だ」
篁はそう言って辺りを見回した。すでにどこにも若藻の姿は無い。
本当に真備を斬るべきか。
太刀の柄に手を伸ばしながら、篁は真備の無防備な背中を見つめた。
すると、真備がくるりと篁の方へと向き屈託のない笑顔を浮かべる。
「おい、篁。困っていることがあれば、我に相談せよ」
「何がだ」
「先ほどから、お前の様子がおかしい」
「そのようなことは……」
「我と業平殿が来る前に、ここで何を見たんじゃ、篁」
真備はじっと篁の瞳を覗くかのようにして言う。
篁の額からは汗が吹き出していた。このようなことは初めてのことであった。
どうやら、真備には隠し事は出来ないようだ。篁は意を決して、真備に先ほどあったことをすべて打ち明けようと口を開いた。
その時だった。
「あなやっ!」
業平の叫び声が聞こえた。
篁と真備がその方向へと顔を向けると、先ほどまでそこにいたはずの業平の姿がどこにもなかった。
「業平殿っ!」
篁と真備は慌てて、その業平の立っていた場所へと向かった。
そこには大きな穴が開いており、床板が抜け落ちていた。そして、その下には深い古井戸が存在していた。
「なんぞ、これは……」
さすがの真備も驚きを隠せないといった顔で穴を覗き込んでいる。
古井戸はあったのだ。しかし、業平の夢とは違い、本堂の下に隠されるように存在していたのだ。
「どうする、真備?」
篁が真備に尋ねると、真備はにやりと唇を歪めるように笑って見せた。
その笑みの意味がわかった時、篁は身構えた。
真備は、篁の背中を押して井戸の中へと突き落としたのである。
くそ、やはり斬っておくべきだったか。
篁は井戸の中へと落ちて行きながら、真備のことを睨みつけた。
「我も行くぞ、篁」
真備はそう言って、井戸へと飛び込んできたのだった。
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